なんでコネ社会なの?
成り上がりものの世界の多くはコネ社会です。社会の運営がコネによって固められ、あらゆることへの新規参入が難しい。
そんな世界だからこそ、成り上がる主人公が輝きますし、主人公を支える実力主義で採用する人物が貴重なわけです。
コネで腐敗した連中を蹴り飛ばして実力でのし上がる。かっこいいですね。
一方で、その社会はなんでコネ社会になったのでしょうか。
現実世界もそうです。過去から現在まで、コネが優遇される話はいくらでもありますし、実際それで回っている場所も多いです。天下りとかニュースでも見ますよね。
コネはよくないものというイメージがあります。なのになぜ世界はコネにまみれるのか?
実際のところコネって何なの?
おいしいの?
何が悪いの?
何がいいの?
というわけでちょっとコネについて考えてみたいと思います。
コネというとパッと思い浮かぶのは大きく分けて二つでしょうか。。
血縁・地縁・学閥などのコミュニティによるコネ。
利益によるコネ。
前者はつまり、知っている人を紹介すると言い換えることができるでしょう。
別のコミュニティで付き合いがある人を、異なるコミュニティに紹介する。
ポイントは、人となりを知っていること、別のコミュニティでも付き合いがあることでしょう。
親戚付き合い、近所付き合いがある相手であれば、簡単にはやめられないし、やめさせられない。
大きな失敗をしても紹介者のの取り成しを期待できるし、大きな成功があれば紹介者の発言力が上がるでしょう。
直接言いにくいことがあっても別のコミュニティの関係を通して遠回しに伝えることもできます。圧力をかけるともいう。
うまくいけば、いや無難に進めばコミュニティ同士の関係もよくなる。
具体的に例を挙げますと。
ある会社の常務が甥っ子をコネ入社させました。社長はなんかあったらまあ常務が責任取るだろうしと常務のこれまでの信用を鑑みて許可しました。
甥っ子は今まで仕事が長続きしなかったのですが、今回はやめたくなるたびにおじさん常務に相談し、励まされつつ叱咤されなんとか仕事が続きます。
あるとき、甥っ子の発注ミスで会社に一億円の損害を出してしまいました。
社長はぷんぷんです。ですがおじさん常務が甥っ子と一緒に各所に頭を下げに走り回ってくれたおかげで、なんとか甥っ子の首はつながりました。
その後失敗をばねに甥っ子は成長し、甥っ子が立てた企画が十億円の利益を出しました。社長は大喜び、あの時怒りに任せて首にしなくてよかったよ、と甥っ子を誉めて、止めてくれた常務に感謝しました。
社長は常務にまた見どころがある子いない? と尋ねるようになりました。
といった感じでしょうか。ちょっとできすぎですかね。
コネは紹介される側が目立ちますが、紹介する側にも結構な負担があります。
入社させた甥っ子が三日で辞めたら面目丸つぶれですし、やらかしたら紹介した責任があります。それはただ上司であるという監督責任だけより当然重くなるでしょう。
会社に対してだけではなく甥っ子の親である兄弟に対しても責任があるでしょう。
お前んとこの息子仕事紹介してやったのに三日で辞めやがったぞなんて言おうものなら喧嘩になることでしょう。家族・親戚コミュニティにひびが入ってしまいます。
現代日本では血縁・地縁などのコミュニティはかつてと比べればだいぶ薄れてきています。煩わしいものとすら見られる場合もあるでしょう。
それでも根強く残っているのはそれがこれまで大事にされてきたからです。
なぜ大事かといえば、要するに困ったときに助けを期待できる相手であるからです。
家族だから、親戚だから、お隣さんだから。相互扶助関係は古来必然的に結ばれてきました。
現代のようにサービスが発達していなかったころは、一人で暮らすのは至難です。
病気や天災、戦に治水。一人で対応できないことはごろごろあります。
農作業も近所みんなで協力し合い、家を建てるのも集まって手伝います。物によってはコミュニティ内で分業して作って分け合います。
子どもの面倒もみんなで見ます。一軒に一人ずつ農作業から子守のために引き抜かれるより、少人数に任せて農作業に人手を集中したほうが効率的です。
人が生きるのに必要なことは多いです。より快適にとなると倍増どころの手間ではなくなります。
コンビニもスーパーも公衆トイレも電車も車も水道も電気もありません。
全部人間の手でやらなければならない。
限られた人手を効率的に使う必要がある。
そのためには協力する必要があったのです。
そのために地縁と呼ばれるコミュニティが生まれたし、より近しい血縁を大事にしてきたのです。
さらに言えば、命の価値も安かった。
現代では様々な病気を克服されてきましたが、それでも感染病で大騒ぎになります。
克服される前ではどうだったでしょう。
今年元気でも来年ぽっくり行くかもしれません。
抗生物質もない時代、ちょっと風邪をひいて悪化したらあっという間です。
災害はどうでしょうか。地震や津波、土砂崩れで孤立したら? ヘリコプターなんてありません。救助は来ない。食料は?
災害にあう不運に見舞われただけで簡単に全滅しうるのです。
来年、なんなら明日自分は死んでいるかもしれないという恐怖は人類の根源的な恐怖の一つでしょう。
それは社会が発達し対策も多く建てられ、維持されている現代とは比べ物にならないもので、そしてそれが当たり前でした。
人間一人の価値が低いとなれば、何を考えるでしょうか。
そのうえで、自分が生きるために周りの人間にどれだけ力を借りているか、それを現代よりも強く感じているならば。
自分がいなくなった時、自分が受けている恩恵を、家族や懇意にしている誰かに引き継げるようにと考えるのではないでしょうか。
これが、コミュニティの結束が現代よりも固かった理由、少なくともその一つでしょう。
明日死ぬからもうどうにでもなーれ、と考えるより、せめて家族に何か残したいと考えるほうが、集団を構成する生き物としては自然でしょう。そしてコミュニティの重要性を理解している先達によってそのように教育されるわけです。
個人主義の流布により、こういった考え方は時代遅れとみられるようになりました。
しかし、サービスや福祉、医療技術などが大きく発展した近代以降でなければ享受できない贅沢だったのです。
あるいは、自身が受けている恩恵を理解できない愚か者もしくはコミュニティから排斥されたはぐれものであるか。
だから死んでも残る名誉や、代々継承する土地が重要でした。
いつか死ぬ自分を継承するコミュニティを守り育てることが重要で、だからお家のために死ぬことが許容されることもあったのです。
命より組織が大事、だなんて現代ではバカげていると思われがちですが、命の価値が安く組織の価値が高かったからだったのです。
コネで紹介するということは、そんな大事なコミュニティの外聞を賭けることにつながります。
紹介者が信用を担保する。担保ということは場合によっては取り立てられるということです。
成功すればコミュニティの信用という財産が増え、失敗すれば言わずもがな。
紹介することにも慎重になりますし、そのうえで紹介されるとなればそれだけの期待が込められます。
場合によってはコミュニティの名を汚したとして罰が与えられることになるでしょう。
お前は御屋形様の顔に泥を塗ったのだ。腹を切れ!みたいなやつ。
翻って利益によるコネはどうでしょうか。
利益をくれたので紹介する。悪いことしてるみたいですが現代では贈賄にあたる場合も多いです。
ですが、紹介するということは、何かやらかした時、紹介者にもある程度の責任が及ぶことを考えるということ。
コミュニティのコネは信用をもってそれを相殺したわけですが、この場合は利益、お金でそれを代用するわけです。
信用をカネで買うとも言えるでしょう。
王様を守る近衛兵になりたい人が、偉い人にお金を渡してねじ込んでもらいました。
近衛兵になった人は王様を暗殺しようとしました。
ちょっとしらべたら紹介者の偉い人が金を受け取ってねじ込んだことがわかりました。
はい。
信用は容易には代替できません。
ですがその値段も状況によって上下します。
利益によるコネの話を聞くときになんかすごい金額がならびがちなのはそれだけの大事だからです。ばれたら贈賄、紹介した者がやらかしたら飛び火、そんなリスクを背負うのだから、対価が跳ね上がるのは当たり前なのです。だからこそ余計に罪も重くなります。リスク賄賂スパイラルです。
だから十万円の商品券とかで逮捕されてるニュースを見るとちょっと意味が分からないマジかよと思うわけですが。ばれないと思ってるんでしょうか。そんな額で免職や減給になったら目も当てられないのにね。氷山の一角で実際はその何百倍ももらってるんでしょうか。まあそれはおいといて。
古来、コネを押し込むことができる、あるいはコネに仕事を回すことができる立場は大人気でした。
その立場にいるだけで賄賂がもらえます。そういう役職は重要な役職なので腐敗すると大体ひどいことになります。
中華帝国の後期で定番のやつです。
それでも後を絶たないのはもうかるからでしょう。双方とも。
会社と役人と天下りの例にしても、役人が天下りするのはまあそれだけですが、会社の方にも利益があります。回してもらえる役所の仕事は固いのです。親方日の丸なら支払い前にトンズラされることもない。安心して仕事に打ち込めます。
会社の利益のためだけではありません。
社員とその家族が安定した仕事を給料を得ることができるのです。事業の費用の一部は社員の人件費なのです。
だからいいのかといわれると、そんなもんみんなどこも同じなんだからいいわけねえだろといいたくなりますが。
利益によるコネも信用によってそのハードルが下がります。信用があればリスクが軽減されるからです。コミュニティによるコネと複合されればなおさらのこと。
安い賄賂で捕まるニュースもそういうことなのかもしれません。
逆に、利益のみでコネを結ぼうとするならば、リスクに見合った利益を供与しなければならないでしょう。
もちろん砂漠の水と湿潤気候の水で価値が違うように、物の価値は時と場合によって変わるものですが。
利益に目がくらむバカを描写するのであれば意識してみるといいかもしれません。
まとめると、コネとは信用でした。
そして昔は、あるいは厳しい環境の中では、コミュニティに所属しないで生きることは難しく、そこから人を紹介するということはコミュニティの信用を賭けるということでした。
命は安く、コミュニティが高く、それ故に信用が高い世界ではコネの価値もまた高かった。命が高く信用が安い世界ではその逆となるでしょう。
そして信用が変動相場であり、利益で代替されてきた。
いいことも悪いことも、社会や技術の発展で変わってくる部分もあります。
コネイコール悪いものというイメージだけでなく、必然的に生まれるものということも覚えておくといいかもしれません。