恋文
「好きです!あなたの事が好きです!付き合っ「ごめんなさい…。」て…そう、ですか……。」
この人はこんな私のどこに引かれたのだろう。少し興味はなくもなかったが、私は丁寧に頭を下げてきっぱりと断った。私――犬宮 志遊――には、好きな人なんていない。もちろん、憧れている人は別の話だ。正直、自分の事を好いてくれる人がいるというのは嬉しかったが、だからといってみんな、あれやこれやと付き合うというのはどうかと思う。高校生は青春する義務があるわけでもない。そもそも「青春する」ってなんだ。こんな事を思っている私は一生、結婚できないのかな、なんてその当時は思っていた。因に振った人の名前は鬼笠 天。二人共、高校一年生の夏の体育祭前の話だ。
それからというもの、天君は幾度となく私の前に現れた。私へのアピールのせいだろうか。遠足でキャンプに行った時に、彼がよそ見している間にその服に火がついたこともあった。いや、あれはよそ見なんかじゃない、私しか見ていなかった。だからといって、告白というには聞き慣れてしまったものを受け入れられるはずもなかった。
高校二年生になる頃には、もはや高校の名物というくらいには有名なものとなっていた。先生も含めた色々な人が、その告白に関ってきた。ネット上でもトラブルになりかけた。しかし、私はなぜか彼の事だけは嫌いになれない。彼は私に見られていると知ると、すぐに笑顔になる。それにつられるように私も笑顔を返してしまう。今思うと、彼が私の事を諦めなかったのはそれが原因なのではないか。我ながら罪な女だ。まあ、私に好きな人が出来なかったのは、毎日のように告白してくる彼のせいのような気もするが…。
そして高校二年生の夏休み明け、二人の転校生がきた。一人は外国から来たようで、西洋のお人形さんのような整った顔をしていた。もう一人は遠い田舎から来た、小学生と思われてもおかしくないような背丈の少女だった。二人共あまり言葉が通じず、最初の頃はすごく大変だったのを覚えている。なぜ二人も、うちのクラスにいれたんだろう。田舎から来た少女は本当に小さい子供みたいに活発で、方言の壁はすぐに消え去ってクラスのムードメーカーとなった。外国から来た転校生は、クラスに来てからしばらくすると私と天君の何ともいえない関係を悟ったようで、なぜか彼に猛アピールを始めた。そして、事件は起こった。ある日、私は先生に質問しに行って帰りが遅くなった。後者をゆっくり歩いていると、教室にまだ二人残っていることに気付いて、完全下校の時間が近い事を注意しておこうと扉に近づいた。私は中にいた二人が、外国からの転校生と天君だとすぐに分かって、衝撃の言葉を聞いた。
「スキ、デス。ツキアッテ、ワタシト。」
まだ拙い日本語を私は一瞬で理解した。それを聞いてはならないことも。天君は傍の机に手を突いて、教室の外…つまり、私の事を見てしまった。私はその場から逃げた。天君の表情は見えたはずだが、特に覚えてはいない。よほど、気が動転していたのだろう。いつも通学に使っている駅まで駆けた。その時は誰も追ってきていない事に安心した。次の日から告白タイムはなくなった。私は彼とも彼女とも目を合わせる事はできなかった。三人共、同じクラスで学校には来ていた。
高校三年生の春、例年通りクラス替えがあった。件の彼女は別のクラスだったが、件の彼とは三年間、同じクラスになっていた。しかし、告白タイムは戻ってこなかった。私も彼も進学コースを選択したので、受験するクラスの仲間ではあった。私は受験勉強に集中してそれまでの事はできるだけ思い出さないようにしていた。そして、またまた事件だ…。私ってトラブル体質なのかな?今回は事件っていう程ではない気もするけど…。といっても、普段とは違い何かの起こりやすい修学旅行でのことだ。
私の高校では就職希望の方が多かったので、三年生の春に京都に行った。海外にも行ってみたかったが、英語は大の苦手なのでよかったような気もする。天君とはクラスの人の配慮のおかげで別のグループで行動する事になったし、同じ所に行く事はあっても予定の時間はずれていたので万が一にも鉢合せすることはないはずであった。一日中、寺院や神社をまわるようなスケジュールだったが、私はそういった日本の伝統的なものは好きだったので、どちらかというとワクワクしていた。しかし、私も調子に乗りすぎていたようで、人ごみの中でみんなとはぐれてしまった。何とか連絡はとれたが、知らない場所で迷う事は初めてで、申し訳ない気持ちが強かった。私は人の波に流されて孤島に辿りついてしまったと思った。知らない土地で一人というのは本当に寂しいものだ。しかし、その孤島には先に漂着していた者の姿があった。人ごみの中で腕を掴まれる。その手と後から聞こえた声はなぜかすごく安心できるものだった。
「こっち!人ごみから出るからついてきて。」
その時は力強く引かれた腕についていくので精一杯だった。他の事は考えられなかっただろうからまだ彼に引かれていたとは気付いてなかったはずだ。人ごみからようやく抜け出した所で天君の真っ赤な顔が見えた。すぐにそっぽを向いてしまって一言、謝ってくる。
「その…いきなりごめん…。」
その姿に不器用で素直に謝れない男の子の姿が重なった。私の事が本当に好きなのだと思った。でも、私はこの男の事なんか…。それより、私を人ごみの中から救い出してくれたのが彼なのは事実だ。たとえ不本意であろうともお礼は述べなければならない。
「こちらこそありがと。おかげ様で助かりました。それじゃ…。」
この微妙な雰囲気の場に長くはいたくなかった。しかし、その場を立ち去ろうとした私の腕にはまた彼の手が…。と思ったら今度はすぐに放してきた。
「あっ…ごめん…。ていうか、どうしてここに?」
彼は、その時私が一番聞かれたくなかった事を的確に狙ったかのように聞いてきた。高校生になって迷子などというのはとても恥ずかしかったが、自惚れでもなく私の事が好きな天君なら少しは受け入れてくれるだろうと思ったのかもしれない。私が迷子という事実をできるだけ遠回しに話すと、彼は自分も同じだと言って苦笑していた。私もまさか、彼が私以上に迷子になって鉢合せしてしまうなんて予想外だった。それから私がグループの他のメンバーに天君と一緒にいることを知らせると、天君のグループと合流してから私達の元へ来てくれる事になった。すると突然、共犯者となった天君がこんな提案をしてきた。
「グループの人が来るまで暇だし、その…ちょっとだけデー、じゃなくて…そのあたりブラブラしない?」
彼がデートと言いかけたのは明白だったが、指摘はしなかった。むしろ、修学旅行でお互いにいい思い出を作って、これを機に私の事はきっぱりと諦めてもらい、受験勉強にだけ集中しようと思って快諾した。思っていたより他のメンバーの到着が遅れるということだったので、時間をたっぷり使って楽しんだ。できるだけ彼の願いも聞き届けてやったし、不審者のようにそわそわしていた手も私の方から握ってやるとおとなしくなった。歩きっぱなしで疲れて腰かけたベンチでは、意外と私の事を聞いてこなかった。むしろ、彼は自身の話ばかりで、これで本当に私の事を諦めてくれるのではないかと思っていた。しかしやはりというか、最後にあの話が出た。天君が転校生に告白されたあの事件の話だ。私にとってはもうどうでもいいもののはずだった。彼はあの後、丁寧に断ったらしい、好きな人がいるからと。彼は、私に積極的に関らなくなった訳がその告白を理由に自分の告白が断られてしまうのが怖かった事と、それからの彼女との関係に配慮した結果だという事も語った。そして、彼はベンチから急に立ち上がって私を瞳の中に捉え、こう言った。
「あれから怖くてできなかった事をさせて下さい。初めて告白した時と思いもその強さも変わってないです。二年間、ずっとあなたのことを見ていました。他に目をくれた事はありません。あなたの自然な姿をもっと間近でみていたいです。何回目か分からないけど、改めて言います。志遊さん、あなたのことが好きだ!こんなどうしようもない俺ですが、付き合って下さい。お願いします。」
差し出されたのは先程まで握っていた大きな手。この手をまた握ってもう一回、店を見て回ってはダメなのだろう。こんなに真剣に告白してくれたのだ。私はそれに返事を返さなくてはいけない。
この時、私は彼が言っていたことを思い出していた。ここで断ったら彼との関係はどうなってしまうのか、もう一緒に店を見て回るような事ができなくなるのか。そういった事が不安で仕方なかった。
私はもっと、彼に私の事を聞いてほしい。彼の事をもっと知りたい。彼の事が気になって仕方ない。そういった気持ちから出された私の結論は紛れもなく”Yes”だった。
「私は天君にもっと聞いてほしい事、いっぱいあるし…それよりもっと天君の事、ちゃんと知りたいから…受けてあげる。私が君の事好きだなんて、まだ言ってないけどね…。」
その後は確か、泣き出した彼をなだめたり、グループの他のメンバーが祝ってくれたり、それに恥ずかしがってたりしたような気がする。ちなみに修学旅行中は私達の話題しか出てこなくなってしまっていた。
それからというもの、私達の仲は順調にいき、受験勉強も一緒に頑張った。天君は私より下の志望校に落ちて一浪しちゃったけど、もっと学力上げて志遊が受かった大学に合格するんだ~!って張り切っていた。合格した先輩として勉強を見てあげたらちゃんと受かってくれたし、今では私が少し先輩風を吹かせると、天君は少し悔しそうにするんだよね。デートの時はすごく甘えてきて可愛いんだけど…。私も天君もお互いの事大好きだし、このまま結婚したいなぁ。
これにて、志遊と天の恋の物語は幕を閉じる。次に紡がれるのは二人の愛の物語かも?