徒人の若者、冒険者となる。
今回は徒人の若者。『ルッキ』その人の物語である。
a.
「ルッキ。お母さんの事は気にしないでいいから、帝国にいるお爺様に会ってきなさい。東はダメよ、今は北から回り込まないといけないわ。ルッキならできる。お母さんはすぐに治るから大丈夫、いってらっしゃい」
母はボクに言い聞かせた。
ボクはまだ幼い。母だけでなく自分でも、心に言い訳を聞かせてあげる。それでもボクは納得できない。臥した母親の胸に沈み込み、出来る限り精一杯甘えた。
しばらくして、ボクは母の下を去った。それは余りにも短すぎたのか、母は名残惜しそうにボクの指を握っていた。でも、ボクにとっては気づかない方が良かったくらいに、とても長すぎた。
外を出ると一面砂が吹き上げて、方角すら見失うところ。でも、北を目指すことに支障ない。
北の空には高くそびえたつ氷の壁と、尾根すら見えない山脈が立ち並んでいるからだ。
ボクは歩き出す。たった今持った望みを、叶えることの出来るあの国を目指して―――。
1.
さて、この世界で、ありふれている種族は何者であるか。
ある一種の種族を除いて、皆一様にこう答える。
『それは徒人であろう』と。
長命では無いが、さして短命でもない。
力に優れているかと聞かれると、『そんな徒人も中にはいるが滅多に見ること叶わない』と言う。
魔法に優れているのかと問われれば『徒人はなかなかに優れているが、所詮は森人に敵わぬ程度』と口々に言う。
彼らだけの特徴と、強いて言えば。この世のあらゆるものを口に出来るのは徒人以外に他は無し。毒を自ら食いだすのは、死にたがりか、徒人のどちらかだ。
ともかくこの世界には徒人であふれている。ふらりと街道を歩けば、視界に必ず二軒三軒は徒人の家々が見え、あらゆる都市に偏在しているのだ。
古の賢人も、この世で徒人が住んでいないのは竜の巣くらいのものだ。と、言わしめるほどに。
その数の多さゆえか、この世で最も金を持つ種族は徒人であり、この世で最も金に困っているのも徒人と冗談めいて言われる。
彼らの誇りは意志にあり、その象徴が勇者であり、また神である。
そして自らの意志を貫こうとするあまり、同胞同士で殺し合うのも徒人の性である。
それが此の世界での『徒人』。いわゆる人間である。
では、今回は金に困っている徒人を一人。
この国では高い建造物は珍しくも無い、3階5階の建築物が並ぶ中、突き抜けた高さと幅、段々と不揃いでバラバラな構造の建物、それに細かで鮮やかな朱色の屋根がいくつも重なっている。
極めつけは鋼の看板がでかでかと刺さるように掛けられているここは、誰がいつ呼んだか、いわゆる冒険者ギルドと呼ばれる建物だ。
さて、この建物の前に立つ徒人の若者は何をしているのだろうか。
「冒険者になる。絶対に、絶対に。」
背が高いとはいい難いその若者は、衣服に若干の砂を付け、頭には髪が見えないほど長い布でグルグルと巻き束ねられていた。
腰には棍棒と少し大きめの水袋。それと砂除けのマフラーが若干表情を隠している。
若者の服装は少々珍しいが、別段この国に関していえば全く見ないわけではない。
通りには幾つもの種族、と言っても大半は獣人と大分類に入れられる種族たちだが。男も女も、老いも若きも風の様に、それでいて砂ほどに数も数えるのが億劫なくらい通り過ぎていく。
だから通りの人間は若者が何者かなどと、気に留めることは無いだろう。気に留める者がいるとすれば、この若者の視線の先。
それはこの冒険者ギルドにいる冒険者たちだ。
冒険者ギルドの中の空気は張りつめていた。掲示板や受注板に立っている者もろくに依頼書を読むことが出来ないほどに気が散っている。
テーブルで酒を酌み交わしている冒険者も、磨き上げたかと間違う頭を撫でると。不機嫌な心情と共に、ジョッキをテーブルにたたきつけた。
「畜生、戦争で王国に行くかって時によぉ。冷やかしじゃねならさっさと来いってんだ……」
「やめなよアニキ。んなこと言うだけでも危険だぜよ」
その一言で、ギルド内の空気はより一層重く、静かになった。
テーブルに、張書板に、2階の踊り場、3階の書庫室前でさえ。どの冒険者も、入り口で踏ん切りがつかない若者を意識していながら、その存在に知らないふりをしている。
それでも、誰も逃げようとはしない。
「一昨日みたあの子じゃない。昨日も来てたの?」
「あー、ああ来てたよ。昨日も上手くいかなかったみたいだけど」
「はぁ。こういう時、毎回、毎回、どうして誰も声を掛けてあげないのかしら」
「そう言ったって仕方ないさ、暗黙の了解って奴だし、それを作っちまったのも冒険者ギルドなんだからさ」
「それもそうね、協商国で正式に~ってやると余計お金かかっちゃうし。懐が寂しい冒険者って大変よね~」
「それはそうと、工事が成功したみたいでさ、俺の懐さ、結構騒がしくなってんだよ。今夜飲みにでも―――」
受付役員の男女が重苦しい冒険者たちを他所に雑談に花を咲かせようとした所だったが。
ついに若者が冒険者ギルドに足を踏み入れた。
「あ、あの。冒険者になりたいんです!」
勇気を出して声を上げた若者の声が響く。
霧を吹き飛ばすような突風のような、少年が呼び込んだ澄んだ空気が、一瞬で冒険者たちの雰囲気をかき消した。
ぽつりと、どこかから声が聞こえる。それを皮切りに、若者には聞こえない、けれども何かを話している声がギルドのあちこちから聞こえ始め、不穏な空気が帰ってきてしまった。
「あの子まだちっこいな」
「話くらいかけてやんなさいよ」
「これから稼ぎで手一杯、手間は増やせんよ」
「アノ子なかなか腕はよさそうに見えるケド」
「私じゃ育てはむりだよ~」
「アニキの実力なら、十分いいんじゃないっすか?」
「い、いや、まだ飲んでるところだろうが……」
「腕も上げてきたし俺が行っても―――」
「ダメよ。祖国に帰る手前、下手なこと出来ないから」
まるで海の真ん中に投げ出されたような、森の真ん中に置いていかれたような。
冒険者を志した若者は、時間と共に見えない何かに押しつぶされそうになる。誰の顔を見ても、目が合うことは無い。
ここまでたどり着くのに、若者は相当に力と心を使い果たした。砂漠を超えて氷壁と山脈の隙間を抜け、この全てが豊かに栄えた協商国に来た。
慣れない土地で十分に寝ることも出来ず、腹を満たすこともままならなかった。
うまく回らぬ頭で何とかギルドを見つけたが、いざ勇気を振り絞っても彼らの視線が刺さった。
もう、若者が持っていた勇気は使い果たしてしまった。自分一人の決心で、何とか出来る年齢では無い。
「あ、あの……」
震える心がそうであるように。足が動かない。冒険者ギルドに響かせた声がまるで嘘のよう。だがか細くなった心でも、徒人の若者はなんとか一歩踏み出す。
まるで陰湿な事をやっているようで、良心が痛む冒険者たちは目を逸らす。どこの国でも同じ対応をするわけでは無い。この国だから、起きてしまった一種の事故のような物だ。
若者は疲労の為か、いつの間にか転んでしまっていた。
誰も、見ることは無い。転んではいないとばかりに、誰も、目を合わせなかった。
ふと見た冒険者もシワが浮き立つほど思い切り目を瞑っているし、喉がピクリとも動かないのにジョッキを頑なに降ろさない者も。
唯一、受付の彼女は、心配そうにカウンターから身を乗り出していた。
それが一層、若者の心を寂しくした。
「はっはっはっはたはっは!そんなところで寝ていては邪魔になるぞ?どれ、立てるか?」
「あの、貴方は?」
「俺か?私は、世の為、人の為!神に仕える聖剣士!我が名はジャンドゥードゥリエ・ディバン!見ない顔だな、お前も出稼ぎに来たのか?」
「い、いや。冒険者になりたくて!」
「なるほど!そいつはいいことだ。名簿に登録は?」
「い、いえ。まだ、です」
「そうか!では案内しよう!なに、私も受付に報告しなければならないのでな!」
全体的にくたびれた白い鎧を身に着けたジャンドゥードゥリエと名乗る男に若者は起こされ、受付カウンターに案内される。
「おいおい、ジャンドゥドゥじゃねぇか!おめーいくら何でも帰ってくるの早すぎんだろぉ!」
「ジャンドゥドゥでは無い!ジャン!ドゥードゥリエだ!アニキ!何度も私の名前を間違えるな!」
「オメェさんの名前はいいのよ、それより俺の秘蔵酒の約束はどしたんだよ!あと1週はかかるハズだろ!?」
「街道が整備されていた!おかげさまで早くソウキ山脈に行って帰ってこれたのだ!」
「んなこと信じられっかよ!第一てめぇ、革袋一つで酒も剣も持ってねぇじゃねか!」
後ろでジャンドゥードゥリエとジョッキを片手に持った強面の冒険者が言い争いを始める。
若者は厄介な喧騒から逃げるように受付に向かい、冒険者になることを急ぐ。
「あの、冒険者に、なりたいんです」
「ハイ、よろしくお願いしますね。それではまず年齢と名前を教えてください」
「名前は、ルッキです。だいたい12くらいです」
「12だとちょっと若すぎるかも、知れないですね……」
「まぁまぁ、獅狼人も5歳から戦士とも言うし、それに自分の意志で冒険者になる人に制限は無い、このまま登録でいいんじゃない?」
「そうですね。自由意志申請はほぼ無条件ですもんね。じゃあ登録だけならあとは。」
そう言って受付嬢は地図を二枚ほど広げるとルッキの顔をうかがった。
「あとはこれで最期ですね。その、保証人がいればいいんですけれど……この街にお知り合いとかいますか?」
順調の様に思われた冒険者登録、その目前にして、徒人の若者、ルッキはまたも孤高に立たされた。
「いいえ。いません……」
「うーん。ほかの国だともう完了してる所なんですけれど、協商国結構特殊でして、保証人が必要なんです」
「そんな!」
「保証人以外となると、やっぱり師弟登録しかないですね……」
受付嬢が放ったその一言は、雷の様に冒険者達に駆け抜けた。
皆、一様に表情を隠し、ルッキの気配のみを感じとる。
「そのしてい?制度ってなんですか?」
「師弟制度はまあまあ訳アリの制度でして。保証人と一緒に、もしくは保証人の代わりに先輩である冒険者を登録すんです。登録した冒険者は師匠として育成の義務を負うのだけど、その分ギルドからもより大きく評価されるようになるの」
「そうなんですか!じゃあ誰かが師匠になってくれれば冒険者になれて稼げるわけですね!」
「ええ、そうなんだけど。」
ルッキは後ろを振り向き冒険者たちの顔色を窺う。その様相は先ほどの沈黙とはガラリと違っていた。
皆一様に忙しそうにしているのだ。物書きに走る者や、薬瓶の数を数える者、巻物を出したり入れたりする者に、果ては芋にかじりつく者と。
共通して、誰もルッキと目を合わせようとしない。
そこで、ルッキはほかの冒険者とは何かが違う二人に、つかみ合いにまでなって喧嘩をしている二人に声を掛けた。
「あの、冒険者になりたいんです!師匠になってください!」
ルッキの一言に、二人は喧嘩を止めた。
「おれぇは、あんましよくねぇぞ?師匠、とか?柄じゃねぇしな?すんならホラ、こいつ、こいつがおススメだぞ?」
「確かに、アニキは師匠にはなれんさ。それで、どうするルッキ?」
「あの、アニキさん!僕の師匠になってください!」
「なんでー!違うだろ?優しくしてもらったジャンドゥドゥだろ?」
「だからジャンドゥドゥでは無く!―――」
「―――ジャンドゥードゥリエさん。ですよね?」
「ああ、そうだ」
「もう一度、もう一度だけ。ボクに優しくしてもらえませんか?」
「ふっ。だがその後は厳しいぞ!なにせ、世のため人の為の冒険者になるのだからな!」
こうして徒人のルッキは、金に困った徒人の真っ当で、素早く解決できる道を、この協商国で歩み始めた。
それは険しく、長くも、あっという間な、徒人の紙片。
以来、オウラディアの郊外で木板の冒険者証を下げた徒人の若者を見かけるようになったが、それを語るのはまたいつか。
b.
頬が溶け落ちそうな、甘いカチのジュースがボクのジョッキを満たしていた。
「それじゃあ、新しき冒険者にカンパーイ!」
その頭をビカビカに光らせたアニキの掛け声に続いて、冒険者の皆は派手にジョッキをぶつけ合った。
彼らはお酒を酌み交わしながら、昼にあったことをボクに次々謝ってきた。
「すまない、悪気は無かったんだ。この国で師弟制度を使って冒険者になる奴なんてめってに見かけないからさ」
「そうそう、みんな出稼ぎでこの協商国に来てるもの。まあ今は戦争中だから、根っからの住民は備えだし、私たちも王国か帝国か行こうかってところの矢先だったの」
「ジャンドゥドゥはここが地元だからな、師匠が決まって早々どっか行っちまうってのもあれだしな」
「噂じゃ帝国優勢だったか、俺は帝国側に着くぜ」
「いやいや、稼ぐならむしろ王国だぞ?戦力を集結させるって話で金払いが良いって詩人から聞いた」
皆言い訳とか儲け話とかを語り始めて、ボクには何が何だかわからない。
わかったことは、一つ。本当の意味で師匠に相応しいのが、ジャンドゥードゥリエさんだったって皆が思っていたこと。
「ジャンドゥードゥリエさん。いいえ、お師匠様。これからよろしくお願いします」
「ああ。そうか、師匠か。私からも、よろしく頼むぞ、ルッキ」
待ってて、お母さん。ボクはすぐに帰ってきますから。
お読みいただきありがとうございます。
この物語は誰が主人公だとかは決まっていません。登場人物は話毎に分かれております。強いて言えばこの協商国と言う国が主人公で、話を通してこの国を紐解いていく物語です。
あとはタイトルと登場人物は一緒くらいのものです。この物語だと『徒人の若者』とは本文に登場する『ルッキ』のことです。ですので、今後『徒人の若者、~~』とついた物語は『ルッキ』がメインで協商国を紐解く物語となります。
それから、脅しの様になりますが。物語の落としどころ、所謂オチと呼ばれるものはありません。もしも、作者がオチになる話を書いてしまったら。そのお話はひっそりと闇に葬られるでしょう。
なので、しっかりと完結した物語が読みたい、読みたかった方には申し訳ありません。
そして、彼らを、この作品を、この協商国をよく知りたいという方はまた一か月後にお会いしましょう。