奇妙な少女
「貴方を見ているとあの人のことを思い出す...」
これが母が遺した最後の言葉である。その先は知らない。母の口から、あいつの事を聞くのが嫌で、病室から逃げ出してしまったからだ。それが最後の言葉だと知らずに...
母が、どういう意図であの言葉を発したのか分からないが、俺には忘れようとしても忘れられない強烈な後悔として胸に刻み込まれた。
母の死から一季節巡り、桜舞い散る春となった。
俺は通っている高校への通学路を歩きながら、次に弾く楽曲の譜面を眺めていた。
俺は幼い頃からヴァイオリンをやっている。目標は単純明快、『復讐』である。母を捨てたあいつを地の底に叩き落すために、弛まぬ努力をしてきた。結果も出ているし、この調子でいけば数年後には目標を達成できそうだ。
そんな事を考えて、ふと顔を上げた瞬間。目に入ってきた光景に、俺は思わず目を奪われた。
俺と同じ高校の制服を着た白髪の少女が、公園の中心でヴァイオリンを構えていたのだ。
その構えに見覚えがあるものの、そんなことはどうでも良くなるほどに、立ち様が、雰囲気が、彼女の存在そのものが、全てが美しく俺の目に映し出された。
俺は呆然とその場に立ち尽くし、彼女の次の動作を待った。彼女がどのような音を奏でるのか気になってしまったのだ。
彼女が弓を動かした瞬間、不協和音が俺の鼓膜を振動させた。
「...上手くいかない」
「俺の感動を返してくれ...」
思わず口に出ていた。
当然、彼女は俺の存在に気付く。
彼女は、長く艶やかな白髪を、桜吹雪の中を泳がすように振り向いた。
最初の印象は『白』だった。
髪、肌、瞳と、彼女を構成する全てが『白』だったからだ。
彼女は俺の姿を見ると、一瞬だけ驚いたような表情を見せたと思ったが、すぐに無表情へと戻った。
今まで見たことない程に彼女の容姿は整っていて、人形のような印象を受けた。
「悪い、邪魔したな」
俺はそう言って、その場を離れようとした。美人に関わって、無事に済んだことが無いのだ。
「待って、話があるの」
彼女はそう言って、俺を呼び止める。
俺は不審に思った。この少女のことを知らなかったからだ。見ず知らずの人間に話しかけられれば、誰でも不審に思う。それが表情に出ていたのだろう、彼女は続けた。
「別に変な話じゃない。一つお願いがあるだけ」
抑揚のない透き通った声で、彼女は話す。
「いやいや、おかしいだろう。何故見ず知らずの俺に頼み事をする?」
「私は貴方を知ってる」
「俺はお前を知らない」
「お前じゃない『如月美鈴』」
「で、その如月さんは...」
「美鈴でいい」
どうやらこの少女、話の腰を折るのが得意なタイプの人間らしい。
「ハイハイ、その美鈴さんは何で俺に頼みごとをするのですか?」
「貴方にしか出来ないから」
「俺にしか出来ない?」
「そう」
「何だそれは?」
思わず聞いてしまった。ここで聞かずに彼女のもとを去っていれば「何かが変わっていただろうか?」と何度もこの後に俺は考えることになる。
彼女は一度だけ大きく深呼吸して口を開いた。
「私の恋人になって欲しい」
「へっ!?」
俺は自分の耳を疑った。あまりに脈絡のない展開に頭が混乱したのだ。
「ま、待て、急すぎるだろ!?第一...」
「分かった。諦める」
彼女はすんなり引き下がり、本当に残念だと言わんばかりに肩をすくめた。
俺も美人に告白されて嬉しくなかったといえば嘘になるが、厄介事の匂いしかしないと思った。
「話を聞いてくれてありがとう。貴方に出会えて本当に良かった」
彼女はそう言って微笑んだ。その微笑みに俺は再び目を奪われた。それは綺麗に笑う彼女の美しさにではなく、今にも消えそうな儚さを持った笑みにだ。彼女は最期の母の笑みと同じように悲しそうに笑っていた。
不本意ながら興味を持ってしまった。彼女の笑う理由が、母の言葉に繋がる。そんな予感がしたのだ。
「...別に、恋人じゃなくて友達とかならいいぞ」
「いいの?」
「ああ、お前の目的は分からないが、俺もちょっと気になる事があるからな」
「じゃあ、これからよろしく」
この奇妙な少女との出会いが、今後の生活に大きく影響を与えることを、俺はまだ知らない。