第六話:弘志①
香澄が桜の夢を見ていた頃、弘志も同様に夢の中にいた。
何もない薄暗い空間に弘志は座っていた。なぜこんなところにいるのか分からず、辺りを見回す。
視界の景色に変化を感じ、そこに焦点を当てる。目の前の地面がわずかに盛り上がったような気がした。じっと凝視すると明らかに何かが形作ろうとしていた。
「ぎゃー」
たったそれだけで弘志は悲鳴を上げると駆け出した。
気に入っていた香澄の後を追うようにオカルト研究サークルに入ったが、弘志はそういった類のことが大の苦手だった。香澄の前ではこれまでは何でもないように装ってきたが、香澄がいなければ何も装う必要はないし、何よりこれまで本当のオカルトに出会ったことはなかったのだ。
かなりの距離を走ってから弘志はそおっと振り返った。地面から盛り上がり、形を成しつつあるそれは弘志に向かって真っ直ぐに滑るように移動してきていた。
「ぎゃー」
もう一度悲鳴を上げて、弘志は再び走り出した。走りながら後ろを見るとそれはやはり追いかけてきていた。その頃にはそれは完全に人の形をしていたが、薄暗いし無我夢中で走っている弘志にはその顔を確認することまではできなかった。
何もない空間をただひた走っていた弘志の肩にふいに何かが触れた。視線を肩に向けて確かめる。人の手だった。弘志は肩を掴まれたのだ。
「うわあ」
三度目の大きな悲鳴をあげると、弘志はそのまま気絶した。
弘志は目を開ける。景色に変化はなく、そこはまだ薄暗い空間の中だった。
そばに誰かが立ち、自分のことを見下ろしていた。地面から湧き出てきたやつだと思ったが、一度気絶したら逃げ出す気力が失せていた。
「夢の中で気絶するなんて器用ね」
自分を見下ろす誰かがそう言った。これは夢なのかと思う。それから少し遅れて、聞いたことのある声だと気づく。誰の声か思い出すのと、その顔を確認できたのはほぼ同時だった。
「あっ」
思わず声が漏れる。
目の前にいたのは桜だった。
「桜じゃんかー」
弘志は立ち上がる。
「まあね」
桜はそっぽを向いていた。横顔が不機嫌に見えて、弘志は桜の顔を覗き込んだ。
「なんか怒ってんの?」
桜は大きく息を吐いた。
「まったく、興醒め。香澄とは違う意味でつまんない」
「何の話?」
「怖がりすぎじゃない?」
納得がいく。
「あっ、あー。なるほど。怖がらせてたの?」
「そうだけど、そうじゃないわ」
「違うの?」
「もういいわ。そんなに怖がりだった?」
「いや、実はお化けとか幽霊とかだめなんだよ」
「なんでオカルト研究サークルに入ったのよ。馬鹿なの?」
弘志は笑う。
「分かるだろ。香澄には内緒な」
桜は大げさにため息をついた。
「まあいいわ。私、死の予告にわざわざ夢の中に来たの。しかも、分かりやすいよう0時ぴったりに。親切でしょ」
「ああ、うん」
弘志は調子を合わせた。
「で、折角だから弘志は香澄と同じ日にしてあげる。7日目の夜に死を配達に来るわ」
「殺しに来るってこと?」
「厳密に言えば違うけど、そう思ってもらっていいかな」
「なんで?」
「言わなくても分かるでしょ」
あの日のドブ川での出来事が弘志の脳裏に蘇る。弘志にだって香澄が度が過ぎることがあるのは分かっていた。けれどあの日に限っては香澄にだけ非があるようには思えなかった。桜だってやりすぎていたし言い過ぎた。売り言葉に買い言葉といった様子で、起こった事件だと弘志は思っていた。
公正な立場に立てていれば両方に謝れと言えたが、惚れた弱みで桜のほうにしか言えなかったことが弘志の中ではずっと引っかかっていた。
「香澄だって言いすぎだけど、おまえだってあの日はひどかったぜ。なあ、おまえらもう少し歩み寄れないの?」
「もう、無理だね」
桜はそう言い切った。その言い方がなぜか寂しく感じて、何か言おうと弘志は言葉を探したが見つからず、沈黙が落ちた。やがて、桜が口を開く。
「じゃ、行くわ」
「おい待てよ」
思わず呼び止めていた。このまま帰してはいけないような気がした。何か言わなければと口にした言葉は会話の間中、気になっていたが聞けずにいたことだった。
「おまえ幽霊なの?」
桜は皮肉っぽく笑った。
「幽霊だって言ったら怖がるの?」
「いや、たぶん怖がらない。血みどろだったら怖いけど」
「そう。じゃ」
「なあ」
もう一度呼び止める。桜と視線が合う。
「おまえ、死んだの?」
声が震えたのが自分でも分かった。
「どう思う?」
まじめな顔して問いを問いで返すと、桜はふっと消えた。
その瞬間、弘志は夢から覚めた。けれど起き上がる気にはなれず、ただ暗い天井をぼんやりと見つめるだけだった。