変えられない事実
病院に行ってからは、彼女は悪いところなんてどこもないように、何かあると楽しそうな笑顔を浮かべるいつもの彼女だけを見せるようになっていた。ただなぜか、彼女のバッグのなかにはいつもあの日病院で処方された痛み止めが何錠か入っていた。不思議に思って、ある日の夜に聞いてみることにした。僕と彼女は二人ならんでソファに座りテレビでバラエティー番組を見ていた。彼女は横でテレビをみて、手を叩きながら大笑いしていたが、僕が全く笑っていないのに気づいて何かあったのかと聞いてきた。
「ねぇ、何で痛み止めを毎日持ち歩いてるの?」
「だって、いきなりお腹が痛くなることもあるかもしれないじゃない?」
「確かにそうだけど…。そんなに頻繁に痛くなるの?」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。一応念のために持ってるだけだから。」と彼女が笑顔で僕を見つめる。
確かに痛み止めぐらい持っていても普通だ。考えすぎていたのかもしれないな。と思っていると彼女が、喉乾かない?お茶取ってくるね。と言って彼女は立ち上がり冷蔵庫へ向かった。僕はそのままテレビを見続けていると、
「はい。」と彼女の手にある2つのお茶のペットボトルから1つを僕にくれた。ありがとう。とお礼をいいながら、最近彼女が何故かやけに飲み物を取ってきてくれるのを不思議に思ったが、あまり深くは考えなかった。
数日後の日曜日の朝、希は彼女を迎えに来てくれた鷹山さんと一緒にショッピングに出掛けていった。彼女が家を出てから僕は一人で、最近買ったゲーム機器でシューティングゲームをしていた。つい夢中になってしていると、気づいたときには1時を回っていた。そろそろ休憩がてらご飯でも食べようと立ち上がったとき、携帯が鳴り出した。画面を見ると園崎からの着信だった。通話ボタンをスライドして、携帯を耳にあてるとすぐに
「おい!今すぐ来てくれ。沙田さんが倒れたらしい。」そして園崎は前に彼女と行った病院の名前を言った。
「分かった。すぐ向かう。」
電話を切りすぐに着替え、部屋を出て地下へ向かう。
やっぱりただの腹痛じゃ無かったんじゃ…。
地下へ向かうエレベーターの中で、不安がどっと押し寄せてくる。エレベーターの扉が開いた。すぐに自分の車に乗り込み、病院へ向かった。
病院へ着いて入り口へ向かうと園崎が待っていてくれた。園崎は、彼女は意識がはっきりしていて無事だと言った。しかし、何故か表情は固く、僕と目が合うとすぐに反らした。何か隠しているとしか思えないが、園崎よりも彼女か担当医に聞くのが一番だろうと思い、そのまま彼女の病室へと向かった。
病室に入ると3つの誰もいないベッドが目にはいった。今この病室に入院しているのは彼女だけのようだ。彼女は入ってすぐ左側のベッドに横たわっていた。その横には鷹山さんが椅子に座っていて、二人は無言で見つめあっていた。二人のいる空間だけが重苦しく包まれているように感じて近づくのをためらう。だが、すぐに彼女が僕に気づき、鷹山さんに何か呟いた。鷹山さんは頷いて僕の横を通って病室の外へ出て行った。泣いているようだった。
僕が立ち尽くしていると彼女は僕の目を見て、こっちにきて。と呟き、そして微笑んだ。その彼女の姿はこのまま消えてしまいそうなほど僕には弱弱しく見えた。僕は頷いてゆっくり彼女の方へ歩いていき、さっき鷹山さんがいた椅子に座った。
「ごめんね心配かけて。」と彼女が言った。まだ微笑んでいる。
「うん。君が無事ならいいんだ。大丈夫なのか?」
「うん。大丈夫だよ。」彼女の瞬きの回数が多くなる。
「本当に?」
「うん。本当に…。」彼女は微笑んだままだが目が光っている。
「僕には何でも話してくれないか。希。」
彼女の目から涙が流れた。
「あのね。黙ってたんだけど、私末期癌なの。」
癌…。末期…。僕は思わず彼女から目を反らして下を向く。そんな…。
「黙ってたってことは、前に病院に来たときから分かってたの?」
「うん。渡くんに迷惑かけたくなくて、病院で痛み止め貰ったでしょ?あれをばれないように飲んでたの。」
「そうだったんだ…。気づけなくてごめん。」
「ううん。こっちこそごめんね。黙ってて。」
僕はしばらく下を向いたまま彼女の顔を見れなかった。頭の中で死という文字が何度も繰り返され、得体の知れない恐怖が襲ってきた。
大丈夫きっとよくなる。そう言いたかった。だけど、その言葉は僕の口から発せられることはなかった。