タタの安心、2 ★(あとがきに)
タタの前にたっぷりのクリームシチューとフカフカのパンが置かれました。
タタにとってはどちらも初めて見る食べ物でしたが、フワフワしたいい匂いに、お腹が騒がしく鳴きます。
「どうぞ。熱いから気をつけて食べてね」
「いただきま~す」
考えてみれば、旅に出た日の朝に食べて以来のごはんです。
木のお匙ですくったシチューはコゴロウの言うとおり、すぐには口に入れられないくらい熱くて、お腹がグーグー鳴ってるのになかなか食べられませんでした。
「パンを浸して食べてごらん。それならそんなに熱くないと思うよ」
コゴロウのいうとおり不思議なフカフカしたものをそっと浸して、それでも口に入れるとまだ熱かったのですが、一噛み二噛みして飲み込むとピクンと背を伸ばしてパチクリしました。
とってもおいしいのです!
タタはたちまちシチューのとりこになってしまいました。
コゴロウは嬉しそうに笑いながら小さめのマグカップにお水を注いでくれました。
元々あんまりご飯を食べないタタですが、シチューのおかわりまでして夢中で食べてしまい、「ごちそうさまでした」とお匙を置く頃にはお腹パンパンになってしまいました。
「ぷー」
タタはお腹をさすりながら満足の溜息をつきます。
「おいしかったです。ごちそうさまでした」
コゴロウはニッコリ目を細めて「お気に召したようでよかったです」と、食器を片付け始めました。
膝の上にお皿を重ねて、また椅子の横についている輪っかを廻しながら椅子ごと部屋の隅の洗い場に向かうと、今度はお茶の用意を持って戻ってきました。
「不思議な椅子ですね」
タタは無邪気にそういいました。
「ああ、これかい。タタ君は車椅子はじめて見るのかな?」
手際よくお茶を入れるコゴロウに、タタはコクリとうなづきます。
ほかほか湯気を上げるきれいなカップをタタに勧めると、コゴロウもカップを持って車椅子に座り直しました。
「ぼくは生まれつき足が動かないんだ」
タタは少しの間、コゴロウの言った意味がわかりませんでした。
―― 生まれつき? 足がうごかない?
そんなことがあるのでしょうか? 少なくともタタは聞いたことがありませんでした。足があるのに動かないということがよくわかりません。
でも、村の長老おじいちゃんが杖をつきながら「もううまく足が動かせんでなあ」って悲しそうにいっていたを思い出しました。
でもコゴロウはそんなにお年寄りには見えませんし、それに生まれつきっていいました。
―― うまれつき・・・・。
生まれつきというのならタタもそうです。
生まれつき体が弱くって、生まれつきほかのみんなと違う白い毛皮です。
みんなと同じように走り回れないし、かくれんぼをしてもすぐ見つかってしまうし、いじわるな子たちからはからかわれたりもしました。
それでも自分の足で歩くことはできます。生まれつき長老おじいちゃんのように足が動かないなんて・・・・。
とっても悪いことを言ってしまったと、タタはギュッと手を握ってうつむきました。
「・・・・ごめんなさい・・」
小さな声で謝りました。
ジワ~っと涙が出てきます。
「ああ! いいよいいよ気にしてなんかいないよ! ほら泣かないでタタくん。別に悪いこといっていないよ。それに君は知らなかったんだろう?」
コゴロウの方がよっぽど慌ててるみたいです。
タタはなんとか泣くのをこらえて口元を震わせながらコゴロウを見上げる、コクリと小さく頷きました。
コゴロウは椅子ごとタタのそばにくると、そっとタタの手を取り頭を撫でました。
「君は優しい子だね。ありがとう」
そういって優しく笑ってくれました。
コゴロウはタタを落ち着かせるようにゆっくりと不思議な話をはじめました。
「ねこ族はみんなよく眠るんだ。それこそ一日中だって眠ってる。それはね実は大事な仕事をしているんだよ。世界のバランスを取るっていう仕事だよ」
世界には、「やりたいからやる」っていう力と、「仕方なくやる」っていう力。
そのふたつの力があって、残念ながら「仕方なくやる力」の方が大きくなってしまっているんだ。なぜなら多くの生き物たちが自分自身のことを好きじゃないからなんだよ。
まだ小さなタタくんには難しいかもしれないけどね。それは誰かと自分を比べてしまうからなんだ。
例えば、花があるとしよう。
その花をキレイと感じられるかどうかというのはまず自分の中に「花がキレイで嬉しい」って気持ちがなければならないんだ。
そうでなければ花はただそこにあるってだけのものになってしまう。
それと同じように誰かに「大好き」っていわれても、自分の中に「大好き」っていう気持ちがないとその誰かの大好きを受け取れないんだよ。
誰かが「これはおいしいからタタくんにあげよう」って思っても、それを食べたタタくんが「おいしくない」って思ったらどっちも嬉しくないでしょう? そういう風に誰かと誰かには「差」というものが生まれてしまうんだ。
この「差」というものがやっかいでね。
自分の中にないものを他の誰かが持ってたりすると、それが欲しくなってしまったりする。
気づけば気づくほど、あれもこれも欲しい欲しいってね。そうやって誰かが持ってるものばかり欲しがってると、本当は自分が何を欲しいと思ってるのかわからなくなってしまうんだよ。
誰もが持っている一番大事なものは「大好き」って気持ちだけど、これがわからなくなってしまうとどんどん道に迷ってしまう。迷っているうちにだんだん戻るところもわからなくなっちゃって、もっともっと迷う。
「そうするとだんだん『仕方なく』なってしまうんだ」
仕方なくやることは色んなものを少しずつ傷つけはじめる。自分もみんなも。
そうやって広がっていく『仕方なさ』をぼくたちねこ族が柔らかく丸め込んでるんだ。
ぼくたちの眠りの中で世界のショックをやわらげてバランスを取っているのさ。
もしぼくたちが仕事をしなかったらこの世界は百回は滅んでるよ。
わからなくなったら元に戻るんだ。
仕方なくなる前に戻るんだ。
勇気を出して、「本当に自分がいた場所」を思い出すんだ。
これがとっても大事なことなんだよ。
タタは聞いているうちにボンヤリしてきてしまいました。
コゴロウがとっても大事な話をしていることはわかるのですが、どうゆうことを話しているのかがわからなくなってきてしまったのです。
でも大事だって事はわかる~って思ったタタは、無意識にヒクヒク鼻を動かしました。
コゴロウはそんなタタの顔をみて満足そうに目を細めました。
「さて」
そういって、コゴロウはタタを膝に乗せると、またスイスイと車椅子を動かして洗面所に行き、一緒に歯を磨きました。そして寝室のベッドにそっとタタを寝かせると、自分は車椅子に座ったままタタのおでこに手を当てます。
「タタくん。きみがここで体験するのは『安心』だよ。ヒントはさっきの話ともうひとつ、『ぼくは足が動かないことを気にしてない』ってことだよ」
タタは枕の上できょとんとコゴロウを見上げました。
ねこのお仕事のことはなんとなくわかったけど、でも「安心」ってことがよくわかりません。それにヒントだって教えてもらったことも・・・。
コゴロウはそんなタタのことをニッコリと目を細めて眺めます。
その時、タタの胸の袋から深い紫色の光がじわわ~っと光りはじめました。
タタはそっと袋から黒い粒を取り出します。コゴロウがゆっくり頷いたのでそれをそっと手渡しました。
「また冒険だね、タタくん。きみならきっとできるよ。そしてぼくもきみと一緒に冒険できるのがとっても嬉しいんだ。ぼくはここにいる。きみと一緒にいるよ・・・」
最後の方はもう聞き取れませんでした。
コゴロウの柔らかい肉球で頭を撫でてもらう感触を遠くに感じながら、タタは深い深い闇の中に沈んでいきました。
―― 暗い・・・。
目は覚めているはずです。
目も開いてるはずです。
でも、タタの前には真っ黒な闇しかありませんでした。
自分の手を見ようと思っても、手を顔の前に差し出してもやはり何も見えません。
タタは本当に真っ暗な闇の中にいるようでした。
メガトンさんと一緒に体験した「静謐」のときと似ていますが、あの時はせめて自分の体は見えましたし、周りを囲んだ青い世界も見えました。でも今度は本当に真っ暗です。
「ぼくタタだよー、わわー」
あの時と同じように声を出して感じてみようとしましたが、なんだか変な感じです。
「静謐」の時には、自分の出した声が耳に届きましたが、今は自分の中だけを通って聞こえたように感じました。響いてこないのです。
わたわた体を動かしてみると動かせているのはわかるのですが空気に触れている感じがしません。
慌てて声を出したりバタバタ動いてみましたがとにかく「外」を感じる感覚がなにもないのです。
自分の手で顔を触ってみると手にも顔にも感触がありません。匂いもしません。
あわてて唇を噛んでみて、ゾッとしました。
痛みがありません。
タタは悲鳴をあげていました。
―― 夢 ?
目を覚ましたタタがはじめに思ったのは、まだ夢の中にいるのかという疑問でした。
目は、開いてるはずです。
呼吸はしています。
鼻をスンスン動かす感じはわかります。
ですがまだ闇の中でした。
タタは深い溜息をつきました。
じわじわと恐怖や不安が上がってくるのがわかります。
さっきほどではありませんが、しっかりと自分を抱きしめても触っている感覚は返ってきません。
ですが自分を抱きしめようとしているのだということはわかります。
もう一度溜息をついて、タタは今の状況に身を委ねることにしました。
とりあえず、青の体験と似ていることに少しだけ手がかりがありそうです。
青の体験の時は「静けさを感じる」というテーマでした。
そして今回は「安心を感じる」ということだとコゴロウはいいました。
ならば今、ここにその「安心」があるはずなのです。それを感じられればいいはずです。
タタは安心について考え始めました。
「安心って・・なんだろう?」
安心している感覚は思い出せます。
「だいじょうぶって心からしんらいしていること」です。
タタの周りでみんながニコニコしながら楽しそうにしていて、タタもその中でニコニコしてる感覚。お腹が減ったり、いじわるされたりなんかしない。なんの危険もなくてホンワカしてる感覚です。
それはわかります。
よくわかっているのがわかります。
けど
今タタは本当にひとりぼっちになっているということもわかっていました。
本当にだれもいないのです。ほんとうに・・・・。
ここでは誰もタタにいじわるなんてしません。危険なこともありませんし、お腹が減ってる感じも、おしっこしたいなんていう感じもしません。
安全です。
それがわかりました。
でもそれだけです。
それだけです・・・。
「こんなのいらない!」
タタは叫びました。
「ぼくはタタだ!」
もう一度さけびます。
タタは、自分がタタになりたくて生まれてきたことに気がつきました。
タタになりたくて。
タタ以外の誰にもなりたくなくて。
タタとして生まれ、タタとして生きたいと、タタ自身が望んでいたことを思い出しました。
みんなより体が弱くて、みんなと一緒のことができなくてもタタは「タタがいい!」っていって生まれてきたのでした。
だから。
「タタ」として生まれ。
「タタ」として周りとうまくできなくても在り。
「タタ」として今、生きているんだ。
「ぼくは、ぼくがいい!」
タタは暗闇の中で、精一杯叫びました。
相変わらず闇の中にいます。
タタはひとりぼっちです。
さっきコゴロウのいっていた「ねこ族の仕事」が少しわかった気がしていました。
みんな、わけがわからなくなったときに。「こんなのいやだ!」って叫んだときに。
「じゃあどうする!」って自分自身を振り回してしまうのです。
一生懸命「いやだ!」て言ってるのに自分自身で「仕方がないだろ!」って自分を世界に叩きつけてそこに居させようとするのです。自分自身でそうするのです。
だってそれ以外わからないから。無理やりにでも足場がほしいから。
「まあまあそんなに焦りなさるな」
ねこ族は眠りの中でそれを受け止めて、少しでも慌てさせないように大きな口であくびをするのです。
「わがままをちゃんと理解しなされ」
「自分を大事にすることをちゃんとわかりなされ」
「必死に生きてるってことを言い訳にするのをやめなされ」
「俺が、わたしが、っていうのをやめなされ」
「ちゃんと自分の我がままで自分に生まれて来たのニャぉ。自分の我がままをわかってから我がままいいなされ」
ねこ族は、「ニャワ~」ってあくびとともに、それを教えてくれているのです。
『自分で決めて生まれて来た』
だから
自分で生きると意志をもつこと。
自分が自分として生きていることをわかっていること。
そこでようやく大好きっていうことがわかる。
そこではじめて楽しむことができる。
安心することができる。
コゴロウが「足が動かないことを気にしていない」っていったのは、コゴロウが自分自身をちゃんと知っていたからなのです。
「冒険しよう」っていったのもなぜだかわかりました。
自分が決めて生まれて、自分自身のことがわかったら、次は冒険したくなるのは当たり前です。
「じゃあ、どこまでいけるのかな?」
いつでも自分自身に戻ってこられるなら、どこでどんな冒険をはじめようとなんにも怖くないのです。
だって自分は自分に生まれたくって生まれたのだし。
うまく生まれてきたのがわかれば、先に進みたくなるのですから。
タタは暗闇を理解しました。
これは、今の自分自身だと自分で決めている安全な場所なのです。
どこにもいかなくていい場所なのです。
なにも感じなくていいし、なにも進まなくていい場所です。
ここにいれば怖くない、でもここにいようと思って生まれて来たわけじゃない。
「冒険してもいいよ、っていうことが安心なんだ」
思い通りタタとして生まれることができた。じゃあ、今度はタタをどこに運んでいってもいいんだ。
暗闇を見つめました。
暗闇は次の一歩を見事に隠しています。
タタは自分の意思でその一歩を踏み出しました。
足の下に何かをちゃんと踏んでいる気がします。
どこかで「みゃお~!」っと嬉しそうな声が聞こえました。