タタの躍動
タタがうっすら目を開けると、射るような光が飛び込んできました。
――まぶしっ!!
咄嗟に両目を覆って体を丸めます。
しばらくそうしていましたが何にも起きません。
勇気を出して、そうっとそうっと周りを覗き見てみました。
「?」
さっきまで、青い場所で、ゆったりしていたはずですが・・・。
体を起こすとタタは、真っ白な砂を敷き詰めた地面の上に座っていました。
とにかく眩しくて目を開けていられないくらいです。
タタは目を細めて周りを見回します。
するとその目がビックリと見開かれました。
―― なにこれ?
すぐ向こうに見えたのは、信じられないくらい大きな水のカタマリでした。
タタが知っている、池や湖が全部集まっても全然たりないくらい、どこまでもどこまでも、ずーっとずーっと水に満たされているのです。
「わっ!」
タタは急に飛び起きて、岸の方へ走り出しました。
「わー! わー! わーっ!」
突然その水がグワンと持ち上がって、こっちに迫ってきたのです。
タタは慌てて変わった形の木の陰に飛び込みました。
しばらくの間、頭を押さえてギュッと目を閉じます、ですが・・・。
「あれ?」
またもやなんにもありません。
ゆっくり顔を上げると、そっと木陰から覗いてみました。
迫ってきた水は、なんだか同じ場所でザブンザブンと持ち上がったりつぶれたりを繰り返すだけで、追いかけてはこないようです。
ホッとしてその場に座り込みました。
やっと気持ちが落ち着いてきたタタは、木の陰に隠れながら注意深く周りを観察しました。
お日様は、見たこともないほどギラギラ光っていて、空はパカっと能天気に青く、周りの全部が輝いて見えるほど、どこもかしこもパッキリと濃い色をしています。
緑も花も、影さえも濃いのです。
鼻に飛び込んでくるいろんなにおいも濃いし、体に感じる空気までみっちりと濃く感じます。
そして暑いです。
タタはベローンと舌を出して、荒く呼吸しました。
―― お水・・お水飲みたいな・・。
タタは用心深く木陰から出ると、大きな水のカタマリにゆっくり近づいていきました。
ザブンザブンとやってくる波がとっても怖いのですが、ザブ~ンとやってきて、ザアッとつぶれたタイミングに急いで水を飲みました。
「あえっ!」
ビクンと体を震わせると、おかしな悲鳴を上げてさっきの木陰まで駆け戻りました。
「しょっぱいっ!」
一生懸命首を振って、ぺっぺと吐き出します。
せっかく勇気を出したのに、散々な結果です。
しばらく、ぺっぺ、ぺっぺと続けていましたが、やがてへなへなと木陰に座り込んでしまいました。
しょっぱい水で驚いたせいか、いっぱい首を振ったせいか、なんだか頭がフラフラします。
―― どおしよう?
タタは、急に気弱になってしまいました。
そこへ・・。
ピ~ヨピ~ヨ~ ピ~ヨッピヨ~♪
楽しそうな鳥の声が聞こえてきました。
ピヨピヨピ~ヨ~ ピ~ヨッピヨ~♪
歌声が、だんだん近づいてきます。
タタは、隠れようとしましたが、体がぐったりして動けません。
「ピヨッ?」
すぐ目の前で、声がしました。
ようやく顔を上げたタタの前に、大きな大きなまんまるの影が立っています。
タタは隠れていた木に背中を預けて、目の前の丸い影を見上げました。
太い足が二本生えた、大きな赤い毛玉です。
「ピ~ヨ~?」
毛玉が何か言いました。
タタは、ゆっくりと目を閉じたり開いたりしながら小さな声で言いました。
「お水ください・・」
「ピヨッ!」
毛玉が返事をしたように感じましたが、次の瞬間、毛玉はその場でバン!と飛び上がりました。
タタのもたれていた木がブルンと震え、その勢いでタタは力なく地面にあごを投げ出してペタリと倒れてしまいます。
目の前に何かが置かれました。
それは緑色と水色のしましま模様の、大きな木の実でした。
タタは、木の実を支えにヨロヨロと顔を上げました。
触った感触で、木の実はとても固くて簡単に開けられないことがわかりましたが、それでもタタはお礼が言いたかったのです。
毛玉はつぶらな黒い瞳で、心配そうに見ています。
瞳の下に、オレンジ色のくちばしがあるのに気がつきました。
――ひよこ・・?
突然、ひよこがそのオレンジのくちばしを、木の実に突きおろしました。
ズゴン!と凄い音がしました。
驚いたタタは木の実を抱えたまま、ビクンと固まりましたが、すぐに木の実からおいしそうな匂いが漂っているのに気がつきました。
見れば、大きな穴の開いた木の実の中に、タプタプとジュースが詰まっているではありませんか。
タタは、のどを鳴らしてジュースを飲みました。
すごく甘くて、不思議な香りのジュースです。
ホッとして木の実を下に置いたタタは、またまたぐにゃぐにゃと倒れこんでしまいました。
「すごくおいしかったです・・ありがと・・」
それだけいうとタタは、ストンと気絶してしまいました。
デンドットダッ! デンドットダッ!
デンドットダッ! デンドットダッ!
太鼓の音が聞こえるます。
タタは、ようよう開いた半眼のまま、ゆっくり体を起こしました。
「?」
背の高い木々に囲まれた広場があって、たくさんの鳥や獣が集まっているのが見えました。
広場の真ん中に大きな火が掲げられて、みんなその周りを何重にも輪になって踊ったり、グルグル飛び回ったりしています。
空は黄色とオレンジに染まりつつあって、随分高いところに影を引きながらピンク色の雲が流れています。
―― ここ、どこ?
タタはゆっくり周りを見回しました。
広場を見下ろす台のようなところにいるようです。
起き上がった体の下には、たくさんの葉っぱがフカフカに敷かれ、周りには色とりどりの花がぎっしり飾られていました。
甘い花の匂いが強すぎて、思わず鼻を押さえます。
そこへ、一匹のお猿がやってきて「ウキー」といいながらシマシマの大きな木の実を差し出しました。
「あ、ありがと・・」
お猿はまた「ウキー」というとひょいとどこかへいってしまいましたが、手渡された木の実を見てハッと思い出しました。
そうだ、さっき大きなヒヨコこれと同じものもらったんだ。
ちょうど喉がカラカラだったタタは、慌てて木の実のジュースを飲みます。
そう、これもらったんだ! それからどうしたんだっけ?
「おう、おう。気がつかれましたかお若いの・・」
下の方から、のんびりとした声が聞こえたと思ったら、大きくて真っ黒な長いのがタタの顔の目ににょろ~っと伸びてきました。
―― へびー!
タタは驚いて体を仰け反らせましたが、その長いのは、ゆらゆらと揺れながら眠そうな目をして「心配ないですじゃ」と、いいます。
「そのお歳での御遣い、大儀でございますな。わしはここの世話役で玄と申しますわい。よしなにお頼み申しますぞ、ほっほっほ」
そういってその黒いにょろんは、楽しそうに笑いました。
「ぼくは、タタです・・・。キツネです。あの~玄さん・・」
おそるおそる台の上を這いずって、玄の近くに寄りました。
台の上から下を覗くと、へびかと思った玄の首は大きな甲羅から伸びていました。
玄は大きな亀だったのです。
「わああっ」
タタは、驚いてその場にペタンと座り込みました。
亀は見たことがありますが、それは大人の手のひらくらいの大きさで、こんなに大きな亀がいるなんて聞いた事もありません。
その甲羅の大きさは、タタのお家のお部屋くらいあったのですから。
「ほっほ。驚かれましたかな? まあ、お山からおいでなら仕方ありますまい。この海で生きるとどれだけでも大きくなりますでの」
「うみ?」
「おやおや、失礼。海をご存知なかったかな? ほれ。さきにタタさんが倒れんしゃった砂浜の先の大きな水の塊りのことですじゃ」
「あの、しょっぱい水?」
「さようさよう。それが海ですじゃ。海というのは大きゅうてな。この世界の半分よりも、もっと大きい水なんですじゃ」
世界と言われてもタタにはよくわかりません。
タタの知ってる一番大きいものは、お家の庭から見えるピョッコリ山です。
すっごく大きいのに、お父さんが走っていっても何日もかかると聞いたので、それはそれは大きいんだろうなって思っていましたが、それより大きいのでしょうか?
「まあまあ、あとで好きなだけ見られますぞい。それよりもこの地の遣いを紹介しましょうかな? といってももう会われたと思いますがの。これ、若! 若!」
玄が踊りの輪の方を向いて声をかけると、大きな円の向こうから赤い毛玉がドカドカと大回りして走ってきました。
「ピヨー!」
タタがさっきみた赤いヒヨコでした。
ヒヨコは玄の甲羅の上にピョンと飛び上がると、タタを見ながら左右に大きくキョロンキョロンと揺れて、短い羽を広げ、嬉しそうにもう一度「ピヨー!」っと鳴きました。
「落ち着きなされ若! タタさん。こちらが鳥の王のご子息、若ですじゃ。まだ名前はありませんでな、とりあえず若と呼んでおります。タタさんをここまで運んできたのも若なのですぞ」
「え! そうなの」
タタは台の上に立ち上がると、若にペコリと頭を下げました。
「ぼくはキツネのタタです。 助けてくれてありがとう」
「ピヨー!」
若と呼ばれたヒヨコは、甲羅の上でドッタドッタと足踏みしました。
「これ若! 落ち着きなされ!」
その時です。
タタの首から下げた袋が、ピカーっと赤く光りだしました。
慌てて袋の中を覗くと、残った四つの粒のうちの一つが真っ赤に輝いています。
それを摘み上げて手のひらに載せると、赤い光は呼吸をするように明滅しました。
そっと若と玄の方へ差し出します。
「ほほう。これは見事ですじゃ。なるほどなるほど。さてタタさん。ここでタタさんが体験するのは『躍動』ですじゃ」
「ヤクドー?」
「ふむ。躍動とはの・・」
タタが、玄の言葉をしっかり聞こうとしていたその時・・。
ぱくり。
「ああっ!」
「なんと!これ、若!」
タタの手の平で光っていた粒を、若が食べてしまいました。
「ピヨ?」
首を傾げて不思議そうな顔をします。
「ダメー! 返して~!」
タタは玄の甲羅に飛び降りて、若のお腹をポンポン叩きました。
「ピヨー!」
若は甲羅から飛び降ります。タタは慌てて追いかけました。
「待って、返してー!」
「ピヨー!」
追いかけましたが、若はもの凄く足が速いのです。
タタも四つ足を使って走りました。
踊っていた獣や鳥たちもびっくりして二人を見ましたが、新しい遊びだと思ったのか、大声で叫び、鳴きながら続々とタタの後についてきました。
ドラムを叩いていた大きなお猿たちは顔を見合わせると、走るタタたちに合わせて、テンポを上げます。
ドンダカドカタカ! ドンダカドカタカ!
ドンダカドカタカ! ドンダカドカタカ!
大きなかがり火の周りを、熱狂の渦がグルグル走り回ります。
事情を知らないみんなはもう大興奮です。
「待ってー!」
タタは叫びながらも、もう走れなくなって、フラフラと渦から離れて座り込みました。
―― あしたになればウンチと一緒に出てくるかなあ・・。
走り回る渦は、もうどこが先頭だったかわからなくなって、叫び声とともにひたすらグルグル回っています、でもその時。
「ピッピヨー!!」
一際高く若の声が天に向かって上がりました。
その声を合図に、鳥たちは一斉に空に飛び立ちます。
何事かと目を丸くして鳥たちを見上げていると、飛び立った鳥たちの下をくぐるように大きな鳥の群れがやってきて、座り込んでいたタタに襲い掛かりました。
「わー!!!」
頭を抱えて地面に伏せたのですが、大きな鳥は、いとも簡単にタタの胴体を掴むと、そのままビュンと舞い上がります。
タタは手足をジタバタさせましたが、大きな鳥の鉤爪でガッチリ捕まえられてビクともしません。
「たすけてー!」
すると今度は、空中でポイと離されてしまいました。
タタは「え!?」っと体を固くします。
ですが、すぐにトスンと柔らかいものの上に落っこちました。
夢中でそれを引っつかんで、ギュッと目を閉じます。
「いでで、強く握りすぎだよ~」
フカフカしたものがいいます。
恐る恐る目を開けたタタは、別の鳥の背中に乗っていました。
「落っことしゃしないから安心しなよ~」
黄色と緑色のカラフルな羽のその鳥は、タタが五人は乗れるくらい大きくて、飛びながらクルリと首だけこっちに向けています。
慌ててコクコクと頷いたタタを見て満足そうに「クキー!」と鳴くと、ゆっくり羽を動かしてスウッと上昇します。
「ピヨー!」
タタの隣に、やはり大きな鳥に頭を掴まれた若がブランとぶら下がって並びました。
頭を掴まれているせいで、お顔がビヨ~ンと伸びて変な顔になっています。
変な顔のままニッコリと、これまた変な顔で笑っています。
「ピヨ!」
そういって短い羽で前を指しました。
「!!!」
タタはようやく空を飛んでいることに気がつきました。
つかまることばかり必死だったので目の前の景色の大きさに本気で驚いてしまい、お目目はまん丸に開きっぱなしです。
びっくりしすぎて完全に固まってしまいました。
広い!
兄弟に助けてもらいながら登った木の上や、お山のお堂から見下ろした景色が一番広かったタタの常識を、何十倍何百倍に拡げるても、こんな景色は思いつきもしないでしょう。
空が広い。
海が広い。
風が、光が、広い。
広すぎるのです!
今までの全部を根こそぎ吹き飛ばして、ただ圧倒的な世界の在り方にタタは正真正銘、度肝を抜かれてしまいました。
「ピヨ~!」
遠くで若の声が聞こえた気がしました。
タタを乗せた大きなオウムの一群は、グンと高度を上げます。
雲を抜き、また雲を抜いてドンドン高く高く昇っていきます。
ずっとずっと先の方で小さく真っ赤な光が見えました。
タタには、それが若から放たれた光だとわかりました。
目で追うタタの視線の先に、巨大な夕日が現れ、若の光がその中に消えていきます。
ようやくタタは、自分がこの壮大に尽きる景色の中にいることに追いつきました。
空が燃えています。
入道雲が燃えています。
丸く見える海が燃えています。
真っ赤な光に満ち溢れた世界の中、鳥たちが渦になって舞っているのが黒いシルエットで見えました。
振り返れば、タタの後ろにも延々と鳥の螺旋が続いています。
なんという荘厳でしょう。
なんという悠遠でしょう。
「わーっ!!!」
タタは叫んでいました。
小さな体の全部。
幼い生命の全部を使って何度も叫んでいました。
ドゴン!
不意に胸を撃たれたような衝撃を感じました。
ドゴン!
驚きながらも、すぐに意識は歓喜に上書きされていきます。
そして気がついていました。
それが心臓の鼓動だということに。
病弱で小さな存在に過ぎないと思っていた自分の生命は、こんなにも膨大な世界と同じ力をもっているのだということに。
夕日は半ばほど海の向こうに沈んでいましたが、溢れ出る光彩はいよいよ苛烈で狂おしく世界を溶かし込んで輝きます。
タタは灼い空を吸い込み、命の炎を吹き上げて歓喜を叫びます。
その叫びは、輝く夕日の中で少しずつ言葉になっていきました。
今日という一日に。
今日という全てに。
「ありがとう」
と。