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3 ヘリヤの野望

すいません、かなり予定より遅くなりました。



 「ご主人様、エルバード様がお越しに来られた由にございます。」


 私は一瞬自分の耳を疑った。


 彼は一ノ島の中央、カルタノオの街から二ノ島に向かうと聞いていた。そこからどんなに急いでもここまで5日は掛かるはず。


 「…本当にエルバードなのか?」


 私はマリンに確認した。マリンは少し困った表情で肯いた。


 「門番の話では見覚えのある顔だったと。依頼された調査結果について報告に来たと言っておりますが。」


 エルバードに何かを依頼した覚えはない。私は誰かがエルバードのふりをしてやって来たのではないかと考え、マリンに確認するように指示した。マリンは執務室を出て行く。

 私はペンを置いて暫く考え込んだ。


 もし…もしエルバード本人であれば。




 あいつはマリン宛に近況報告の手紙を何通も寄こしていた。内容はマリンの妹分にあたるサラちゃんの様子やナヴィス殿(グランマスター)の体調など、奴隷であるマリンが気がかりとする内容を主に書き、さりげなく私の様子など気に掛ける言葉や自分自身の様子を書いている。

 家なしの出身も分からぬ者だったくせにヤグナーンの街に大きな家を借りているそうじゃないか。

 それに私の心の隙間にスルリと入り込んでくる…。忌々しいのに、会えないのが心苦しい。手紙を読むたびに自分の立場を忘れて追いかけたくなってしまう。


 「ご主人様!確かにエルバード様でした!」


 扉を勢いよく開けてマリンが帰って来るなり嬉しそうな声で報告する。仕事をしている場合ではないわ。


 「マリン、通せ。私は応接室で待つ。彼が入ってきたら、鍵を掛けろ!」


 急いで化粧を整え衣服を正し、机の上を片付けて応接室に移動する。



 「エルバード殿をお連れしました。」


 扉の向こうから兵士の声が聞こえ、マリンが扉を開けた。



 心の臓の音が高鳴るのを感じた。


 私が緊張している…。


 「エルバード様、どうぞ。」


 マリンの声が聞こえ、男性の靴音がカツカツと鳴った。


 「お久しぶりです、マリンさん。」


 聞き覚えのある声。私は目を閉じる。


 落ち着くのだ。しどろもどろな私をあ奴に見せてはならぬ。



 応接室の扉が開き、懐かしい姿を目にした。いつもと変わらぬ笑顔。だがマリンが部屋の鍵を閉めた音に驚き振り返っていた。まずい!


 「久しぶりだな、エルバード殿。」


 私から声を掛けた。エルバードは振り向き私の顔を見る。扉の鍵の事は忘れ、前と変わらぬ笑顔を私に見せた。


 「…お久しぶりです、ヘリヤ様。」


 エルバードは太陽神式の礼をした。私に対しては必ずこの礼をする。私が太陽神を信仰していることをちゃんと覚えてくれている。


 だが彼は以前と変わっていた。


 外見は全く変わらない。だが、内側から感じられる気のようなものは以前よりも大きく強く感じる。

 20日ほどでこれほど人は変わるものだろうか。


 「…ヤグナーンに往ってから、それほど経っていないと思うが…ずいぶんと様変わりした気がするの。」


 「本人は何も変わってないと思っているのですが…成長したと捉えてもよろしいのですか?」


 気取らない態度でありながら気取った口調で言葉を返してくる。それがうれしい。やはり私は彼に惹かれているのだ。


 私はソファから立ち上がり、ゆっくりと彼の周りを回って見回していく。


 「…そうよのぅ。いろいろと増えているらしいからのぉ。奴隷とか、姫様とか、奴隷とか。」


 私は彼の正面で立ち止まり腰を少し屈めて下から彼を見上げた。少し顔を赤らめ、引きつりながらも笑顔で応えようとしている。

 私のおらぬ間に奴隷も増やし、ヤグナーン伯爵の姫君と行動しているとか。口惜しい気もするが、こんな時に見せる慌てふためくしぐさが相も変わらず…



 …可愛いのぅ。



 「しょ、紹介したほうがいいですか?」


 しどろもどろな返事につい嬉しくなる。もうひと押しじゃ。


 「…無粋じゃのぉ。今ここに私とお前(・・・)しかおらぬのに、他の娘の話をするのか?」


 とたんに彼の表情が強張る。チラッとマリンが佇む方を見て、


 「い、いや、マリンさんが…」


 けれど私は強気に返す。


 「空気と思え!」


 そして顔を触れてしまうくらいまで近づける。

 予想通りエルバードは目を白黒させて視線が泳がせている。マリンに助けを求めても無駄じゃ。私のことを放っておいて好き勝手に本土に行きおって…。


 …どんなに会いたいと思うておったか。


 私は腕の彼の背中に回した。エルバードに近づきすぎたようじゃ。もはや気持ちが抑えられぬ。




 「…こんなにも、寂しいと思うとは思わなんだ…。」




 私は最早、己の気持ちを抑えることはできなかった。











 ……その日私は、ヤグナーンに来ていた。ヴァルダナ子爵の代理でヤグナーン伯爵へのご挨拶で本土に渡った。半年に一度の恒例行事。別にいつもの通りに挨拶を行い、貢物をお渡しして帰るだけのコト。ベルド領代官になってからずっと単調に続いている行事のはずだった。


 されど今回は、奴隷商に寄った。グランマスターが体調を崩したとベスタから聞いたからだ。

 私は平静を装いながらもできるだけ早く向かうよう御者に指示をする。


 もうご高齢なのだから、無理をなされば体に悪いと言うのに…。いつも自らの眼で商品を確認しにあちこち回っているとか。


 私が商館にいた頃のグランマスターは壮年に差し掛かった頃。体力も気力も野心も高く、いつもギラギラさせていました。されどしっかりとした芯をお持ちで、我ら奴隷を売る相手に関しては妥協を一切せず、売られた後も定期的に会いに来て下され、同胞が命を落とせば一緒に涙を流してくだされた。

 だからこそ、不遇の身分であっても頑張っていられるのだと私は思っている。

 私もグランマスターのお世話を受け素晴らしいご主人とも巡り会えた。

 返しても、返しても、返しきれぬほどのご恩…。

 そのご恩をお返しできなくなるのではないかと思うと気が急いてしまう。



 気が付くと馬車は商館の前に到着していた。私は平静を装ってゆっくりとした足取りで馬車を降り、商館の入り口へ向かった。

 入り口では、私設傭兵団の兵士が立っていた。


 「ベルド領代、ヘリヤだ。ナヴィス殿がご病気と聞いて見舞いに来た。お取次ぎ願いたい。」


 私はいつも通りの少し強めの口調で兵士に口上する。兵士は私を見知っているらしく、すぐに扉を開けてくれた。


 「旦那は2階執務室の奥で寝てます。ヘリヤ様どうぞ!」


 私は急ぎ足で2階へ向かった。ノックもせずに執務室に入り、奥へ向かおうとした。


 執務室のグランマスターの仕事机の前に立ち、一所懸命書類を仕分けして、算術士たちに指示を出している女の子。首には重い首輪が掛けられており、奴隷であることを示している。その奴隷が商館内の算術士や弟子たちに指示をしている…。


 私は違和感を覚えながらも奥の寝室に入った。ベスタがベッドの側に立ち、私に丁寧なお辞儀をする。


 「…そんなに急いで来んでも、ただの風邪じゃといういうのに…。」


 疲れた様子を見せながらも、いつもの笑顔のグランマスターがいた。


 私は安堵のため息を吐く。


 「お顔を見ませんと安心などできませぬ。…にしても元気そうで。もうあまり無茶はしないで頂きたいです。」


 私は話をしながら、ベッドの側まで行き椅子に座ってグランマスターの手に触れた。少し熱があるようで、触れた手からはやや高い体温が伝わる。


 「…まだ熱があるようですね。安静になさってください。…それはそうと。」


 言いながら私は執務室への扉の方を見た。

 「…執務室で張り切っている女の子は?」


 グランマスターは少し考え込み、答えを見つけ出されたようで顔を明るくした。


 「マリンのことですか?あの子はあれでなかなか聡い子でね。周りの連中もあの子のことを気に入ってるようで、あの子の指示を素直に受けてくれるから、助かってますよ。」


 グランマスターは嬉しそうに喋っている。ベスタはその笑顔を見て嬉しそうにしている。

 奴隷からの指示を聞いて作業をする。普通はありえない光景だろうが、この商館では偶に見る。それだけ皆がその奴隷を認めているということなのだ。

 私は気になって、一度執務室の方に顔を出した。彼女は書類を真剣に読んでいた。読みながら一所懸命考えている。


 …この子は私と同じ、考えることができる奴隷なのか。

 奴隷となった人間は考えることを止めてしまい、ただひたすら主人の命令をこなすだけになることが多い。けれどごくまれに考えることを止めず、考え答えを出し提案し実践してみる奴隷が居る。そういう子はご主人からは極端に好かれるか極端に嫌われるかのどちらかになる。

 そしてこの子はグランマスターにも周りの者にも好かれている。


 私はマリンという奴隷に興味を持った。


 執務室の仕事は夜まで続き、ようやく書類の整理が終わり、その報告をしにグランマスターのいる部屋にマリンは入ってきた。


 「失礼します。緊急の整理分は全て終わりました。マグナール様が今お弟子様を連れて商品の受け渡しに向かわれています。それが終われば全て完了です。」


 簡潔に説明して一礼する。


 「ご苦労様。お腹すいたでしょう。こちらへ来なさい。」


 ベスタが小さく切った果物をお皿に乗せてグランマスターに渡す。それをマリンに渡した。


 「今日のご褒美だ。遠慮なく食べなさい。」


 満面の笑みを見せ何度もお礼を言って、マリンは果物を頬張った。


 彼女は私と違い、人に好かれる気質だ。羨ましくもあり、妬ましくもあり、そして求めている人材。そう思った。



 翌朝、私はもう一度グランマスターのもとを訪ねた。そしてマリンについて正直に話をした。


 「彼女が欲しいと思いました。ベルドに連れて行きたいと思っております。…ですが彼女は私の後を継げるような子でしょうか。」


 私は領代官。私の下で働くと言うことはゆくゆくは領代として働いてもらうことになる。つまり奴隷から解放することを前提として働いてもらうのだ。よっぽどの覚悟がないと解放は嫌がられる。だから事前にグランマスターに伺ってみた。


 グランマスターの答えは簡潔だった。


 「それは貴女次第ですよ。」


 私が精神誠意を尽くして育てていけばあの子は必ず答えてくれる。グランマスターはそう言われた。


 私は意を決してマリンを呼び寄せてもらった。


 少し緊張した面持ちでマリンは私の前でお辞儀をした。どのようなことなのか多少理解をしているのだろう。複雑な表情で私の言葉を待っていた。


 「…き、昨日の君の働きぶりを見ていた。…正直君が欲しいとお、思ったのだ。だが私の仕事は特殊だ。最初は助手として付き従ってもらうが、最終的には奴隷を解放して働いてもらうことになる。」


 そこまで言ってマリンの表情は一変した。まさか奴隷解放を前提にしているとまでは思わなかったのであろう。頭も混乱しているようで何やら上の空になっていた。


 「…い、いくつか、お、お話をお聞かせ頂けますでしょうか。」


 全身を震わせ、必死になって考えた結果、私から仕事内容を聞きたいと言ってきた。

 私はもちろん即答で了承した。


 それからお日様5つ分ほど私はマリンと会話した。そして最後に私は自分の出自をマリンに話した。


 「私は15年前までここ(・・)にいたのだ。」


 過去に奴隷であり、グランマスターのお世話を受け、ヴァルダナ子爵に気に入られ腹心として公務にあたり、そして解放されて領代という地位を得たことを全て包み隠さずマリンに話した。







 それからはマリンとの二人三脚だった。




 どこへ行くのもマリンを連れて行き、私と一緒に経験し、私と一緒に考え、私と一緒に悩む。

 私と違い、物腰の柔らかく愛想のいい性格は領代館の誰からも好かれ、その地位は『領代館の奴隷』ではなく『ヘリヤ様の腹心』として認識されるのにそう時間はかからなかった。


 しかし、いつ彼女を解放しようかずっと悩んでいた。

 私の時もそうであったが、奴隷から解放されてしばらくは肩身が狭い。というより地獄に近い。石を投げられたりすることもあった。彼女がそんな苦しみに耐えられるであろうか。それを考えると解放することに躊躇ってしまう。


 そうして2年が経過してしまった。







 禁断の情事を終え、衣服を整えながら私はマリンが戻って来るのを待った。やがてエルバードを見送ったマリンが執務室に戻って来て何事もなく領代館を出て行ったという報告を受けた。


 「…その、済まないな。」


 いたたまれなくなりマリンに謝る。


 「いえ…その、美しかったです。」


 私は恥ずかしかった。この年にもなって若い男を連れ込んで大いに食い散らかすとは…。何も言えなくなり、暫く沈黙が続いた。


 その沈黙はマリンのほうから破られた。


 「私、決心致しました。ご主人様、私を“解放”してください!」


 私は咄嗟に何も言えなかった。


 私からすれば、マリンの言葉は突然の独立宣言。それは私の手から離れてしまうことを意味する。

 出会った時から願っていたこと。周囲の目を気にして恐れ、躊躇っていたこと。なかなか言い出せずにいた私の気持ちを見透かされたかのようにマリンから意志を伝えてきた。喜ぶべきなのに、奴隷の未来の為に喜ぶべきなのに、出てきた言葉は…


 「イ…イヤッ!!!」


 私はマリンにしがみ付ききつく抱きしめた。


 「私!ひ、一人になってしまう!また一人になってしまう!!!そんなのイヤッ!!!」


 先代の子爵様に解放されたとき、先代の子爵様に先立たれたとき、私は孤独を経験した。こんな苦しみもう二度と味わいたくない。だからマリン、ずっと私の側にいて欲しい。


 私はマリンにしがみ付いた。


 「…ご主人様。それは違います。」


 柔らかな手で私はマリンに頭を撫でられた。


 「ご主人様は、もう十分公人としての責務を果たされております。そろそろ一人の女性として“幸せ”を追いかけてもよろしいのではないでしょうか。」


 …え?


 「後は私が全て引き受けます。だからご主人様はエルバード様を追いかけて下さい。」

 …な、何言ってんの?


 「私はご主人様をいつまでも応援しております。…なにとぞ、これからは全ての時間を…ご自身のために。」


 私はマリンにやさしく抱きしめられていた。いつもは私がマリンを守っていたはずなのに…。今は私が守られている…。



 暖かく、彼女の鼓動が聞こえ、息遣いもわかる。私は今まで気づかなかったが、彼女には人を守るチカラを身に付けていたのだ。



 得心がいった。



 もう迷う必要はない。


 しかし…。



 「ありがとう、マリン。お蔭で落ち着いた。納得もできた。そなたに私の地位を譲ろう。だがしかし、私は更にその上を行かねばならぬ。あの阿呆の尻を追いかけている場合ではないのだ。」


 私はマリンに答える。これほどマリンに対して感謝の気持ちを感じたのは初めてだろう。私のやってきたことがマリンにも通じたということか。




 私は涙を拭き、顔をあげる。


 水面下で計画していたことを実行に移さなければならぬ。グランマスターが王都に居られる間に、上申書を作成して王都に届けよう。


 「…忙しくなるぞ。まずは計画の再確認だ。行くぞ、マリン!」


 私の声にマリンは嬉しそうにした。


 「はい、ご主人様!」










 エルバードよ。



 早く帰って来い。



 そのころには、私は貴様ごときが気軽に声を掛けられぬ存在になっているだろう。




 そして、それでも私を気に掛ける姿を見せて欲しい……。





 私に『恋する』ことを思い出させた者よ。





 私は、必ず貴様の元へと追いかけてやるから。


次話は エフィを予定しています。

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