2 フォヌエリスタの運命
フー…、フー…、フー……。
私は肩で大きく息を繰り返している。
私が今からすることは、とても恐ろしく、狂気に満ちた勇気が必要だった。何度も後悔しないことを自分自身に言い聞かせ、恐怖に震える手を抑え込んで、部屋を照らす松明の前に立った。
松明の炎は揺らめいているだけ。でも、私が手に取ると炎の形を大きく変えて部屋の中に大きな私の影を作った。
フー…、フー…、フー……。
私は何度も肩で息をする。まだためらいが残っている。もう決めたことなのに。どうして今更躊躇ってるの?
私は何度も自分に言い聞かせた。
10年前に私の人生は終わった。
突然、耳長の一族が私たちの村を襲い、たくさんの仲間が殺された。
友達も、兄様も、おと様、おか様も…。目の前で殺されていくのを見た。
私は妹と小屋に隠れて耳長の一族が村から出て行くのを待った。
やがて村が静まり返ったことを確認して、妹を小屋に待たせて、外に出た。食べ物を探しに村中を探し回り、何とか見つけたパンを持って小屋に戻った時には妹は命を失っていた。
ちょうど耳長の男が小屋の中に隠れていた妹を見つけ、乱暴した後だった。
私は耳長の男が持っていた剣を奪い、めった刺しにした。
“耳長ハ殺セバイイ”
それが私の呪いの始まりだった。
本来、狼族は森または草原に居を構え生活する種族らしい。だけど私たち“海銀狼族”は砂浜を拠点として、海と山の両方から生活の糧を得られる部族だったそうだ。
私は山で狩りはしたことあるけど、海はなかった。
もう少し成長したら、おと様が海へ連れて行ってくれたかもしれない。
部族の人間は皆青と銀のの髪を持ち、目の色も青色。女性は胸が大きいのが特徴だった。私の胸が大きいというのは、奴隷になってから知ったのだけど。
毎日、狩りをして、ご飯を食べて、文字の勉強をして、浜辺で遊んで。日常はそれの繰り返しだったのに、ある日突然、その日常が壊された。
私はひとりぼっちになった。
村を逃げ出して森の奥へと入り、何年もその森の奥で、たった一人で息をひそめて生活した。
会話をする相手もなく、ただひたすら獣を狩りその肉を食べる毎日。生きるためにひたすら屠るのだけれど、血を見る度に私はあの日の惨劇と重ねてしまう…。
恐怖、憎悪、悲壮、孤独、暗い感情がまとわりつき、それを抑え込むのに更に苦しみもがき、いつしか私は声を出すことができなくなっていた。
それでも森を出ることはなく、私は野生生活を続けていた。
そして私はとうとうヒト族に掴まった。私を捕まえたのは猟師。獣の罠にかかり、動けなくなったところをを捉えられた。
私を捕まえた猟師は奴隷商に売った。こうして私は奴隷になった。
私の奴隷としての価値は低いらしかった。本土ではなかなか買い手はつかなかったけれど、私を性奴隷として買う人が現れてしまった。
私は決心した。
そして松明の前に立っている。
私には辛い未来しか待っていない。ならばいっそこの奴隷商館のなかで暮らすのも悪くない。そのためには…。
ジュゥゥゥゥ……!
肉の焼ける匂い。
全身を震わせるほどの激痛。
耳を劈く悲鳴。
そして私は意識を失った。
自分で顔を焼いてからの私の記憶は凄く曖昧。たぶん、どうでもいい毎日だったんだろう。でも、こんな顔の私でも体を目的として買うヒト族がいた。
それで、奴隷商館を出て、海の上へ。
そこで私は海賊に囚われた。
海の上で小さな舟の帆柱に括りつけられ…私はこれで死ぬことができるんだと思った。こんな私を誰も助けることはないだろう。そう思ってました。
足元には音に反応して爆発する箱。その音を拾う管は口にくわえさせられている。
近くの女性が爆発で吹き飛ぶのを見た。
これから自分もああなるのだと思い、ただじっと足元の箱を眺めていた。
助けてもらえるなんて思っても見なかった。
“これからあなたを助けます。私を信じて言うことに従ってください。”
脳に直接聞こえる声。びっくりしたけど落ち着いた声になんとなく安心感を覚え、私はその声に従った。
そしてその声の主、エイミー姉様は本当に私を助けてくれた。その時はご主人の事はほとんど覚えてません。私には唯一会話ができたエイミー姉様が、救世主でした。
けれど、その後で、私のご主人のおチカラを見てからは、ご主人一筋なんですけどね。
私はよくサラ姉とご主人争奪戦をする。そして大抵私が勝つ。勝った後で後悔する。
サラ姉は不器用だから、誘われないとお情けを頂けない。私は自然と体が求めてしまうので、ついご主人をお誘いしてしまう。
結果、私にお情けを頂くことが多い。
でもサラ姉は私を大事にしてくれる。すごいと思う。
だから私はサラ姉とは絶対に喧嘩しない。喧嘩したら絶対に後悔すると思ってる。
あれは【宝瓶宮】でお留守番をしている時でした。
サラ姉がマリン姉様に連れられてお手伝いで出られた後、ご主人が戻って来られました。
ご主人は、サラ姉の手紙を見て私一人なのを納得され、ソファで作業をし始めました。
私はその作業をじっと見ていました。その頃は私は声を出すことができなかったので、話しかけることもできず……。
だから思い切ってご主人の隣に座ることにしました。
ご主人はしぱしぱ揺れる私の尻尾をずっと見ていました。この尻尾はなんでこんなに嬉しそうに揺れてるのでしょう。
「フォンは、自分の意志で尻尾を動かせるの?」
突然のご質問。私は尻尾に意識を集中していろいろ試してみました。でも、しぱしぱ揺れるのみ。自分の意思では動かせないようです。たしか、おか様は尻尾は自分の感情を表す、て言ってたような。
私は出来なかったことを示すために首を振った。
「…尻尾って、どう生えてるのだろう?」
ヒト族には尻尾はありません。ご主人は私の尻尾を見てどう思われているのでしょうか。私はご主人の奴隷。お見せしてご主人に喜んで貰いたいです。
ご主人によく見えるようにズボンを少しずらし、背中を向けて上着を脱ぎました。胸が少し邪魔なので手で押さえて背中をご主人に見せました。
ご主人はじっと私の背中を見ています。見たいのは尻尾じゃなかったのでしょうか。背中が見たいのならよく見えるようにします。ついでに気持ちよく撫でて下さい。
私はご主人の膝にうつぶせに寝転びました。
ご主人はびっくりして私の顔やら胸やら背中やらいろんなところに視線を向けてます。…背中を撫でて下さい。
私は目で訴えました。
「何?背中を撫でてほしいの?」
通じた!
ご主人の手が私の背中に触れる。やさしく私の背中の毛を撫でる。…すごく気持ちいい。もっと撫でて欲しい。
私には至福の時間です。ご主人は足の位置を調整して、押しつぶされそうだった胸を足で挟まれました。ご主人、とても楽になりました。背中も気持ちよくこのままずっとこうしていたいです。
…?
クン、クン?
オスの匂いがします。
なんて強いオスの匂いなのでしょう。私の中のメスが発情してしまいます。これは、ご主人の匂いなんでしょうか。
ご主人…発情しているのですか。どうしよう?私も発情しそうです。でも、サラ姉が帰ってきています。私の≪気配察知≫にサラ姉と思われる点が見えます。この状態でサラ姉が帰ってきたら、ご主人はサラ姉に発情するのでしょうか。その時私はどうすればいいのでしょうか。発情するならご主人と二人きりで発情したい。…何を言ってるのでしょうか。私はご主人の奴隷。求められれば全て受け入れるだけです。でも私から求めたい。
何を考えてるのでしょう。
何でこんなに私の尻尾は揺れているのです?私が喜んでいるということですか。そうです。ご主人が私の背中で発情しているのです。うれしいに決まってます。できればこの気持ちを言葉にしてご主人に伝えたい。でもどうやって?態度で示せばいい?発情している私たちをサラ姉が見ればどうなるのでしょう?
…何を考えてるのでしょう。
私はご主人の膝から起き上がり、服を着ました。
ご主人のお情けは欲しい。でも、先にサラ姉に許可貰ってからだと思う。
私はご主人から離れてサラ姉が戻って来るのを待ちました。
「ただ今戻りました、ご主人様!」
元気のいい声と笑顔でご主人に挨拶するサラ姉。発情中だったのでちょっと困った顔のご主人。
いいのです。そのままサラ姉を押し倒してください。
私は…今は我慢します。
でもご主人はサラ姉に何もしませんでした。ご主人…我慢しなくてもいいのに。
はぐれエルフのエフィ。
彼女はサラ姉の妹奴隷です。ご主人の大切な奴隷なんです。
でも、嫌いです。
耳長ですし、私たち獣人を卑下した目で見てます。
ご主人を「エル」などと呼び捨てますし、サラ姉の言うことも聞きません。
寝るときには歯ぎしりはするし、足はすぐ臭くなるし、何より胸がないじゃないですか。
それにバーバリィに乗ったことがあるって…。
エフィの事を認める要素は全くありません。
けれどもエフィはご主人の奴隷。仲間です。
ヤグナーンのご主人の自宅での出来事です。早朝、目が覚めるとエフィがベッドにいませんでした。
最初は気にしなかったのですが、次の日も早朝目覚めるとエフィはいません。でもご主人に朝のご挨拶をする時間には戻ってきます。
毎朝どこに言っているのだろうと気になり、翌日はこっそりエフィを追跡しました。エフィは早朝起きると1階にある台所に向かい…ご主人が研究用に作っている干し肉に手を出していました。
私は干し肉を取ろうとしていた手を握りエフィを睨み付けました。
「ぎゃ!!……えーと…お、お、おやすみ―!!」
エフィは私の手を振りほどき、一目散に逃げて行きました。…口に干し肉を咥えて。
悪いことをしているから、エフィは逃げたのです。私は≪気配察知≫でエフィを追跡しました。家の裏庭から壁をよじ登って外へ脱出し、そのまま森の方に行ってしましました。残念ながら私のスキルではそれ以上は追いかけられませんでしたが、そんなに遠くまで逃げる必要があるとは…。一体どれだけ悪いことをしているのでしょうか。
その日の朝食後、ご主人がナヴィス様に呼ばれて商館に行かれるというので、お供をいたしました。その道中で、
「ご主人。エフィが…毎日朝早く起きて、ご主人の作った…干し肉を食べてる。」
ご主人は斜め上を向いて考え込み、思い当たる節があるのでしょうか、笑っていました。
「…そうだろうな、あいつも毎日毎日、意外と続くよな。」
そうです、彼女は食べ物の為なら、無駄な努力をする子なのです。
「ご主人、エフィに止めるよう…躾をしますか?」
ご主人はきょとんとされました。また少しの間斜め上を見ながら考え込み、私の頭をワシワシと撫でました。
「帰りにちょっと見ていくか?」
私はご主人の言った意味が分かりませんでした。ご主人はそのままナヴィス様とお話をされに商館の奥へ行き、私は別室で待っていました。
ご主人はエフィが毎日早朝つまみ食いしていることをご存じなのでしょう。
ですがエフィを妹のように可愛がっているご主人はエフィに罰を与えることは…できないはず…です。
あれ?でもご主人はよくエフィの頬をつねって罰を…。
では何故ご主人はこの件については罰を与えないのでしょう?
商館からの帰りにご主人と森の中に入りました。エフィがいつも早朝に行ってる森です。彼女はおそらくこの森に食べ物を備蓄しているのでしょうか。そこまで食べ物に執着しているとは思いませんでした。
少し奥に行ったところに水たまりがあちこちにできた場所に到着しました。ご主人はこの場所まで来て立ち止まって当たりの様子を確認しています。それにしても何故ここだけこんなに水浸しなのでしょう?
「…ずいぶんと濡れている範囲が広がってるな。フォン!見てみな、この木なんか少しえぐられてるぞ。威力も上がってるな。」
私はご主人が指した木に近づきえぐられた部分に触れてみました。水で濡れています。
…どういうことでしょう?ここはいったい?
「フォン、ここはエフィの魔法練習の場所なんだ。毎日ここで水魔法の練習をしている。今彼女は≪水魔法.3≫まで上がったから、かなり自由に水を操作できるようになったみたいだ。」
水……。
そうでした。エフィは水の精霊と契約をしました。でも練習を?なぜエフィが?
私はエフィがここで練習している理由がわからなくてご主人様に説明を求めました。
「あいつはな。自分の魔法が火消し程度にしか役に立たなかったことを悔やんでいるんだよ。だから俺にも内緒でここで必死に練習してるんだ。フォン、お前もエフィには何も言うなよ。」
ご主人は唇に指を当てて私にも内緒にするように言いました。
私は恥ずかしくてご主人からも目を逸らしてしまいました。
エフィは努力をしているのです。
それを私は……。
エルフのくせに………。
多分私は今までの生きてきた中で一番醜い顔をご主人に見せていたことでしょう。
只々“エルフ憎し”でエフィの内面を全く似ていなかったことになります。ですが、エルフが憎いことは事実。私はどうすれば…。
「…ご主人……。」
私はいたたまれなくなりご主人にしがみ付きました。ご主人の服を強く握りしめています。
「フォン、精進しろよ。」
ご主人は私に声を掛けられました。私は悔しくて何も言えません。ご主人はそのあと黙って私の背中を撫でてくれました。
私の気持ちが落ち着くまでずっと撫でててくれました。
翌日。
王都への出発の朝ですが、やはりエフィは家を抜け出していました。私はどうしても気になったのでエフィをあとをついて行き、彼女の練習風景を見ました。
水で渦をつくり、木にぶつけたり、水で壁をつくったり、高温の水蒸気を作ったり、刃のような高圧の水を作ったり。
エフィはとても真剣でした。
私はその場を立ち去りました。私は考えを改めました。ご主人のためにできることは何なのか自分自身を見つめ直します。そうしないとエフィに負けてしまいます。そうしたら、本当に…エフィのこと、嫌いになってしまいます。
ご主人。見ていて下さい。海銀狼族のフォヌエリスタはご主人のために生きていることをお見せします。
だから、ご主人のオスの匂いをいっぱい下さい。
フー…、フー…、フー……。
私は肩で大きく息を繰り返している。
私が今からすることは、とても恐ろしく、狂気に満ちた勇気が必要だった。何度も後悔しないことを自分自身に言い聞かせ、恐怖に震える手を抑え込んで、目の前のエフィにナイフを向ける。
エフィは黙って私の目を見ているだけで、私の持つ得物も、その得物を持つ震えた手も見ていない。
エフィはゆっくりと私に近づいた。私の頭の中にいつもの声が響き渡る。
“耳長ハ殺セバイイ”
フー…、フー…、フー……。
私は何度も肩で息をする。まだ衝動が残っている。このまま襲い掛かれば間違いなくエフィを気づ付ける。ナイフを捨てなさい。何を躊躇ってるの?
私は何度も自分に言い聞かせた。
「…フォン姉。」
エフィが私に声を掛ける。
“殺セ!エルフハ殺セ!”
頭の中の私が語りかける。
エフィが私に抱き付いた。あらゆる神経が私の体に纏わり付く生き物に集中する。
無防備な背中にナイフを突き立てようと手を振り上げる。それを阻止しようと必死で私は抵抗する。
不意に意識を失った。そこから私の記憶は途切れている。
サラ姉に聞けば、フォンが目を真っ赤に光らせてエフィに襲い掛かったので、4人で押さえつけたそうだ。エフィにちょこっとだけナイフが刺さったそうだ。
私はため息をつきました。
まだ、呪いが解けない。
でも、あきらめない。私はエフィに誓ったのです。
“あなたを…妹を抱きしめる”と。
私の目標を聞いて、エフィは手伝ってくれることを約束してくれました。他の4人ももちろん手伝ってくれています。
だから、必ず克服して見せます。
それがご主人のためにできること。
それがエフィの姉であることを証明すること。
私は、運命のオスと出会ったのです。絶対に証明して見せます。
第2弾はフォンでした。
無口なフォンの視点で描くのは難しいです。会話に表すことができないので、フォンの頭の中で考えたことを字にする必要がありました。
結果、作者が想像する「フォンはどんなことを考えているのか」が返って表現できたと思います。