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1 サラの決断

本章では、サラ視点で主人公と出会った頃からの心情を描きました。

これを読んでサラのことを好きになっていただければと思います。


 「…不詳、奴隷のわたくしが、貴方様のお名前を付けさせて頂きます。」



 私は自分が知る限りの言葉を頭の中に並べ、幾千、幾万もの組合せの中から、自分が輝く宝珠のごとく思えたひとつを選び出しました。


 “エルバード”




 言葉に意味はない。響きだけで選んだ。将来その名を呼ぶ自分を想像する。

 檻の外では、私が名を呼ぶのを待つ人がいる。


 ああ…。


 喜んで頂けるのでしょうか。


 不安に駆られるも自分に言い聞かせる。




 「あなた様のお名前は……」



 あの方は目を閉じられた。



 「……エルバード!」



 あの方は目を開かれた。


 一瞬…一瞬、光に包まれた気がした。しばらく遠くを見つめておられましたが、私に目を向けてくださいました。


 「サラ、俺の手を握って。」




 大きな手…。奴隷の私が触れても良いのでしょうか。何か、体が熱くなります。

 恐る恐る手に触れる。



 …暖かい。



 エルバード様が私の手を握られた。突然、私の脳に直接景色が入り込んだ。私は初めての体験にびっくりした。









 私の名はサラ。


 この名前はグランマスターに頂いた。


 母は私を産んだ罪(・・・・)で命を奪われ、ヤグナーンの大商人様に引き取られた。

 この年になるまでずっと商館の中ですごし、ちょっとでもいい奴隷になれるようたくさんの教育を受けさせて頂いた。

 そして私の身売り先が決まった。


 南にあるハーランディア島の農村だそうだ。そこで、農業の使役に付くとお聞きした。よかった、体を売る仕事はないのだ。その時私は普通の使役ができることを喜んでいた。



 実際は、盗賊への不正な身売り。


 グランマスターを騙して安く私を買い、村を守るために私は盗賊に引き渡される。

 でも不思議と何の感情が湧かなかった。


 これが、奴隷の使命なんだ。


 今になって思えば、ただ自分に言い聞かせていただけなのかも。




 「もう一度聞くよ。サラ自身はどうしたい?」


 この方は私に何を求めておられるのでしょう。私は奴隷です。法に基づいてご主人様の命令を受ける身です。


 でも…。


 このままでは、私は盗賊たちにボロボロにされてしまう。殺されるのかもしれません。グランマスターから何度もお聞きしました。売った先でひどい扱いを受けて命を落とした兄様や姉様のお話し。私もそうなるのでしょうか。

 ようやく、ようやく外の世界に出られたのです。少しでも長く太陽の光を浴びた生活をしたいです。

 この方は私を助けてくれるのでしょうか。でも、私のご主人様はこの方ではなく、デハイド様。


 だから…。



 「私……死にたくありません。」


 デハイド様に訴える。




 ああ。この方はなんか悲しそうにされた。





 「サラ、日が沈んだら夕食をお前のご主人様に届けてもらう。扉を開けたらそれを合図にサラは村中を逃げ回ってほしい。」


 あの方は私にお願いされた。どうしてでしょう。ご主人様でもないお方なのにすごくうれしい。


 「できるだけ派手に逃げ回ってほしいんだ。そうすれば俺たちを監視している盗賊どもにも何が起きたかわかる。」


 なるほど、そういうことですか。でもどうして私が逃げ出したことを敵にわからせる必要が…。


 檻。


 あの方は私を檻に入れて安全を確保したいと仰っていました。ですが、普通に檻に入れば怪しまれます。それで私がここから逃げ出そうとしたから檻に閉じ込めました、という物語をつくろうとされているのですね。頭の良い方です。わかりました。あの方の立てた作戦を遂行するためにサラは頑張ります!




 「そっちへ行ったぞ!」


 「あ、また躱された!」


 どうしてこの村の方は誰も私を捕まえることができないのでしょう?ヤグナーンにいたころは簡単にマグナール様に捕まえられていたのに…。

 あ、あの方が私の後ろに!

 キャッ!腕を!?でも簡単に捕まるわけには!

 私は体も向きを変え、あの方の大きな体をすり抜けて後ろに回った。



 …大きな背中。



 あ!しまった!つい見とれて…ああ、あの方は私の方が向き直ってしまった。


 このままあの方の胸に飛び込みたい。


 でもそれでは作戦が…。


 私は腰を低くし、≪風見の構え≫を発動させた。じっくり相手を見る…。どうしよう、胸のドキドキが止まらない。あ、左から抜けられそう。よし!


 でもあの方は私の動きに合わせて横に移動され、私の渾身の横っ飛びの着地点で待ち受けられた。抵抗もできずあの方の胸へ…。




 サラはあの方に抱きしめられています!



 なんて大きい胸、なんて太い腕。ああ、意識が飛んでしまいそう。








 エルバード様は行ってしまわれた。


 盗賊を倒しにたった一人で。


 それにしてもなんて強いお方。剣の構え方や振る仕草などはむちゃくちゃでしたが、なんかすごいスキルで…。

 私はとんでもない方にお名前を付けさせて頂いたんでしょう?

 村の方はエルバード様の指示で次の作戦に入られている。私はこの檻の中でじっと待つだけ。


 もどかしい…。


 今頃エルバード様は…?

 わからないのが余計に不安です。


 しばらくして、たくさんの部下を引き連れて盗賊の親玉みたいな人が現れました。だけど盗賊っぽくない毅然とした態度。

 ご主人様が殴る蹴るを受けているのですけど、私は何も感じない。やっぱり私はエルバード様にご主人様になって頂きたいと願っているんだ。


 私は奴隷として失格だ。


 そして私は檻に入れられたまま盗賊たちに連れ去られた。



 日が沈み、辺りは真っ暗になりました。周りにいた盗賊が松明に火をつけました。あの親玉の人はずっと無言で馬を進めています。何故でしょう?悪い人に見えないのです。でも、周りには下品に私をみる輩もいます。怖いです。でも助けなんか来ません。

 エルバード様もやはり殺されてしまわれたのでしょう。


 私の人生はここで終ります。


 私は腕を交差して神に祈りを捧げました。





 ん?あの親玉が誰かと会話をされている。他の盗賊と合流したのでしょうか。それとも塒に到着したのでしょうか。


 「用意………。てえぃ!」


 親玉の掛け声と同時に私の周りで同士討ちが始まった。私は怖くて声も出ない。檻の真ん中で体を震わせていた。

 すぐに斬り合いが終わり、何人かの盗賊と親玉が立っている。親玉の向こうに誰ががいます。

 血の匂いでむせ返りそうです。松明の明かりも消されました。真っ暗で何も見えません。でも親玉と誰かの会話は続いているようでした。


 「まずアンタの名前を教えてくれ。俺も名乗ろう。俺の名はエルバードだ。」



 私は身を乗り出した。エルバード様が、エルバード様が来られた!

 立ち上がって檻を掴む。檻がガタンと揺れた。

 横にいた盗賊さんに睨まれた。怖い!


 エルバード様と親玉の会話は続く。この親玉はウォーマスというお名前らしい。どんな話をされているのでしょう?


 「では、まずその檻にいる子を解放してもらいたい。俺はその子の救助の為にここに来たのだ。」


 はい!はい!サラはここにいます!


 私は檻をガタガタと揺らした。

 横にいた盗賊さんがナイフを取り出した


 ひぃぃい!


 ごめんなさい!おとなしくします!



 エルバード様とウォーマス様の会話はまだ続いています。何やら命を断つとか救うとか。私は怖くてあまり会話を聞いていなかったのですが、早く助けて欲しいです。


 「そんなこと言えるか!!」


 あわわ!エルバード様の怒鳴り声が!

 私はびっくりして尻餅をついた。檻がガタンと音を立てて揺れる。怖い!怖いよう!



 …。会話が聞こえなくなった。終わった?私はどうなるの?

 私は恐る恐る顔を上げる。


 檻の向こうにエルバード様が立っておられた。次の瞬間視界が涙で歪んだ。涙が勝手に溢れてきました。


 「エルバードしゃま…エルバードしゃま…」


 エルバード様は、檻の中の私に手を伸ばし、頭に触れた。その瞬間全身の力が抜けていく。

 撫でられるとは、こんなに気持ちがいいものだったのでしょうか。私の目は涙で大洪水です。


 でも…。


 「…すぐ戻ってくるから。」


 そう言われて、檻から離れてしまわれた…。待って!行かないで!私を…一人にしないでほしいのです!


 「ごじゅじんしゃま…ごじゅしんしゃま…!」


 私はその場にひれ伏し、ただただ泣きじゃくっていました。




 永遠とも思える時間。私は暗闇の檻の中で待っておりました。



 「…すぐ戻ってくるから。」



 エルバード様はそう言われました。だから絶対戻ってきます。戻って来るはずです。…戻ってきてください!



 足音が聞こえた。誰だろう?ご主人様?

私は足音のするほうを見る。暗闇の向こうからご主人様が走ってきた。

 私は格子に跳びつき手を伸ばした。ご主人様は私の手にやさしく触れた。


 うれしかったのですが、直ぐに思い直す。この方は私のご主人様ではないのだ。


 「サラ、離れて。今から檻を壊すから。」

 私はエルバード様に従い反対側の格子に掴まる。エルバード様は突然どこからか槌を取り出し、檻に向かって振りぬいた。


 大きな音を立てて檻が壊れ、私が乗っていた台車崩れて、外に放り出されました。


 「ふぎゃん!!」


 恰好の悪い声をあげ私は右手で体が地面にぶつかるのを防いだ。でも右手に激痛が走った。

 ご主人様がすぐに飛んできて私を抱え上げました。…ご主人様ではありません。

 でも、


 「いったぁぁぁあい!」


 私は甘えた声でエルバード様に怪我したことを訴えました。見ると私の腕が擦り傷だらけで血がにじみ出ていました。ホントに痛い。


 「すまん、ちょっと勢いもあったし、馬の事を忘れてた!今治すから。」


 「エルバード様!かなり痛いです!しばらく右手が使えま…せ…ん…へ!?」


 腕の皮を思い切り引っ張られるような激痛があった後、エメラルド色の光が腕を包み私の傷がみるみる消えていった。


 傷を治すチカラ…。そんなスキル初めて見ました。


 「よし、これで治った。」


 エルバード様は私に微笑みます。でも私は何が何だかさっぱりわからず腕とエルバード様と交互に見てるだけ。


 「え?…あ…うで……え!?」


 ご主人様は私をみてニコニコされている。恥ずかしい!私はご主人…ちがう!エルバード様に微笑み頂いています。もう死んでしまいたい!


 「サラ、立てるか?」


 「あ!?は、はい。」


 私はドキドキしているのを隠すため、必死に腕の傷のことを気にしているふりをしました。けど…。

 私の足はもつれ、そのままエルバード様の胸に倒れ込んでしまいました。

 やだ!どうして!?足が言うこと聞かない!?私は大混乱です。


 「やっぱり無理か…。昨日からずっとあの中に入ってたんだもんな。今日はここでこのまま休もう。」


 そう言われて、私を抱きかかえたまま森の方に歩いていきました。




 …ご主人様。恥ずかしいです。恥ずかしいのですが……このままでいて欲しいです。


 私は心の中でそう願いました。


 ご主人様は私を木陰におろし、いろんなものをもってきて焚火を作られました。


 「今日はここでこのまま休もう。」


 この言葉が頭の中で繰り返す。このまま二人で朝まで…。まるで夢のようです。夢でもいいです!いや!夢なら覚めないで!

 心の中でひとりで大興奮しているとご主人様が私の隣に座られました。

 私はびっくりしました。こんな近い距離で二人きり!ま、周りには誰もいないのでしょうか?焚火のせいなのか私の気持ちが高ぶっているからなのか、顔が熱いです。

 私はしばらく挙動不審でした。でもご主人様はじっと隣で見守ってくれています。なんだか気持ちが暖かくなってきました。横にいると安心します。

 そしてそう思うとだんだんと私の心も落ち着いてきました。



 えい!



 思い切って私はエルバード様に体を預けました。エルバード様は何も言わず、私の頭を撫でてくれました。すごく気持ちいいです。

 なんと素晴らしい時間なのでしょう。私はエルバード様に頭を傾け、


 「…エルバード様、サラは信じておりました。きっと助けに来て下さると。」


 自分の心にはなかった言葉を言ってしまいました。


 「…そうか?その割には『ごじゅしんしゃま』って泣き叫んで大いに取り乱していたが?」


 げ!やっぱり無理がありましたか。でもいいのです。ご主人様に助けて頂いただけですごくうれしいのです。


 「…それほどうれしかったのです。申し訳ありません。」


 そう答えて甘えるように頭をご主人様に傾けました。



 私、決めたのです。



 エルバード様の奴隷になるって。



 それは、奴隷社会からすれば本末転倒な話です。でも、その時はうれしくて舞い上がっていて、頑張ればなれるって思っていました。






 私は初めて馬の背に乗りました。


 奴隷は馬には乗りません。どこへ行くのも徒歩です。乗るには特別な許可が必要です。でもご主人様は私を馬に乗せてくれました。

 「うわぁあ!高いですねぇ!」


 私はご主人様を側に感じながらも馬の上からの景色に目を奪われました。初めて見る視点の景色に思わず興奮し増しtあ。



 「…サラ」


 「あ…はい?」


 「お前のご主人様は、誰だ?」



 ……。言われてしまいました。はしゃぎ過ぎていました。ごしゅ…いえエルバード様は私の気持ちの変化に気づかれていたのでしょう。


 「…ヤーボの村の、デハイド様…です。」


 「俺のことを何度か『ご主人様』と呼んだな?呼ばれて悪い気はしないが、お前にとってはとても危険な行為だ。」


 やっぱり気づかれている…。私は奴隷。主を選ぶことはできません。


 「俺のことは『エルバード様』と呼ぶんだ。」


 「………………はい…。」


 心が痛い。悪いのはサラ。サラが奴隷のくせに我が儘を言ってご主人様を困らせている。ただそれだけなのに、ご主人様、いえエルバード様のことを憎いと思ってしまった。

 私は一体どうしてしまったのでしょう。ご…エルバード様にお会いしてからどうも思考がまともじゃないようです。これもエルバード様が悪いとまた思ってしまっています。

 私は自分自身の事を“醜い”と感じていました。


 「サラ、このまま帰るぞ。」


 そう言われてゆっくりと馬が動き始める。


 「…こ、このままですか?お、降ります!サラは歩いて付いていきます!」


 私は慌てて馬の背から降りようと体を浮かせましたがエルバード様が私のの腰に手を回しそれを止めてしまわれました。


 「ダメだ。」


 「そんな!?奴隷が馬に乗って移動するなんてありえません!降ろしてください。」


 ダメです!それ以上顔を近づけないでください!サラはおかしくなってしまいます!


 「だ~め!昨日フラフラだったじゃないか?」


 「今は歩けます!サラは自分の足で歩きます!」


 「裸足で歩いたら怪我をするからダメ!」


 「じゃ、じゃあ、靴をお貸しください。サラはエルバード様の靴を履いて歩きます!」


 「俺の靴を履いたら足が臭くなるからダメ!」


 私は、ぷっと吹き出してしまいました。


 このお方は真剣な顔をして突然人を笑わせようとする言葉を入れてきます。堪えきれずに私が肩を揺らして笑いました。そして笑うことによって肩の力がすぅと抜けました。


 よし!


 真面目な顔を作り、エルバード様のほうに顔を向けます。エルバード様の息遣いを感じる…。


 「…本当にこのままでよろしいのですか?」


 「ああ、俺がこうしたいんだ。許してくれ。」


 私は体をかがませて下から覗く様にしてエルバード様を視ました。何か顔が赤い気がします。可愛いです。


 私は笑ってエルバード様に体を預けました。


 村に…村に帰るまで。そこまでは甘えさせてください。村ではちゃんと“ヤーボ村の奴隷サラ”として生きていきます。だから…それまではサラのご主人様でいて下さい。


 私は涙を押し殺し、エルバード様、いえご主人様にもたれた。







 エルバード様のスキルは凄過ぎます。こんな能力を持っていてはかえって危険です。多くの貴人、賢人があの方を従えようと手をつくし、仕舞いには自分のものにならないのであれば、いっそのこと殺してしまえと命を奪われます。


 でもエルバード様はデハイド様の傷を治そうとされました。

 ここでスキルを使うのはダメです!


 「エルバード様」


 私は感情を殺し、表情をなくして声を掛ける。いつもと違う私にエルバード様はびっくりされていました。


 「『(おさ)』様がお待ちです。ご主人様の看病は私が行います。」


 そう言って、濡れた手ぬぐいを持ちご主人様に近づいて腕や顔に手ぬぐいを当て冷やしました。できるだけエルバード様のほうは見ずに淡々とご主人様の手当てをしました。正直、心苦しかったです。

 エルバード様はそんな私の気持ちがわかったのでしょうか、何も言わずに部屋の奥へ行かれました。それを目で追ったあと視線をご主人様に向ける。

 ご主人様と目が合いました。…気まずいです。


 「君は…これでいいのか?」


 ご主人様は私の気持ちに気づかれていました。でも私はどうすることもできません。


 「私はここで農業をするために売られた奴隷なのです。どうぞお気遣いなく。」


 そう言って一礼しましたがご主人様は物悲しげに私を見ておられました。



 次の日。私はご主人様の怪我のお世話をしておりました。傷の大半が打撲による腫れですので、冷たいもので冷やして熱を取れば腫れは引きます。私は手ぬぐいを何度も水に浸しては患部を冷やしておりました


 「『長』殿、『若長』殿!今回の件でお話ししたいことがござる。いきなりで申し訳ないが、あまり時間もないゆえ、この場をお借りしたい。まずは人払いを!」


 領兵団のバナーシ様がエルバード様を伴い来られました。どのようなお話なのでしょうか。気にはなりますが、私は部外者。


 「それでは小屋のほうで控えておきます。終わられましたらお呼び下さいませ。」


 そう言って深々とお辞儀をして部屋を出て行きました。


 …それから夜になるまでご主人様に呼ばれることはありませんでした。


 夕食のときにようやくご主人様に呼ばれ、家に行くと夕食の用意がされておりました。『長』様は暗い顔でスープをすすっており、ご主人様も私には何も言わずに食事されています。

 食事が終わるとご主人様は私を側に呼びました。そして紫色の剣を取り出しました。


 これはエルバード様の剣…。


 「明日、あの男は領兵団の連中と一緒にベルドの街に行くそうだ。今彼は領兵団の野営地にいる。これを彼に渡さねばならんのだが、私は怪我してるから…。明日の朝に君が渡しに行ってくれ。」


 そう言ってご主人様は紫の剣を私に持たせました。


 会いたくない。会えばいろんな思いが飛び出してきちゃう。でも、ご主人様の命令は拒めない。

 私は剣を受け取り、自分の小屋に戻った。


 小屋の扉を閉め、紫の剣を眺める。記憶のないあのお方が唯一持っていた持ち物。封印されていて使い物にならないが、大切な大切な記憶の手がかり。


 私は剣を抱きしめた。


 そしてぼろぼろ泣いた。


 明日はお別れ。今だけ。今だけは泣かせてほしい。絶対にエルバード様には涙は見せません。


 その夜私は紫の剣を抱きしめて眠りました。





 日が昇りました。


 私はエルバード様のテントの前に居ます。

 どのようにお声を掛ければいいかわからず、ずっとテントからエルバード様が出てくるのを待っていました。



 そして…。


 エルバード様はテントから顔を出されました。



 ドクン!



 私の体が勝手に反応する。あの方に飛び込んでいきたいと体が熱くなる。私は衝動を抑え平静を装ってお声を掛けました。


 「…エルバード様。ご主人様がお預かりしていたこの紫の剣をご主人様に代わり、お返しいたします。…それと、ご主人様からの伝言です。」


 抱えていた剣をエルバード様にお渡しする。


 私は奴隷としてあるまじき行為をした。


 嘘。


 でもどうしても言いたかった。他人の名を語ってでもエルバード様にお伝えしたい。


 「…早く記憶を取戻し、本当の名を思い出すことを心待ちにしている。」


 後ろめたい感情が湧きあがります。私はこの気持ちを押し殺すのに苦労しました。おかげでエルバード様を直視することができません。


 「サラ。」


 エルバード様の声。もう聞けなくなるのかと思うと苦しい、切ない。


 「……はい。」


 「…その様子だとデハイド殿からは何も聞いてないんだな。」


 私は剣を届ける事しか指示を受けていない。でもエルバード様は別の事をご存知…。どんなお顔で私を見ているのでしょうか。私はエルバード様のお顔を拝見しようとしましたが、勇気が足りずまた下を向いてしまいました。どうして、あんな嘘を言ってしまったのでしょう。


 「どういうことで…しょうか?」


 苦労してやっとでた小さな声。頭の中はいろんな感情が混ざり合い、エルバード様の事でいっぱいに広がり整理ができない。どうすればいい?何をお話すればいい?ここからどうやってお別れすればいい?



 私はどうやってエルバード様を忘れればいい?



 そんなことばかり考えていて、目の前の状況など全く見えていませんでした。




 「サラ、お前は俺と一緒にナヴィス殿のところに行くぞ。」




 突然聞こえてきたグランマスターの名前…。何故、エルバード様からグランマスターの名前が?

 私は顔を上げてしまった。


 エルバード様は私が顔を上げるのを待っていたかのようでした。


 3枚の羊皮紙を取り出す。


 「これはサラの奴隷契約書だ。んで、これがデハイド殿が書いた奴隷譲渡の委任状だ。でもって、これが領兵団長殿が書いた委任状の第3者証明書だ」


 私には紙に書かれた内容などもはや見えない。でもエルバード様の声だけは、声だけははっきりと聞こえました。


 「委任状には『サラをエルバードに売る』と書いてある。ナヴィス殿には奴隷商としてその売買の仲介をして頂く。…そしてここにサラを買うための金貨がある。」


 手順などどうでもいいです、金額など関係ありません。ただ、ただ…私はエルバード様の奴隷にして頂ければ…。



 「サラ…。これからは『俺の奴隷』だ」


 泣かないと決めたけど、これは泣いていいですよね。だって、だって…。

 私は涙を流し続けました。


 「私のご主人様…。」


 聞こえるか聞こえないかほどの小さな声。エルバード様が聞き返して来られました。


 「ご主人様と……お呼びしても、よろしいのでしょうか…?」


 目の前で満面の笑み。


 「いいぞ。まだ(仮)だけどな。」


 認めて頂きました。私はエルバード様の奴隷としてお仕えすることができる。


 いろんなことが込み上げてくる。堪えきれずに下を向いた。

 ぼたぼたと大粒の涙が落ちる。


 私、こんなにも涙を…。頭の中で考えているよりも私はご主人様に焦がれているんだ。そしてもう我慢しなくてもいい。


 「……抱き着いても…いいのでしょうか?」


 「それはダメだ!」


 ご主人様のお答えは衝撃です。思わず私は顔を上げました。が目の前にあったのはご主人様の逞しい胸…。私はそのまま吸い込まれました。


 「今は俺がサラを抱きしめる。…だから、だめ。」


 ご主人様の心の臓の音が聞こえます。


 ふと思います。私は何故これほどまでにご主人様を焦がれてしまったのでしょうか。


 ですが、今は考えるのを止めました。


だって涙が止まりません。あ、鼻水がご主人様に…。もういいです。今だけ、今だけ甘えさせてもらいます。


 「ぐす……、ごしゅじんさまぁ……」


 ご主人様をちょっとでも感じていたい。私はご主人様の腰に手を回し思いっきりしがみ付きました。


 「ふぇぇぇえん!ぶぇぇぇえん!」


 私は堰を切ったように泣きじゃくり、涙も鼻水も涎も全部ご主人様の服に付けてべとべとにしてしまいました。ご主人様はそんなことは気にもせずずっと頭を撫でてくださいました。




 …あれから、ご主人さまの奴隷も増え、私含めて6人になりました。夜のお情けの順番はなかなか回ってくなくなりましたが、それは構いません。


 一日の始まりの朝、ご主人様が目覚めて最初に声を掛ける役目。それだけは絶対サラの役目。ベッドの上からご主人様にお声を掛けるときもあれば、ベッドの側で一緒に寝ている子を起さないようにお声をお掛けするときもあれば。

 ご主人様も必ず最初にサラに声を掛けて下さいます。それはご主人様とサラの暗黙の決まり。


 今日もサラは元気にご挨拶します。


 「おはようございます、ご主人様」


 「おはよう、サラ。」



 今日もご主人様との一日が始まる。私はご主人様に感謝をする。次に神に感謝をする。最後にもう一度ご主人様に感謝をする。



 ご主人様、今日もよろしくお願いいたします。






 


本編を執筆する中で、主人公とヒロインの心情を頭の中に描いておりましたが、だんだんとそれを文章に表したくなりました。

思い立って2時間で書き上げたので、誤字があるかもしれません。


今後も、不定期になりますが、別視点の外伝を書いてみようと思います。

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