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司会者は内心で哄笑した

「……暇ね」

 六月一日、午後五時。

 梅雨に入ろうとする季節など意に介さずにいつもの言葉を吐いた神庭林檎に、出雲大地は冷ややかな眼差しを向けた。

「ねえ大地くん、ゲームでもしない?」

「御免こうむる、と言っているはずだ。そんなにゲームがしたいのなら一人でやってろ」

 取り付く島もないわねと呆れた顔で言う少女を無視して、大地は読んでた本に視線を戻す。火黄高校の外れに位置する文芸部部室。パイプ椅子に座り長テーブルに身体を預けた林檎は少年を睨み、不満そうな目で肩を竦める。

「私は対人戦がしたいの。一人でただただトレモなんてもううんざりだわ。たまにくらい付き合ってくれてもいいじゃない」

「なんで俺がお前の為にわざわざサンドバックにならなきゃいけないんだ。対人戦がやりたいのならゲーセンに行け。多少は人がいるだろう」

「なんで家庭用があるのにわざわざゲーセンまで足を運ばなきゃならないのよ。それにこのゲームはとっくに撤去されてるわ。私を助けると思って、相手をしてくれないかしら?」

 したり顔で言葉を返す少女は引く様子はなく、諦める素振りも見せようとしない。諦観も露わに息を吐き、大地は期待を込めた視線を送る少女を真っ向から見据え、仕方なさそうに頷いた。

「……分かった」

「そう、なら――――」

「待て神庭。ここは一つ、ゲームで決めようじゃないか」

 訝しげな眼を向ける少女の前に置かれたのは、戸棚の中にあった三つのコップ。制服のポケットから飴玉を一つ取り出し、大地は言葉を続ける。

「ここに三つ、今置いたコップがある。この中の一つに俺が今から飴玉を入れ、どれに入ってるかを神庭が当てることが出来ればお前の勝ちだ」

「そんなのどこで手に入れたのよ」

「昨日駄菓子屋で買った余りだ。続けるぞ、勿論この時点では確率は三分の一だ。だが俺は余った方の中で外れを一つ開示しよう。で、」

「私にもう一度選びなおす権利を与える、と。また随分と面白い物を持ってきたじゃない」

 目を輝かせた林檎に現金だなと苦笑する。教室の中で向かい合う二人、真逆の立場であるはずの二人の口から放たれた言葉は奇しくも全く同じだった。

「「モンティホール・ジレンマ」」

 元々はとあるクイズ番組で行われた、単なる一つの企画にすぎなかった問題。

 それが世界中で最も有名な問題の一つになろうとは、当時の誰が予測できただろうか。

「偶には文芸部らしいことをやってもいいだろ。誰かから怒られるわけでもない。むしろ真面目に部活をしてるって教師に褒められるかもしれないぞ?」

「こんな僻地に部室を与えた教師の誰がわざわざ褒めにきたりするのよ。でもまあ、確かに面白そうね」

 笑う林檎に後ろ向いてろと指示し、彼女が従ったのを見てからコップに目を向ける。

 モンティホール・ジレンマ。

 モンティホール問題とも呼ばれるそれが話題となった理由は千九九十年九月九日に発行された雑誌のコラム欄に掲載された『解答』の存在そのものだった。

 モンティホールジレンマ自体はごくごく単純な問題だ。今の話でいけば三つのコップに一つの当たりが存在し、選択する側のプレイヤーが一つを選ぶ。この後、仕掛けた側のプレイヤーが一つを選択する。この時点での確率は三分の一、ここまでは満場一致の結論だ。

 しかし、ここから仕掛けた側のプレイヤーが外れのコップを開示して、相手プレイヤーにもう一度選択させたとしよう。この場合、最初に選んだコップと残ったコップ、どちらを選んだ方が得をするか。ここまでの過程を経た時に、先程まで一致していた解答が真っ二つに割れることになる。

(最も今は単なる俺と神庭の心理戦なんだけどな。さて)

机の上に並べられたコップを再度確認しながら、大地は横目で少女を睨む。いつの間にやら自らに背を向け鞄から携帯ゲーム機を取り出し、耳にイヤホンまでしてゲームに興じている林檎。一見馬鹿にしているとしか思えない少女の態度であったが、彼には彼女の余裕そのものが一つの発言のように映った。

 ――例え何をしてこようと、その全てを打ち砕く。

「……全く、大した自信だ」

 思わず賞賛の言葉が少年の口から漏れる。余裕、油断、慢心。幾多の言葉で表せるであろう彼女の態度であるが、その根底にあるのはただ一つだ。

 即ち、絶対に自らが負けるはずがないという確信にまで昇華された絶対的な自信。

 羨ましい、と大地は思う。彼女は十六という年にして既に『自己』を誰よりも確立させている。どんな状況であってもぶれることなく自分を貫くその姿は、同い年である大地には殊更に輝かしい物であり。

(――さて、俺は俺で準備を始めていくとするか)

 並べられたコップは白が三つ、いずれも文芸部の備品だ。殆ど使われていないというのもあって傷がなく、同じデザインというのも合わさって見分けることは不可能に等しい。つまり、予想通り完全な心理戦になることになる。

(別に最初に当てられた所で問題ないんだがな。寧ろ、当ててこない未来が想像出来ない)

 まあどっちでもいいさと内心で頷く。事実、この問題の肝は最初に選んだ後にあると言っても過言ではなく、最初に選ぶのは単なる事前準備にずぎない。経過の存在故に確立が確定しないというジレンマ。ある意味でこの問題は、結論ありきで物事を語る者に警鐘を鳴らす為にあると言えよう。

「おい神庭、終わったぞ」

「あら、意外に早かったわね」

 イヤホンを耳から外した林檎は携帯ゲーム機を鞄の中にしまい、机の上に置かれたコップに視線を向ける。等間隔に三つ、逆様に置かれた白の杯。よくやるものねと呟いた少女は、右端の物を指差した。

「……えらく早いな」

「どうせもう一度選び直せるのよ。今無駄に時間をかけたとしてそれが何になるっていうのよ。ただの浪費に終わることがわかっていながら時間を使うことほど、無駄なことはないとは思わない?」

「それも、そうだな」

 およそ三秒、それが林檎がコップを選ぶのにかけた時間。彼女の指の先を見た大地が感情を表に出すまいといつもの仏頂面を張り付けるのとは対照的に、少女は普段通りに柔和な微笑を浮かべる。

(全く。予想通りにいってにも関わらずここまで面白くないのも珍しいな)

 おもわず内心で苦笑する。そうここまでは予想通り。たかだか三分の一如き、当てられないと思う方が彼女に対する冒涜だ。

 神庭林檎と戦う時はたとえどんな場合であろうと最悪の事態を頭の片隅に置いておけ、それが唯一突破口になりうる可能性を秘めている。嘗てあらゆる分野で負け続けた少年が得た唯一の対策は、今回も十全に機能していると言えるだろう。

「じゃあ、外れを一つ開示するぞ」

 平静を装って左端のコップをひっくり返し、飴が入っていないことを確認させる。

「さあ、俺が出来るのはここまでだ。後はお前が選ぶだけだ、変えるのか、変えないのか」

 モンティホール問題の解答とされる説は、大きく二つに分けられる。即ち、二分の一と三分の一だ。

 前者の解答は単純だ。最後に二つのうち片方を選ぶのだから二分の一。ここまでの過程を全て無視するが故に得られる、最も単純で明白な解答である。

 しかしこの問題の『解答』とされたのは、後者だった。

 後者は全ての過程を考慮した結果だ。最初に選ばれたコップが当たりである確率が三分の一、残りのコップに入っている確率が三分の・・・・。そして三分の二のうち片方が除外されるのだから必然的に残るコップが当たりである確率は三分の二となる。

 どちらも正しいが故にどちらの解答も成立してしまう矛盾。当時『解答』が発表された際、この解答は誤っていると何万もの抗議文が『解答』を載せた雑誌に殺到した。何もおかしいことはない。彼らは前者こそ唯一の解答だと考え、別の解答が存在することを認めなかっただけなのだから。

「ねえ大地くん、一ついいかしら」

「俺がわざわざ答えるとでも思ったか?」

「大地くんはこの問題の解答はどっちだと思う? 二分の一? それとも三分の一?」

 コップから目を離し、林檎は大地に問い掛ける。睨む少年は普段不愛想な態度をとってこそいるが、その実人一倍甘いし優しい。多少の我儘は文句一つ言わず付き合ってくれるところなどはその最たる例だ。どんなに手厳しく突き放そうとしても、最後の最後で非情に徹しきれない。それが彼の美徳であり弱点だ。

 甘い、とは思う。それは林檎の本心だ。しかしそれ以上に、美しい、とも思う。彼のその優しさは、何より得難い美徳だ。そんな彼に質問すれば、どんな状況であれきちんと答えを返してくれる。確信に足る材料が十二分あったからこそ、林檎はまず答えるはずのない問い掛けをした。

「正直、どちらでもいい」

「……へえ。ちなみになんで?」

「決まってるだろ。人間的に筋道立てて考えれば三分の二だし、機械的に結論から出そうとするなら二分の一だ。どちらも正しい、そう考えるのが道理だろ」

「なるほど、ね。ありがと」

 そして林檎は、大地が嘘を吐くのも知っていた。

「それじゃ、選ぶことにするわ」

口元を微かに歪ませながら、林檎は再び右側のコップを指差す。楽しそうに、なぶるように。無表情を貼り付けたままの少年に握った手を向けるその様は、あたかも原初のイブをたぶらかす蛇のよう。

「開ける前に少し、教えてあげる」

 まず一つ。少女は人差し指を立て、コップの上に右手を重ねる。

「感情を表に出さないようにするのはいいけど、あまりに普段と違うのは不自然すぎるわ。動揺を隠そうとするのは正解だけど、もう少しがんばることね」

 次に二つ。右手でコップを弄ぶ少女の表情が、悪意に満ちた物へと変わる。

「上手く誤魔化したと言いたい所だけれど、開けたコップが悪かったわね。わざわざ左端をあけるなんて、それは当たりですって言っているのと同じよ。もし別の人に仕掛けるときには、もう少し考えた方がいいわ」

 最後に三つ。追い詰めた獲物を確実に狩るため、狩人はとどめとばかりに言葉を紡ぐ。

「嘘を吐くのはよくないわよ。大地くんは後者を選ぶ。大地くんは機械的に選ぶのは嫌いなはず。突発的に嘘を吐く当たり余程焦っていたのだろうと思うけど、もう少し余裕を持つべきよ」

 言い終わると同時にコップを開け、中に飴が入っているのを確認してから少年の方に向き直る。自らの敗北を認めるかの如く、肩を落とした少年。視線で許可を取ってから飴を開封し、林檎は自分の口へと入れる。

「私の勝ちね、大地くん」

 まるで予定調和のように、林檎はそう宣言した。






「……酷い目にあった」

「あら、私は楽しかったわよ?」

「そりゃ一方的に虐殺してる方は楽しいだろうさ。でもな、やられてる方はたまった物じゃないんだよ」

 太陽と月が入れ替わり、夕闇が世界を包み込むような時間帯。帰り道が同じということもあり、大地は林檎と共に帰路についていた。

「でも今日は本当に楽しかったわ。ありがとね、大地くん」

「なんだ、急に改まって」

 声色が真面目な物へと変えた少女に訝しげな視線を向けるが、少女は猫のように微笑むばかり。首を傾げる大地であったが、林檎が唐突に向けた指の先を視線で追った瞬間、既に彼女に対する疑念は頭の中から吹き飛んでいた。

「……綺麗ね」

「……そうだな」

闇夜を彩る、満天の星空。

言葉はなく、またそんなものが必要となることもなかった。数秒の間示し合わせたように足を止めた二人は、またどちらからともなく歩を進める。

「それじゃあね。また明日、楽しみにしてるわ」

「ああ、また明日」

林檎に背を向けた大地の口から溜息が漏れ、これじゃだめだと首を振る。幾度となく繰り返された『勝負』。負けは最早慣れたものではあるが、それでも心に来る物がないわけではない。

「……また負けた、か」

敗北の数は既に四桁に到達し、手にした勝利はただの一つ。唯一勝利している心理戦を挑んでみたが、それでも勝つことは能わなかった。

もし一度も、勝利したことがなかったならば。頭に浮かんだ「if」を押し込んだ大地は、明日は何で挑もうかと考え始める。

地平線の彼方に沈んだ太陽。

明日もまた、晴天になりそうだった。

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