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自分論  作者: しおん
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みず。

水のように流れるままに、自由気ままに生きていきたい。







どこにも属していないのに、どこらからもあぶれない。そんな人間になれたなら、きっともう少し楽に人生を歩めただろう。



そうなるには、人徳がいるのか、教養がいるのか、ただその人の生まれもった才が必要なのか、そんなことは一般人に分類される私にはわからない。


ただ望むのは、独りにならずひとりになること。とても簡単そうで、難しいこと。



大抵ひとりを望むとまわりが察して、集団でその者を孤独にする。でもそれではいけないのだ。

私は関わりを持たない独立した存在になりたいわけではない。普段は孤立しているのに、いつだってどこでだって、どの集団にも属せるような存在になりたいのだ。


出来上がったグループの中に紛れても、なんの違和感も抱かれないような、そんな存在に。



大概の人間がそれをすると、不審な目つきで一瞥され、なんでここにいるのかということを訴える無言の圧力がその場で発生する。それは、その人間が暗黙の了解のうちでできた、仲間内でのルールを破っているからだ。


決まりごとや、約束なんて大層なものが無かったとしても、順序というものがそこには存在する。


それをまるごと無視して、未開の地に平然と足を踏み入れることはタブーだ。



街ですれ違っただけの、名前も知らないような集団に、了承も得ずに仲間だと口にするようなものだ。もっといえば、デート中のカップルの会話に当然のごとく参加しているような状況だ。


まるで不審者じゃないか。

それでは警察の御厄介になってしまう。



でも、いつも間にかいてもなんの不快感も生まれないし、逆に居心地がよくなる人間だって、世間にはいる。その場その場でうまい具合に溶け込み、まるでカメレオンのように姿を変えるのだ。


そんな風に、その場その場で姿を変容できたなら、もう少し楽に人生を歩めたのだろう。


どこかにとどまる事はなく、たゆたうように生きることは少し寂しいのかもしれないけれど、ふわふわと風に乗ってどこへでもいける事はきっと、その寂しさと同じぐらい充実感を味わえるんじゃないかなと、そう思うのだ。


読んでくださり、ありがとうございます。

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