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我的愛人  作者:
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顕㺭和婉容 第6話

「……貴方……女だったの?」

 露わにされた背中の線は男のものとはまるで違い、滑らかで柔らかく艶めかしい。白い素肌、細い両肩、乱れた断髪……妖しくも倒錯した魅力を放つ璧輝に婉容は戸惑いを隠せなかった。

「お気づきになりませんでしたか?」

 激痛で喘ぐ璧輝の口許が微かに緩んだ。

 婉容の心の奥底を見透かしていたようなその笑み。

「……さあ、右手を上げて。痛いかも知れないけれど、我慢してね」

 銃弾で抉られ、痛々しい赤黒い無残な創を残している璧輝の右肩を、婉容はまるで心の迷いを吹っ切るように力を込めてタオルで縛りあげた。そして彼女はすかさずきれいなタオルを手にして再びバスルームへ行くと、それを熱い湯で濡らして固く絞り、足早に戻って来て血まみれの璧輝の半身を優しく拭き始めた。

 婉容のしなやかな指がそっと背中に触れたとき、璧輝の身体に甘い電流が走った。


「もったいないことを……」

「黙って」

 婉容は自分の今のこの行動が信じられなかった。皇后として紫禁城に居住していた時はもちろんのこと、天津にいた時も常に人に傅かれ、自分は人形のように何もせずに、何も考えずに周りの者がすべて事を運んでくれていた。その自分が今は他人の為に自らの意志で動いている。それは彼女が今まで享受したことの無い新鮮な感動であった。

 創を負い、それを介抱する。二人の間を阻んでいた警戒という薄い氷の壁は、今少しずつ溶け始めていた。


「私貴方を信じるわ」

「皇后陛下……」

「だって貴方の言葉に嘘は無かったもの。同じ女の身でありながら私を護って下さったもの」

 自分の肌を滑る婉容の甘美な手の動きと囁くような声音が最良の治療薬だった。璧輝は酔わされるように痛みを忘れ、夢見るようにいつしか深い眠りへと落ちていった。婉容は璧輝が眠ってしまったのを確認すると、ソファに上体をうつ伏せたまま静かに寝かせ、自分が着ていたオーバーコートを掛けてやった。

「甘粕だ。川島、ここを開けてくれ」

 ほっと一息つく暇も無く、聞き覚えのある声がドアの向こうから聞こえた。『アマカス』という日本語だけ理解できた婉容は恐る恐るドアに近づいてゆく。

「医者を連れて来ました。慕鴻皇后どうかここをお開け下さい」

創を負った璧輝の代わりに婉容がこのドアを開けることを甘粕は計算に入れていたのだろう、今度は流暢な中国語で語りかけた。医者と聞いて婉容はすぐさまドアを開けた。

「ありがとうございます。」

 軽くおざなりの一礼をすると、額を包帯で巻いた甘粕が一人の年老いた軍医を従えてずかずかと室内に入ってきた。


「川島はどこです?」

 新しい丸眼鏡をかけたその表情から自分を睥睨しているのがはっきりと読み取れた。この甘粕という男は「静園」にいた頃出入りしていた沢山の粗野な日本人将校と同じ種類の人間だと、婉容は鋭く感じ取った。丁寧な物言いの裏にあからさまに見え隠れする、日本人絶対の差別意識。

「あちらで今寝ているところよ。早く手当てしてあげて」

 婉容が案内するまでもなく、軍医は大きな黒革の鞄を下げて勝手にリビングへと向かった。


「皇后陛下」

 甘粕が全身から発する威圧感をさらに増幅させて婉容を見据えた。

「部屋を別に用意してありますので、そちらにお移り頂き、明日の朝大連を出立いたします」

 自分の部下に密偵が紛れていたという失態を詫びもせず、何ごとも無かったかのように淡々と用件のみを伝えてくる。

「金璧輝はどうなるの?」

「そのようなことは皇后陛下がご心配なさることではありません」

「私はここから何処へ行くの?」

「とりあえず旅順に行っていただきます。そこで宣統帝と落ち合うことになるでしょう」

「とりあえず……なのね。私が訊いているのはそういうことではないの。最終的に私と皇上はどこに行き着くことになって、どういう役割を貴方がた日本人から承るのかしら?」

 婉容の大きな二つの瞳がじっと甘粕を見つめた。彼がどう言い逃れをするのか試すように。


「それも今はお知りになる必要はございません」

 子供扱いにも程があると彼女は唇を噛んだ。同じ自分を連れ出すにしても璧輝には最低の礼儀があった。皇后として自分を敬う心が感じられた。だからこそここまでやって来たのだ。けれど眼前にいるこの失礼極まりない日本人はどうだ? 人の意志などをまるで意に介さず、事務的に処理しようとするこの横暴な日本人は?


「嫌です。私貴方と旅順など行きたくありません」

「それは困ります。皇后陛下が最終的にどこに行かれるのかは、宣統帝からお話があるはずです」

 自分の言い方が婉容を頑なにさせてしまったかと、甘粕はやんわりと言い方を変えてみる。

「そんな見え透いた嘘をおっしゃっても無駄ですわ。皇上は貴方がた日本人のいいなり。いっそ貴方が私に直接お話してくださったほうが早いのではなくて?」

「皇后陛下、どうしても嫌だというのなら、手荒な真似をしてでも私は陛下を宣統帝の許へお連れしなければなりません」

 低く凄んだ声で甘粕は脅しともとれる言葉を吐き、対峙する婉容と甘粕、お互い一歩も引かずに睨み合った。

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