8話 一面の花畑
「セリニエール伯爵夫人の誕生会に名代で行く? 私たちがですか?」
「ええ、そうなの。毎年セリニエール伯爵夫人のお誕生日会には参加させていただいていたのだけれど、今年はお父様のお仕事の都合で行けなくなってしまって。あなたたちに代わりに行ってもらえると助かるわ。夫人もあなたたちのこと、気に入っているもの」
ある日お母様に呼び出されて、いきなりそんなことを切り出された。
ちなみにお兄様も一緒に呼び出されている。
セリニエール伯爵夫人といえば、社交界の華だ。
今度のお誕生日で60歳になるというのに若々しくて、お元気でいつも社交の中心にいる。特に貴族女性の中心人物といっていい。
社交的で派手なことが大好きで、自然と人が惹きつけられてそうなっている。
面倒見もよく、みんなに慕われている。
お母様は普段夫人にとても親しくしていただいているので、私も子供の頃から何度かお茶会に参加させていただいたものだ。
お兄様と二人旅。
いつもは食事時くらいしか話す機会はないけれど、同じ馬車の中で数時間二人きりでいれば、いくらなんでも雑談くらいはできるかもしれない――!
「分かりましたわ、お母様。私もセリニエール夫人に久しぶりにお会いしたいですし、お母様の代わりに、お祝いに参ります」
「まあ! ありがとう、ヴィヴィアン。ウィルフレッドもそれでいいかしら」
「……分かりました」
数時間、二人きりで同じ馬車に乗っていればいくらなんでも雑談くらいできるだろう。……なんて思ってたっけなー。
重い沈黙の中、そんなことを考える。
家を出てから2時間は経っただろうか。最初は私も会話をしようと頑張ったけれど、全く話は続かず、ほぼ無言状態が続いていた。
した会話といえば「今日はいい天気ですね」「そうだな」。これくらいだ。
10年以上もまともな会話をしていないのだから、なにを話していいのか分からない。
『私のことを嫌いなのは分かっていますけれど、場を和ませるために世間話くらいしたらいかが?』
それどころか気を抜けばこんな嫌味が飛び出てきそうになるので、たまに口を手で覆ってなんとか止めている始末。
そうやって嫌味を言わないように気を付けると、なにも話せなくて無言になる。
でもせっかくのお兄様と二人きりの旅ですもの。絶対に喧嘩はしたくない。
もう少ししたら、伯爵夫人の屋敷までの中間地点に差し掛かる。
子どもの頃の記憶では、そろそろ休憩するはずだ。
いつも寄る雰囲気の良い食堂が、確かこの辺りにある。
食堂へ行けば気分も変わるし、メニューを選んだりなんだりで、会話が生まれるかもしれない!
先ほど、お兄様が小窓を開けて御者に何か指示を出していたので、きっともうすぐ休憩なのだろう。
そう考えていたら、ちょうど馬車がスピードを落とし、揺れることもなく静かに停まった。
――うちの御者はいつも仕事が丁寧だけど、今日は特別慎重に、停まった気がした。
「降りるぞ、ヴィヴィアン」
「は、はい!」
先に降りたお兄様が、手を差し出して私が降りるのを手伝ってくださる。
さすが紳士! どんなに嫌いな女性相手でも、エスコートは欠かさない。
貴族で良かった。ありがとう、貴族!
お兄様の大きくて力強い手を握りながら、しみじみとそう思った。
「あら? ここは……」
「その……ヴィヴィアンが良ければだが、今日はここで休憩しないか。馬車酔いをしているのだろう? たまに気持ち悪そうにしている」
「え、馬車酔い? そんなことは……あ」
時折私が口を手で覆っているのを、お兄様は気持ちが悪いのだと勘違いなさったのね。
そんなことはないのだけれど、なんと説明してよいか分からないので黙っていることにする。
降りた場所にあったのは食堂ではなくて、一面の花畑だった。
「綺麗……お兄様、ここは?」
「以前たまたま見つけたんだ。確かこの時期満開だったと思って、御者に寄るように言った」
「……ありがとうございます」
色とりどりの花が、見渡す限り広がっている。
確かについ先ほどまで郊外へ行く一番大きな街道を通っていたはずなのに。少し道を外れるだけでこんなに素晴らしい場所があるなんて、知らなかった。
花畑を一望できる場所を選んで、敷物を敷いて休憩する。
「少し横になってもいいぞ」
「……いえ、大丈夫です」
私の体調を心配してここに連れてきてくれた。私にこの花畑を見せようと思ってくださった――。
そのお兄様の優しさが嬉しくて、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
「ヴィヴィアンが……いつものように話さないから。今日は相当体調が悪いのかと思ったのだが」
「ふふふっ」
私がいつもうるさくしゃべりかけていたのに、今日は我慢していたことをお兄様も気づいておられたみたいだ。
そのことがちょっとおかしくて、笑ってしまった。
私が喧嘩腰で話さないせいか、お兄様の口数がいつもよりも多い。
「……綺麗だ。画家を連れてきたらよかった。絵に描いておけば、ずっと残しておける」
「……っそうですね」
綺麗なアイスブルーの目に見つめられて、ドキリとして思わず目を逸らしてしまう。
これだけ素晴らしい花畑ですもの。確かに画家に描かせていつでも見ていたいだろう。
私のほうをじっと見つめて綺麗だなんておっしゃるから、一瞬私を見て綺麗だとおっしゃったのだと勘違いしそうになってしまった。
お兄様がこれほどお花がお好きだなんて、知らなかった。
『ヴィーおいで! 君が好きだと言っていた花が咲いているのを見つけたよ』
『まあきれい! ありがとうウィル』
小さな頃の記憶が蘇る。そういえばお兄様は昔から、綺麗なお花を見つけてくるのがとてもお上手だった。きっとあの頃からお好きだったのだろう。
「本当に。画家を連れてこればよかったわ」
そうすればこの美しい、一面の花畑とお兄様と私を、描いて残してもらうことができたのに。




