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1-4

 次に目覚めたとき、窓の外は午後の日差しだった。

 体のあちこちに筋肉痛があり、魂はともかく、身体は非力だった頃のレーヴのままであることを改めて自覚した。ただ、頭の中はかなりすっきりしていて、知識がまた再構築されたようだ。

 隣を見ると、ルノアの姿がない。

 慌てて上半身を起こすと、彼女は窓のそばに座り、何かを食べていた。

「おはようございます。と言っても、もう昼をだいぶ過ぎてますけどね。近くのパン屋で食事を買ってあります。よろしければどうぞ」


 そばに行くと、木製のカップから湯気が立っていて、草原の香りがした。

「あなたが好きだった羊のミルクです」

 口にすると、わずかな甘みを感じた。

「いかがですか?」

「おいしいよ。初めて飲んだような、懐かしいような、不思議な気分だ」

 彼女は満足そうに口角を上げ、咀嚼を再開した。


 通りを見下ろすと、住人たちが、悲痛な面持ちで、兵士の遺体を運んでいるところだった。

「そういえば、昨夜、少尉がレネゲードって言ってたと思うけど、何のことか知ってる?」

 レーヴの記憶にはある気がするが、今のところ、使用頻度の高い知識にしか、たどり着けていない。

「原則として、スタイルを持つ者は、各地に点在する王国の統括機関に、自らのアビリティを申請、登録し、各国の軍や政府、学術機関に所属します。それにより、地位と、安定した収入を得ることができるからです」


 王国がソーサラーの管理を一手に引き受けるようになった経緯は、その数が多く、規約や審査などの諸手続きが充実していたため、各国が委託するようになったからだそうだ。

 登録者は、使い終わった霊石を小さくカットしたタグに、シリアル番号が刻印された証を受け取る。ソーサラーが身に着けると、暗所で数字がかすかに発光するのだという。

「拙者は首飾りにしていました。今回、逃げるとき、捨てましたけどね。で、そんな鎖に繋がれたような生き方を好まない、ひねくれた人間も、この世にはいるわけでして――」

「それが無登録者、すなわちレネゲードというわけか」

「ええ。管理されていないソーサラーというだけで、一般の人たちが不安に感じるのはもちろんですが、見つかれば、ほとんどの国で拘束されることになります」

 犯罪者ではないが、近い扱いを受けるらしい。


「これから――オレたちはどうすればいいんだろうな。身分もアビリティも隠し続けないといけないんだなんて」

 特に答えを期待していたわけではなかったが、ルノアはほとんど迷うことなく返事をした。

「とりあえず、敵の正体を知りたいです。どうにか祖国を取り戻したい。それが簡単でないことはわかっていますが」

「調べる具体的な方法でもあるのか?」

「いえ、特には。足で稼ぐくらいでしょうか。一人よりは二人のほうが、時間は短くてすむと思いますから――。今後は別々に行動したほうがいいかもしれません」

「別々っ?!いや、それはちょっと――」

「まさか怖いのですか?」

 冗談を言ったのかと思ったが、その手が膝の上で強く握られているのを見て、心細いのは彼女自身なのだと知った。


「あなたが規格外だってことを信じての提案です。何もない岩場で作り出したあの火炎もそうですが、何より昨夜のあの戦いです。重力制御をあんなにも自在に、しかもセンチの単位で操るなんて、エキスパートのソーサラーでもできない気がします。スタイルの進化、いえ、最終形かもしれない。本当なら、ずっとそばで研究していたいくらいです」

 そう言って、会ってから一番無垢な瞳を向けたが、反して、その言葉の中に、一人でやっていくしかないのだという、固い決意も感じた。あるいは、命を賭す覚悟までしているのかも。

 そう思うと、年下とはいえ、レーヴからすがりつくことなどできるはずもない。


「わかった。従うよ。今後の方針は、まずは敵の正体を明らかにする」

「ええ。それから、とても大切なことを伝えておきます。拙者も最後の日に、師匠から初めて聞かされたのですが――。敵はアンテマジックなるアーティファクトを王宮の宝物庫から盗んだのだそうです」

 アーティファクトとは、超常の力を持つ、神代の遺物のこと。数千年の時を経てなお、その科学は未解明だそうだ。

「超常の力って――」

「師匠によれば、ある一定の範囲内のアビリティの発動を封じる機能があるそうです」

「アビリティを封じる?一定の範囲って、もしかして、複数の人間であっても?!」

「そうらしいです」

「もしかして、それが、今回の戦争で使われた、とか?」

 彼女は窓の外に顔を向けてしばらく黙り、やがて不安そうな目をレーヴに戻した。

「歴代の王は、自らの存在の脅威となる秘密兵器をずっと隠していたのでしょう。王国が発展を遂げたのは、ソーサラーの力に依るところが大きく、それも当然でしょう。ですが、そんな力の源が、無力化されたのだとしたら――」

 どうやって外部に知られたのかは不明だが、王国に反目する連中がいたとして、そんな遺物があれば、奪おうとするのは自然なことだろう。


 アビリティを封じられたソーサラーなど、予備役の兵士にも及ばなかったに違いない。

 敵の残酷な進軍を想像して、脚が震えた。

「そのアーティファクトだけど、いったい、どういう仕組みなんだろう」

「おそらく、スタイルそのものを無効化するんでしょうね。きっと拙者の特殊様式(ユニーク)とは雲泥の差ですよ」

 ひとり言のようにそうつぶやいて間もなく、はっとしたように口元を押さえ、挙動不審におちいった。

「今、何も聞こえてないですよね」

「まあ、特には」

 その返事にほっとした表情を見せる。だが、続くレーヴの質問に、顔を青白くした。

「ルノアのユニークって何のこと?」

「ええっ!やっぱり聞こえてたんじゃないですかっ」

 間近であの声量なら、当然だ。


 彼女は頭を抱えたが、やがて開いていた窓を閉めると、椅子をレーヴの真横に移動した。

「今から言うこと、死んでも秘密にできますか?」

 ただの慣用表現だろうが――実際にあの世に行った人間に、あまり使ってはいけない比喩な気がする。

「いいけど」

「スタイルはベーシックとユニークに大別されます。光とか風がベーシックで、ソーサラーであれば、必ずこのうちのどれかを使うことができます。で、ユニークは、重力制御とかですが、こちらは全部のソーサラーに与えられているわけじゃない。せいぜい全体の二割くらいでしょうか」

「スタイル持ち自体、選ばれた人たちなんだろ?ってことは、ユニーク使いの人って、会うことはめったにないんじゃないのか?」

「たぶん一万人に一人とか、ですかね」

「ここに二人いるのは、ほとんど奇跡だな。それで、ルノアのユニークは?」

「――くすることです」

「え。何だって?聞こえなかった」

「だから。アビリティを弱くすることです」

 アビリティは、スタイルに則ってエーテルを変換する力だが、彼女の特殊様式は、エーテルの吸引そのものを制限することができるのだそうだ。


「人に教えるのは初めてです。あなたも、絶対に口外しないで下さいね」

「いいけど――どうして?」

「怖いからですよ」

「は?」

 その力は、使い途が主に二つに限られるという。

 一つは、対ソーサラー戦闘における、敵の攻撃抑止だ。

「ただし、一人相手にしか使えませんし、その間、拙者も身動きできなくなるので、ほとんど役に立ちません」

 あとの一つは、レネゲードや、ソーサラーの犯罪人を逮捕するとき。その際、相手のアビリティを無力化させるために、使われるのだという。

「捕まった人は、洗脳とか、拷問されるらしいんです。そんなのに加担したくないじゃないですか。そんなわけで、意気揚々と、人に話せるような代物ではないのです」

「待って。もしかして、その力で獣鬼の動きを止めることもできるんじゃないのか?」

「すぐにそこに目をつけるとはさすがですね。でも、すでに実験済みです。で、上手くいきませんでした。当たり前ですが、人と獣鬼は同じでないということです。ただ、この世のどこかに、黒灰石に似たような制限をかける特殊様式があったとしても、不思議じゃないですけど」


 秘密を明かしてほっとしたのか、表情が柔らかくなったように見えた彼女は、午後四つ目の鐘の音のあと、空に目をやった。

「出かけるにはもう遅いですね。出発は明日の朝一番にしましょうか。酒場は、オークの襲撃のせいで、休みのようでしたから、夜、お腹が空いたら、パンの残りを食べて下さい」

 そう言うと、洗顔と着替えをさっさと済ませ、早々とベッドに横になった。

 可愛らしい寝顔を横目に、荷物をまとめ始めたが、どこか落ち着かない。

 この世界での知識が中途半端なうちに、唯一、信頼できる人間と離ればなれになることは、決して得策ではない。レーヴ自身に戦闘力があることは救いだったが、生活できるかどうかはまた別問題だ。


 ルノアもきっと本心では積極的ではないはずだ。強く反対すれば翻意できるのでは、などと考えていたが、シルバーオークとの戦闘による疲労が残っていたのだろう、いつの間にか熟睡してしまった。

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