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1-3

 戦闘が行われていたのは、村の入り口から山側に少しいったところだった。

 周囲には、嫌な臭いが漂い、人の原型をとどめていない死体がゴロゴロ転がっていて、それを目にした瞬間、激しい嘔気がして、黄色の液体が、噴水のように口から流れ出た。

 ここまで凄惨な場面に立ち会ったことはないのか、ルノアも、隣で口元を抑え、顔を蒼白にしている。


 軍人が少なくとも五人いるはずだが、二体を相手に死闘を繰り広げていたのは、酒場ですれ違った二人だけだった。

 彼らは背中を互いに相手に預け、獣鬼の攻撃を防ぐだけで手一杯のようだ。大男の兵装は、すでに、血に染まっている。

「そこで待ってて。とりあえず試してくるから」

 口元を拭いながら言うと、彼女は目を伏せ、声を落とした。

「そんな状態で、何かできるとはとても思えません。非情ですが、今、我々だけなら逃げることもできると思います」

 そんな選択をしたくないのは、痛いほど伝わってきた。

 それには答えず、足元に転がっていた剣を一本、拾うように見せかけ、重力制御を使ってみた。


 手に触れることのないまま、それは思い通りに浮揚した。

 腕を大きく回すと、それに呼応するように、円を描く。

 思いついたアイデアとは、すなわち、剣技を重力制御のアビリティで、補完させる方法だ。無詠唱が前提となるが、上手くいけば、レーヴの非力が問題にならない。

「たぶん、いけると思う」

 そう口にした瞬間、前方から男の絶叫が聞こえた。

「ジルドっ」

 カトリアが悲壮な表情で振り返るのと同時に、相棒が地面に倒れる。彼の手は腹にあって、赤い液体がどくどくと流れ出ていた。


 上官はその様子を見て一瞬、凍ったように動かなくなり、それから、「来るなっ」と涙声で連呼しながら、獣鬼に向かってやみくもに剣を振り回し始めた。

「オレがやつらを引き付けるから、あのでかい人、治療できないか?」

「血がめちゃくちゃ出てるじゃないですか。治癒(ヒール)のアビリティで、仮に傷を閉じられたとしても、あれを回復させるとなると、残り一本しかないエリクサーを使うしかなくなりますよ」

「金のことは、あとで考えよう」

 ルノアは不満げだったが、それは無視して、重力制御で、体をわずかに浮かせてみた。

「じゃ、行ってくる」

 周囲に誰もいないことを確認し、力の作用を前方に向けると、走るよりはるかに速く、修羅場に到着した。


 シルバーオークの一体が、すぐに気づいて雄叫びを上げた。

 相手の攻撃を交わすことに必死だったカトリアは、何が起きたのか、理解していないようだ。

 敵との距離を維持しつつ、負傷している曹長から離れるよう、オークを誘導する。

 レーヴの知識によれば、獣鬼に致命傷を負わせるには、頭部への攻撃が確実のようだ。ただ、シルバーオークの背丈は、成人の大人よりはるかに高く、それが困難。

 何の手段も持たなければ、だが。

 膝をかがめて、軽く跳躍し、その上昇を補助する程度に、再び重力制御を使った。

 敵の顔の高さに達したあたりで、相手が怯んだのがわかる。獣鬼にも恐怖があるのかどうか、シルバーオークは叫びながら腕を振り上げた。


 視界の先に、背を向けた状態のカトリアが見える。

 柄の部分を胸元でしっかり握り、切っ先を正面にしたまま、オークに向かって最大限に加速した。

 剣は、的確に額をとらえた。

 同時に、激しい圧力を感じて、剣の先端が肋骨を強く圧迫する。

 肺がつぶれるかと思った瞬間、抵抗が軽くなり、敵の頭部をつばの部分まで一瞬で突き差すのと同時に持ち手の一部が折れた。


 シルバーオークはうめき声一つあげることなく、うしろ向きに倒れ、最初に倒したときのように、皮と石だけを残して蒸発した。

 カトリアがうしろに目をやるのが見えた。

 自分を襲っていたうちの一体が、突然、いなくなったことに驚いているようだ。

 同時に、獣鬼にも生への執着があることを確信した。

 仲間が瞬殺されたことに、残りの一体が明らかに動揺して見せたのだ。


 地面に降り立ち、カトリアのそばに寄った。

「お怪我はないですか?」

 彼女は涙目でしばらく口を半開きにしていたが、慌てたように、ジルドのほうに体を向けた。

「わ、私は問題ないが、曹長が――」

 彼のそばには、すでにルノアがいて、体に手をかざしていた。

「治療が間に合うといいんですけど。すみません、剣をお借りしていいですか」

 残るオークが、レーヴとカトリアを交互に見ていたが、やがて、空に咆哮し、突進してきた。

「さ、早く」

 催眠術にかけられたように、彼女が差し出した細剣を手にして、はっとした。

 今使った武器より、ずっと軽かったのだ。


 一体目と同じ方法では、たぶん強度が足りない。投げて攻撃するには、きっと重さが足りない。

 重力制御は、あくまで落ちる力の方向を変えるだけのようだ。落下開始の位置を高くするのと同じ原理で、加速させることはできるが、それも相手との距離が限度となる。

 別の剣を探そうとして、ほとんど自暴自棄になっていたシルバーオークが、牙をむき出し、土煙を上げながら、間近に迫っていた。

 この剣の長所はおそらく、切れ味だ。それを最大限に活かすには――。

「伏せて下さいっ」

 カトリアの背中から力をかけ、強引に地面に押しつけた。

 彼女は言われるままに、頭に手をやる。その視界から消えたことを確認し、両手で細剣を握りしめた。

 切っ先が敵の首に来る高さまで浮揚し、そして加速した。

 角度と速さ次第で、紙であっても、皮膚を切ることができる。

 細剣でも、十分な速度さえあれば――。

 果たして、銀色の刃先は、残像を残しながら水平に移動し、柔らかい果物でも切ったかのように、ほとんど抵抗なく、獣鬼の首を切り落とした。

 シルバーオークはそれまでの勢いを保ったまま、前向きに倒れ、そして蒸発した。


 ほんの四半時前までとは、打って変わって、静寂が訪れた。

 カトリアは体を震わせ、うずくまっていたが、獣の気配が消えたことに気づいたのだろう、ゆっくりと上半身を起こした。

 夢でも見ているかのように、しばらく、ぼう然としていたが、やがてはっとして、曹長の元へと、這って進む。

 ちょうど、ルノアの治癒が終わったところらしく、彼女は赤の小瓶を、彼の口に慎重にあてがっているところだった。

 カトリアは、部下の腹部に手をやり、驚いたようにルノアを見た。

「治ってるっ?!お前、もしかして、レネゲードかっ?」

 それには返事をせず、空になった瓶を無言で投げ捨てた相手を見て、カトリアは、気まずそうに視線をそらせた。

「すまない。余計な詮索だったな。ジルドを救ってくれたことに、ただ感謝する。もちろん、このことを誰かに話すつもりもない」

 ルノアは静かに立ち上がり、周囲を見回した。

「残念ですが、息があったのはこの人だけでした。村人のために戦って頂いたことに感謝します」

 そう言って目を閉じ、しばらく両手を胸に当てていたが、やがてレーヴのそばにきた。

「行きましょう。これ以上できることはもうありませんから」

 海岸にいた村人に、アントラーシュの兵士たちの犠牲のもと、脅威が去ったことを伝えると、歓声が起きた。


 くたくたになって宿に戻る。

 ルノアは起きたときの形になっていたベッドに倒れ込むと、あっという間に寝息を立て始め、油灯を消さなければ、と思いながらベッドに腰かけたレーヴも、一瞬で深い眠りに落ちた。

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