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アンナリーズの人屋の前に立ったのは、それから間もなくのことだ。
新しい皇帝が即位したことと、その許可を得て、手続きが完了次第、釈放になる未来を伝えると、彼女は大粒の涙を流し、鉄格子をはさんで、レーヴの背中に腕を回した。
「やっと、お風呂に入れるよ」
予想していたのとは違う第一声に、思わず笑ってしまった。
だが、その直後に彼女は手を離し、一歩下がる。その表情は笑顔ではなく、なぜか怒りに満ちているように見えた。
何が起きたのか、まるで理解できずにいたが、すぐにその答えがやってきた。
「今まで女と一緒にいたでしょう。カトリア姉様や、皇女でもない、別の誰か」
もしかして――また残り香?
「手続きで近衛の隊長と話していただけだ。最初にここに来たとき、オレたちを尋問した人」
だが彼女はまるで聞く耳を持たない。素早くレーヴの右手を掴んだかと思うと、手のひらに鼻を寄せた。
「手続きするのに、どうして相手の体に触れる必要があったの?わたしの婚約者だって自覚はある?」
何日も風呂に入っていない人間の嗅覚とは思えない鋭敏さだ。未発見のスタイルではなかろうか。
自覚と問われ、結婚の、同居以外の意義について深慮していたとき、遠くで扉が開く音がして、廊下の先に、ユスティナと皇女、それに辺境伯の姿が見えた。
そばにきた三人のうちの一人が、自分が襲った相手だと知って、アンナリーズは怯えた表情で目を伏せた。
その様子に気づいていたのかどうか、ユスティナが牢舎を解錠したあと、当の皇女は平坦な口調でこう言った。
「皇帝陛下と相談致しました。恩赦の付帯条件を申し伝えますわ。テューダー男爵のご令嬢には、本校へ転籍していただくことになります。他の生徒たちへの示しとして、保護観察という名目になります。それに了承する場合のみ、ここから出ていらして下さいな」
アンナリーズと目が合った。その表情がみるみる曇る。
フェリシアに剣を向けた場面は多くの生徒に目撃されている。すでに貴族の資格を失った人間が、そんな環境に通うことは容易ではないに違いない。
とはいえ、この中に居続ける選択肢などあるはずもなかった。
無言で格子戸をくぐり、すっかり元気をなくした彼女を見た皇女が、かすかに口角を上げたように見えたのは気のせいだろうか。
「そうそう、あと一つ、申し伝えることがあるのです」
そう言って、フェリシアは肩の髪を払う。
「レーヴ・エルミオニにも、同様に、本校への異動を命じます。生徒会風紀係へ志願して下さい」
「えっ。オレもですか?風紀係って――」
学校案内を思い返した。
生徒会は、書記係と風紀係に分かれていて、前者が書類関係の実務を担当、後者は剣術と様式科の生徒たちから選抜された、ある種の警察組織だったはずだ。
エステルハージ領とは違い、帝都は人の数が圧倒的に多く、生徒と一般住民とのもめ事が少なくないという。そんなとき、仲裁に出向き、あるいは、学校周辺の治安維持を目的として、無法者相手であれば、戦闘を行うこともあるようだ。
「婚約者のそばにいられるよう、わたくしが取り計らって差し上げたのですわ。感謝なさい」
なぜか、今の言葉はウソである気がしたが――結果として、そうなったことには違いない。
問題があるとすれば、今の住まいからは通えないことか。入寮することになれば、屋敷での働き手が一人欠けることになる。
五人で出口へと向かう中、そんな懸念を察したかのように、辺境伯が珍しく明るい口調でこう言った。
「こちらのことは気にするな。ヘンドリカの母親も仕事に慣れてきておる。財務の手伝いは、休みにでも戻ってきてくれればいい」
確かに、本校の図書館を調べれば、黒灰石を取り出すための、有益な情報にたどり着ける可能性はあるかもしれない。
そして何より、親しい人間がほとんどいない本校で、アンナリーズを一人にするわけにはいかないのは確かだ。
「当主様のご配慮に感謝します」
最後尾を歩くレーヴに、不安そうな表情で体を寄せていた彼女は、官舎を出て、空の青さをまぶしそうに見上げた。
謎のアビリティによって呼び覚まされてからおよそ半年。まさかこんな事態に巻き込まれることになるなどと、想像もしていなかった。
いまだ、解決の糸口すら見えない課題が山積みの状態で、当面は気の休まるときがなさそうだ。
新たに始まる帝都での生活が、どうにか平穏に過ごせるよう祈りつつ、馬車へと駆け込む彼女のあとを追った。
みなさま、ここまでのご通読、ありがとうございました。
第一幕が終わったので、ひとまずの区切りとしたいと思います。




