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12-3

 長い物語だった。

「今は、親からもらった本当の名前を、思い出すのに苦労するほどになっているのです」

 最後に力弱くそう言って、天井を見上げた。

「貴族出身だとばかり思っていました」

 苦労も努力も、他人には想像できない人生だったに違いない。


「育ちの悪さを隠すために、言葉遣い一つとっても必死だったのです。フェリシア殿下を見ればおわかりでしょう。本当の気品は、その人の髪の毛一本にも宿るのですよ」

 本当の自分とは違う人生、という意味では、レーヴと似ているかもしれない。

 ただ、皇女を手にかけていい理由にはならない気がした。少なくとも、ユスティナとして生まれ変わったあと、仮初めかもしれないが、幸福な日々を送れていたはずなのだ。


「殿下は、あなたの意識がないとき、本当に心配してました」

「そんなことは承知しています。ずっと側仕えをしていたのですから。ただ、両親の無念を考えると、あの日、村が火の海になっていた情景を思い出すと、自分でも感情を抑えられなくなるのです」

「では、テューダー男爵が戦死した調査出兵も、あなたの策略なんですか?」

 あの一件をなかったことにはできない。婚約者かどうかは別にして、もっとも身近な人間を不幸の谷底に突き落としたのだから。


 彼女はそんな真意を言葉の中から読み取ったのだろう、目を伏せた。

「手引きしたのは間違いございません」

 宰相であるゲラーシは、長らく、皇女にどうにか箔をつけられないか、画策してきた。

 あるとき、戦闘で傷ついた兵士を治癒するという大雑把な計画を立て、それを実行に移すことを考えたらしい。

「相手が獣鬼なら、話題性も申し分ないのだがな。確かルーシャが、そんな実験をしていると聞く。どうにか利用できんものだろうか」

 公務中だというのに、官舎で酒を飲みながら、そんな倫理観の欠如した会話を大声でしている姿を見たユスティナは、くだんの諜報員から得ていたある情報を思い出した。


「ある情報、ですか?」

「連中が、兵器として人を獣化させていることはご存知でしょうか。それまで生み出されていたのは、オークばかりだったのですが、あるとき、シルバーオークが誕生したのです。どうやら黒灰石には種類があるらしく」

 その後ルーシャは、シルバーオークを主戦力とするよう研究対象を切り替えたが、現実的な問題が起きた。

 それは檻だ。

 石造りの頑強な牢舎の数は限られていて、そこに、オークよりもさらに体格の大きい種を、何体も閉じ込めておくことは困難だったのだ。

「連中は、オークを放出することに決めました。もちろん、むやみに捨てたわけではありません。戦力分散を目的として、王国各地、特に辺縁部を中心に投棄したのです」


 ユスティナは、そんなオークの分布図を、匿名で送りつけたのだそうだ。

 宰相たちは、当初は疑っていたようだが、目撃報告や、調査結果が、おおむね一致していたことで、計画を進めることに決まる。

「私は作戦をルーシャにも知らせました。もしかしたら、アンテマジックを使うかも、と思ったからです。その効果によっては、私自身の復讐の計画を書き換える必要がありましたから――。ただ、実際にあの場に持ち込まれたかは不明です。その後の経過については、あなたもよくご存じの通りです」


 ユスティナの心の闇が、巡り巡ってアンナリーズに癒やし難い傷を負わせる結果となった。

 誰を責めるべきなのか、そうしてはならないのか。

「海沿いのコベロスにシルバーオークが現れたは――」

「王国、というよりは、おそらく、我が国の軍事介入を防ぐための時間稼ぎだったのでしょう。帝国領内にはルーシャの情報提供者が何人もいて、あの村に派兵していたことも当然知られていたでしょうから。ただ、撃退されたのは想定外だったようです。その後、たった一体しかいないマスターオークを送ろうとして、それも失敗することになるわけですが」

 彼女は意味ありげな視線をレーヴに向けたが、それは無視した。


 すべての不幸は連鎖している。

 すべての発端は――エトルリア戦役か。

 レーヴの記憶によれば、王国がエトルリアとの国境に救援の目的で進軍したのは、大勢が決したあとだった。

 いくらソーサラーがいても、帝国の軍事力と正面から対峙すれば、王国の兵士も無傷ではいられない。保身優先だったことは、指揮官として妥当な判断だったろうが、戦禍に巻き込まれた国民たちは、無念だったろう。

「さっき、マシャニ村と言いましたか?」

「ええ。水のきれいな、楽園のような場所でした」

「王国がエトルリアに入ったとき、いくつかの村で、住民を保護したと記録にあります。ご存知だと思いますが、当時、あの国には優秀なソーサラーが多くいて、もちろん、治癒を使える人間も前線に派遣されていたでしょう」


 記憶を確認していると、彼女は顔を上げ、真顔になった。

「何が――言いたいのですか」

「ご両親は、あなたが見ているところで亡くなられたのですか?」

 その問いに、ユスティナは、これまでに見たことがないほど表情を歪めた。

「あなた……。軽々しく言っていいことと、悪いことがあります。命の恩人だからだとか、まだ子供だからだとか、そんな言い訳で許されないことだって――」

 そう言って口元を抑えた。


 彼女自身が自覚している通り、感情が高ぶり、制御できなくなっているようだ。

「ユスティナさんの気持ちをもてあそぶつもりなんかありません。ただ、事実を確認したいだけですから」

「だいたいっ。そんな情報、あなたはどこから得たと言うのですかっ」

「それは――今は言えません。でも、いい加減な噂などでないことだけは信じて下さい。もう一度聞きますけど、ご両親がどうなったか、確認されたのですか?」

 普段したことはなかったが、そのときは、自然と相手の握られた拳を掴んでいた。


 彼女はその手を強く振り払う。少しだけ声を落としてこう言った。

「はっきりとはしておりません。住んでいた家はもちろん、村のほとんどが焼けてしまったのですから」

「ユスティナさんはどうやって助かったんです?」

「家の前に用水路があったのです。子供の体ならぎりぎり通れる程度の。あとで追いかけるから先に行けと、押し込まれました」


 泣きながら進み、行き着いた川でずっと待っていたが、父も母もやってくることはなかったそうだ。

「今の身分になってから、何度か村を訪ねましたが、住民はすっかり入れ替わっていて、当時を知る人間は、もはやおりません」

「であれば、王国軍に保護され、治癒された可能性はありますよね。お二人が新天地で新たな生活を始めていて、娘のことを必死で探しているという」

「可能性という意味であれば。永遠に確認しようのない可能性ですが」

「もし――。もしですが、保護した人の名前がどこかに残っているとしたらどうです?」

 公文書の保管場所に入った記憶がレーヴにある。徴税のため、王国に住む住民の増減はかなり厳格に管理されていた。彼女の両親が移住したなら、記録があってもおかしくない。


「もう結構です。これ以上、人の一番つらい思い出を踏みにじられては、私にも我慢の限度があります」

「王宮は石造りの頑丈な建物です。公的な書類はその地下に、何百年にもわたって保管されているはずです。今回の戦禍を免れていてもおかしくない」

 そう言うと、彼女は目線を鋭くした。

「あなた、本当に何者なのですか。獣鬼を倒したことだってそうです。ただの孤児とは思えません。いったい何が目的なのですか」


 一度死に、生まれ変わった影響でスタイルを二つ持つ、亡国の第三王子。数奇な運命という意味では、彼女に負けていないはずだ。

「当面の目的は、アンナリーズを無事にここから出すことです。そのあとは――」

 ヘンドリカの母の獣化を止める方法を見つける。ルノアと再会し、アンテマジックを取り戻す。王国を再建する――のはさすがに無理か。

「色々ありますけど、どれも簡単には達成できない。その色々の中に、ユスティナさんのご両親を探すことを加えるのはどうですか?」

 また怒るのだろうかと、軽く身構えたが、相手は少しだけ座る位置を近くして、声を落とした。


「それは……あなたが協力するという意味ですか?」

 彼女の両親の安否を確認するためには、まずは王宮に入る必要がある。

「ある程度の利害は一致していると思います。逆にお聞きしたいんですけど、王宮を支配している連中と、今も連絡できるツテがあったりしますか?」

「難しいですね。もとより、互いを利用するだけの関係でしたが、私は用済みとなってしまったので。先日の皇帝襲撃の際に、死んだと思われていることでしょう」

「そうですか。じゃあ、その状況を利用しますか。敵の内情に詳しい人間が味方になったのだと思えば、少しは勝算があるかもしれない」

「味方って……。私のことを、訴え出ないのですか?少なくとも、前の皇帝を死に追いやった責任は免れないはずです」

 ジルドが話していた、ブラジャーなる剣豪は、きっとユスティナのことだ。ソーサラーが無力な状況で、帝国で一、二を争う剣術の腕前は、貴重な戦力になるはず。確かに、裏切り行為は罰せられるべきなのだろうが――。


「いつか、皇女殿下に真実を話したほうがいいとは思いますけど――今、牢屋に入るのは本意じゃないですよね。とりあえず、ご両親の安否がわかるまでは共闘ってことでどうです?」

 彼女はすぐには返事をせず、奇妙な表情でレーヴを見ていたが、やがて長い息をはいた。

「そんな身勝手が許されるとは思えませんが――。不思議と、あなたの意見には従ってみようという気にさせられます。承知しました。今後の身の処し方は、すべてそちらに従うことにいたしましょう」

 そう言って、右手を差し出した。

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