12-1
皇帝の崩御により、その後継が誰になるのか、血肉の争いになると危惧されたのは、わずか一日だった。
子供たちにそんな醜態は見せられぬと、立ち上がったのは、他でもない皇后だった。
それまで、表舞台にはほとんど顔を出すことのなかった彼女が、進んで女帝の道を選んだ勇気を、民衆は称賛し、極めて好意的に受け取った。
「自分に王としての才覚はないかもしれないが、部下たちが優秀であることを微塵も疑っていない」
まだ四十代と若く、目立った病気もない彼女が、戴冠式でそう公言したことで、多くの上級官僚たちの人心を一瞬で掌握し、次こそは自分の天下だと考えていた、一部の人間の野望を簡単に打ち砕く結果となった。
式の三日後。
レーヴは辺境伯とともに、帝宮に呼び出された。
恩賞があるという。
大広間のような場所で、多数の貴族に囲まれている情景を想像していたが、案内されたのは、皇帝の執務室だった。
中にいたのは、三人だけ。
窓際の、重厚なデスクの向こうで、書類に機械のようにサインしている新皇帝の髪は、娘と同じく薔薇色だったが、高貴な女性には珍しいショートヘアだ。おそらく即位と同時に切ったのだろう。
あとは、部屋の中央の応接セットで脚を組み、過去に見た中では、もっとも落ち着いて見えたフェリシア。最後に、入り口そばの壁際で控えている近衛の中隊長だ。
皇女の向かいに腰を下ろすと、女帝はペンを置いて立ち上がり、レーヴのそばにきて、その手を取った。
「最初に母親として。今回は、エリーと、ティナの命を助けてくれて、心から感謝します。本当にありがとう」
思わず、椅子を降り、床に膝をついた。
「いえ……。皇帝陛下をお救いできなかったことを悔やんでいます」
「いいのよ。元々、先は長くないって言われていたし、それに、馬車で見送るとき、これが今生の別れになるって、私にはなぜかそんな予感があったの」
そう言って、一瞬だけ視線を落としたが、すぐに立ち上がる。自席に戻ったとき、彼女は女帝の顔になっていた。
「恩賞の件に入る前に、いくつか聞きたいことがあります。分校から取り寄せた報告では、あなたの剣術の腕は、学年でせいぜい上位五人だとか。よく、シルバーオーク二体を一人で倒せましたね」
柔和な笑顔だったが、内容は不審感でいっぱいだった。
「運が……良かったんだと思います。投げた剣がたまたま敵に当たったり」
すべて白状することも考えたが、敵方の可能性が高いユスティナが近くにいる以上、多少不自然でも、ここは嘘を突き通すしかない。
「運、ですか――。エステルハージ卿。あなたは彼がどうやって倒したのか、ご存知なのですか?帝国の精鋭が手も足も出なかった相手に、こんな少年がたった一人で勝利した理由を」
「も、申し訳ございません。剣術の腕前については、陛下のご認識の通りでございます。はっきりしたお答えはできかねますが――頭が相当に切れるのは確かです。過去に、シルバーオークと対戦したことがありますので、その際、何かしら、弱点に気づいていたのかもしれません」
「知恵と知見で勝てるものでしょうか――。本当なら、その場にいたエリーに聞くべきなのでしょうけど、気が動転していたようで、はっきり覚えていないそうなのです」
母の視線に、娘は小さく頷いた。
「剣が氷の上を滑るように飛んできたあと、一体目がいなくなったところまではどうにか。その先については霧の中ですわ」
その言葉にほっとする。正直、あのとき、アビリティを隠すところまで気が回っていなかったのだ。
「まあ、いいでしょう。次の質問に移ります。奪われていたエリーの治癒の力が、復活した理由は?途中、あなたの姿が見えなくなり、現れるのと同時に、使えるようになったと聞いていますよ」
辺境伯が怪訝そうにレーヴを見た。
「それは……オレにもわかりません。あの場を離れたのは、他に獣鬼がいないかを確認するためでしたので――」
「なるほど。皇帝の立場をもってしても、真実を教えてもらえないと、つまりそういう理解でいいのですね?」
国一番の権力者の反感を買うことは避けたかったが――どうしようもなかった。
返事をできないでいると、彼女は小さく笑う。
「そんなに怯える必要はありません。誰しも、人には言えない事情はあるでしょう。大切なのは、あなたが私たちの側に立つ人間かどうかで、それについては、そこにいるティナと同様、すでに信頼を勝ち取っているのですから」
その言葉に、うしろに振り向くと、近衛の兵士は、視線を落とした。
それが会釈の意味だったのか、そうでないのかは不明だ。
「それでは、最後に本題です。この度の功績に、褒美を取らせます。だいたいの希望は叶えるつもりだけど――何かあるかしら」
ここに来るまでの道中、辺境伯に相談し、請願する内容はすでに決めてあった。
「実は二つあるんです」
「二つも?一応、聞きましょうか」
「一つは、皇女殿下のお力を借りたいのです」
それからヘンドリカの母のことを伝えた。
黒灰石を取り出す詳細な方法はまだ確立されていない。
おそらくは、石の場所を確認するため、何度か皮膚を切り、なければ治癒で閉じる、という作業を繰り返すことになるだろう。
あのとき、重傷だったユスティナを回復させた力は本物だった。フェリシアの力を借りることができれば、ヘンドリカの母にとっては心強い味方になる。
ただ――。場所を特定したあと、そこで例えば音のアビリティを使うことになったとして、その段階でレーヴがレネゲードだと知られてしまう問題については、まだ解決策がない。
「そんなの、恩賞の必要なんてないでしょう。同じ学校の生徒同士なのですから」
皇女は特に驚くこともなく即答した。
どうやら獣化の現象は、帝国の上層部では周知となっているようだ。
「では、そちらは娘と相談して下さい。それで、あと一つは何ですか?」
「恩赦をお願いしたいのです」
意図していたより、声が小さくなった。
相手は、それが何を意味するのか、すぐに悟ったようだ。
「それって、テューダー男爵のご息女ね?」
女帝にとって、アンナリーズは娘を襲った犯罪者だ。簡単に許可されないだろうと予想していたが、その答えは少しだけ違っていた。
「今回の功績はあなた自身が得たもの。それを他人に使おうというのは、とても立派なことだと思います。ただ、恩赦は血縁者でないと無理なんです。そうしないと、無関係な人が、罪をお金で解決、なんてことになるでしょう?」
それについては、事前に辺境伯と打ち合わせしてあった。
「今回、お願いしたいのは――その、こ、婚約者なんですが――。それでもダメでしょうか」
こうなることを見越して、彼女との関係を変えた訳ではもちろんなかった。そもそも、レーヴ自身の感情もはっきりしない。彼女を大切にしたいのは確かで、おそらく、人間的に興味があるのは間違いないが。
いずれにしても、もし断られることになれば、いよいよ、アンナリーズを脱獄させるしか道がなくなる。
相手の返答を、息を止めて待とうとした瞬間、それよりも前に、別の方向から嬌声が上がった。
「婚約ですってっ?!男爵の娘とですかっ?聞いてませんわっ」
フェリシアは飛び上がって席を立ち、重力制御を遣っているのかと思うほどの速度でレーヴのそばにきた。
「えー……と」
「いったい、いつですかっ」
「いつって。十日ほど前、だったと思いますけど……」
「例の品はありますのっ?見せて下さいっ」
あまりの形相に、差し出された手の意味がしばらく理解できなかった。
「もしかして――これでしょうか」
今は、首に二本かかっているうちの一方を慎重に引き抜き、貝殻を見せると、相手は獣鬼を前にしたときのような、恐ろしい目でそれを睨んだ。
「本物、ですわね。信じられません」
不機嫌さを隠そうともしないで元いた椅子に戻る娘を、柔和な笑顔で見ていた皇帝は、真顔になってレーヴに向き直った。
「法解釈という意味では、恩赦の要件を満たしていると判断していいでしょう。ただ、気がかりなのは、彼女が再びエリーに刃を向ける可能性です。テューダー男爵が殉職した理由を皇室に求めているようですが――もし二度目があれば、今度こそ懲役刑では済まなくなります。さてどうしたものか……」
どうやら釈放自体は問題ないようだ。ただ、その後の対応については検討が必要らしく、ひとまず、その場は散会となった。
「本人に面会することはできますか?陛下のご判断を伝えたいと思うのですが」
「ええ、それは構いません。ティナ、案内してあげて下さいな」
席を立つと、ユスティナは目を合わせようとはせず、さっさと部屋を出て行った。




