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次の日、ヘンドリカの母に、朝の仕度の手順を引き継いでいたとき、前の道を馬車が通る音がした。
この時間、定期便は運行していないはずだ。
窓辺に立つと、皇族用のきらびやかさはなかったが、小綺麗で、いかにも頑強そうな客車が二頭の馬に引かれて通り過ぎて行くのが見えた。
カーテンがかけられ、中は見えないが、おそらく皇女が話していたお忍びの一行だろう。
前後に二人ずつ、目つきの鋭い護衛がぴたりと歩調を合わせている。軍服ではなく、狩りに行くような格好ではあるが、親衛隊の中でも最精鋭に違いない。
当主にだけその事実を伝えてあって、目配せすると、彼は外に目をやり、眉根を寄せた。
治癒のできる皇女はもちろん、攻撃的なソーサラーも車内に随伴させているのだろうが、皇帝を運ぶにしては、いかにも手薄な警備だ。不安に思うのは当然だろう。
食事と片付けが終わり、登校のために屋敷を出る。
シャツの中には、ルノアの革袋以外に、白蝶貝が増えていた。胸に手を当てながら、アンナリーズを救い出す方法に思いをはせていたときだ。
はるか遠くで人の声がした。
屋敷で誰かが叫んでいるのかとうしろに振り返り、はっとする。
空に、皇族の危機を知らせる紫ののろしが上がっていたのだ。
時間と距離を考えるまでもなく、あの馬車に違いない。
ソーサラーが間違いなく同行していたはずなのに、のろしが火のアビリティでなかったことに、不安が高まる。あの日、皇女との別れ際に感じた、説明のできない胸騒ぎが再発した。
危機的状況で、人の頭脳は普段以上に働くのだと、授業でアマンダが話していた。
テューダー男爵が罠にはめられたのは、ヘンドリカの密告だけが理由ではなかった。
帝都にいる別の内通者。
皇帝の移動をお忍びにすべきと提案した人間。
アンナリーズを取り調べたときの、彼女の物憂げな態度の理由。
小さな謎が、音を立てて連結する。
どの程度の役割を与えられていたのかは不明だが、少なくとも、今回の一連の出来事の中心にいた人間の一人は――ユスティナ・ブラジェイに違いない。
教科書の入ったカバンを放り投げ、馬車が進んだほうへと走り出してすぐ、これでは間に合わないのだと、直感が訴えた。
革袋を胸から取り出し、道沿いの木のうろに仕舞う。
この先、人に見られたとき、足の速いやつだと思わせなければならない。
地上からわずかに浮揚し、安定したところで、前向きに加速した。




