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それから二日後のことだ。
アンナリーズの逮捕前後から、様子がおかしくなっていたヘンドリカの態度が、度を越してきた。
朝の食卓の準備で、何度も忘れ物をしたり、食器を落としたり。
「体調でも悪いのか」
裏切り告白のあと、ということもあるのだろう、辺境伯がいつになく優しい言葉をかけると、彼女は、返事をすることなく、その場で泣き崩れた。
どうやら母親の様子が思わしくないらしい。獣化が進んでいるわけではないが、痛みの回数が増しているのだそうだ。
「脚を切り落とすか、あるいはいっそ殺してしまったほうが、母のためなのでしょうか……」
図書館で少しでも情報を得ていれば――。
ただ、今は手助けできるすべが何もない。
彼女を抱えて立ち上がらせたとき、窓の外で何か動く気配を感じ、その直後、廊下を、人が力強い足音で近づいて来る気配がした。
ダイニングの扉が勢いよく開く。
姿を見せたのは、頬を紅潮させたジルドだった。朝の訓練中だったはずの彼は、汚れた練習着に、剣を手にしたまま、何が起きているのか理解している様子のないヘンドリカへと近づく。
好意を持っているようなことを、以前話していたが――腕っぷしだけで人生を乗り切ってきた人間が、悲運の女性を前に、いったい何ができるのかと、ある種の興味を持って見ていると、彼は彼女の前に膝をつき、ただひと言、こう口にした。
「自分と結婚してもらえませんか」
聞き間違いかと思ったのは、レーヴだけではなかったようだ。
辺境伯と、それに告白された本人も、腫れた目を大きく見開き、口を開けた。
「いったい何を……」
「自分に取り柄はないですが、軍人でいる間、お金には困りません。死んだあとも、妻には恩給が出ます」
「そういうことではなくて――」
「初めて見たときからヘンドリカさんのことが好きでした。このあともずっとです。自分に不満はあるかもしれませんけど、お母様ともども、必ず大切にします」
驚くほど純真な目でそう言った。まるで無関係だったレーヴですら、感涙しそうになる程度に。
彼女は、落ち浮かない様子で、考えさせてほしいと上の空で答えたが、どうやら、かなり心を動かされたようだ。
そんな二人の様子を、特に驚いた風でもなく眺めていた辺境伯が、「少し前から考えていたのだが」と前置きしてこう言った。
「お前の母親に、ここで働いてもらうのはどうだろう」
今も農家の手伝いをしているらしく、体臭と、激痛の夜にうめき声を上げる問題点さえどうにかすれば、事情を理解している人間がそばにいる屋敷のほうが、安全なのではないかというのだ。
ヘンドリカにとっても、すぐそばに母がいることで、負担は大きく軽減されることになる。
彼女は当主の前に膝をつき、号泣した。




