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8-3

 まだ彼女のことを理解していなかったのだと思い知らされたのは、帝都に着いて間もなくのことだ。

 馬繋場(ばけいじょう)から本校へと急ぐ途中、以前に来たときとは違って、軍服の人間がそこかしこにいるのを見て、胸騒ぎがした。


 正門の前で、鼓動がさらに速まる。

 近衛兵が、二人、歩哨に立っていたのだ。

「何かあったのか」

 当主が、自身の身分を告げると、相手は、はっとしたような表情を見せる。

 質問には答えず、校内へと駆けて行って間もなく、男は見知った女を連れ戻ってきた。

「随分と早いお着きですね。鳩をやって、鐘一つも経っていなかったと思うのですが」

 ユスティナ・ブラジェイは、危機感を見せずにそう言った。

「どういう意味だ」


 それから彼女が語った内容は、予想していた中でも最悪な事態だった。

 すなわち、アンナリーズが、皇女に刃を向けた、というのだ。

 幸い、と言っていいのか、彼女の武術の腕前は児戯の域を出ず、振りかざして突進しているところを、皇女の近くにいた剣術を専攻する生徒に、あっさりと撃退されたらしい。

「転んだとき、持っていた剣で、自分の脚をばっさりやってしまったんだそうです。床が血だらけになる程度に」

 もし、舞台の上の出来事なら、完全に喜劇だ。なぜなら、こともあろうに、襲った相手に、治癒されたのだというのだから。

 その場で拘束された彼女は、以前囚われたのと同じ場所に、再び収監されてしまった。

 目が合った辺境伯は、言葉こそ発していなかったが、過去に見たことがないほどに悲しげだった。

「中隊長殿、アンナリーズさんと話せたりしますか?」

「面会、ですか。まあ……いいでしょう」

 レーヴの問いかけに少し悩んでそう言った。

 実際の規定がどうなっているのかは不明だが、前回の、強引な別件逮捕の一件があって、許可された気がする。


 二度目の近衛の官舎。

 面会は一度に一人だけらしく、ユスティナが警備に鉄の扉を開けるよう指示をして、最初に辺境伯がその先へと進んで行った。

 留置場前にある廊下の、長椅子で待つことになる。

 彼女は無言でレーヴから一人分ほど離れた場所に腰を下ろすと、腕と脚を組み、目を閉じた。


 専任の審問官は別にいるのだろうが、尋ねずにはいられない。

「アンナリーズさんは、どうなるんでしょうか」

「そうですねえ。晴れて、お家断絶といったところでしょうか」

 薄目を開けてそう答えた。

 冗談のつもりだったようだが、レーヴはもちろん、言った本人もまるで笑っていない。

「本人の……処罰は?」

「ただの不敬罪というわけにはいかないですから。まあ、斬首刑が妥当な裁定ですか」

「斬首刑っ?!そんなに厳しいんですかっ?情状酌量とか、されませんか?」

「何を驚くことがありますか。次の皇帝陛下のお命を狙ったのですよ?考慮されるような背景とは、一体何があるというのでしょう」

 元はと言えば、宰相たちの奸計(かんけい)が原因じゃないか!

 そう喉まで出かかったが、ここで近衛の機嫌を損ねて、いいことなど何もない。必死に耐える。


 そんな気配を察したのかどうか、ユスティナはそれまでより声を落としてこう言った。

「今回のことは、皇女殿下ご自身は、大ごとにされるつもりはなかったのです。ただ、もみ消すには、目撃者が多すぎましたから」

 過去に服を交換した相手だ。記憶力のいいフェリシアが、襲ってきた相手の素性を知らないはずがない。

 父親が殉職した詳しい経緯はともかく、恨みを買う何か事情があったことくらいは推し量っているだろう。

「建前上とはいえ、国は法の下に統治されているのです。皇女とはいえ、個人の感情で、裁きを変えることなどできないのですよ」

 建前上、と口にする程度には、自分たちが完全に正義だと考えているわけではないようだ。


 やがて扉の先から辺境伯が戻ってきた。

「どうでした?」

 彼は黙って首を振った。

 部屋の奥でうずくまったまま、「もう放っておいてください」を、繰り返すばかりだという。

「あとはお前が頼りだ」

 クリストバルは、おそらく心からそう言ったと思う。

 この場所に来るまでに、すでに話す内容は決めてあった。

 善悪はともかく、人生を賭けて行動をした人間を説得するには、同程度の覚悟が必要に違いない。


 彼女が収監されている部屋に行く途中、両隣が空いていることを確認した。

 辺境伯の言った通り、アンナリーズは部屋の一番奥で膝を抱えていた。

「少しだけでいいから話をさせてほしいんだ」

 石の床に腰を下ろした。

 お尻に伝わるひんやりとした感覚は、以前にここに入ったときと同じだ。


 何の返事もないのかと恐れていたが、意外にもすぐに反応があった。

「今さら何しに来たの?どうせ、よその女にしか興味がないくせに。この、女たらし、ド変態っ!」

「変態の姿は、まだリーズの前で見せたことなんてないだろ。それに、興味があるってなら、そんなの――」

 君しかないだろ、という最後の言葉は、うつむき、閉ざした口の中で溶けた。

 そのはずだったにもかかわらず、目線を上げたとき、目の前にアンナリーズの顔が迫っていて、ぎょっとした。

「いつ移動してきたんだよ。重力制御でも使ったのか?」

 照れ隠しに軽口を言ったが、相手はまるで聞く気配がない。

「今、何て?」

「今……って?」

「興味があるのは何だって?」

 どうして知られたくない事案にばかり、こんなに敏感なんだ!

「それは……その、次年度の領地の税収について」

「絶対ウソ」

 別の言い訳をしばらく考え、今は喫緊の課題があることにようやく気づく。


「そんなことより、これからすごく大事なことを話すから」

 細い腕をそっと掴んで引き寄せ、レーヴ自身も顔を格子につけると、彼女は一瞬、不安げな表情を見せた。

「大事なこと……何?わたし、死刑になるの?」

「何もしなければ、その可能性はあるだろうけど――。でも、今はその心配はしなくていい」

 それは気休めではなく、ユスティナの言動を見ても、厳しい裁定がすぐに下る気配はなかったと思う。

「だったら何?」

「まず最初に。偵察任務のとき、オレが皇女の馬車のそばにいたのは、あの人を助けるためじゃなかったんだ」

 身代わりを用意するという、宰相の計画を偶然知った経緯を話すと、相手は意外そうな表情に変わった。


「それってもしかして、わたしを助けに来たってこと?」

「そうだ。言い訳にしか聞こえないかもしれないけど――獣鬼がゴブリン一体だって始めからわかってたら、お父さんを助けに行ったと思う。アビリティを使ったかどうかは、正直、わからないけど」

 アンナリーズはそれには答えず、ただ、その目からは怒りの火が消えているのがわかった。

「だから、今回も、リーズのことは絶対に見捨てない。どんな方法を使っても、必ずここから助け出す」

「バカ言わないで……。脱獄なんて絶対イヤだよ。命が助かっても、この先死ぬまで、日陰者として一人寂しく生きるなんて絶えられない」

「それはわかってる。合法的な手段を何とか考えるから」

 そう言うと、格子の向こうで、アンナリーズは大きなため息をついた。


「確かにあんたのアビリティはすごい。それは認める。でも、たかが学生一人で、いったい何ができるって言うの」

「そのことだけど。オレはただの平民とは、少し違うんだ」

「知ってるよ。孤児でしょ」

「今は確かに。だけど、親の身元はちゃんとしてるんだ」

「へえ、そうなんだ。初耳だけど――どこの誰?」

「ナヴァル王国に、三人の子供がいたのは知ってる?」

「王国……?何、急に――。子供の数は知らないけど、王様の家族は全員亡くなったって聞いたけど」

「国王とその妻、それに長子と第二子はそうだけど、三番目の男子は、まだ生きてる」

「どうして――そんなこと知ってるの?」

「第三王子の名は、レーヴって言うんだ」

 その言葉に、彼女が息を止めたのがわかった。同時に、白目の範囲が倍になるくらいに目を見開く。


「まさか……。あんたがそうだって言うつもりじゃないよね……」

 突き出した人差し指は、かすかに震えていた。掴んでいた腕を放し、代わりに指先をそっと握る。

「また秘密が増えたけど、今回も黙っておいてもらえるか」

 相手は口を半開きにしたまま、返事をしなかったが、構わず続けた。

「前に話したルノアは、王族の家庭教師だった人だ」

 それから、一度死に、ルノアの師匠に蘇生されたこと、それ以前の記憶がほとんどないことを伝えた。

「生まれ変わったとか、信じられない……」

「それについては、確証があるわけじゃない。計算が得意になってたとか、性格が豹変したとか、そのくらいで」

「いえ、ちょっと待って――。そうだ、今、思い出したっ。あんた、マスターオークを倒したとき、重力制御と火炎を同時に使ってたよね。あのときは気が動転して、全然気づいてなかったけど――よくよく考えたら、あれって異常なことじゃない?!」

 人が同時に使えるアビリティは一つだけ、という例の制約か。


 本来の体に備わっていたスタイルに、転生によって二つ目が生じたと考えれば、説明も可能ではないか、と彼女は興奮して言った。

「心臓が右にあるってくらい、特異な存在だよ、きっと」

 これまで、記憶とも言えない、不確かな感覚だったが、今の仮説は、生まれ変わりの証明として、確かに説得力があった。

「それはともかく――あんたが王子だってことを、他人が確かめる方法はあるの?」

「今のところはまだ……。ルノアによれば、部屋からほとんど出なかったみたいで、顔を知っている人間すら、数えるほどだったらしい。何かあるとしても、それは王宮の中で、ただ、今はもう敵の支配下だ」

「仮に――あんたの話が本当だとして、これからどうするの?身分を明かすつもり?」

「そこまでは考えてない。今日のところは、リーズを絶対一人にするつもりがいないことと、それなりの血筋を持った人間が味方にいることを伝えたかっただけなんだ」

 目を見据えると、彼女はかすかに頬を染める。

「確かにあんたの力はすごいよ。その理由の一つが、スタイルの継承をその力の源として繁栄してきた王家の一族だから、って言われたら――それなりに信憑性はある気がする」

 そう言った表情と声音の中に、明日への希望の光を感じ取ったのは決して思い過ごしではなかったと思う。


 面会が終わり、ユスティナに礼を述べ、辺境伯とともに建物を出た。

「随分と長かったが、何か話せたのか」

「ええ、どうにか」

 ひとまず、アンナリーズを失意の底から助け出すことには成功したと思う。

 とはいえ、物理的にあの牢から助け出すための方法は、今のところ何も思いつかなかった。

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