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8-1

 屋敷に戻ったのは、夜もふけた時間だった。

 調理場の明かりが消えていて、それはすなわち、使用人がすべて自室に戻っていることを意味する。

 玄関を静かに開け、そっと扉を閉めたとき、背中に人の気配がして、思わず飛び上がった。

 そばにいたのは、険しい面持ちのアンナリーズだった。

 父親が殉職してから、会うのは初めてだ。

 無言の彼女は、服が触れるほどに近づき、鼻をレーヴの首元に寄せたあと、暗がりでもはっきりわかる程度に表情を歪めた。


「どこに行っていたの?」

 これまでに聞いたことのないような、凄みのある低い声だ。

「本校、だけど。いったい何が――」

「まさかとは思うけど、皇女と一緒だった、ってことはないよね」

 そう言われ、直前の行動の意味を知った。彼女も一度、身代わりになる際に本人と会っている。そして、かすかにではあるが、薔薇の残り香が、シャツのあたりから漂っていたのだ。

 ウソを見逃すまいと、瞬きもしない相手の態度に、気圧される。


「一つ教えて。あんたは、お父様やわたしより、皇女のことが大事なの?」

 石造りのエントランスホールに響くその声は、いつの間にか、より大きくなっていた。

「まさか。そんなはず――」

「だったらっ。どうして、わたしの部屋には来ないくせに、帝都には行くのっ?」

「それは、ヘンドリカさんの――」

「言い訳しないでっ」

 教えてと言いながら、相手の言葉を聞く気配がない。

 秘めていた言葉を口にしたからなのか、感情が制御できなくなっているようだ。


 それまでも、しばらくは目を潤ませていたが、やがて、顔に手をやり、号泣し始めた。

「あのとき、あの女がすぐに治癒してくれていれば、お父様は助かったかもしれないのに」

 そう言われて、返す言葉はなかった。

 皇女は、おそらくは本人の意思とは無関係に、あの場にかつがれ、あるいは、退避させられていたのだろう。ただ、唯一の身よりを失くしたばかりの少女に、そんな実情を話して、何になるというのか。


「わたしが、オークの皮を売らなければ、お父様は死ぬことはなかった……」

 涙声から発せられたのは、父の死の理由を一人でずっと考え続け、負の思考の連鎖の中で生み出された、決して誰も幸せにならない、過去の自分を咎める言葉だった。

「それは違うと思う」

 そんな慰めをかけることもできない。

「あんただけは、味方だと信じてたのに――。平民を頼ったわたしがバカだったんだ」

 誰かに責めを負わせなければ、きっと魂が消えてしまうほどに絶望していたのだと思う。


「ごめん」

 あのときの判断が間違っていたから、というより、目の前の少女の悲しみを癒せないことに対して、無意識にそんな言葉が口をついていた。

 だが、不幸のどん底にいた彼女が聞きたかった言葉はそれではなかったのだと思う。

 凶事が重なり、怒ることにすら興味がなくなったように無の表情になったかと思うと、目線を下げて、驚くほど抑揚なくこう言った。

「身分もお家も友達も、何もかも無くなった。残ったのは借金だけ。わたしの人生はもう終わったんだ」

 自らに死刑宣告するかのようなその態度に、呼吸することすら忘れていた。

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