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6-6

 テューダー男爵の部隊が出発したあと、第二陣が移動を開始するまで、四半時ほどの時間が置かれたのは、今回の偵察任務の中で、彼らがただの先頭というだけでなく、炭鉱のカナリアの役目も負っているからだ。

 何も起きないでいてほしいと、心から願っていたが、その祈りが神様に届いていないように思えたのは、悲観的すぎるだろうか。

 前段の小隊の最後尾が見えなくなるのを待って、カトリアは鞍上から、自身の配下に向き直り、毅然とした声を上げた。

「では我らも出陣する。偵察とはいえ、気を抜くな」

 副官のジルドが、恐怖心を和らげようとしてくれたのだろう、笑ってレーヴの肩を叩いた。

「お前も随分と腕を上げたからな。期待してるぞ」


 進軍を始める横で、帝国の本体は、まだ全員が集合すらしていない。

 ソーサラーは、何人かいるようだが、士官学校から選ばれた新人ばかりらしく、フリッツ以外のすべてが最後尾の近衛の中だ。

 本気で戦闘のことを考えているとは思えない。

 もっとも、標準的なスタイルから生み出される火炎程度では、オークに致命傷を与えることができず、逆にゴブリンなら剣でも対抗できるため、形式的な意味合いしかないのは確かだ。

 唯一、必要とされそうな治癒の力は、未だ姿を見せていない、最大の庇護対象である皇女だけに備わっているという、いびつな状況だった。


 アンナリーズやカトリアであればともかく、他の兵士たちに危機が迫ったとき、霊石を外すべきかどうか。

 いくつもの迷いを持ったまま、野原を歩き、川をわたる。


 太陽が正午を過ぎて間もなく、旧王国との国境が近づいた。

 はるか遠くに見える先頭は、草原から森の中を通る一本道へとかかるところだ。

 木深い(こぶかい)場所で、もし戦闘になれば、隊列を維持するのが難しくなるなと、そんな不安を覚えてしばらくしたときだった。

 どこかで、雄叫びが聞こえた気がした。

 遅れて、進軍が止まり、ほとんど同時に森のあたりで黒ののろしが上がった。


「会敵したぞっ」

 声とともに、剣を抜く音が、前方から順送りされてきた。

 敵が獣鬼なのか、人間の部隊なのか、状況を確認したいが、雑木に遮られ、様子が窺えない。

 続報を待ちかね、単独先行の許可をカトリアに申し出ようとしたときだった。

「全軍、皇女殿下を守れっ!」

 叫び声がして、うしろに振り返ると、空に紫の火球が上がっていた。

 挟撃だっ。

 そう考えたのは短い時間だった。


 今、レーヴたちのいる場所が、平野であることを再認識したのだ。

 もし、敵がそうするなら、全軍が森に入ったあとに仕掛けるはずだ。

 カトリア隊より後陣の兵士たちが、波が引くように、いっせいに来た道を戻り始める。

 前もうしろも、敵の詳細は不明。ただ、戦力は片側に偏った。しかも、近衛にはソーサラーもいる。

 男爵を助けるべきではないかと、彼女に進言しようとしたとき、皇女には身代わりがいることを思い出し、愕然とした。


 前に向かおうとしていた体に急ブレーキがかかる。

「隊長、オレもあっちに行っていいですかっ」

 許可の返事を聞くより前に、後方に向かって駆け出していた。

 中隊規模の歩兵が移動しているせいで、周囲は土けむりで視界がほとんどない。

 のろし代わりの火球を目指して進んで間もなく、突然、足を止めた兵士が目の前に現れ、その背中にぶつかってしまった。

「おい、大丈夫か」

「すみませんっ。敵は?」

「それがよくわからん。戦闘している気配はないんだが」


 見ると、軍勢が無秩序に広がり、全員が同じ方向を見ている。

 人垣を強引にかきわけ、どうにか前進し、ようやく集団を抜けて最初に目にしたのは、すぐにそれとわかる、二両の豪奢な装飾の馬車だった。

 特にきらびやかなうしろの馬車には、近衛の歩兵がついているが、誰も棒立ちで、危機感がない。どうやら本陣は無傷のようだ。

 それとは別に、かなりの速さで遠ざかる小型の馬車があって、その窓から士官学校の制服がわずかに見えた。


 どうやら、あれに乗っているのが皇女のようだ。

「あの――」

 事態を確認すべく、そばの兵士に声をかけたとき、そう離れていない場所から、怒号がした。

「俺がやったんだぞっ」

 見ると、一団から離れたあたりで五人の兵士たちが、何やら言い争いをしていた。

 彼らの視線の先には、剣が数本転がっていて、そばには小さな黒灰石と、穴が複数空いた薄い皮が一枚。

 どうやら獣鬼を誰が仕留めたのか、戦果を争っているらしい。

「坊主、どうかしたか」

「えー……と。敵は一体だけだったんですか?」

「ああ、そうだ」


 彼の話によれば、現れたのは小型のゴブリンで、宰相たちが馬上から飲み捨てた酒瓶につられてやってきた、ということのようだ。

 その程度で全軍を集めるだなんて。

 指揮官の無能さにあきれたときだ。

 皇女が乗っていた馬車の扉がわずかに開き、中にいた人間と視線が交差した。

 そこにいたのは、実用性のない華美な装具の軍服を着用し、ローズゴールドのかつらを身につけた、どこからどう見ても、アンナリーズだった。

 彼女はレーヴを見て、慌てたように扉を閉める。

 不覚にも、そのときまで忘れていた。彼女の父が戦闘中であることを。

 慌てて体を反転し、全速力で前方へと駆けた。


 森の入り口あたりで、カトリア隊に追いついたが、一本道は思っていた以上に狭く、進軍に手こずっていた。

「先に行きますっ」

 人ひとりくらいなら、と雑木に突っ込んだが、草木や枝の抵抗が想像以上にあって、最前線にたどり着くまでにかなりの時間がかかる。

 これまで何度も嗅いだことのある、嫌な臭いの元にようやくたどり着いたとき、そこで目にしたのは、全滅した小隊だった。


 無秩序に横たわる兵士たちは、生死の確認が無意味だと即断できるほどの裂傷を負っていた。

「テューダー男爵はっ?」

 同僚たちの救助をあきらめ、ぼう然と立ちすくんでいた一人に声をかけると、彼は無言で首を振り、指を前に向けた。

 その先に見えたのは、ひときわ大きな男の体だった。

 彼は周囲の地面を真っ赤に染めて、前向きに倒れていた。両手に太い剣を持ち、一方の先には外皮が残っている。

「オークが二体、現れたんだ。一体を倒すのに小隊が全滅した。残りの一体は、男爵が刺し違えたんだ……」

 死体を見るのは、これが初めてではないせいだろうか、以前のときのような吐き気は起きない。ただ、言いようのない、居心地の悪さに襲われた。


 あのとき、うしろに向かわなければ、男爵を含めた何人かを救えたのだろうか。

 判断が正しかったと、言い切る自信がない。

 オーク相手であれば、アビリティを使わずに対峙することは難しかっただろう。結果として、レネゲードだと露見せず、今後も辺境伯の屋敷に留まり、あるいは学校に通い続けることはできる。

 だが、引き換えに、アンナリーズが絶望の底に投げ出され、レーヴへの信頼が失われたのだとしたら――その代償はあまりに大きすぎた。

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