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6-4

 危機感の見えない帝国の軍人たち、どこか納得のいかない辺境伯領の貴族たちがあとに続く。

 最後に、当主とその娘、それにビュルテルマン子爵の三人が残った。

 ヘンドリカと二人、あと片付けをする横で、子爵がテーブルをドンと叩いた。

「あり得ませんぞ。獣鬼と我々エステルハージ領の部隊を戦わせる。で、敵が弱ったところにノコノコ現れ、手柄を横取りするつもりだとしか思えん。そこまでして皇女の評判を上げようなどと、そんな下衆な策略をいったい誰が描いたんだっ」

 顔を赤くする彼に、辺境伯は小さくため息をついた。

「宰相だろうな。自分の出世のためであれば、皇帝ですら利用するやからだそうだ。カトリア。お前の意見を聞かせてくれ。国境付近は安全なのか?」

「コベロス周辺は安全だと思われます。それまで頻出していた獣鬼が、ここ一月ほど、目撃されていません。その獣鬼についてですが、一つ、奇妙な情報を耳にしました。あくまで噂なのですが――」

 噂といったが、彼女の口調からは、それがただのデマだとは思っていないようだ。

「以前、村の住人が森へ野草の採集に行ったとき、オークと遭遇したのですが、それが、ボロボロになった衣服を身に着けていたらしいのです」


 獣鬼に知性がないことは、周知の事実だ。風か何かで偶然、体にまとわりついたのだろうと、聞かされたときは、そう思ったそうだ。

「ですが、そのオークの顔が、三年ほど前、行商に出たきり、戻ってこなかった男に似ていたというのです。気づいたのは、男の許嫁だった女で、信憑性は低くないように思えました」

「つまり、お前はオークが人の死骸から生じた種だと、そう言いたいのか」

「――ええ」

 親娘二人が黙るのを見て、パウリーノは両手を天に向けた。

「馬鹿げてる、と言いたいところだが。オークについてはほとんど研究が進んどらんからな。仮にそうだとして、最近、たびたび遭遇する理由の説明は可能なのか、少尉」

「そこまでは、わかりません」

 彼女は困ったような表情を見せたあと、食器をワゴンに移していたレーヴを見た。

「キミはどう思う」

 その発言に、部屋にいた全員の顔が一点を向いた。


「どうして使用人なんかに聞く」

 子爵が怪訝そうにするのを見て、辺境伯が口をはさんだ。

「こやつには、当館で執事の補佐を任せている。意見は傾聴に値することが多い。何か考えがあるなら言ってみなさい」

 意見といっても、直前にルノアからもたらされた新事実くらいだ。伝えるにしても、情報源に余計な疑念を持たれぬようにしなければならない、か。

「そう、ですね。オークの元が、少尉のおっしゃるように人だとして、これまでほとんど発見されてこなかったのは、大陸の多くの国では、遺体を火葬する習慣があったから、と考えれば、説明は可能かと思います」


 子爵が真顔になった。先を続けろ、とそんな圧力を感じる。

「獣鬼誕生には、黒灰石と、腐敗前の死体が必要なのは周知の通りですが、その腐敗前、という状態に、もし生きた人間が含まれるのだとしたら――」

 言葉を選んでそう言うと、彼は、心底不快そうな表情に変わった。

「まさか生者(しょうじゃ)を獣鬼にしたというのかっ。神への冒涜だっ。そのような邪悪の行為が許されるはずがないっ」

 パウリーノが吐き捨てるようにそう言うのと、ほとんど同時だった。


 パリン。

 部屋の中に心地良い音が響く。

 見ると、手元の皿を落としたヘンドリカが真っ青になり、体を震わせていた。

 カトリアが慌てたようにそばに立ち、そっと肩を抱き寄せた。

「大丈夫、私たちの領地は安全だ」

「その通りです。今のはあくまで想像の中で最悪の展開で、現実はそうはなっていないと思います」

「それはどういう意味だ、少年」

「自由自在にオークを増やせるなら、王国以外の他国へも進軍していると思うんです。ですが、実際にはそうなっていない。つまり――」

「黒灰石は簡単に人とは結合しない、と?」

「ええ」

 ルノアもそんなことを話していた。おそらく適性のようなものがあるのだろう。

 安心させるつもりだったが、ヘンドリカの感情は高ぶったままだ。顔に手をやり、嗚咽を漏らした。


 カトリアが彼女を部屋の外に連れ出したあと、テューダー男爵は小さく息をはいた。

「貴様の推測が本当であることを祈るしかないな。そんな半人半獣に次々と攻め入られては、我々などひとたまりもない。戦争のあり方が変わってしまう」

 先陣を切る部隊の将として、やりきれない思いに違いない。

 うつむいたその表情に、アンナリーズの横顔が重なる。

 彼女を悲しませないためにも、明日の進軍には同行し、獣鬼と遭遇するようなことがあれば、重力制御の力の解放をためらってはならないのだろう。レネゲードの烙印を押されたあと、どんな生活を送ることになるのか、などと、そんな不確かな未来を憂いている場合ではないのだ。

 それを理解してなお、胸の中のためらいを捨て切れなかったのは、ひとえに、レーヴの、王子という身分があったからにほかならない。

 一人の若者としてならともかく、遠くない将来、王国全土の民の行く末に影響を与えるかもしれない決断を、簡単に下してしていいのかどうか。


 いっそ、コインで決めようかとヤケになりかけていたとき、部屋の入り口がノックされ、執事が姿を見せた。

「お館様。来客です」

「誰だ、今頃」

「それが――」

 彼が答えようとしたとき、その体を押しのけるように、髪の薄い、太った男が姿を見せ、辺境伯が、驚いた表情で、入り口へと駆け寄った。

「ゲラーシ宰相閣下……。いったいどうしてこんなところに」

「どうしても何も。皇女殿下が明日、ご出陣されるのですから、小職が同行するのは当然のこと。宴会に間に合うよう来るつもりでしたが、もう終わったようですな」

 そう言って、まるでおもしろくもないのに、がははと笑った。


 六十を超えていそうだが、目が異様な光を放っていて、口調が力強い。

「ご安心なさい。皇女殿下は、治癒の力を持ったソーサラーです。部隊に被害が出たとしても、慈愛の心でお救い下さるでしょう」

 どうやら彼女は、明朝、多くの民衆に見送られながら帝都を立つらしい。

「では、明日に備えてそろそろ休みますかな。おい、お前。部屋に案内しろ」

 レーヴに向かって尊大な態度を見せたが、すでに全室埋まっている。猫の寝る場所もない。

 ヘンドリカを探そうと扉に手をかけたとき、背中から辺境伯の声がした。

「私の部屋を使え」

「――承知しました」

 屋敷を出て、趣味の悪い装飾の馬車から宰相の荷物を運び入れるとき、身なりの派手な、いかにも娼婦とおぼしき女が二人、一緒についてきた。

 前線では、命がけの戦闘が行われるかもしれないというのに――。実質的な最高責任者がこれでは、兵士たちが浮かばれない。


 部屋に荷物を運び、怒りが外に出ないうちに、さっさとその場を離れようとしたが、彼は閉めかけた扉に手をかけた。

「おい、貴様。一番高い酒を持ってこい」

 内心では、もちろん、ふざけるなと言いたかったが、眉一つ動かさずに、頭を下げる。

 酒の価値などわからず、調理場から適当な二本を選び、三階に戻ったときだ。

 完全には閉まっていなかった扉から、男たちの会話が漏れ聞こえてきた。

「閣下。万が一、撤退することがあれば、テューダーの娘を身代わりに残してはいかがでしょうか。背格好は皇女殿下そっくりでしたし、服と髪型だけそれらしくすれば、遠目にはわかりません。それに、もしものことがあったとしても元は罪人ですから」

 そう言った声には聞き覚えがあった。確か晩餐会場にいた、帝国の将校だ。

 続けて、宰相の下卑た笑い声が響く。

「それはいい。近しい者から密告されるような貧乏貴族だ。どうせ、親も無事ではいられんのだろうしな」


 皇女は、士官学校の本校の生徒でもあると聞いている。将来、兵士の指揮官になる人間で、無様に退却する姿を見せられない、という立場は理解できなくもない。ただ、レーヴにとって、もっとも身近な人間を、人形のように扱われた気がして、これまでに感じたことのない怒りが胸に宿った。

 尊敬すべき当主の部屋に女を連れ込み、好き勝手にしているという状況も我慢ならない。手にしていた酒瓶を床に叩きつけたい衝動にかられたが、その部屋の主が宰相を前に感情を押し殺していた姿を思い出した。

 必死に平常心を保ち、屋敷にきて以来、もっとも低劣な任務をどうにか終えたものの、胸の中にある熱の塊は冷え切っていなかった。

 それが最後の決断の後押しをしたのだと思う。

 気づいたときには、二階に駆け下り、元は夫人のワードローブで、今晩だけ辺境伯の寝所となった部屋の扉を叩いていた。


「入れ」

 彼は着替えもせず、壁際に置いた簡易ベッドに腰かけ、開けた窓に向かい、タバコをくゆらせていた。

「何の用だ」

「珍しいですね。当主様が吸われているの、初めて見た気がします」

「連れ合いが死んだとき、やめたんだ。よく煙たがられていてな。この部屋に久しぶりに入って――」

 彼はそこで口を閉ざし、タバコを灰皿に押しつけた。

 領地のほとんどの人間にとって、得にならないような政争に巻き込まれただけでなく、義弟が窮地に追い込まれた状況で、いったい何を考えているのだろうか。


「それで。何か用があったのだろう?」

「明日、オレも同行させてもらえませんか」

 カトリアを将とするエステルハージ隊は、テューダー隊から数えて、小隊で二つあとの配置だ。危険の度合いが著しく高いわけではないが、敵が未知である以上、もちろん、安全とは言えない。子供が行く必要はない、などと拒否するのだろうと予想していたが、クリストバルはまるで何の感情も声に乗せずにこう答えた。

「好きにしろ」

「え……。いいんですか?」

「カトリアが剣術の腕を見込んで、わざわざ士官学校に推薦したんだ。何か理由があるんだろう。それとは別に、お前が優秀であることは、十分にわかっている。だが、無茶はするな」

 あっさり許可されたことで、信頼されているような気になり、上階での不快感が多少は薄まった。

 早い朝に備えて少しでも体を休めたほうがいい。早足に一階へ戻ったときだった。


 廊下の油灯の下に、壁を背にした人の姿が見え、ぎょっとした。

「リーズ……。何しているんだよ。実家に戻ったんじゃなかったのか」

 だが、彼女は目を合わそうとしなかった。

 夕方に話して以降、それなりの時間が経っていたにもかかわらず、あのときと同じく負の気配しか感じられない。

 果たして、その第一声はまたしても苛立った口調だった。

「カトリア姉様とも、仲が良いんだね。わたしには何も話しかけてこなかったくせに」

 そう言って、視線を落とした。

 姉様とも、ということは――やはりルノアからつながっているということか。


 そんな指摘を受けるほど、どちらとも長く接していた記憶がない。そもそも、使用人の立場で、パーティの出席者に声をかけることなどできない。会話が成立するのは、相手から話しかけられたときだけだ。さらに言えば、カトリアがそばにいた時間より、フリッツと話していたほうがずっと長かった。

 その事実を簡潔に訴えようとしたとき、相手が再びレーヴに向き直る。

 一度何かを言いかけ、口をつぐみ、それから、静かに続けた。

「明日……あんたはどうするの?」

「同行を許可された」

「そう。それなら少しは安心かな。お父様が危なくなったら、助けになってくれるよね」

 それまでとはまるで違って、沈んだ声でそれだけ口にすると、レーヴの返事を聞くことなく、小走りに玄関へと駆けて行った。


 不安定な言動の理由は、逮捕され、心の整理をする間もなく父の出陣が決まったから。気が休まるときがなかったから、だろう。

 今のレーヴには、他に答えが見つけられなかったが、それが正解である気もしなかった。

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