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6-3

 友人の機嫌を損ねた訳がはっきりしなかったが、その原因を深く考察する間もなく次々と作業に追われ、慌ただしく時間がすぎる。

 夕方になり、カトリアとジルドが姿を見せた。

 久しぶりの親娘の再会だというのに、辺境伯は、わかるかどうか程度にうなずいただけで、抱擁はおろか、声をかけることもしなかった。


 立食形式の食事の準備が整った頃、見計らったように、帝国軍の本体が到着した。

 すなわち、近衛の第二中隊長を指揮官とする、総勢三百人ほどの部隊だ。

 斥候にしては数が多すぎる。一戦を交えるには、兵力がまるで足りない。テューダー男爵の推察通り、皇女の経歴を飾るためだけの儀式、という推測が真実味を帯びる。

 会場に案内された上官たちは、辺境伯から歓待を受けたあと、貴族たちを紹介され、互いに盃を交わした。


 宴もたけなわとなった一頃、ホールの入り口の扉が開いたかと思うと、その周辺から雑談がやみ、あっという間に室内は静寂に包まれた。

 全員の視線が一つの方向に向いている。

 衆目の中心に現れたユスティナ・ブラジェイは、以前に会ったときと同じく、どこか乗り気でないように見えたのは気のせいだろうか。


 彼女は、用意された小さな踏み台の上に立ち、全員に向き直った。

「このたびは、急な招集だったにもかかわらず、多くの同胞が参加してくれたことに、まずは感謝いたします。本軍の最高司令官であらせられる皇女殿下も、たいそう喜んでおいででした」

 給仕のため、壁際に立っていたレーヴのそばに、またフリッツがやって来た。大人ばかりで、話し相手がいないのだろう、学校にいるときよりずっと友好的だ。

「断れるわけないのにな。だいたい、現場に来ない最高司令官とか、説得力がなさすぎだよ」

 それから、出陣する貴族や、士官たちが、行軍する順に紹介される。

 聞かされていた通り、最初に呼ばれたのはテューダー男爵だった。

 アンナリーズは、カトリアが戻ってからはずっとそばで楽しげにしていたが、その瞬間、表情を曇らせた。


 指揮官の挨拶のあと、レーヴは中庭の一般兵士たちの給仕に借り出された。

 人数が屋内の比ではなく、料理があちこちでなくなり、その都度、厨房へと走る。

 月が天空を半分ほど移動し、準備していた材料が尽きかけた頃、ようやく宴会が終わりを告げた。

 少しでいいから座りたい、という願望は、あっさり却下される。このあと、辺境伯の執務室に指揮官たちが再集合して、具体的な作戦の確認をするのだという。


 その日、最初の食事は、宴会の残飯だ。厨房で立ったまま腹に詰め込み、会議の準備に移ろうと、廊下に出たところでカトリアと遭遇した。

「久しぶりだな」

「お元気そうで。その後、どうですか」

「キミが予言した通り、あれ以来やつらの襲撃はない。ジルドと暇にしている。そういえば、あの娘と偶然再会したよ」

「そうみたいですね――。明日は出陣されるんですよね。詳細は明かされたんでしょうか」

「いや、おそらくこれからだろうな」

 顔を赤くした帝国の士官たちを彼女は横目に見た。

「そうでした。オレもまだ仕事が残っていたんだ。失礼します」


 広間の後片付けを助っ人の村人たちに任せ、三階に駆け上がると、ヘンドリカはすでに準備を始めていた。

「遅れてすみません」

 酒とお茶と茶菓子をテーブルに並べ、どうにか形になったと二人で安堵の息をはいたとき、扉が開いた。

 姿を見せたのは、辺境伯とテューダー男爵、フリッツの父であるパウリーノ・ビュルテルマン子爵、他に領地の貴族が二人。帝国軍は、ユスティナの他は、尉官の記章をした人間が三人。おそらく、邸内に宿泊する連中だろう。

 最後に入室したカトリアが扉を静かに閉めるのを待って、宴会のときと同じく、最初に中隊長が声を出した。


「それでは、明日の進軍について、最終確認をいたします」

 彼女が下士官から地図を受け取っているとき、声がした。

「その前に、一つ、よろしいですかな」

 手を上げていたのは、パウリーノだ。

「まだ、行き先を知らされていないのは、当方だけですかな。それと、本日、王国の敵についての情報が明らかになると、そんな噂も聞いておったのですが」

 ユスティナは眉一つ動かさずに彼に目をやった。

「隣国に侵略しているのは、ルーシャです」

 何の感情も見せずに言った彼女の答えに、辺境伯側の貴族から「おおっ」という喚声が起きた。

 ただ、帝国軍の面々は、まるで表情を変化させず、どうやら彼らの間では、周知となっているらしい。


 その対比を冷ややかに見つめていた辺境伯が、中隊長の前に進み出た。

「王国は敗れたのか?」

「まだそれは確定していないはずですが――いったいどこからそんな情報を?」

 ユスティナは驚いたようにそう言った。

 敵軍は王宮深部まで侵攻した。国王一家が討たれたことは、レーヴの記憶とルノアの話を総合すれば、間違いないはずだが――帝国の中枢にもまだその情報は届いていないということか。

 彼はレーヴを横目で見てから続ける。

「苦戦しているのは確かなのだろう。兵力も、ソーサラーの数にも相当な差があったはずだ。いったい何があった」

 彼女は小さくうなずいてから、口を開いた。

「まさに、それがビュルテルマン子爵の最初の質問の答え、すなわち、今回の目的になります。連中は、獣鬼をどこからか集め、それを前線に放っているらしく、王国との国境に出向き、その真偽を確かめていただきたいのです」

 その言葉に、テューダー男爵は表情をこわばらせた。予想していたとはいえ、想定と確定とでは重みがまるで異なる。


 当主は、義理の弟のそばに寄り、ユスティナに向き直った。

「まるで明日の行軍で、獣鬼と遭遇することが前提になっているかのような言い草だな」

 声はそれまでと同じだったが、語調に怒りを含んでいることがレーヴにはわかった。だが、それを知ってか知らずか、彼女はまともに相手をする気がないらしい。

「いえ、まさか。それは神のみぞ知るところです」

「では別の質問だ。連中はいったいどうやって、獣鬼を戦力にしているのだ」

「それもわかりかねます」

 中隊長は、またしても素っ気ない返事をして、追加の質問を拒むかのように、部屋の中央の長机に地図を広げ、作戦開始時刻と、偵察部隊の陣容、そしてそれぞれの役割についてだけ、短く説明した。


 概要は事前に聞かされていた通り、露払い役のテューダー男爵以下、辺境伯側の部隊によって、十分に安全を確認された行路を、ゆうゆうと帝国軍が進み、しんがりが近衛ということだ。

 そして、驚いたことに、最後尾に、皇女本人が乗車する馬車が参加すると表明があり、静かだった室内が騒然とした。その事実は、軍人たちも聞かされていなかったようだ。

「中隊長殿、その必要性はあるのですか?いくら偵察任務とはいえ、危険はゼロにはなりません」

「これは決定事項となります。殿下の出陣を、民に見せることが何より重要との判断です」

 誰の決断かは口にしなかったが、政治的な思惑であることは確かなようだ。

「他に、何か異議や質問はございますか」

 使用人が発言することなど、許されるはずもなかったが、気がかりは確かにあった。


 一つは、進軍経路だ。

 エステルハージ領を出たあと、内陸を進むことを彼女は指示した。ただ、獣鬼は海を嫌う。コベロス村では例外もあったが、相対的に、危険性の度合いは低いはずだ。森の中では、背丈ほどもある草木や、木立ちの陰で、敵の発見が遅れる危険性もある。

 そんな道をあえて選ぶ理由は、おそらく三つ。

 指揮官に危機感がまるでないか、会敵しない自信があるか、あるいは――逆に、敵に襲われることが前提となっているか。

 もう一つの懸念は、帝国軍のソーサラーの配置だ。数人だけ同行させているようだが、すべて、近衛に張り付く陣形だった。

 まさか、前の部隊を捨て駒にしようとしている、とは思いたくはないが――。


 誰かから、そのことについて指摘があるのかとしばらく見守っていたが、貴族たちは顔を見合わせただけで、誰も声を発することはなかった。

「では、最後に重要な確認です。紫の火球が上がったときは、非戦闘中の者はすべて、可及的速やかに、皇女殿下の護衛に移行して下さい。それでは、今日は散開となります。大変ご苦労様でした」

 どこかほっとしたように見えた彼女は、早口に会議を終わらせたかと思うと、逃げるように部屋を出て行った。

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