5-2
途中、何度か休憩をはさみながら、目的地に到着したのは、日が暮れかけた時間だった。
長い道中、こんな事態になった理由をあれこれ考えた。
行商人が、わざわざ憲兵に訴えたりしないだろう。何の得もないばかりか、彼自身が、身ぎれいというわけでもないはずだ。
それ以外で、外皮を売ったことを知っている人間か。
少なくとも三人だ。課外授業のとき、彼女が得意げに話してしまった。
その中で、もっとも可能性があるのは――やはりカエサルか。
「さっさと外に出ろっ」
気づくと扉が開いていた。
相手が子供だというのに、軍人はまるで容赦がない。
食事はおろか、一度も外に出ることが許可されず、膝と腰に痛みがあって、立ち上がるのにも一苦労だ。
馬車を降りたとき、目の前に見えたのは、周囲を背の高さほどの塀に囲まれた、大きな建物だった。
見える範囲の街並みから判断するに、どうやら帝都に連れてこられたようだ。
背中を小突かれ、中へと誘導される。
ようやく縄をほどかれたのは、スタイルの検査を終え、木の机が一つと、椅子が数脚ある部屋の中に放り込まれたあとのことだった。
入り口の両側に、剣を持った軍人二人が立つ。
アンナリーズと並び、椅子に座らされて間もなく、憲兵とは明らかに異なる、白を基調とした制服を着用した、背の高い女が入り口に姿を見せた。扉から椅子まで音もさせずに移動する間、背中までの青みがかった髪が揺れる。
彼女は口元に笑みを浮かべ、それに反して、驚くほど冷たい目をアンナリーズに向けたまま、静かに腰を下ろし、脚を組んだ。
「私は近衛師団第二中隊長を拝任している、ユスティナ・ブラジェイと申す者です。アンナリーズ・テューダーさん、ですね。お父上はアドリアーノ・テューダー男爵で間違いないでしょうか」
これまでの待遇からは想像できない程度に、丁寧な態度だった。おそらく三十前後だろうが、その大人びた口調が妙に誇張されたように聞こえるのが印象的だ。
肩の階級章は少佐で、いわゆる出世頭というやつか。ブラジェイって、どこかで聞いたような名前だけど――。
「こんな扱いを受ける意味がわからないんだけど。理由を教えてもらえる?」
アンナリーズは気丈に相手の目を見据えた。
「理由、ですか」
ユスティナは腕を組み、一度天井を見上げたが、すぐに体を戻すと、机に両肘を置いて身を乗り出した。
「単刀直入にお伺いしますね。マスターオークの外皮をどうやって手に入れられたのですか?」
どうやら先の質問に答えるつもりはないらしい。
「拾ったんだ」
彼女は短く答えたあと、移動中に準備していたのだろう、台本を読んでいるかのように、あの日、レーヴと二人で歩いた国境の森で目にした情景を話した。
だが、尋問者は、そんな物語に興味を抱いた気配がない。最初から決めていたかのように、次の質問を続けた。
「拾った、ですか。商人から現物を押収しておりますが、かなり良好な状態でした。となれば、黒灰石も、当然、近くに落ちていたはずですよね」
「それは……知らない。雑草が多かったし、見逃したんじゃないかな」
どうやら彼女はウソが苦手らしい。そう言った声は、おそらくは、部屋にいた全員に気づかれる程度に震えていた。
だが、ユスティナは、少女を見据えたまま、それを指摘することもしない。
「王国との国境周辺では、大小多くの獣鬼の目撃情報が、いくつも寄せられていました。ですが、誰一人、それらと戦闘、あるいは退治した者はいません。当然ですよね。オーク一体を仕留めるのに、訓練された軍人が何人も必要なんですから。マスターオークは、そんなやつらの中で、圧倒的な頂点に君臨する種であることはご存知だと思います。いったいどうやって、死んだのでしょうか」
「わたしには無理だよ。確かに様式科だけど、スタイルなんか持ってない。それに、仮にアビリティが使えたって、あんなに大きくて、速くて、力の強い相手に、一人で立ち向かえるはずがないじゃない」
まるで目の前にいるかのように、流暢にあの日の場面を描写したことで、彼女が実際に獣鬼に遭遇したことと、それまでの発言がウソだという二つの事実を、大人たちに伝えてしまった。
尋問官はしばらくアンナリーズの目を、瞬きもせず見つめていたが、やがてため息をついた。
「いったいどうやって倒したのか、大変興味がありますが――。今の私には別の任務があるのです。では、裁定を申し伝えますね。罪状は……ええと、何にしたのだったかしら――。では、禁制品の不法所持ということで――」
彼女はそこで、言葉を区切った。
犯罪の事情聴取と言うには、あまりに時間が短い。ほとんど雑談程度だ。
これなら、すぐに釈放されると、そう思った直後に放たれた言葉に、意識が遠くなった。
「禁錮三年といたします」
まるで感情を込めずに、淀みなくそう言った。
禁錮三年だって?!
いくら何でも重すぎる。
そもそも、アンナリーズが真実を語らなかったのは、レーヴをかばうための方便なのだ。
思わず立ち上がろうとして、いつの間にそこにいたのか、まうしろに立っていた憲兵に、背中から突き飛ばされた。起き上がろうとしたところを、麻袋を頭からかぶせられ、首のあたりで紐が締まる。声を出すことはおろか、呼吸するのが精一杯だ。
そのまま廊下を引きずられ、さらに、階段をかなりの段数、降りたあと、最後に蹴られて転がり、ようやく覆いが取り去られた。
最初に目に入ったのは、部屋の角にあった便器だ。周囲は薄汚れた灰色の床と壁で、清潔感がまるでない。
うしろで足音がして、振り返ると、憲兵が鉄製の格子戸に鍵をかけ、去って行くところだった。
突然の事態に、体中に打撲の痛みがあることも、すぐそばに人がいることにも、しばらく気づけなかった。
「わたし、これからどうしたらいいんだろ……」
消え入るような声が斜めうしろから聞こえて、仰天した。
振り返ると、使用人でも使わないような、朽ちかけた木製のベッドに汚れたシーツの上で、アンナリーズが両手で顔を覆っていた。
「大丈夫っ?!」
だが、彼女はそばに寄ったレーヴの胸を強く押しのけた。
「近寄らないでっ」
「あ……。ごめん。ケガはない?」
彼女はしばらく無言だったが、やがて涙に濡れていた顔を上げ、涙声でこう言った。
「もう死にたい……」
「大丈夫だ。警備の状況を見て、オレがどうにかするから。三年もこんな場所にいさせない。そもそも、何かおかしい」
田舎士族のカエサルに、ここまでの影響力があるとは思えない。
いったい何が起きているのか。
必死に思考を巡らすそばで、彼女はひときわ大きな声を上げた。
「あんたの前でしなくちゃいけないんだよ?恥ずかしくて生きていけないよ」
そう言って、弱々しく腕を上げ、指したのは部屋の隅だった。
他に危惧することが多々あるはずだが――年頃の女子としての感性が最優先された事実に、どこかほっとした。
「それなら仕方ない」
首からかけていた革紐を外し、霊石を入れた小袋を手にした。
それを見たアンナリーズが慌てたようにベッドを降りる。
「ちょっと。何するつもりっ?」
「君がお手洗いを我慢して死ぬのを見るくらいなら、オレがレネゲードとして逃げ回るほうが断然いいに決まってる」
「バカっ。わたしがウソをついた意味がなくなるじゃないっ」
「取り調べの前に、スタイルの検査をした。つまり、サーチャーはこの建物にはいないんだと思う。だからすぐに見つかる可能性は低い。オレが先に逃げて、様子を見て、リーズを助けに来るから」
「ダメだよっ。そこらにいるレネゲードとは訳が違う。犯罪者として、帝国から一生追われることになるんだよっ」
「だからって、三年もこんな場所にいるつもりなのか?」
「そ、それは……」
一辺がせいぜい四メートルほどの、冷たく、暗い部屋。明かりは廊下の油灯だけ。仮に食事がふんだんに与えられたとしても、遠からず、健全な精神状態を維持することが困難なのは明らかだ。
彼女はむき出しの便器を一瞬見やり、両手で頭を抱えた。
「脱獄の罪に問われるのは、わたしも、だよね……」
「そこは――どうにかするよ。この牢舎を壊して、混乱させるとか」
どれくらいの囚人がいるのか、鉄格子に顔を密着させ、周囲の状況を確認していたときだった。
兵士が去った方向から、二人の人影が見えた。
一人は軍服を着ているが、うしろのもう一人は、体格のいいスーツ姿で、険しい表情の男だ。
新たな罪人が近くの牢に収監されるのだろうか。
革袋を胸に仕舞いながら、壁まで下がり、様子を窺っていると、二人はレーヴたちのいる部屋の前で立ち止まった。
憲兵が、腰から取り出した金属の束の中から、番号を確認し、一本を鍵穴に差し込む。
ガチャッという鈍い解錠音がしたあと、彼は何も言わずに今来た道を戻って行った。
あとには中年の男だけが残ったが、彼はレーヴには見向きもせず、もう一人を鋭い目つきで睨んでいる。
いったいどういう状況なのだ、という疑問のうち、半分はすぐに明らかになった。
「お父様……」
消え入るような声で、アンナリーズがそう言ったのだ。




