4-6
下僕から、愛犬程度に扱いが良くなったまま、夏学期が始まる。
一つ予想外だったのは、校内でも話しかけることが許されていた点だ。
アンナリーズが、虚栄心が強いだけの貴族だと決めてかかっていたことについては、間違いだったと認めざるを得ない。
再開初日の授業は、校外に出かけての原石採集だった。
原石とは、赤燐光石と黒灰石の総称だ。霊石として利用したり、獣鬼の核になるような純度や大きさの物はほとんど手に入らないが、集めて検知器やポーションを作る程度の砕片程度であれば、見つけることは難しくないらしい。
嫌な予感がして、それはあっという間に現実になる。班の構成は、一年間続くらしく、メンバーは、前回と同じ五人だったのだ。
もっとも、味方が一人増えたことで、中立の一人を除き、対抗勢力とは均衡が取れた状態にはなった。
多くの生徒たちは遠足気分を見せていたが、収集した石の数によって点数がつけられるらしく、普段から成績を気にする人間たちにとっては、試験と同程度に真剣なイベントのようだ。
「僕たちは、国境の森へ行こう。あっちは誰も行きたがらないから、石も多く残っているはずだ」
班長でもあるフリッツは、良くも悪くも能天気な性格だ。何をやっても自分にプラスになると信じて疑わない。
「えー……。そんなの、やめようよ。南の森でいいじゃないか」
ビクトルが情けない声で反論したが、逆に彼らの後押しになってしまう。
「この弱虫が」
カエサルはそう言って切り捨て、フリッツは鼻を高くして続けた。
「やっぱり平民は大局観が持てないんだな。数少ないソーサラーの僕と、剣術で学年一番のカエサルの二人がいる班なんだぞ。その強みを生かさない理由がないだろ。評価は全員が享受するんだから、君たちは黙って石拾いをしていればいいんだ」
学校を出てからも、ビクトルはずっと小声で不満を口にしていて、ただ、最後尾にいたレーヴと並んで歩いていたアンナリーズは、その澄ました横顔に、どこか余裕が感じられた。
「川のほうへ行こう。何日か前に大雨が降ったから、上流から石が運ばれて来てるかもしれない」
森に入ってしばらく、前を行く二人は道をそれた。あまり気乗りはしなかったが、面と向かって意見を言える場でもない。
アンナリーズがそれまでより、一歩、レーヴのそばに近づく。
川原に出てしばらく、目印になる大きめの岩のそばに荷物を置き、採集を始めた。
赤燐光石の確認は、フリッツが詠唱して光るかどうかで見分ける。黒灰石は、分光器という特殊なガラスで虹色にした太陽光の、そのうちの紫の光を当てるとキラキラと反射する性質を利用し、それで判別するのだそうだ。
ただ、分光器は班に一つで、なぜかカエサルが持っていた。
それらしい石を見つけるたび、偉そうにする男子二人に、いちいちご機嫌を伺わないといけない仕組みだ。
アンナリーズはずっとレーヴのそばで行動していて、彼女が見つけた石をすべてレーヴに託したせいで、「確認してもらえますか」と頭を下げる回数が二人分になった。
それでも、どうにか黒灰石の欠片がいくつか集まる。
太陽が真上にきたあたりで昼食をとることになった。
料理長に教わりながら作ったサンドイッチを、アンナリーズの前に広げる横で、カエサルがカバンから瓶を一本、取り出した。
「それ、葡萄酒じゃないのか?」
ビクトルがラベルを見て機敏に反応した。どうやら彼の店で扱っている物らしい。
「一本、金貨一枚もするんだぜ」
校内や授業中の飲酒は禁止されているが、今、それを咎める人間は近くにいない。
「アンナリーズも飲むかい?」
二人が回し飲みをしたあと、差し出された瓶を、彼女は押し返した。
「わたし、お酒を飲むと気分が悪くなるから」
「最初は誰でもそうさ。でも、それに慣れてくると、楽しくなる。それが大人になるってことなんだから」
そう言って、二人で半分ほどを空にした。どうやらこれまでの成果に満足し、午後は、帰るだけのつもりのようだ。
ビクトルが、何人分かという弁当を一人で完食し終えた頃、カエサルが用を足すのだと、草むらに入った、その直後だった。
「うわああぁっ」
たった今、姿が消えたあたりから、絶叫が響き渡ったかと思うと、彼が、ズボンの前にシミを作りながら、茂みから飛び出してきた。
何ごとかと顔を向けた四人の前、必死の形相で迫る級友のあとに続いて姿を見せたのは、ゴブリンだった。
これまで見たオークたちとは違い、背丈は一メートルもなく、皮膚は薄そうだ。よだれを垂らしながら、ひょこひょこという独特な足取りで、カエサルを追っている。
彼の剣は、荷物のそばに転がっていて、丸腰の本人は、ソーサラーの元へと駆けながら叫んだ。
「は、早くっ。アビリティでやっつけてくれっ」
普段のフリッツなら、「貴族の僕がどうにかしよう」などと、得意げになる場面だったが、さすがに動転しているのだろう、詠唱を始めた声は震えていた。
やがて、手のひらから、こぶしほどの火球が、石を投げる程度の速さで敵に向かう。
だが、ゴブリンは、俊敏さにおいては、上位種にも劣っていないらしい。がに股のステップで、その初撃を簡単に交わして見せた。
攻撃面において、氷や風よりも強いはずの、最初の選択が無力であることを早々に悟った彼は、あっという間に体の向きを変えた。
「いったん逃げよう」
それが指示だったのかひとり言だったのかは不明だ。
「おい、待ってくれっ」
悲壮な声を上げ、カエサルがあとを追おうとして、石に足を取られ、前向きに倒れる。
感情のないはずのゴブリンが笑ったように見えたかと思うと、それはあっという間に彼のそばへと近づく。
「レーヴっ。助けてあげてっ」
アンナリーズの指示より前に、足下の石を手にしていた。敵目がけて投げつけたが、普段、練習していないことは、実戦でも役に立たない。
それはかすりもせず、明後日の方向に飛んで行った。
ただ、相手の注意をそらせる、という目的は達成したようだ。
小さな獣鬼は、最初にレーヴを、それからすぐ隣に視線を移動させたかと思うと、アンナリーズ目がけて、突進してきたのだ。
「ちょっとっ。何でわたしなのっ」
そう言って、レーヴの体を盾にした。
ビクトルは、いつの間に逃げたのか、かなり離れた木陰から、この混乱劇を遠見している。
こんな状況でアビリティは使えない。
ただ、切り札があるという安心感と、もっと強い敵と戦った経験が、心に余裕を与えていた。
外皮の硬さはオークより劣るはず。人に対する優位点は、おそらく軽快な動きだけだ。しかも、目で追えないレベルではない。
カエサルの剣を拾い上げ、うしろにいるアンナリーズを意識しながら距離を詰める。
ゴブリンの歩幅であと数歩というところまで近づいたとき、敵が腕を振り上げながら、レーヴの背の高さを越えて跳躍した。
同時に、背中から悲鳴が聞こえたが、例によって、今が相手にとって、最大限に無防備な状態のはずだ。
冷静な判断が、頭の回転をさらに速くする。
着地点までの移動線がはっきりと見えた。
敵の落下の力を利用するため、首が通過するあたりに剣を構えてすぐ、腕に一瞬だけ荷重を感じたあと、剣が首を突き抜ける感覚があり、間もなく、獣鬼の体は核と薄い外皮を残して揮発した。
ゴブリンの皮膚は、ほとんど値がつかないはずだ。落ちた黒灰石だけを探していると、興奮した様子のアンナリーズがそばにきて、耳元に口を寄せた。
「今、剣だけで倒したんだよね」
そうだと答えると、「すごいじゃないっ」と目を輝かせた。
遅れて、周囲を怯えた様子で見回しながら、ビクトルが近づいてきた。
「今、何が起きたんだ?さっきの獣鬼はどこに行ったんだよ……?」
致命傷を負わせると、エーテルが抜けて石に戻るのだと言うと、「そうなんだ」と、心底驚いたような表情を見せた。
「そんなの、授業で習ったじゃないか。いつも寝すぎなんだよ、君は」
いつの間に戻ってきたのか、フリッツは、悪びれもせずにそう言ったが、さすがに口調にいつもの勢いがない。
「酒を飲んでなかったら、俺だってあれくらいできたんだ」
カエサルは、ズボンの前を気にして四人に背を向けながら、口をとがらせた。
「それは残念だったね。半年遅れのレーヴが簡単に勝てたんだから、あんたたちなら楽勝だったろうね」
いつも、からかわれているからだろう、爵位が上位の相手にも、ここぞとばかりにアンナリーズが強気だ。
ただ、裏表のない彼女の性格が、今は悪い方向に向いているように思えた。
自尊心を傷つけられたのだろう、カエサルの横顔が、ひどく歪むのが見えた。
「偉そうに言ってるけど、君は何もしてないじゃないか。おい、石を見せてくれよ」
フリッツは、そんな友人の態度の変化に気づいていないようだ。レーヴが差し出した手から石を奪うと、目を輝かせた。
「すごいな。今まで集めたのに比べて、格段に大きいぞ」
「もしかして獣鬼を見るのも初めてだった?」
「だから何でそんなに上から目線なんだよ。君だってそうだろ?」
「それはどうかなー。わたし、外皮を行商人に売ったことあるんだ。それってどういう意味かわかる?」
彼らに対する不満がどれほどたまっていたのか、調子づいていたアンナリーズは、それから、止めようとするレーヴに気づくことなく、核心ぎりぎりの内容をぺらぺらと口走った。
「そういうの、もういいから。どうせ値段がつかないような残骸でも拾ったんだろ」
幸い、フリッツはまるで取り合おうとしなかったが、これ以上余計なことは話さないよう、屋敷に戻ったあと、釘をさしておく必要がありそうだ。
「もう帰ろうよ。原石は十分に集まったんだしさ。他にもあんなのがいるかもしれない」
周囲を怯えた様子で警戒するビクトルの強い要望で、川を離れることに決まる。
学校への帰り道、カエサルは集団から離れた場所をずっと一人で歩いていたが、森を抜けたところで、誰にも挨拶することなく去って行った。
後味の悪さに、何か仕返しでもあるのかと恐れていたが、次の日から、彼とは言葉を交わすどころか、目を合わせることもなくなった。もちろん、実技の模擬戦で、レーヴの前に立つこともない。
反して、フリッツが普通に接してくるようになり、それら二人の行動の変化は、レーヴのクラスでの立場を前向きに変えた。
課外授業での収穫はあと一つあって、それはアビリティの訓練場所を見つけたことだ。
採集に行った川原は、屋敷からそう遠くない割に、ひと気がまるでない。さらには視界が開けて安全が確保しやすい土地の形状ということもあり、朝と夜のトレーニングの合間を縫って、火炎と重力制御以外のアビリティを試すことを決めた。




