4-2
次の日。
朝の仕事をすべて終え、アンナリーズのために、昼の軽食を料理長に準備してもらい、彼女と二人、屋敷をあとにした。
荷物は水と食料、それにジルドから借り受けた、護身用の古い剣が一本だ。もっとも、ようやく思い通りに振り回せる筋力がついた程度の段階で、もし獣鬼に襲われれば、それがたとえゴブリンであったとしても、相手にならないだろう。
午前とはいえ、真夏の日差しが厳しい。
木立ちに入ると、恐怖というよりは、涼を得た安堵が先に立った。
周囲には誰もいない。昼間に、こんな長い時間二人きりという状況はこれまでなかった。
話題がないことに、多少気まずさを感じていたが、同伴者にそんな気配は皆無だ。
教科書を片手に、草木を採集してはその解説を披露し、食用の木の実を見つけては、うれしそうにそれを口にした。
途中から学校の話題になると、食べた中に毒でもあったのかと思うほど、級友たちの名前を一人ずつあげては、流れ出るように悪態をついた。
「それで、一番キライなのはフリッツだよ。アビリティがちょっと使えるってだけで、あんなに偉そうにできる?先生に聞いたけど、あいつのスタイルなんて、ソーサラーの中ではすごく平凡なんだって。そりゃ、将来、仕事に就くことはできるだろうけど、どうせ普通以下の人生しか送れないに決まってるよ」
実家が裕福でないことを、陰に表に揶揄されているのは知っていたが、それでも、普段、教室で誰とも話していないのは、もしかして悪口しか言えないからなのでは、と本気で心配してしまうほどだ。
「テューダーさんは、将来の仕事とか、決めてるんですか?」
そう言うと、前を歩いていた彼女は足を止め、くるりと振り向いた。
腰に手を当て、なぜか不満そうな表情だ。
「いえ、詮索してるわけではなくて、ただ――」
「あんたさ、屋敷にきて結構になるよね。いい加減、その呼び方、やめてもいいんじゃない?確かにわたしはテューダー家の人間ではあるけど」
「では何とお呼びすれば?」
「そんなのっ――」
大きく息を吸ったあと、頬を朱に染め、背を向けた。
「自分で考えなよ……」
そう小声で短く続けて、さっさと行軍を再開した。
名字がダメなら名前しかない。
「アンナリーズさん――は、将来、何の仕事をしたいんです?」
彼女は、立ち止まることも、振り返ることもしなかったが、歩みを遅くして、結果として、レーヴがその横に並んで歩く形になる。
腕が触れ合うほどの距離になってしばらく、凛として答えた。
「わたしは霊石の研究をしたいんだ」
「赤燐光石、ですよね。調べることってあるんですか?」
スタイルを転写できる、という事実以上のことが何かあるのだろうか。
そして、彼女の答えはレーヴの想像とは少し違っていた。
「例えば、火のスタイルを持つ石を、すべての人が自由に使うことができればどうなると思う?料理とかお風呂とか、冬の暖房とか。すごく便利になると思うんだ」
石を、生活する上での道具として扱い、健康や衛生面で活用できないかと考えているという。
気位がやたら高く、語彙のほとんどが誹謗か中傷だと思っていた人間から、そんな崇高な理念を口にされた。少し手間の十字路で、別人と入れ替わったのだろうかと、思わずまじまじと横顔を見つめてしまう。
「それは――考えもしませんでした。素晴らしい発想ですね」
素直に感心すると、相手はうれしそうに目を輝かせたが、やがて視線を落としてなぜか悲しげな表情に変わる。
「わたしがまだ小さい頃、お母様は胸の病で亡くなったんだよ」
男爵家といえど、湯は簡単に手に入るものでないらしく、冬の寒い中、身だしなみに気を使う良家の女が、冷水で風邪を引くことは珍しくないのだと、抑揚なく言った。
「そうだったんですね……。一つ、お聞きしていいですか?赤燐光石は数がすごく少ないと聞いているんですけど」
「そこがまさに詳しく調べたいところなんだ」
どうやら研究の主題は、黒灰石を霊石として流用できないか、というものらしい。
「黒灰石の特徴って知ってる?」
「いえ、詳しくは。獣鬼の核に使われていることくらいです」
「へえ、意外。あんた、何でも知ってるのかと思ってた。じゃあ問題。オークとか、シルバーオークとか、同じ硬殻種の中で違いが生まれる理由は?」
「石の大きさ……は寿命に繋がるから違うか。だったら、元になる動物の体格とかですか?」
「石の大きさは、種の違いとも関連性がある。ゴブリンから取れる石が小さいのは、死骸に適したサイズの石しか融合できないから。それで、最初の問題の答えだけど、黒灰石が何周しているか、なんだ」
「何周って?」
「赤燐光石もそうだけど、スタイルを宿す石は、いつか濁って使えなくなるのは知ってるよね」
「ええ、それは」
「だけど、二つの石には決定的な違いがある。それは、黒灰石は、長い年月を経て、いつか浄化されて、再利用できるようになるんだ。たぶん、千年とか、それくらいの時間が必要らしいんだけど」
その際、完全に透明にはならず、年輪のような模様が残るのだそうだ。
シルバーオークは、二周目の石が核になっているという。
「授業でそんな内容、話されてないですよね?」
半年の遅れを取り戻すために、教科書には一通り目を通してあった。
「蚤の市の商人から買った本に書いてあったんだ。きっと最新の研究結果だよ」
得意気になる様子に、それは胡散臭い、とは言えなくなった。
もっとも、オーク種は捕獲サンプルがこれまでほとんどなく、研究が進んでいなかったのは確かなようで、説得力がまるでないかと問われれば、そうでもない。
「なるほど、上位種が、大きいだけでなく、強くなっているのは、一世代前の獣鬼が得た知見が、何らかの形で寄与してる可能性はありますね」
新説を持ち上げようと、深く考えずに口にした意見だったが、存外的外れではない気がした。それは相手も同じだったようだ。彼女は口を半開きにして、レーヴを見つめた。
「あんた、よくそこまで考えつくね。おじさまがよく褒めてるのは、ウソじゃないみたい。ちなみに、ポーションとかの回復薬の効果の違いも、それが理由だよ」
ポーションは一周目、エリクサーは、二周目以降の黒灰石を原料の一つとして使っているのだそうだ。
「なるほど、千年熟成させたってわけですか。道理で貴重なわけです――。そうか。もし黒灰石を霊石として利用できるようになれば、副産物として、獣鬼の絶対数を減らすことにつながるかもしれません」
そう言うと、アンナリーズは口を大きく開けた。
「そう、そうだよっ。それ、すごいことじゃないっ?!」
話が思いのほか弾んだせいで、通りから、かなり深く入った場所まで来ていることに気づかなかった。
森が開けた場所で、水筒の水を飲むため、平らな岩にアンナリーズが腰を下ろしたときだ。
微風に乗って、つい最近も嗅いだイヤな臭いがしたかと思うと、近くの茂みでガサっという音がした。
目と鼻と耳。三つの器官が連動して、ある一つの記憶を呼び起こす。
「アンナリーズさんっ、立ってっ!」
彼女の腕を取った瞬間、それが姿を見せた。




