3-2
転入から半月ほどが過ぎた頃、傷の完治を報告するため、曹長のジルドが姿を見せた。
当主への挨拶のあと、彼はレーヴの元へとやってきた。
大げさな動きで周囲に人がいないことを確認したあと、巨体をかがめて、耳元に口を寄せた。
「詳しいことは教えてもらってないんだが、お主と、連れのレネゲードのおかげで、自分は命を救われたのだと、隊長から聞いた」
レネゲードは知り合いではないのだと、一応の反論を試みたが、相手は取り合おうとはせず、どんと胸を叩いた。
「何か困ったことがあれば、いつでも頼ってくれ」
「すぐに原隊復帰されるんですか?」
「体力がかなり落ちとるからな。今行けば、部隊の足手まといになりかねん」
しばらくはトレーニングに専念するよう、辺境伯から指示されたらしい。
「でしたら――オレに剣術を教えてもらえませんか?」
正規軍の小隊長付きの軍人だ。授業で習う内容とは別に、何か実践的な知見もあるに違いない。
だが、彼は怪訝そうに首を傾げた。
「隊長とともに、シルバーオーク二体を倒したのではないのか?」
「オレはおとりになって逃げ回っていただけですから」
学校で落ちこぼれている状況を話すと、骨にヒビが入りそうなほどにレーヴの肩を強く叩き、鼻の穴を広げて笑った。
「なるほど、それは男として、見返してやる必要があるな」
リハビリ代わりだと、就寝前に相手をしてくれることに決まり、その夜から、早速、指導が始まった。
ジルドは、大剣を使う流派だった。
出身地は、大柄な人間が多い地域らしく、強い腕力を武器に、多くの国で軍人として活躍しているそうだ。
一メートル半はある、ナタのような剣を振り下ろすと、体が揺れる程度の風が起きた。
「この通り、精度など必要ない。わずかでも当たれば、相手に致命傷を与えることができる」
カトリアは、レイピアを使う対極にある体系だ。互いに相補する意味で、副官を任されたのだろう。
ただ、オーク種とは相性が悪かった。連中は外皮が硬いのが最大の武器だ。
それでも、敵が一体であれば、勝負の行方はわからなかったのだろうが。
「対人戦闘じゃ、きっと無敵ですね」
重力剣でも勝てそうにないなと思っていると、彼は大仰に首を振った。
「それが一人だけ勝てん相手がおるんだ」
「一人?誰なんです?」
「皇帝陛下がご健勝の頃、数年に一度、剣術大会を開催されていたんだが、そこで二度戦い、連敗した女がいる。確かブラジャーとかそんな名前だった」
たぶん間違ってるな。
「剣術大会ですか。アビリティで剣を操作する人とか、いなかったんでしょうか。それができれば、曹長の剣も、より繊細に制御できると思うんですが」
今、思いついたという体で、ずっと気になっている疑問を口にすると、彼はしばらく口を半開きにしたあと、小さく笑った。
「それはつまり、風か重力制御で刃を動かし、敵と戦う、という意味か?」
そうだと答えると、今度はガハハと、遠くで野犬が逃げ出す程度に、夜の空気を揺らした。
「斬新だが、実戦的にあり得ない戦術だな」
「どうしてです?」
「王国が建国以来、安泰だったのはなぜだと思う?」
「ソーサラー部隊が充実していたから、ですよね」
「しかり。だが、多いと言っても、軍人に比べてその数は圧倒的に少ない。一割にも満たないはずだ。それなのになぜ、そんなにも強大な抑止力となり得たのか。それはひとえに、遠距離での攻撃が可能だからに他ならない」
例えば火炎は、それ自体で致命傷にはならずとも、進軍を遅くし、あるいは個々の攻撃力を弱めるという意味において効果的だ。火球の大きさや敵の隊列にもよるが、一度に十人といった単位で、熱傷を負わせることができる。あるいは、風で砂を舞わせれば、軍勢の視界を奪うことも容易い。
「重力制御はどうです?」
「その使い手に一度だけ会ったことがある。そいつによれば、あの力は土木現場などで、資材を大ざっぱに移動させるときなどに使うのだそうだ。それでも、戦場であえて使うなら、崖の上から岩を落とすくらいだろうが――そんな具合のいい地形が、そうそうあるわけもないだろう。貴重なソーサラーに、アビリティで剣を使わせるなど、大金貨でケツを拭くよりも無駄で非効率ってわけだな」
そう言って、再び、軍人らしく、豪快に笑った。
シルバーオークと対峙したときのことを思い出した。
オーク種との対戦が困難な理由は、相手の強靭な腕力や、皮膚の硬さもあるが、最大の問題はその俊敏性にあるのだと思う。小鳥や蝶を素手で捕まえられないのと同じだ。加えて、上位種になると、その背丈のせいで、頭部まで武器が届かない。
だが、重力制御は、人の動きの限界を超越できる。
訓練すれば、さらに速度を増すことができるし、精度も上げられるだろう。
適当な狙いで火炎を飛ばすより、ずっと強力な戦力になるように思えた。
「ところで――お主、ヘンドリカ殿の下で働いているんだろう?あの人、普段はどんな感じなんだ?」
そう言った声調に、何かの違和感。見返したレーヴから、軍人は慌てたように目をそらした。
「まさかとは思いますけど、ヘンドリカさんのことが気になってる、とかじゃないですよね」
「いや、まあ、何だな」
「カトリアさんじゃなくて、ですか?」
「どうして隊長と比較する」
どうしても何も――。恥じらいがなく、片付けもできない女より、凛々しく強いほうがいいと思うのだが。
「で、どうなんだ?」
「とにかく忙しそうです」
「自分が知りたいのは、そんなつまらん答えではない」
「あとは、そうですね――」
「何だ。男がいるのかっ?!」
「いえ、そうではなく。よく、ため息をついているな、と」
当初は、新人であるレーヴの不出来を嘆いているのかと不安だったが、最近はそつなくこなしているはずで、彼女の仕事をそれなりに肩代わりしている自負もある。
「ほう。憂えた女というのも、また惹かれるな」
異性の好みは人それぞれということか。
「もし希望されるのでしたら、曹長のこと、それとなく聞いてみましょうか?」
そう言うと、「いや、それは戦略的に時期尚早だ」と、顔を赤くした。




