表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生、亡国の第三王子。目覚めた国は滅びた直後だった  作者: 秋空あおい
【第二章、エステルハージ家と士官学校】
14/24

2-2

 それから使用人頭が向かったのは調理場だ。

 中にいたのは、油に汚れた厨房服を着た男が一人だけ。手際良く野菜を切っていた彼も、これまで出会った人間たちと同じく、紹介されたレーヴを一瞥しただけで、挨拶をしようという気配がない。無愛想や寡黙ではなく、新人に声をかける時間すら惜しい、という雰囲気で、おそらくは多忙なのだろう。

「今日は夜までここで手伝いをして下さい」

 彼女がいなくなったあと、料理長の指示は予想通りというべきか、最低限ではあったが、ある意味無駄はなく、余計な気遣いが不要であることを気楽に感じる程度だった。

 積み上がっていた食器を洗い、ゴミを出す。食材の買い出しでは、道に多少迷い、戻ったあとも、井戸からの水くみに、食卓の準備と、休む間もなく日が暮れた。


 夕食のときは給仕係りとなる。

 席にいたのは、辺境伯とカトリア、それにアンナリーズの三人だ。

 料理は、粗末というわけではなかったが、一人につき、スープとパン、野菜とわずかの肉が盛り付けられた主菜が一皿だけ。

 経済的に余裕がないのか、あるいは、贅沢をしない領主なのか。後者なら、領民は恵まれていることにはなる。


 主たちの食事が終わると、各自の部屋で、まかないを与えられた。

 その時間、同室のテオと雑談をする機会があった。

 使用人は、全部で四人しかいないらしい。テオが庭とボイラー管理の担当。料理人は専業で、まだ見ていない執事は辺境伯の業務補佐、それら以外の雑務すべてをヘンドリカ一人で担っているという。

 当主は、領地を治めることに多忙で、屋敷内の作業量や分担を、気にする余裕がないのだそうだ。

「ヘンドリカさんはよく辞めないですね。給金がいいんでしょうか」

「金じゃねえ。恩義だろうよ」

 彼女がまだ子供の頃、病気になった母親を、当時存命だった辺境伯夫人に救われたことがあったらしい。母子家庭だったこともあり、それは深く感謝したのだそうだ。十歳になったとき、本人の強い希望で、屋敷で働くようになり、それから二十年近くになるという。

「辺境伯夫人は……病気か何かで?」

「獣鬼に襲われて、な。カトリア様が軍に志願したのは、それがきっかけだろうさ」

「そう、ですか。オレは……あまり歓迎されていないみたいなんですけど――」


 思い切って尋ねると、彼は顔にしわをいくつも作り、小さく笑った。

「カトリア様は亡き母君に似て、生真面目で情が深いお方でな。ときどき、どこからともなく、薄汚い子供を拾ってきなさる。で、お前さんの前に、そのベッドに寝ていた小僧が、そんな温情に報いるどころか、親方さまのスーツやら、壁の絵なんかを持って逃げちまったんだよ」

 辺境伯のあの微妙な態度は、それが原因か。

「もっとも、盗みを働いたのはそいつが初めてだった。老いぼれた使用人の立場で言うのも何だがな、同情の余地はあったと思う。かなりきつく当たられていたみたいでな」

「当主様が厳しかったんですね」

「確かに相性は悪かったが、それだけじゃねえな」

 それからテオが遠回しに話した内容によれば、どうやらカトリアのいとこであるアンナリーズが、就学で屋敷に同居するようになったことが影響しているらしい。

「あのお方は、幼少の頃からカトリア様をたいそう敬愛されていてな。赤の他人、しかも貴族でもない人間に目をかけられるのを、快くは思っていらっしゃらんのだろう」

 そう言って、まるで同じ立場になるレーヴに憐れむような目を向けた。


「ま、そんなこんなで、お前さんが会った人間の愛想が悪く見えたのには、それぞれに理由があったってことだ」

 あまり深く考えるなと、彼がタバコに火をつけたとき、扉の外からヘンドリカの声がした。

「新入り、いますか?まだ仕事が残っていいます」

 部屋を出ると、彼女は疲れ切った表情で立っていた。

「各部屋の施錠を確認して下さい。大きいほうが部屋の、小さいのが窓の鍵です。それと、最上階には立ち入ってはいけません。明日以降もずっとです」


 三階には、辺境伯やカトリアの居室と、ゲストルームがいくつかあり、アンナリーズもその一つを使っているのだそうだ。

 指示された通り、一階から順に部屋を開けては、窓を確認し、最後に二階の、一番端の扉を押したときだった。

 中に人がいることを、想定していなかった。まして、それが半裸の女であるなどと、誰が予測できただろう。

 薄暗い中、誰かを確認しようと、足を一歩前に出したのが最悪の対応だった。

「きゃあっ」

 声でアンナリーズだと気づいたときは、圧倒的に遅かった。


 彼女は片腕で胸を隠したまま、壁に向かい、おそらくは宝飾品としてかけられていた、美しいシルエットの剣を手にすると、レーヴに突進し、一瞬も迷うことなく、それを振り下ろした。

 幸い、動作が遅く、簡単に交わすことができたが、それが相手の逆鱗に触れる。

「何、よけてるんだよっ。そこに座ってっ」

 サビは目立つが、どう見ても本身(ほんみ)だ。その切っ先を、顔の先に突きつけられる。

 彼女の殺意をどうにか鎮めようと、思わず口をついたのは、意味不明の言い訳だった。

「待って下さい。それだと、床が血だらけになります」

「だったら、窓から飛び降りてっ!」

 剣が水平に空気を切り、進むべき道が示される。

 二階なら死ぬことはないだろう。ちょうど鍵も持っているところだ。

 諦めて、言われた方向に進もうとしたとき、廊下を駆けてくる足音がした。


 うしろに振り返ると、息を切らせたヘンドリカが入り口に姿を見せた。

「アンナリーズ様。申し訳ありません。私の指示ミスです。お詫びに私の首をはねて下さい」

 頭を下げながら、まるで抑揚なくそう言ったせいで、それがこの屋敷での責任の取り方なのかと、本気で怖くなった。

 だが、そんな使用人の殊勝な態度に、少女の怒りはどうにか収まったらしい。

「バカなこと言わないで。あなたを殺したら、お姉様に一生恨まれるよ。お前、いつまでそこにいるつもり?さっさと出て行って」

 アンナリーズは背中を向け、声を落とした。

 レーヴが走って廊下に出るのと同時に、ヘンドリカは扉を閉め、小さく息をはいた。

「すみませんでした。まさか人がいるとは思ってなくて――」

「私が言い忘れていたから仕方ありません。この浴室も三階と同様、お前の立ち入りは固く禁じます」

 彼女が非を認めたことは、多少意外だった。人形のように無表情ではあるが、不条理な人間ではなさそうだ。


 ただ、不可抗力とはいえ、もっとも、気を使わなくてはならない要注意人物から、早々に不興を買ってしまったことは、今後に禍根を残した気がした。

 翌朝、指示されていた通り、一の鐘でヘンドリカの元にはせ参じると、ちょうどカトリアの出立の準備をしているところだった。

 彼女はたった一晩、実家で過ごしただけで、再び戦地に戻ることになる。

 門まで見送るとき、一緒に行きたいと言いかけ、言葉をのみ込んだ。

 戻る先に見えた屋敷には、親しい人間が誰一人いなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ