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次に目が覚めたのは、朝一番の鐘が鳴ったときだ。
結局、反論のための適当な言い訳を見つけられぬまま、宿をあとにすることになった。
前の通りに出ると、ルノアは細い腕を水平にした。
「この先に乗り合い馬車の停留所があったはずです。あなたは、アントラーシュ帝国に向かって下さい。このあたりでは一番政情が安定してます。王国出身であることを告げなければ、危険もないでしょう」
具体的な指示を聞いて、急速に怖くなった。
「やっぱり――考え直さないか」
「拙者はあの夜、治癒のアビリティを使いました。女の軍人以外にも、誰かに見られていた可能性はあるんです」
「でも、お金だって、二人で分けられるほど、余裕がわるわけじゃないだろ」
「レネゲードだと腹をくくれば、やりようはありますよ。ちょうど治癒の練習もできましたし、闇医者としてやっていく自信がつきました」
会ってまだ二日の間柄とはいえ、それが強がり以外の何ものでもないことは、簡単に理解できた。
「ただ、一つだけ、懸念があるんです。あなたの身の安全の確保の方法です」
ソーサラーの中には、アビリティの使用を探知する、サーチャーと呼ばれる者がいるらしい。
特殊様式の一種で、数は多くないそうだが、これから向かうアントラーシュは王国に比肩する大国だ。治安維持を目的とする部隊に、一定数、配備されていると考えるのが妥当だという。
「捕まれば、取り調べを受けることになります。万が一、王族だとバレてしまえば、どんな扱いを受けるか――」
「人前で使わない、じゃダメなのか」
「無詠唱の人間なんか信用できませんよ。石に躓いて転びそうになったとき、とっさに発動させないと、言い切れますか?それに、認証タグが自然発光するのを見てもわかると思いますが、ソーサラーは無意識にエーテルを取り込んでいるのです。流量は少ないのでしょうが、検知されない保証は――ん?流量――」
彼女がそこまで口にしたときだ。
「あ」
二人の声が揃った。
「一つ、方法を思いつきました!」
「オレもだ。例のルノアのユニークを、霊石に転写すればいいんじゃないか」
彼女は大きく頷くと、周囲を見回し、家と家の間の路地へと素早く移動した。
カバンから霊石を一つずつ取り出し、光に透かす。
「これが一番、濁りが少ないですね」
それを手のひらに置くと、目を閉じ、深呼吸をした。
「古より連綿と伝わる神の御言によりて、その霊験なる力を顕現せよ。レプリカ、リミット・インテイク」
赤燐光石が一瞬だけ輝きを増し、それはすぐに元通りになった。
小さな革の袋に入れ、それを首からぶら下げる。その状態で、そばの小石に重力制御を試したが、凝視していなければわからない程度に、かすかに揺れただけだった。
「問題なさそうですね。寝るときも湯浴みをするときも、ずっと身につけておいて下さい。それと、これにはもう一つ、効用があります」
「へえ、どんな?」
「施術した人間が死ぬと、透明度が残っていても、効果が消失します。なので、拙者が存命かどうか、離れていてもわかるのです」
明るい口調で、何か前向きな内容だと想像していた分、その答えに、浮かれていた気分が急降下した。
「どうかしましたか?」
「いや、別に――。どれくらいの間、効果は持続するんだろう」
「はっきりとはわかりませんが、この純度と大きさであれば、二年かそこらは大丈夫でしょう。それまでには、情報を集めて、これからの対策を決める必要がありますね」
とはいえ、住む場所が定まらなくては、手紙を送ることもできない。
「とりあえず、情報が集まってもそうでなくても、三ヶ月ほどしたら、拙者のほうから会いに行きますよ」
帝国には全土で十万の単位で国民がいるそうだ。そんな大雑把な予定を立てられても、まるで再会できる気がしない。そのことを伝えると、ルノアは明るく首を振った。
「そうでもない、と思いますよ」
「その根拠は?」
「何となくです。殿下は、遠からずその名を売っているような、そんな予感がします」
「それが悪名でなければいいけどな」
明日からの互いの生活が、どうなるのかも見通せない中、帝都行きの馬車が、人が集まるあたりに停車するのが見えた。
「一人で大丈夫ですよね」
まるで同じセリフを口にしようとして、相手が先んじたことに、思わず笑ってしまった。
「記憶もだいぶ戻ってるから。君のほうこそ、気をつけて」
最後に、持ち金を等分にし、どちらからともなく、固い握手をして、ルノアは去って行った。
たった一つの心の拠り所を失った。
本当なら、泣いて追いかけたいところだったが、歯を食いしばって耐えるしかなかった。




