表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯守(あかりもり)  作者: ねこの真珠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/15

第二話 旧トンネルのランタン


六月二十日、深夜零時。

街はとうに眠っていた。 


家を出るとき、母はまだ帰っていなかった。

テーブルには「コンビニ行ってきます」とだけメモを残した。

本当はこんな時間に外出するべきではないが、すべてを正直に書けば引き止められるに決まっている。


住宅街を抜けて坂道へ向かうと、夜風が思っていた以上に冷たかった。

パーカーの襟を握りしめながら歩いていると、街灯がひとつ、またひとつと背中の方へ遠ざかり、周囲の明かりは徐々に少なくなっていく。


桜ヶ丘の旧トンネル跡は、市街地から外れた山の麓にある。

学生時代、肝試しの話題にのぼったことはあったが、実際に行ったことはない。

事故があって閉鎖されたとか、霊がいるとか、いくつもの噂が混ざり合って、いつの間にか“近寄ってはいけない場所”になっていた。


スマホで位置を確認しながら坂を上る。

日中なら何ということのない坂道なのに、夜はずっと急に感じられる。

足元のアスファルトに落ちた木の影が、風に揺れるたびに生き物のように見えた。


電線が微かに震え、風に擦れる音が夜気に溶け出し

遠くの方では犬が吠える声がしたが、それらは自分とは全く別の世界の出来事のように思えた。


やがて坂を登りきると、街灯が途切れた。

そこから先は闇が支配していた。


私は立ち止まり、夜の空気を深く吸い込んだ。


「……大丈夫。行ける。」


自分に言い聞かせるように呟き、一歩、また一歩と進む。


旧トンネル跡はすぐそこだった。

近づくにつれ、空気がひんやりとしていく。

木々の間から覗くコンクリートの大きな口。

昼間に見るより数倍も不気味に感じるそれは、黒い闇が中から溢れ出しているようにさえ見えた。


フェンスの両脇には「立入禁止」と赤字で書かれた札。

月明かりの下ではその文字もかすれて見える。


息を呑んだ瞬間、視界の奥に小さな灯りが揺れた。


「……あれ……?」


フェンスの内側。

トンネルの入口近くに、橙色の光がぽつんと浮かんでいた。


ランタンだった。


思わず近づくと、灯りは周囲の暗闇を押し退けるように柔らかく、静かに揺れている。

古びた金属の枠に守られた炎は、どこか懐かしいような、不思議な温かさを持っていた。


そして、そのランタンのそばに、人影が立っていた。


黒いコートを着た、背の高い若い男性。

月明かりに照らされた横顔は、夜の静けさそのものをまとっているようだった。


私がフェンスの前に立つと、その男性がゆっくりとこちらを向いた。


「……来てくれたんですね。」


透明感のある、静かな声だった。

聞いた瞬間、胸の奥がなぜかきゅっと締めつけられた。

懐かしいわけでもないのに、心の深いところに染み込んでくる声だった。


男性はランタンの近くへ歩み寄り、内側から私を手招きした。


「フェンスの右側に、古い隙間があります。そこから入ってください。」


私は戸惑った。


「ここ、入っちゃいけない場所ですよね……?」


「本来はそうです。でも、あなたは“灯を求めて”ここへ来た。」


夜の湖のような澄んだ目をして、彼は静かに言った。


「あなたが来ることは分かっていました。あなたの灯が、とても強く輝いていたから。」


「灯……?」


「はい。」


彼はランタンに手をかざした。

橙色の炎が、いま呼応したように揺れた。


「人の心に宿る願い、未練、愛情……それらはときに形をとって灯ります。

あなたの灯は強く、まっすぐで、そして迷っていなかった。」


「……あなたは一体…誰なんですか?」


問いに、男性は小さく頭を下げた。


「灯守あかりもりの結ゆいと申します。」


その言葉が空気を震わせたように感じた。

灯守.....メールに書かれていた、あの言葉だ。


「あなたがあのメールを送ってくれたんですか……?」


「はい。あなたの灯が届いたので。」


「届いた……?」


「ええ。強い想いは、時にこうして人を呼ぶんです。」


私は息を呑んだ。

嘘だと思うべきなのに、なぜかそう思えなかった。


「怖くありませんか?」

結が静かに尋ねた。


夜の空気が肺に入るたび、不安と期待がせめぎ合う。

怖いはずだ。

それでも口から出た言葉は、意外にも落ち着いていた。


「……少しだけ。でも……来て良かったと思ってます。」


結はほっとしたように微笑んだ。


「では、これから“繋ぎ”に入ります。」


「……繋ぎ?」


「あなたの“会いたい人”を、灯の道を通してこちらへ招きます。」


心臓が跳ねた。


「……本当に……父に……?」


「はい。」


結がランタンの取っ手を持ち上げる。

橙色の灯が膨らむように揺れ、まるで私たちの周囲の空気まで震わせるようだった。


「ただし——」


彼の声が、夜の底で静かに重なる。


「会えるのは一度だけ。

 そして、灯が消えるまで。」


ランタンの炎が、細く震えた。


胸が痛くなるほど強く脈が打つ。

もう後戻りはできない。


「それでも——会いたいと思いますか?」


結のまっすぐな視線が、逃げ道をふさぐように私を射抜いた。


私は唇を噛み、震える声で答えた。


「……会いたいです。

 もう一度だけ……父に。」


 その瞬間——


ランタンの炎がぱっと大きく揺らめき、光が広がった。


結は穏やかな微笑みを浮かべた。


「では、始めましょう。」


彼がトンネルの暗闇へ踏み出す。

ランタンの灯がその後を追い、闇へ吸い込まれるように広がっていく。


私の足は、勝手にその光を追っていた。


闇の中へ。

戻れない場所へ。


そしてその瞬間、世界が静かに変わり始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ