栗の甘露煮
朔がカイナ村の一員となって、季節は実りの秋へと移ろいでいた。
彼の孤独な王国だったはずの家と厨房は、今や村の新しい心臓部となり、常に人々の活気で満ちていた。
朔がもたらした知恵は、村の食生活を根底から変えた。
しかし、まだ村全体の飢えは改善できていない。
村での収穫物だけでは、村人全員を食べさせるだけの、十分な食糧を保つことができていなかった。
外から購入してくるにも、売れるほどの村の特産品がない。
せいぜい猪の皮くらいである。
(保存ができれば断然違ってくるんだが……)
朔から見て、この村の一番の問題は、塩が高価で買えず、十分に使えないことに思えた。
村の周囲に猪が多く、カズマらによって相当数狩れるのだが、塩が足りないために、保存できるはずの肉を腐らせてしまっているのだ。
だが塩の問題は解決が難しい。
塩は岩塩もしくは海水から得られるが、日本の地層には岩塩はほとんど存在しない。
この時代で塩を手に入れるには、海水から精製するしかないのだが、このカイナ村は内陸にあり、海には隣接していない。
もし海水にアクセスできたとしても、海水に含まれる塩分はわずか3%ほど。
97%の水分をすべて火力で蒸発させる「直煮法」は、膨大な量の薪を必要とし、この時代では一大事業になる。
(残る手立ては……)
朔のクラフト能力。
ごくごくまれに、砕いた岩から少量の【塩】が手に入る。
だが、村人を養える量となると、気が遠くなるな……。
地道に塩集めを進める間、手に入れやすいもので代替的に村人の栄養の充足を図っておこう。
◇◆◇◆◇◆◇
数日後の昼下がり。朔はシノに頼み、村の女たちを、自分の厨房へと集めてもらった。
突然の呼び出しに、女たちは何事かと、不安と好奇心が入り混じった顔で、互いの顔を見合わせている。
「皆、集まってくれてありがとう」
朔は、集まった十数人の女たちを前に語り始めた。
「飢えをしのぐ方法のひとつとして、この植物の使い方を皆に教えたい」
彼は、朝のうちに森から切り出してきた、数本の太い甘葛の蔓を、調理台の上に見せた。
「アマヅラね」
「甘いのは知ってるけど、それは毒も混じっているわ」
長老の代から、呪術師に「口にするな」と言われているとシノが言った。
朔は首を横に振る。
「甘葛自身に毒はない。直接口を含むと、よごれの混入があるからかもしれないな」
甘い汁に寄ってくる他の動物たちの糞尿で、付近が汚染されている可能性はある。
「ええぇ」
「毒ないの?」
女たちが目を丸くして驚いている。
「保証する。自分の言う通りにしてくれたら、全く問題なく口にできる」
朔はまず、蔓の切り方を教える。
根本から切り倒すのではなく、子供たちの未来の分まで残すために、蔓の成長を止めぬよう、途中で切り、そして、切り口が地面を向くように、木に吊るす。
庭先で持ってきた蔦を、実際に木に吊るしてみせる。
やがて蔓が持つ水分と糖分が、重力に従って自然に滴り落ち、下の壺に溜まり始めた。
「おぉ……」
次に厨房に戻り、集めておいた樹液の入った土器を竈の火にかけた。
透明で、さらさらとした液体が、鍋の中でコトコトと穏やかな音を立て始める。
「この煮沸によって、甘葛の樹液を口にしても、お腹を壊しづらくなる。重要なので絶対にやってくれ。火は前に説明した通り、強ければいいというものではない。これくらいだ」
やがて鍋からは湯気と共に、ほのかに甘く、青々しい香りが立ち上り始めた。
女たちは、初めて見るその光景を、何か神聖な儀式のように見守る。
水分が蒸発し、量が半分、三分の一と減っていくにつれて、鍋の中の液体は、次第にとろみを増し、淡い飴色へと変わっていく。
厨房を満たす香りも、青々しいものから、黒糖を思わせるような、深く、香ばしい甘い香りへと変化していた。
「良い香りね」
「本当」
その横で、朔は大きな鉄の板を火にかけると、村の子供たちが拾い集めてきたたくさんの栗の実を、その上で煎り始めた。
パチパチ、と小気味よい音がして、栗から香ばしい香りが立ったあたりで、水飴のようになった甘葛を回しかける。
ジュウウウウッ!という、耳に心地よい音と共に、甘い煙が一気に立ち上る。
朔は、木べらで、手早く、栗の一粒一粒に、その黄金色のシロップを絡めていった。
シロップは、すぐに冷えて固まり始め、栗の表面を、まるでガラスのように、きらきらと輝く飴の衣でコーティングしていった。
「あればひとつまみの塩を入れると、一段と甘さが立つが、まあなくても大丈夫だ」
出来上がったのは、誰も見たことのない、宝石のような菓子。
「栗の甘露炊き」の、弥生時代の原型だった。
「さあ、どうぞ。毒は絶対にないから安心してくれ」
朔は、出来上がったばかりのそれを木の皿にのせ、女たちの前に差し出した。
ひとつ口にしてみて、毒がないこともアピールする。
「………」
女たちは、一瞬、ためらった。
こんなに美しく、甘い香りのする食べ物を、自分たちが口にして良いものだろうか、と。
その沈黙を破ったのは、匂いにつられて厨房に集まってきていた、子供たちだった。
タケルが、母親であるシノの裾をくい、と引っ張り、期待に満ちた目で、そのキラキラした栗を見上げている。
シノは微笑むと、まず一粒を手に取り、タケルの小さな口へと運んであげた。
タケルは、それをこくりと頬張り、とたんににんまりとする。
「…んんんまいっ!」
それが合図になって、他の子供たちも、そして女たちも、我先にと、その栗の菓子に手を伸ばした。
シノもまた、その一粒を、そっと口に含んだ。
瞬間、今まで経験したことのない、幸福な衝撃が駆け巡った。
「はぁ……」
香ばしく煎られた栗が、優しい甘さに包まれている。ほっくりとした食感と、素朴な味わい。それらが、口の中で一体となって、とろけていく。
体の隅々に、温かいエネルギーが、じんわりと染み渡っていくのが分かった。
「美味しい……」
誰かが、ぽつりと呟いた。
「こんなに甘いもの、生まれて初めて食べた……」
「これが、あの蔓から……?」
女たちの顔に、晴れやかな笑顔が咲き誇っていた。
彼女たちは、その一粒をまるで宝物のように、ゆっくりと、大切に味わっていた。
「さて。今日いちばん大事なことを伝えるぞ。この甘葛のシロップは何日も保存しておけるんだ。甘すぎて、毒になる雑菌が入り込めないから」
朔は出来上がったそれを清潔な壺に注ぎ、蓋をして、皆に見せた。
「じゃあ、つくっておけば、いつでも食べられるってこと?」
「来年の春までも?」
朔は頷いた。
「手軽に栄養補給できる。子供も旦那さんも喜んでくれるだろう」
「――素敵!」
女の一人が、朔の手を取って、嬉しそうに喜んだ。
数秒後、あ……と言いながら、顔を赤くして朔から離れた。
「というわけで、実際にやってみよう。今日は栗もたくさんあるから使ってくれ」
その日の午後、朔の厨房は、女たちの熱気と、笑い声と、そして、甘く香ばしい香りで、満たされていた。
シノを中心に、女たちはぎこちない手つきながらも、必死に、そして楽しそうに甘葛を煮詰め、栗を煎り、自分たちの手で初めての菓子を作り上げていた。




