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卑弥呼のシェフ 〜世界大会優勝の料理人、弥生時代で料理無双してたら卑弥呼が私物化しようとしてくる〜  作者: ポルカ


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森の魔法使い

 

 朔は慎重に、しかし逸る気持ちを抑えきれずに、その煙が昇る方角へと足を速めた。


 やがて木々の合間から、集落の全景が見えてきた。

 地面を掘り下げて作られた竪穴式の住居が十数軒、不揃いながらも肩を寄せ合うように集まっている。


 屋根は茅で葺かれ、どの家からも生活の証である煙が立ち上っていた。


 女たちは臼と杵で木の実をつき、子供たちは泥だらけで駆け回り、男たちは畑仕事に精を出している。

 着ている衣服は麻の布製だろう。確かに弥生時代だ。


 そこには、間違いなく人間の営みがあり、彼らが発する言葉も理解できた。


 安堵がじわりと胸に広がる一方、急に不安も湧いてきた。


(下手に近づけば、危ないか……?)


 学者が原住民に不用意に近づいて、殺された話を聞いたことがある。

 相手が自分を見てどのような感情を抱くか、予想しきれないしな。


 できるだけ穏便に接触できるよう、機会を窺おう。



   ◇◆◇◆◇◆◇



 結論:不可。


 ぽつんとひとりで農作業をしていたオジサンに丁重に声をかけてみたが、普通に無理だった。


「誰だ、てめぇは!」に始まると、すぐに人が集まってきて、「許可なしに入ってきたぞ!?」 「よそ者がなにしにきた!」 などと、けんもほろろに追い払われました。はい。 


「まあいいさ」


 自分の居場所は自分で作るしかないってことだ。


 村を後にして川沿いを20分ほど遡り、見つけておいた場所に着く。


 川が緩やかに湾曲し、背後には小高い丘があって風を遮ってくれる。

 森は深く、木々や食料となる植物は豊富そうで、川には魚の影も見える。


 ここなら村から適度な距離があり、彼らの生活を脅かすことも、逆に不意な干渉を受けることもないだろう。


「さ、急ごう」


 陽は既に西に傾き始めている。


 石斧を構え、家を作ることを想像すると、例によってあの不思議な光景が溢れ出した。


 目の前の木々が、淡い光を放つ設計図に変わる。

 あの樫の木は、家の土台となる杭に。

 あの真っ直ぐな杉は、四隅を支える大黒柱に。

 あのしなやかな若木は、屋根を組むための垂木に。


 森全体が、巨大な資材置き場として、朔の眼前に再構成されていく。そして、頭の中には、見たこともないはずの、しかし合理的な「木造軸組工法の家」の設計図が描き出されていた。


 しかし設計図は見えても、この能力は、あくまで「加工」の段階で発揮されるもの。

 その前段階である丸太などの「原材料の確保」は、己の肉体だけが頼りだ。


 石材も確保するためにピッケルも作って岩を掘らないとな。

 暖炉にはしっかりとした石材を用いたい。




   ◇◆◇◆◇◆◇




【それから三週間後】



 その日の森は、いつもと同じ匂いがした。

 湿った土の匂い、木々の皮の匂い、そして雨上がりの後の、きのこの胞子が放つ甘い匂い。


 少年タケルは、村の仲間たちとカブトムシが一番よく集まるクヌギの木を目指して、慣れた獣道を駆けていた。


「なあ、タケル。今日はあの『独りひとりおとこ』の家の近くまで行ってみないか?」


 仲間のひとりが、声を潜めて言った。

 独り男。それが、村の大人たちが、森の奥に勝手に住み着いた、あの素性の知れない男を呼ぶ時の名だった。



 やってきてもう三週間くらいになるだろうか。

 大人たちは「関わるな」「穢れをもらうぞ」と僕たちを固く戒めていた。


 だからこそ、その場所は僕たちにとって、最高の度胸試しの舞台になっていた。


「よし、行ってみよう!一番近くまで寄れた奴が、今日のカブトムシを全部もらうんだ!」


 僕がそう言うと、みんなは怖がりながらも、興奮に顔を輝かせた。


 僕たちは息を殺して、川の上流にあるという独り男の縄張りへと、慎重に足を進めていく。


 しばらく進むと、森の様子が少し変わってきた。


 下草が綺麗に刈られ、獣道とは違う、人が歩くための小道ができている。そして、木々の隙間から、それが見えた。


「……なんだ、あれ」


 誰かが、呆然と呟いた。僕も、言葉を失って立ち尽くした。

 そこに立っていたのは、「家」と呼んでいいものか分からない、不思議な建物だった。


 僕たちが住んでいる家は、地面を掘った穴の中に作る。だから、屋根の半分は地面の下だ。でも、あの家は、地面の上に、どっしりと立っていた。


 壁は土を塗り固めたものではなく、まっすぐに削られた、たくさんの木の板でできていた。


 屋根は、僕たちの村の茅葺かやぶき屋根みたいにぼさぼさじゃなくて、まるで大きな魚の鱗みたいに、薄い木の皮が綺麗に、何枚も何枚も重ねられている。

 壁には、僕たちの家にはない、四角い穴(窓)まで空いていた。


「…神様の、家なのかな」


 仲間の一人が、震える声で言った。

 僕も、そうかもしれない、と思った。


 こんなに奇妙で、こんなに綺麗な家は、人間が作るものじゃない。


 僕たちは、それが独り男の家だということも忘れ、ただただ、その不思議な建物を、木陰から夢中で見つめていた。


 その時だった。

 今まで嗅いだことのない匂いが、風に乗って、僕たちの鼻をくすぐったのは。


 なんだ、この匂い……?


 それは、肉を焼く匂いに少し似ていた。でも、ただ肉を焼くだけの、単純な焦げ臭い匂いじゃない。もっとずっと、複雑で、心をそわそわさせる匂いだ。


 甘いような、でも蜜とは違う。

 しょっぱいような、でも浜辺の塩の匂いとも違う。


 木の実を煎ったような香ばしい匂いと、嗅いでいるだけでお腹の奥が「ぐぅ」っと鳴ってしまうような、たまらなく良い匂いが、全部混ざり合っていた。


 僕たちの貧しい村では、食べ物の匂いといえば、粟を煮る匂いか、肉や魚を焼く煙の匂いだけだ。


 こんな、人を幸せな気持ちにさせる匂いがあるなんて、知らなかった。


 僕たちは、まるで匂いに体を引っ張られるように、無意識のうちに、あの不思議な家へと一歩、また一歩と近づいていた。


 一番家の近くまで来た僕が、勇気を出して、壁の四角い穴(窓)から中をそっと覗き込んだ。そして、息を呑んだ。


 家の中は、僕たちの家みたいに薄暗くて煙たい場所ではなかった。明るくて、物がきちんと片付けられていた。


 そして、部屋の隅には、粘土でできた箱(竈)があって、その中で炎が静かに燃えていた。火が、家の真ん中ではなく、隅っこにある箱の中に仕舞われて燃えている!


 その箱の前で、独り男が一人、何かをしていた。


 彼は、僕たちが想像していたような、恐ろしい化け物ではなかった。


 むしろ、その動きは、祭りの日に舞を舞う巫女さんのように、無駄がなく、どこか神聖に見えた。


 男の手元が、きらりと光った。

 水たまりに反射した太陽の光みたいに、鋭く、美しく。


 その光る板(包丁)で、男は野菜のようなものを、とんでもない速さで、同じ大きさに切りそろえていく。


 そして、黒くて丸い鉄の板フライパンの上で、それらを炒め始めた。


 ジュウウウッ、という音と共に、さっきよりもっともっと濃い、あの魔法みたいな匂いが、窓から溢れ出してきて、僕の脳みそをぐらぐらに揺さぶった。


 僕は、生まれて初めて、本当の「空腹」というものを知った気がした。

 いつもお腹は空いていたけれど、それはただ、お腹が空っぽだという感覚だった。


 でも、今僕が感じているのは、違う。あの匂いのする、あのキラキラした食べ物を、どうしても、どうしても食べてみたい、という、胸が苦しくなるほどの強い気持ちだった。


「……タケル、何が見える?」


 後ろから仲間が小声で囁いた。その声に我に返った僕は、自分がよだれを垂らしていることに気づいて、慌てて口元を拭った。


「……魔法使いだ」


 僕は、見たままの感想を、震える声で伝えた。


「あの男は、魔法使いだ。光る板で、食べ物に魔法をかけてるんだ」


 その時、僕が覗いていたことに気づいたのか、男がふと顔を上げて、こちらを見た。優しいような、少し驚いたような顔だった。


 僕たちは、心臓が口から飛び出しそうなくらいびっくりして、悲鳴を上げるのも忘れ、一目散に森の中へと駆け出した。


 村へ帰る道を、夢中で走りながら、僕の頭の中は、さっき見た光景でいっぱいだった。

 ありえないくらい綺麗な家。太陽の光みたいに光る板。そして、あの匂い。僕の人生で、一番良い匂い。


 もう、独り男のことは、少しも怖いと思わなかった。


(……あれ、食べてみたい)


 その日の夜、僕は、村のいつもと同じ、味の薄い粟の粥を食べながら、生まれて初めて、食事がつまらない、と感じていた。


 僕の心は、森の奥深く、あの不思議な厨房から漂ってきた、魔法の匂いに完全に取り憑かれてしまっていた。



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