黄金色の芋 後編
他の料理人たちの調理場は、湯気と甘い香りで満ちていた。
大量の干し柿を水で戻し、何時間もかけて煮詰めて、一匙の濃厚なペーストを作る者。数十個の栗を蒸し、その甘い部分だけを丁寧に裏ごしし、さらに煮詰めて団子にする者。
彼らは、蜜に並ぶほどに甘さを果実で「濃縮」するという答えに向かって、汗まみれで作業に没頭していた。
一方、朔の調理は地味で不可解なほどに単純だった。
彼は選び出した紅赤芋を、傷つけないよう丁寧に丁寧に泥を洗い落とした。そして濡れた麻布で、その芋を優しく包み込んだ。
それだけである。
次に彼が向かったのは、厨房で最も大きな炉の、その隅だった。
そこは直火が当たらず、分厚い灰がまるで柔らかな布団のように積もっている場所。
朔はその灰を深く掘り、麻布に包んだ芋をそっと埋めた。
そして、燃え盛る薪から、熾火となった炭をいくつか取り出すと、芋を埋めた灰のさらにその周りに円を描くように配置した。
「……おい、見たか? あいつのやってること」
その地味な作業を、他の料理人たちは嘲りの目で見つめていた。
「完全に戦意を喪失したらしい」
「位が一番下というのは、やはり伊達じゃないな」
嘲笑が、そんな朔の背中に降りかかり続ける。
◇◆◇◆◇◆◇
陽が落ち、十五人の料理人たちはそれぞれの作品を盆に乗せ、宮殿の謁見の間へと向かった。
卑弥呼が、玉座から静かに彼らを見下ろしている。
「第一位、オシヒト。前へ」
ユズリハの声に応え、料理長オシヒトが、自信に満ちた表情で進み出た。
彼が捧げたのは、黒く輝く濃厚なペーストを干し柿にかけた一品だった。
「陛下、これぞ蜜をも超える甘味、『熟柿の雫』にございます。百個の干し柿を集めて、甘さを引き出しました」
卑弥呼は、それを一口味わい、静かに頷いた。
「……確かに甘い。舌が痺れるほどにな」
その言葉を褒め言葉と受け取り、オシヒトは誇らしげに胸を張った。
続いて、第二位、第三位と、料理人たちが技術の粋を凝らした、「濃縮された甘味」のかかった果実を次々と献上していく。
大粒の栗を丁寧に裏ごしし、柿の実を煮詰めた汁で寄せ固めた茶巾絞り。
柿を干してさらに糖度を高め、木の実を挟んだもの。
様々な果実を煮詰め、葛で固めた、涼やかな水菓子。
どれもが美しく、甘く、広間は感嘆の声で満たされていった。
誰もが、この中から勝者が選ばれるのだと信じて疑わなかった。
「よろしい。次」
一方、卑弥呼の反応はどれも静かなものだった。
確かに、どれも甘い。
が、どれも、もう一度食べたいとは思わない。
「甘きもの」と言ったせいか、料理人たちは無駄な甘ったるさを善と捉えているふしがある。
同じ甘さを足し算すれば、力任せの単調な味になってしまい、べっとりと甘ったるくなる。
甘さは舌が喜ぶ程度で一線を引いて、なにかしら別の要素を付与する各人のセンスに期待していたが、各々には荷が重かったようだ。
なお、蜜と甘葛を禁止したのは、ひたすら甘ったるい品を嫌ったからである。
「わかった。次」
「よくやった。次」
卑弥呼の言葉が単調になっていく。
彼女は人知れずため息をついていた。
卑弥呼の期待に応える一品が出ないまま、十四人の献上が終わった。
残るは、最後の一人。
「第十五位、サク。前へ」
その声に広間の空気は、緊張から弛緩へと変わった。
豪華絢爛な宴の後座に、どうでもいい余興が始まる、そんな雰囲気だった。
朔は、静かに進み出た。
彼が捧げる盆の上には、何の飾り付けもない、素焼きの皿が一枚。
そしてその中央にただ一本、黒っぽい焼き芋がごろんと置かれているだけだった。
「なんだ、あれ」
「……まさか、ただの芋?」
「ぷっ」
誰かの失笑が響くと、立て続けに笑いが起こった。
「……サクよ。それが、そなたの答えか」
卑弥呼の声にも、失望の響きがあった。
「はい」と、朔は静かに答えた。
「これが、私が今用意できる中で、一番かと思います」
卑弥呼は、ふんと鼻を鳴らした。
「甘きものと言ったのに、まさか芋とは……そなたを買いかぶりすぎたようだ」
卑弥呼は投げやりな様子で侍女に命じ、その焼き芋を玉座へ運ばせた。
芋は、米を食べられない下級庶民の食べ物の代表である。
わざわざこの場で、女王たる自分が食べるものではない。
「もうよい。自分でやる」
さっさと終わらせるべく、芋を掴むと、卑弥呼は自らの手でその黒い皮を二つに割った。
直後。
卑弥呼の表情が一変した。
「……なっ」
割られた芋の中から現れたのは、見たこともない、まるで夕焼けの空をそのまま閉じ込めたかのような、濃密な黄金色の身だった。
その場にいた誰もが、息を呑んだ。
「こ……これは……」
卑弥呼が言葉を失う。
その身からは、透明で琥珀色に輝く蜜も、とろりと溢れ出しているのだ。
むせ返るような、甘く香ばしい香りが、それまでのどんな香りをも圧倒して、広間全体に広がった。
「ど、どういうことだ」
「なんだ、あの鮮やかな色は……紅芋の色じゃないぞ」
料理人衆も、初めて見る芋の変化に驚愕していた。
「な、なぜここに、蜜が……?」
卑弥呼は目の前の変化が信じられない。
「焼き方次第で、芋は自らの蜜を抱えるのです」
「なんと」
卑弥呼はその魅惑的な香りにもはや我慢できなくなり、その一欠片を、小さな匙で口に運んだ。
「………」
彼女の動きが、止まった。
目を、大きく、見開いたまま。
それは、衝撃だった。
「これ……は……」
舌に触れた瞬間、ねっとりと絡みつく、濃厚な甘さ。
だが、それはオシヒトが捧げた干し柿の雫のような、舌を刺す単調な甘さではない。
芋本来の香りを伴った、深く、複雑で、どこまでも優しい甘さだった。
滑らかな舌触りと、香ばしい皮の風味も、完璧な調和を生み出している。
甘葛よりも、なお甘く、そして遥かに、高尚な味わい。
「な、なんなのだ……これは……」
卑弥呼は言いながら、もう一口、二口と口に運んだ。
舌触りは、このたった一瞬で癖になってしまっている。
卑弥呼が、朔を見る。
「……信じられぬ……。この芋には、本当に何も加えておらぬのか」
ようやく、卑弥呼が、絞り出すように言った。
「はい。芋自身の甘さです」
「なぜだ。いったいどうすれば、ただの芋がこうなる?」
「【低温調理】といって、高すぎず、低すぎずの温度で時間をかけて焼いてやると、紅芋はこのように変化します」
芋に含まれるデンプンは、それ自体は甘くない。
だが、摂氏六十度から七十度という、特定の温度帯で長時間、じっくりと加熱すると、紅芋に含まれるデンプン分解酵素「アミラーゼ」が活発に働く。
アミラーゼは、甘くないデンプンを、甘い麦芽糖へと変えるのだ。
これにより、蜂蜜のブドウ糖、甘葛の主成分であるショ糖や果糖とは全く質の違う、麦芽糖による深く、複雑な甘さを創造することができる。
「まさか、芋がこれほどに化けるとは!」
卑弥呼は何度も何度も、芋を口に運んだ。
唸りながらも、まだ手は止まらない。
「………」
オシヒトが顔を歪め、歯噛みしていた。
朔の一品が卑弥呼の一番のお気に入りとなったことは、もはや誰の目にも明らかであった。
卑弥呼は匙を置くと、ユズリハに目で合図した。
「はっ」
承知したユズリハはその芋を皿ごと受け取り、下がっていく。
なかなかないことだが、これは『後で自室で味わって食べるから』という意味であった。
「さて」
卑弥呼が黒髪を後ろに払いながら、玉座から立ち上がった。
そして、こう言った。
「オシヒトよ。そなたをはじめ、他の者たちの料理は見事であった。甘きものをさらに甘くする、その技と熱意、確かに見届けた。皆、お題に応えようと、よく励んだ」
その言葉に、オシヒトたちは安堵の表情を浮かべた。
だが、卑弥呼の言葉は、そこでは終わらなかった。
「だが、サクよ」
卑弥呼は、今度は朔に熱のこもった視線を向けた。
「今宵、私の魂を最も震わせたのは、そなたの一皿であった」
広間が、水を打ったように静まり返る。
オシヒトの顔から、血の気が引いていくのが、誰の目にも分かった。
十四人の料理人たちは、まるで金縛りにあったかのように、呆然と立ち尽くしていた。
終わってみれば、十五番目の男の圧勝であった。
「他の料理人との差は圧倒的。たいしたものだ。まだ一度ゆえ順位は変えぬが、今後も期待しているぞ」
朔は、ただ静かに頭を下げた。
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