EP.41 仮契約のピアニスト
五月から駆け抜けた、フレイミングパイの中四国ツアー。
ファイナルの松山ライブを終えた四人は、束の間の休息を経て、2ndミニアルバムの制作に向けて動き始めていた。
ツアー中に作った曲の選定、アレンジの検討。練習スタジオに入り浸る日々が続いている。
年末の松山は、いつもより静かな雰囲気だった。
◇
十二月二十八日。
松山市内のとあるホールで、ピアノコンクールが開催されていた。
ホールの客席には、緊張した面持ちの保護者たちが並んでいる。ステージには黒いグランドピアノが一台、スポットライトを浴びて輝いていた。
「高校生の部、続いての出場者は……」
司会者の声が響く。
舞台袖で、一人の少女が深呼吸をしていた。
東雲旭。十六歳。
カグラの学校の後輩で、九月の学園祭でフレイミングパイと一緒にステージに立った少女だ。
あの日、旭はフレイミングパイの演奏に心を揺さぶられた。
もう一度、あの人たちと一緒に演奏したい。その想いを胸に、ここ数ヶ月、ピアノのレッスンに明け暮れてきた。
そして数日前、旭はフレイミングパイの松山ファイナルに足を運んだ。
四百人の観客と一緒に歌い、手を振り、声を上げた。四人の演奏を全身で浴びた。
あの日感じた熱が、まだ体の中で燃えている。
「東雲旭さん、どうぞ」
名前を呼ばれ、旭はステージに向かって歩き出した。
グランドピアノの前で立ち止まり、客席へ一礼をする。頭を上げた目線の先には母親の姿が見えた。少し緊張した表情で、こちらを見つめている。
旭は、ピアノの前に座り、鍵盤に指を置いた。
目を閉じる。
あの日のライブが蘇る。シーの歌声、ポンズのベース、カグラのギター、レアのドラム。四人の音が、一つになる瞬間。
あの時、私は気づいた。音楽は、一人で完結するものじゃない。
誰かの音と重なり、誰かの想いと交わり、そこから新しい何かが生まれる。
私も、あの中に入りたい。
旭は目を開け、最初の音を弾いた。
今まで感じたことがないくらい、自信に満ち溢れた演奏だった。
指が鍵盤の上を踊る。音が空間を満たしていく。
怖くない。迷いがない。
クラシックの譜面通りに弾いているはずなのに、心の中ではフレイミングパイの音が鳴っている。
自分の音が、自分の想いが、確かにここにある。
最後の音が消えた時、一瞬の静寂があった。
そして、大きな拍手が起きた。
◇
「高校生の部、優秀賞。東雲旭」
審査結果の発表で、旭の名前が呼ばれた。
表彰式を終え、ホールのロビーに出ると、母親が駆け寄ってきた。
「おめでとう旭ちゃん、本当に素晴らしかったわ〜」
母親が両手を広げて旭を抱きしめた。
「ありがとう、ママ」
旭は母親の腕の中で、少し身をよじった。そして、母親の顔を真っ直ぐに見上げた。
「ママ! 優秀賞取れたら、お願い聞いてくれる約束覚えてくれてる?」
「うん、何か欲しいものでもあるの?」
母親は優しく微笑んだ。きっと、新しいドレスか、アクセサリーか、そんなものを想像しているのだろう。
「違うよ〜音楽に関する進路のことって言うたやん」
そう言うと、旭は、少し考えてから意を決して母親に伝えた。
「わたし、クラシック音楽じゃなくて、ロックがしたい!」
「……え?」
母親の笑顔が、凍りついた。
◇
年が明けた。
元旦の朝、松山市の雄郡神社には、初詣の参拝客が列をなしていた。
境内には、焚き火の煙がゆらゆらと立ち上り、甘酒の匂いが漂っている。
その列の中に、フレイミングパイのメンバーと愛未、ヤマケンの姿があった。
「寒いな〜」
ポンズが両手をこすり合わせながら言った。吐く息が白い。
「でも、いい天気やね」
カグラが空を見上げた。冬晴れの青空が広がっている。
「去年もここで初詣したんやったな」
レアが周囲を見回した。
「うん。シーちゃんがお母さんとよく来てた神社やってね」
カグラが頷いた。
雄郡神社には、芸事・伎芸上達の神様と言われる天宇受売命が祀られている。シーがソロ時代から母親とよく訪れていた神社で、去年はフレイミングパイの四人で初詣に来た。今年は愛未とヤマケンも一緒だ。
「去年、うちはここで、自分たちの音楽が電波に乗って、もっと多くの人に届きますようにってお願いしたんよ」
ポンズが感慨深げに言った。
「それで、ラジオ番組が始まったんやもんな」
レアが頷いた。
「大きなイベントにも出演できたし、ツアーもできた。愛媛を飛び出して、もっと多くの人に音楽を届けられた」
シーが静かに言った。
「ご利益、すごいですね」
ヤマケンが呟くと、愛未が微笑んだ。
「去年のお礼と、今年もまたお願いをしないとね」
やがて列が進み、四人は本殿の前に立った。
賽銭を投げ、二拝二拍手一拝。
それぞれが、心の中で願い事を唱える。
ポンズは両手を合わせて、力強く願った。2ndアルバムが最高のものになりますように。もっともっと、たくさんの人に聴いてもらえますように。
シーは目を閉じて、静かに祈った。大きな舞台に立てますように。そして、みんなが健康で、音楽を続けられますように。
カグラは穏やかな表情で祈った。みんなと一緒に、ずっと音楽ができますように。
レアは少し迷ってから、祈った。
(……去年、ついでにアニキのことお願いしたから、M-1二回戦止まりだったのかな。今年は……)
ちらりと、隣に立つヤマケンを見た。
健ちゃんが、事務所やライブハウスにいてくれますように。
結局、兄のことはまたついでになった。
(……アニキ、ごめん)
◇
初詣を終えた一行は、ROCK STEADYにあるSTMの事務所に向かった。
2ndアルバムについての相談をするためだ。
事務所の扉を開けると、岩田が出迎えてくれた。
「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます!」
六人が揃って挨拶を返した。
「元旦から、お客さん来とるよ」
「お客さん?」
愛未が首を傾げた。元旦から、誰が来ているのだろう。
岩田が事務所の奥を指差した。
そこには、二人の女性が座っていた。
一人は四十代くらいの、上品な雰囲気の女性。もう一人は……
「明けましておめでとうございます!」
と、椅子から立ち上がって、元気な声が響かせた。
「あ、ポンズ2号!」
ポンズが叫んだ。
「旭ちゃん!」
カグラも驚いた顔で声を上げた。
東雲旭と、その母親だった。
旭は笑顔で、もう一度深々とお辞儀をした。
「お正月早々、突然お邪魔してすみません」
その隣で、母親も頭を下げた。少し困惑した表情を浮かべている。
◇
「この子、ピアノコンクールで優秀賞を取ったんです」
旭の母親が説明を始めた。
「それで、優秀賞が取れたら、ピアノに関する進路を決めさせて欲しいと約束をしていたんです」
「進路……」
愛未が頷いた。
「旭の希望は、クラシックピアニストではなく、作曲、編曲専門のピアニストになりたいということでして……」
母親の声が、少し困惑を帯びる。
「そのためにロックやポップスなど幅広い音楽を学びたい、どうしても一緒に演奏したい人たちがいる、と言うもので……新年早々、馳せ参じた次第です」
母親は苦笑いを浮かべた。娘に振り回されている、という表情だ。
「そっか……覚悟を決めてきたんやね」
シーが旭に視線を向けた。
旭は真っ直ぐにシーを見つめ返した。
「はい!」
元気な声が、事務所に響いた。
「松山ファイナル、見に行きました。すごかったです。四百人のお客さんと、フレイミングパイのみなさんが、一つになってました」
旭の目が輝いている。
「あの場所に、私も立ちたいって思ったんです。クラシックのコンクールとは、全然違う熱さがありました」
「旭ちゃん……」
カグラが感動したように呟いた。
「それに、九月の学園祭で一緒に演奏した時、私、すごく楽しかったんです。もう一度、みなさんと一緒に演奏したいって、ずっと思ってました」
ポンズが目を輝かせた。
「うちもや! 旭ちゃんとまた演奏したいって思っとった!」
「本当ですか!?」
「うん! 実はな、うち、ずっと楽曲にピアノアレンジで幅を広げたいって思っとったんよ。レコーディングを前に旭ちゃんが来てくれたの、めっちゃ嬉しい!」
ポンズが両手を広げて喜んだ。
「ポンズさん……」
旭の目に、涙が滲んだ。
◇
「あの、確認させてください」
愛未が口を開いた。マネージャーとしての顔になっている。
「メンバーも歓迎しているようですが、旭さんはフレイミングパイに加入するということになりますけど?」
旭と母親に視線を向けた。
「え……加入?」
母親が戸惑った表情を浮かべた。
「はい、お嬢さんがおっしゃっているのは、私の事務所所属のバンドに加入するということです。単にピアノを弾くだけではなく、一緒に活動するということになります。それには事務所との契約が必要になります」
「一緒に活動……契約……」
母親はまだピンと来ていないようだった。どこかの楽団に加入するくらいにしか考えていないのだろう。
旭がちらりと愛未を見た。少し申し訳なさそうな表情だ。母親には、詳しく説明していなかったのかもしれない。
愛未はそれを察したが、表情を変えずに説明を続けた。
「フレイミングパイは、ライブ活動を中心に行っているバンドです。ラジオ番組にも出演していますし、今後はさらに活動の幅を広げていく予定です」
「ラジオ……」
「はい。毎週金曜日の夜に、FMマツヤマ放送局で番組を持っています」
「え? まるで芸能活動みたいじゃないですか」
母親の顔色が変わった。初めてことの重大さを理解したようだ。
「芸能……旭、あなた、そんなこと一言も……」
「ママ、聞いて」
旭が母親の手を取った。
「私、本気なの。クラシックピアノも好きだけど、もっと広い音楽の世界を知りたい。フレイミングパイのみなさんと一緒に演奏して、作曲や編曲を学びたいのは本心なの」
「でも、芸能活動なんて……」
「私、別に芸能人になりたいわけじゃないよ」
「あ、あの、旭ちゃんのお母さん」
シーが口を開いた。真っ直ぐな目で、母親を見つめる。
「うちらは、旭ちゃんには才能があることを知っています。九月の学園祭で一緒に演奏した時、旭ちゃんにはすごい可能性があるって感じました」
「シーさん……」
「うちら、まだまだ駆け出しのバンドです。でも、多くの人に音楽を聴いてもらって、日本武道館でライブすることを本気で目指しています。旭ちゃんがその夢に一緒に向かってくれるなら、こんなに心強いことはありません」
ポンズが続けた。
「旭ちゃんのピアノ、本当にすごいんです。うちらの曲に、新しい色を加えてくれる。絶対に、もっといい音楽が作れるって信じてます」
カグラも頷いた。
「旭ちゃんとは、同じ学校の先輩後輩でもあります。私、旭ちゃんのこと、ずっと見守っていきたいと思ってます」
レアが最後に言った。
「うちらは、旭ちゃんを大切にします。学業も、音楽も、両方ちゃんとできるように、みんなで協力してサポートします」
旭の目から、涙がこぼれた。
「みなさん……」
母親は四人の言葉を聞いて、少し表情を和らげた。でも、まだ不安そうだ。
「でも、高校生がバンドでライブ活動なんて……学業に支障が出たら……」
「その点については、ご説明させてください」
愛未が資料を取り出した。
「STMでは、未成年、とりわけ高校在学のメンバーに対して、いくつかの契約事項を設けています」
愛未は丁寧に説明を始めた。
「まず、高校生は学業を優先すること。テスト期間や受験期間は、活動を制限します。現に同じ高校の神楽坂さんは成績を維持し、大学進学もしっかり視野に入れて、頑張っています。」
母親が頷いた。
「そして、高校卒業時、成人時、そして一般的に社会人として独立する二十二歳の時、それぞれの節目で活動について話し合い、本人たちの意思を確認して、バンド活動の継続について決めることにしています」
「節目ごとに、話し合い……」
「はい。強制は一切ありません。本人が続けたいと思えば続ける、辞めたいと思えば辞める。その判断は、ご本人とご家族に委ねます」
母親は愛未の説明を聞きながら、ゆっくりと頷いた。
「旭は、本当にこれがやりたいん?」
「うん、ママ。本当にやりたいんよ」
旭が母親の目を見つめた。
「私、ピアノコンクールで優秀賞を取れたん、フレイミングパイのおかげなん。去年の学園祭で一緒に演奏してから、すごいパワーをもらったん。全然怖くなかった……あんなに自信を持って弾けたん、生まれて初めてやった」
「旭……」
「だから、フレイミングパイの一員になりたいんは確かやけど、それ以上に私のピアノで、一緒に新しい音楽を作っていきたいんよ」
母親は長い間、旭の顔を見つめていた。
そして、ため息をついた。
「……わかったわ」
「ママ!」
「でも、学業は絶対に疎かにしないこと。成績が下がったら、活動は休止。いいわね?」
「うん! 約束する!」
旭が母親に抱きついた。
「ありがとう、ママ!」
母親は苦笑いしながら、旭の頭を撫でた。
「まったく、あなたには敵わないわね……」
◇
母親は愛未から渡された契約内容を書いた資料を持ち帰った。旭は改めてメンバーたちの前に立った。
「改めまして、東雲旭です。よろしくお願いします!」
深々とお辞儀をする。
「よろしく、旭ちゃん!」
ポンズが手を差し出した。旭がその手を握ると、ポンズはぶんぶんと振り回した。
「ポンズ2(ツー)、とりあえずは仮加入やな!」
「ポンズさん、その呼び方……」
「いいやん、可愛いやろ?」
「えへへ……」
旭は照れくさそうに笑った。
「さて、旭ちゃんも加わったところで、2ndミニアルバムの話をしようか」
愛未が切り出した。
「まだ、本契約やないんやろ? レコーディングに参加できるん?」
シーが心配して言った。
「ふふ、そこはまあちゃんと考えてある。契約に至らなくてもゲストミュージシャンとして、こっちから依頼をかけるようにする」
「なるほど」
「でもみんなの希望に添えるように動くから心配しないで……じゃ、レコーディングに向けて、楽曲のアレンジを詰めていかないとね」
「はい!」
全員が頷いた。
「まず、収録曲だけど……ツアー前に作ったシーの『雨と交叉路』とポンズの『See You』、ツアー中に作ったポンズの『夏の終わりに』。この三曲は入れたいでしょ?」
「はい」
「あとは、ポンズ、シー、みんなに任せるよ。みんなが一番伝えたい曲を選んでね」
「わかった」
ポンズとシーが頷いた。
「じゃあ、明日から練習スタジオで音合わせやな」
「旭ちゃん、早速やけど、明日から来れる?」
ポンズが聞くと、旭は元気よく答えた。
「はい! よろしくお願いします!」
◇
翌日から、練習スタジオでの音合わせが始まった。
旭がキーボードの前に座り、フレイミングパイの四人が楽器を構える。
「じゃあ、まずは『夏の終わりに』から合わせてみよう」
ポンズが言った。
「旭ちゃん、譜面見てもらえる?」
「はい」
旭が譜面を受け取り、目を通す。
「この曲、ピアノが入ったらもっと良くなると思うんよ。イントロとサビで、こういう感じのアレンジを入れたくて……」
ポンズが口で説明しようとするが、うまく伝わらない。
「あ、待って。弾いてみます」
旭がキーボードに指を置き、即興でフレーズを弾いた。
「こんな感じですか?」
ポンズの目が輝いた。
「それそれ! まさにそれ! なんでわかるん!?」
「えへへ、ポンズさんの曲、よく聴いてたので……」
「旭ちゃん、天才やん……そういえば、カグラちゃんと初めて会った時も一発で弾いたな……同じ学校にこんな二人がいたなんて……」
「ポンズ、いつまで感激してんの? 合わせてみようか」
シーが言った。
レアがカウントを取り、演奏が始まった。
ポンズのベースが唄う、カグラのギターが響く。ポンズのボーカルとシーのコーラスの声が空間を満たし、レアのドラムがリズムを刻む。
そして、旭のピアノが加わった。
曲に、新しい色が生まれた。
ポンズの思い描いていた「夏の終わりに」が、形になっていく。
演奏が終わると、ポンズが興奮した様子で叫んだ。
「これや! これがうちの求めてた音や!」
「本当ですか!?」
「うん! 旭ちゃんのピアノ、最高!」
旭は嬉しそうに頬を染めた。
でも、それだけじゃない。旭は自分の中で、何かが動き始めているのを感じていた。
ポンズの曲を聴いて、その世界観を理解して、どんなピアノが合うかを考える。それは、ただ譜面通りに弾くのとは全く違う作業だった。
曲の色を変える。曲の形を作る。
これが……編曲ってことなのかもしれない。
旭の胸の中で、小さな火が灯った。
しかし、次の瞬間、旭の表情が少し曇った。
「あの……ポンズさん、多分調弦合ってないです」
「え?」
ポンズがベースを見た。
チューナーで確認する。
「……ほんまや、3弦がちょい低い」
「すごい、よくわかったな」
レアが感心した。
「シーさんも時々低音のソが高いです」
「え? チューナーは合ってるけど……」
シーが困惑した表情を浮かべた。
「抑えてる時です。それ、そのコードの時」
「Gの時? この時の6弦?」
カグラが気づいた。
「シーちゃん、アコギ弾いてたから、強く抑えすぎなんじゃ? 抑えすぎると軽くシャープするの」
「あ……」
シーが自分の左手を見た。確かに、力が入りすぎているかもしれない。
ポンズとシーは目を合わせた。
「これって……」
「「絶対音感!!」」
二人が同時に叫んだ。
「え、あ、はい……」
旭が照れくさそうに頷いた。
「小さい頃からピアノやってたので、いつの間にか身についてて……」
「すごいやん!」
ポンズが旭の肩を叩いた。
「うちらなら気づかんところ、旭ちゃんが見つけてくれるやん!」
「これは心強いな」
シーも感心した様子で頷いた。
「旭ちゃん、これからもビシビシ指摘してな」
「は、はい! よろしくお願いします!」
旭は頭を下げながら、心の中で思った。
絶対音感があるから、他の人が気づかない音のズレがわかる。それは、曲全体のバランスを整えるのにも役立つはずだ。
私にできることが、ここにある。
◇
音合わせは順調に進んだ。
旭のピアノが加わることで、フレイミングパイの楽曲は新しい輝きを放ち始めた。
「夏の終わりに」は、ポンズのイメージ通りの楽曲に仕上がった。切なさと温かさが同居する、夏の終わりの空気感が、旭のピアノによって見事に表現されている。
旭は気づいた。ピアノの音色一つで、曲の印象がこんなにも変わるのだと。高音を強調すれば透明感が増し、低音を効かせれば深みが出る。どこで音を重ね、どこで引くか。それが編曲の醍醐味なのだと。
「雨と交叉路」も、ライブバージョンからさらにバージョンアップした。旭のピアノが、シーの歌声を優しく包み込むようなアレンジになった。
「旭ちゃん、このイントロのアルペジオ、すごくいいね」
シーが言った。
「シーさんの歌詞を読んで、雨の雫が落ちるイメージで弾いてみたんです」
「歌詞から音をイメージしたん?」
「はい。『雨と交叉路』って、別れと再会の歌ですよね。だから、最初は一粒ずつ落ちる雨が、だんだん重なっていくような……」
シーは目を丸くした。
「旭ちゃん、それ、まさにうちが曲を作った時に思ってたことや」
旭の胸が熱くなった。作曲者の想いを理解して、それを音で表現する。これが、自分のやりたいことなのかもしれない。
「See You」は、もともとカグラがピアノを弾いていたが、旭が加わることで、カグラはギターに専念できるようになった。
「先輩、ピアノは私が弾くので、ギターでお願いしていいですか?」
「うん、ありがとう旭ちゃん。私、やっぱりギターの方が好きだから」
「See You」のアレンジも、よりバンドらしい厚みが生まれた。
そして、残りの曲の選定。
「バラード曲ばっかりが三曲あるけど、どうする?」
シーが言った。
「うーん、前とおんなじ五曲収録やとしたら、偏るかなとは思うけど……」
ポンズが考え込んだ。
「でも、どの曲も思い入れがあるんよな。ツアーで歌ってきた曲やし」
「全部入れたらええやん」
レアがあっさりと言った。
「え、全部?」
「今回、レコーディングスケジュール、多めに組んでくれてるんやって。バラード曲全部入れて、うちららしい曲も入れたらええやん」
「七曲くらいなら、ミニアルバムとしてはちょうどいいボリュームかもしれん……」
シーが考えながら呟いた。
「じゃあ、うちららしい曲を四曲と、バラード三曲で、七曲でいこう!」
ポンズが指を折りながら言った。
「アップテンポな曲……うちからは『迷子のメロディ』と『サイレントノイズ』はどう? ライブでだいぶ仕上がってきたし」
シーが提案した。
「ええやん! じゃあうちは『サンデーサイクリング』を入れたい! これ自信作なんよ」
ポンズが手を挙げた。
「じゃあ私は、『コントラスト』入れたい……」
カグラが控えめに言った。
「カグちゃん、詞できたんや」
シーが言うと、カグラは少し恥ずかしそうに言った。
「うん……シーちゃん、またアドバイスもらっていい?」
「もちろん」
こうして、2ndミニアルバムの収録曲が決定した。
フレイミングパイらしいアップテンポな四曲──シーの「迷子のメロディ」「サイレントノイズ」、ポンズの「サンデーサイクリング」、カグラの「コントラスト」。
バラード三曲──シーの「雨と交叉路」、ポンズの「夏の終わりに」「See You」。
計七曲のミニアルバムが、形になろうとしていた。
「じゃ、サトちゃんにメッセージしとくわ」
ポンズは愛未に収録予定曲のリストをメッセージした。
五人はミニアルバム制作に意欲を沸き立たせていた。
旭は、七曲のリストを見つめながら思った。
この七曲全部に、私のピアノが入る。私のアレンジが、フレイミングパイの音になる。
まだ始まったばかりだけど、確かに自分の居場所がここにある気がした。
◇
一月中旬。
レコーディングの打ち合わせの日がやってきた。
メンバーたちは、松山市内のレコーディングスタジオ「STUDIO T-STEADY」にやって来た。
以前、初めてのミニアルバムのレコーディングでお世話になったスタジオだ。
「おはようございます!」
スタジオの扉を開けると、社長の田中と、レコーディングエンジニアの一色が出迎えてくれた。
「おお、みんな久しぶりやな。明けましておめでとう。」
田中が笑顔で手を差し出した。
「明けましておめでとうございます。今回もよろしくお願いします」
ポンズが握手に応じた。
「今回は七曲て聞いてるで。前回より二曲多いな、気合い入っとるな」
「はい、スケジュール押さえていただいてありがとうございます」
愛未が頭を下げた。
「前より時間もあるし、じっくり良い音作りができるで……あれ、メンバー増えとる?」
田中が旭に気づいた。
「はい、東雲旭です。キーボードで参加させていただきます」
旭が深々とお辞儀をした。
「ほう、若いな。キミも高校生?」
「はい、高校一年生です」
「しっかりしとるなあ。よろしゅうな」
「よろしくお願いします!」
一色が旭に近づいてきた。
「東雲さん、キーボード担当なんだね。作曲や編曲にも興味あるんやって?」
「はい! 将来は作曲、編曲専門のピアニストになりたいと思ってます」
「いいね。僕も作曲編曲を学んできたから、何か聞きたいことがあったら遠慮なく聞いて」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
旭の目が輝いた。一色は「オレンジの坂道」にストリングスアレンジを加えた人物だ。
音合わせの時に感じた、あの小さな火。それをもっと大きくしてくれる人が、ここにいる。
旭にとって、刺激的な出会いになることは間違いなかった。
「じゃ、早速打ち合わせ始めようか」
田中が手を叩いた。
「七日間で七曲、じっくりええ音作ろうや」
「はい!」
全員が声を揃えた。
窓の外には、冬の青空が広がっている。新しい年の始まり。新しい仲間との始まり。
フレイミングパイの2ndミニアルバム。
その制作が、今、始まろうとしていた。




