EP.39 松山ファイナル(前編)
時を遡ること三ヶ月前、九月の終わり。
カグラの学園祭を終えたメンバーを送り届けた後、STMの事務所で愛未は頭を抱えていた。
秋の夜風が窓を揺らしている。デスクの上には、松山ファイナルの企画のために印刷された紙が散乱していた。
中四国ツアーの締めくくりとなる松山ファイナル公演。フレイミングパイが出演しているラジオ局に協賛をもらうために企画書を作成しているのだが、肝心な会場が決まらないのだ。
「ラジオの公開収録を兼ねている上に……今のあの子たち、ROCK STEADYじゃ、お客さん入りきらないわね……」
愛未がため息をついた。眉間に皺が寄っている。
ROCK STEADYのキャパは百二十人。ツアーを経て、フレイミングパイの知名度は確実に上がっている。ラジオ番組の効果もあり、チケットの問い合わせは日に日に増えていた。
広島公演が四十人、淡路公演が七十人だったが、松山はホームグラウンドだ。少なく見積もっても二百人は来る。いや、もっと来るかもしれない。
嬉しい悲鳴ではある。しかし、会場が見つからなければ、その期待に応えることができない。
「松山インディーズフェスの時の会場は?」
愛未は以前出演したライブハウスに連絡を入れていた。キャパ三百人。ちょうどいいサイズだ。
しかし、返ってきた答えは「年末は予約でいっぱい」だった。
「どうしよう……」
愛未はパソコンの画面を見つめながら、松山市内のライブハウスをリストアップしていた。マウスを握る手に、無意識に力が入る。しかし、三百人規模の会場は限られている。しかも年末の土曜日という人気の日程だ。
このままでは、せっかくの松山ファイナルが中途半端なものになってしまう。愛未の胸に、焦りが募っていく。
そんな時、愛未のスマホが鳴った。画面にはヤマケンの名前が表示されている。
「佐藤さん、松山ファイナルの会場、まだ決まってないんですよね?」
「そうなの。困ってて……」
愛未は正直に答えた。電話越しに、ヤマケンの息遣いが聞こえる。
「ちょっと心当たりがあるんで、確認してから連絡します」
ヤマケンの声には、何か期待させるものがあった。愛未は思わず身を乗り出した。
「本当? 助かるわ」
「まだ確定じゃないんで、期待しすぎないでくださいね」
そう言いながらも、ヤマケンの声には自信が滲んでいた。
◇
翌日の午後、ヤマケンがSTMの事務所にやってきた。
秋晴れの光が窓から差し込んでいる。ヤマケンの表情は、昨日の電話の時よりも明るかった。
「佐藤さん、会場見つかりました」
「本当!?」
愛未が椅子から立ち上がり、身を乗り出した。
「STUDIO CRIMSONっていう会場です。今年の春にオープンした新しいライブホールで、キャパは四百五十人」
「四百五十人……」
愛未が息を呑んだ。ROCK STEADYの三倍以上だ。
「大きすぎない? 埋まるかしら……」
「いや、いけると思います。ラジオの効果もありますし、ツアーで獲得したファンも来てくれるはずです」
ヤマケンが熱っぽく語る。
「どうやって見つけたの?」
「実は、友達から紹介してもらったんです」
「友達?」
「ショータさんです。宝来さんの兄貴」
愛未は目を瞬かせた。
「ああ、レアのお兄さん?」
「はい。ショータさん、お笑いやってるんですけど、この会場でお笑いライブやったことあるらしくて」
「へえ……」
「それで、フレイミングパイの松山ファイナルの会場探してるって相談したら、ここを紹介してくれたんです。オーナーにも話を通してくれて」
愛未は感心したように頷いた。
「ショータさん、気が利くわね」
愛未はスマホでSTUDIO CRIMSONを検索した。
松山市駅近くにある、真新しいライブホール。ステージ設備も音響設備も最新で、照明も充実している。写真を見る限り、申し分ない会場だった。
「いいわね、ここ。見学に行ってみましょう」
「はい!」
◇
九月の終わり、愛未とヤマケンはSTUDIO CRIMSONを訪れた。
秋晴れの陽射しが、松山市駅前の繁華街を照らしている。人通りの多い通りを少し入ったところに、ガラス張りの外観が印象的なビルがあった。真新しい壁面には「STUDIO CRIMSON」のロゴが輝いている。一階がエントランス、地下一階がライブホールになっている。
「いらっしゃい」
オーナーの男性が、エントランスで出迎えてくれた。四十代くらいの、穏やかな雰囲気の人だ。柔らかな笑顔が印象的だった。
「ショータくんから聞いてるよ。フレイミングパイだよね。ラジオ聴いてるよ」
「ありがとうございます」
愛未が頭を下げた。
「案内するよ。中を見てみて」
地下への階段を降りると、広々としたライブホールが広がっていた。
黒を基調とした壁面に、最新の照明設備が並んでいる。天井には複数のスポットライトが吊り下げられ、ステージを照らす準備が整っていた。客席は緩やかな段差がついていて、後ろの方からもステージがよく見える設計だ。
まだ新しい会場特有の、清潔感のある空気が漂っている。
「音響もこだわってるんだ。PAシステムは最新のものを入れてる」
オーナーが誇らしげに説明しながら、ステージ脇の機材を指差した。
「すごい……」
愛未は会場をゆっくりと見渡した。ROCK STEADYとは比べ物にならない規模だ。ステージに立てば、どんな景色が見えるのだろう。四人がここで演奏する姿を想像して、愛未の胸が高鳴った。
「ショータくんのお笑いライブの時は、他の芸人さんもたくさん呼んで、三百人くらい入ったかな。あの子も面白いよね。M-1の一回戦突破したんだよ」
「そうらしいですね」
ヤマケンが答えた。
「十月だっけ二回戦。確か大阪」
「オーナーさん詳しいですね?」
「うん。ショータくんとは、この会場のこけら落としの時からの付き合いでね。いい芸人さんだよ、あの子」
オーナーは懐かしそうに言った。
「それで、年末の土曜日希望だよね。十二月二十日。ちょうど仮おさえのダンスイベントがキャンセルで、空いているよ」
「本当ですか!?」
愛未の顔がぱっと輝いた。諦めかけていた希望が、目の前で形になろうとしている。
「うん。こっちも年末埋まって助かるよ。フレイミングパイのファイナル、ここでやってよ。楽しみにしてる」
オーナーの温かい言葉に、愛未は思わず深々と頭を下げた。そして、差し出された手を両手でしっかりと握り返した。
松山ファイナルの会場が、ついに決まった。
事務所に戻る道すがら、愛未は何度も振り返ってSTUDIO CRIMSONのビルを見上げた。あの場所で、四人が最高のライブをする。その光景を思い浮かべるだけで、足取りが軽くなった。
◇
十月の終わり、oasisの東京ドームライブを堪能し、すっかりレアと仲良くなったヤマケンは、電話でレアに会場のことを伝えた。
夜の松山。ヤマケンは自室のベッドに腰掛けながら、スマホを耳に当てていた。
「え、STUDIO CRIMSON? あそこ、アニキがお笑いライブやったって聞いとったけど、新しいとこよね」
レアの声が弾んでいる。驚きと興味が入り混じった声だ。
「そうそう、ショータさんが紹介してくれたんよ」
ヤマケンが説明すると、電話の向こうで一瞬の沈黙があった。
「アニキが? うちは何にも聞いてないんやけど」
「まあ、正式には決まってなかったしね」
「へえ……」
レアの声が少し小さくなった。照れているのだろうか。ヤマケンには、電話越しでもレアが俯いている姿が目に浮かんだ。
「アニキも結構、いろいろやってるんやな……」
「いいお兄さんじゃない」
ヤマケンは微笑みながら伝えた。レアの家族の話を聞くのは、なんだか嬉しかった。
「まあ……うん……そうそう、M-1二回戦落ちたって」
レアは話をはぐらかすように、話題を変えた。電話の向こうで、きっと顔を赤くしているに違いない。
「ああ、そうやったんや。残念やったね」
「で、キャパ四百五十人やろ? 埋まるかな?」
レアは少し心配そうに聞いた。声のトーンが真剣になっている。
「チケットは三百枚販売するつもり。追加があれば、様子を見て決めるって」
「三百枚か……」
レアは息を呑んだ。
「ROCK STEADYの倍やんね」
「いけるよ。みんなの力なら」
ヤマケンは強く断言した。
「ラジオでも宣伝していくし、ツアー中も告知を続ける。絶対成功させよ!」
「うん! なんか健ちゃん、もう立派なマネージャーさんやな」
レアの言葉に、ヤマケンは少し黙った。
「いや、まずは大学卒業して、就職しないとね……」
電話の向こうで、レアも黙った。
インターンが終わったら、ヤマケンはどうするのだろう。就職したら、もうバンドのそばにはいられなくなるのだろうか。
その沈黙が、何を意味しているのか、二人とも口にはしなかった。
「……ほな、また明日」
「うん、また」
電話を切った後も、ヤマケンはしばらくスマホを見つめていた。レアの声が、まだ耳に残っている気がした。
一方、レアも自室のベッドに寝転がりながら、天井を見上げていた。
「健ちゃん……か」
呟いた自分の声に、なんだか恥ずかしくなって、レアは枕に顔を埋めた。
◇
淡路ライブを終え、すぐにチケットが発売された。
発売開始は祝日の振替休日となった月曜日の午前十時。
愛未はSTMの事務所で、パソコンの画面を睨んでいた。チケット販売サイトの管理画面だ。手元のコーヒーカップは、もうすっかり冷めている。
「さて、どうなるか……」
時計の秒針が、十時を指した。
画面の数字が動き始めた。
「一枚……五枚……十枚……」
みるみるうちに数字が増えていく。愛未は思わず椅子から身を乗り出した。
「三十枚……五十枚……」
愛未は目を疑った。画面の数字が、現実のものとは思えない。
「百枚……」
発売開始から三十分で、百枚が売れた。
「嘘でしょ……」
一時間後、二百枚。愛未は何度も画面を更新した。数字が間違っていないか確かめるように。
午後三時、三百枚。
完売だった。
「完売……したわ……」
愛未は震える手でスマホを取り出した。画面がぼやけて見える。涙が滲んでいるのだと気づいた。メンバーのグループLINEにメッセージを送る。
愛未『チケット完売しました』
すぐに返信が来た。スマホが次々と震える。
ポンズ『えええええ!?もう!?』
シー『マジで!?』
カグラ『すごい……』
レア『やったーーー!』
愛未は画面を見つめながら、目頭が熱くなるのを感じた。
三百枚。三百人が、フレイミングパイのファイナルを見に来てくれる。
半年前、ROCK STEADYで数十人を前にライブをしていた四人が、今や三百人を集められるバンドになった。その成長を、愛未は間近で見てきた。
しかし、これで終わりではなかった。
完売後も問い合わせが殺到したのだ。メールも電話も鳴り止まない。
「チケットはもうないんですか?」
「追加販売の予定はありますか?」
「県外から行くつもりだったのに……」
悲痛な声に、愛未は即座に追加販売を決定した。
追加の百枚も、三日で完売した。
四百枚。四百人が、松山ファイナルに集まる。
県外からの申し込みも多かった。広島、香川、高知、徳島。ツアーで訪れた土地から、ファンが松山に来てくれる。あの時出会った人たちが、また会いに来てくれる。
翌週、STMに集まった四人に、愛未から完売の報告がされた。
「みんな、来てくれるんやな……」
シーがポツリと呟いた。いつもは堂々としているシーの声が、少し震えている。
「うん。うちらのライブを、見たいって思ってくれてる人がこんなにおるんや」
ポンズが頷いた。その目には、感謝と決意が混じり合っていた。
「絶対、最高のライブにしような」
四人は拳を合わせた。その手に、力がこもる。
四百人の期待を背負って。
中四国ツアーの集大成として。
フレイミングパイは、松山ファイナルに向けて走り出した。
◇
十二月二十日、土曜日。
松山ファイナル当日。
朝八時、フレイミングパイのメンバーはSTUDIO CRIMSONに集合した。
十二月の朝は冷え込んでいる。吐く息が白い。街路樹の枝は葉を落とし、冬の空が広がっている。しかし、四人の表情には熱気があった。頬は寒さで赤らんでいるが、目は輝いている。
「おはよう、みんな」
愛未が出迎えた。その隣にはヤマケンもいる。二人とも、わずかに目の下にクマがあった。昨夜遅くまで映像の最終調整を進めていたのだ。
「おはようございます」
四人が揃って挨拶した。いつもより声が大きい。緊張と興奮が入り混じっている。
「さあ、入って。まずはステージのセットアップを手伝って」
地下のライブホールに入ると、ライブハウスのスタッフが機材を運び込んでいるところだった。
「おはようございます! 手伝います!」
ポンズが真っ先に声をかけ、アンプを運び始めた。シー、カグラ、レアも続く。四人は自分たちの機材だけでなく、照明の調整やケーブルの配線も進んで手伝った。
「助かるよ、ありがとう」
スタッフが笑顔で言った。
「自分たちのライブやけん、当然です」
シーが答えた。汗を拭いながら、でもその表情は晴れやかだ。
セットアップが終わり、いよいよリハーサルが始まる。
「健ちゃん、昨日遅くまでご苦労様」
レアが声をかけた。自然と、労りの気持ちが声に滲む。
「いや、これくらい。今日は最高のライブにしよう」
ヤマケンが笑顔で答えた。二人の視線が一瞬交わり、すぐに逸れた。
「……」
シーとポンズが目配せした。やはりこの二人……。でも今は、それを突っ込む空気ではない。
その時、ライブハウスの入り口から声がした。
「おはようございまーす!」
明るい声と共に、デニムにニットというカジュアルな格好の女性が降りてきた。FMマツヤマ放送局の近藤エリカだ。ラジオ番組「フレイミングパイのシーポンカグレア」で、四人と一緒にパーソナリティを務めている。
「エリカさん!」
ポンズが駆け寄った。
「今日は公開収録、よろしくお願いします!」
「こちらこそ! みんな、調子はどう?」
「バッチリです!」
「緊張してます……」
ポンズとカグラが同時に答えて、みんなで笑った。
「大丈夫、いつも通りやればいいから。リスナーさんも楽しみにしてるよ」
エリカの言葉に、四人は頷いた。ラジオで培った絆が、今日のライブを支えてくれる。
「さ、リハーサル始めよう!」
ポンズが大きな声で言った。場の空気を切り替えるように。
四人がステージに上がる。
シーがギターを手に取り、ポンズがベースを構える。カグラがギターを抱え、レアがドラムの椅子に座った。
客席は空っぽだ。でも、あと数時間後には、ここに四百人が集まる。その光景を想像して、シーは深呼吸した。
「よし、いくで」
シーの合図で、演奏が始まった。
広いホールに、四人の音が響く。ROCK STEADYとは違う、広がりのある音だ。天井が高いせいか、音が伸びやかに広がっていく。
「音の返りが全然違うな……」
シーが呟いた。自分の声が、空間を満たしていく感覚。これが四百人の前で響くのだと思うと、背筋がぞくりとした。
「うん、気持ちいい」
ポンズも頷いた。ベースの低音が、床を通じて足裏に伝わってくる。
リハーサルは順調に進んだ。音響の調整、照明のチェック、MCの確認。一つ一つ丁寧に確認していく。
そして、オープニング映像のチェック。
「山田くん、映像の準備は?」
愛未が聞いた。
「バッチリです。昨日の夜、最終調整しました」
ヤマケンがパソコンを操作すると、スクリーンに映像が流れ始めた。
最初に映ったのは、路上でギターを弾くシーの姿だった。
美咲とその仲間が撮影した、バンド結成前の映像だ。夕暮れの商店街で、一人で歌うシー。通りすがりの人が足を止めている。まだ誰にも知られていなかった頃の、でも確かに輝いていた姿。
「うわ、懐かし……」
シーが呟いた。あの頃の自分に、今の自分を見せてやりたい。お前は間違ってなかったよ、と。
次に、シーとポンズの二人の路上ライブ。ポンズがエピフォンテキサンを弾き、シーがヘッドウェイを弾きながら歌っている。二人の息がぴったり合っている。
「これ、いつ撮ったやつやろ」
ポンズが首を傾げた。
「多分、去年の秋くらいやない?」
シーが答えた。ポンズと出会ってから、もう一年以上経つのか。時間が経つのは早い。
映像は続く。
ROCK STEADYでのライブ。シー、ポンズ、カグラの三人編成。カグラが加わったことで、サウンドに厚みが増している。
「これ、撮ってたんや、ヤマケンさんのバンドの解散ライブの時のやつや」
「レアちゃんが入ってくれたときのやね。懐かしいね」
カグラが微笑んだ。あの日、レアが加入を決めてくれた。あの瞬間から、フレイミングパイは四人になった。
そして、レアが加入。四人揃ったフレイミングパイ。ブラックシトラスとの対バン、ROCK STEADY十五周年ライブ。どんどん成長していく四人の姿が、スクリーンに映し出されていく。
「うち、こんな顔してドラム叩いてたんや……」
レアが照れくさそうに言った。
「真剣な顔してるやん。かっこええで」
ポンズが笑った。
映像は中四国ツアーのダイジェストへ。
高松のO-LIVE、わたぜんとの対バン。高知のホエールウォッチング、桂浜の龍馬像。徳島の阿波踊り、祖谷のかずら橋。東京ドームでのオアシスライブ、広島のお好み焼き、宮島の厳島神社。淡路の観覧車、FAT MAMAでのライブ、渦の道。
笑顔、笑顔、笑顔。そして時々、真剣な表情。四人で過ごした日々が、走馬灯のように流れていく。
そして最後のカット。
武道館の前に、四人が横一列に並んで立っている。四人は背中で右拳を突き上げている。四人の表情は見えないが、その背中には決意が滲んでいた。あの日、四人で誓った夢。まだ遠いけれど、確実に近づいている。
「……」
四人は黙って映像を見つめていた。誰も、言葉を発することができなかった。
「これが、うちらの軌跡や」
シーが静かに言った。声が少し、掠れている。
「うん……」
ポンズの目に、涙が滲んでいた。隣のカグラも、そっと目元を拭っている。レアは唇を噛み締めて、スクリーンを見つめていた。
「今日、最高のライブにしような」
シーがみんなを見回した。
「うん」
四人は頷き合った。言葉は少なくても、想いは伝わっている。
ここまで来た。ここまで、四人で来た。
今日は、その全てを、四百人の前で見せる日だ。
◇
午後一時、開場。
STUDIO CRIMSONの入り口に、長い列ができていた。
冬の陽射しが、並んでいるファンたちを照らしている。防寒着に身を包んだ人々の吐く息が白い。でも、その表情はみんな明るい。期待に満ちている。
四百人のファンが、開場を待っている。
愛未が入り口に立ち、スタッフと共に誘導を行う。ROCK STEADYの岩田もグッズ販売の手伝いに来てくれていた。
「すごい人やな……」
岩田が感慨深げに言った。列は、ビルの角を曲がって、まだ続いている。
「うん。あの子たち、本当に成長したわ」
愛未が頷いた。声が少し震えている。嬉しさを、堪えきれないのだろう。
客席が埋まっていく。
前方は熱心なファンで埋まった。美咲や友人たちの姿もある。美咲は、もう涙ぐんでいた。後方にはカメラを構えたスタッフも配置されていた。今日のライブは、動画サイトの公式チャンネルで後日公開される予定だ。
楽屋では、四人が緊張した面持ちで待っていた。
鏡の前で、シーが何度も深呼吸している。カグラは椅子に座って、膝の上で手を組んでいる。レアはスティックを握りしめ、ポンズは落ち着きなく部屋の中を歩き回っていた。
「四百人……」
シーが深呼吸した。
「ROCK STEADYの満員の時でも百二十人やったのに」
「緊張する……」
カグラが胸に手を当てた。心臓の音が、自分でも聞こえるくらい大きい。
「でも、やることは同じやろ」
ポンズが立ち止まって言った。いつもの、明るい声だ。
「目の前のお客さんを、全力で楽しませる。それだけや」
「……せやな」
シーが頷いた。ポンズの言葉が、緊張で固まっていた心を少しほぐしてくれた。
「いつも通りやればええ。うちらの音楽を、ぶつけるだけや」
レアが立ち上がった。その目には、もう迷いはなかった。
「よし、いこう」
四人は拳を合わせた。
「フレイミングパイ、いっくでえええ!」
その声が、楽屋に響いた。緊張を吹き飛ばすように。
◇
午後一時半、開演。
会場の照明が、ゆっくりと落ちていく。
ざわめいていた客席が、静まり返った。四百人の観客が、息を呑む。暗闇の中、期待と緊張が混じり合った空気が、会場を満たしていく。
スクリーンに映像が流れ始めた。
シーの路上ライブ。
シーとポンズの二人のライブ。
カグラが加わった三人のライブ。
レアが加入した四人のライブ。
フレイミングパイの軌跡が、スクリーンに映し出されていく。
客席からは、感嘆の声が漏れた。美咲たちは自分たちが撮った映像が、美しく編集されているのを見て、感激で涙を流した。
「懐かしいね……」
「シーちゃんとポンズちゃんとの出会いから、ここまで来たんだな……」
映像は中四国ツアーのダイジェストへ。
高松、高知、徳島、東京、広島、淡路。
各地での思い出が、走馬灯のように流れていく。客席から、笑い声や感嘆の声が漏れる。
そして最後、武道館の前に立つ四人の背中。
会場が、再び静まり返った。
映像が終わった瞬間、スクリーンの幕がバサリと落ちた。
そこには、楽器を構えた四人の姿。
スポットライトが、四人を照らし出す。
シーがマイクに向かって叫んだ。
「松山! ただいま!」
そして、ポンズも叫ぶ。
「フレイミングパイ、帰ってきたでえええ!」
ポンズのベースが唸る。レアのドラムが炸裂する。カグラのギターが舞う。
シーの声が、四百人の観客を包み込んだ。
歓声が、会場を揺らす。
松山ファイナル。
中四国ツアーの集大成が、今、始まった。




