EP.3 リードギタリスト
神楽坂奏多は、普段学校帰りは路面電車に乗って帰るが、たまに気分転換でアーケード街を歩いて帰ることにしている。
背中にはエレキギターを背負っている。メンテナンスに出していたギターを受け取りに、ロープウェイ街にある楽器店に寄っていたのだ。
彼女の学校はその近くにある私立高校だったので、土日に持って行き、学校帰りに受け取って帰るのがいつものパターンだった。
奏多は学校では目立たない生徒だった。背は少し高めだが、髪は後ろで一つに結え、猫背気味で、部活動にも入らず、家で大好きなギターに触れていることが何より幸せだった。
そんな自分みたいな陰キャのギタリストが活躍するアニメが最近大ヒットをしたものだから、こんな自分にも誰か声をかけてくれたらいいのになんて、淡い期待感を抱いて歩いているのだった。
でも現実は厳しい。クラスメイトは自分に興味を示さないし、音楽の話ができる友達もいない。ギターはある程度上手だと自分でも思うが、それを披露する場所も機会もない。学校には軽音同好会があるが、陽な雰囲気が眩しくて近寄り難かった。
「こんなわたしにも、いつか誰かと一緒に演奏できる日が来るのかな」
奏多はそんなことを考えながら歩いている。結局誰も声なんてかけてくれない。家に帰れば、自分だけの時間、今夜も自分の愛機と思う存分語り合うのだ。
アーケード街を歩いているうちに、奏多は人だかりを見つけた。少女が歌っている。知っている歌声だ。以前からよく見かけるシンガーで、最近は人だかりが多くなった。よく聞くと、ギターの音が二つ聞こえる。時々コーラスが入り、ハーモニーが美しかった。
「何?これ?いつもと違う」
奏多は人だかりの後ろから、そのパフォーマンスを見ようとした。背の高い彼女でも、演奏している二人が小さいのかよく見えない。それでも演奏はパワフルで、人の壁を越えてくる。
前に見かけた時も、すごい子だなと思ってはいたが、今日みたいな衝撃は初めて感じた。
自室にこもり、有名なバンドの曲を何曲も練習し、そのバンドの曲をヘッドフォンで聞きながら一緒に演奏をする。そんな毎日の彼女の頭の中で、二人のパフォーマンスの間に自分のギターソロを割り込ませることができるのではという感覚を覚えた。
「よくわからないけど、引き寄せられる。この感覚は何?」
メインボーカルの少女の声は、力強くて感情がこもっている。歌詞もしっかり聞き取れて、日常の中の小さな痛みや希望について歌っているようだ。もう一人のギタリストは、アコースティックギターでベースラインとメロディラインを同時にこなしている。二人の音楽には、確かな技術と心がこもっていた。
奏多は頭の中で、自分のエレキギターがその音楽にどう絡んでいくかを想像していた。Aメロでは控えめなアルペジオで支え、Bメロでは少しだけメロディラインを加えて、サビでは感情を込めたリードラインを。特に間奏部分には、自分らしいソロを入れてみたい。
「わたしも一緒に演奏できたら…」
奏多は、自分でも気づかないうちに、その音楽に心を奪われていた。これまで一人で練習してきた技術が、誰かの音楽と合わさったらどうなるのだろう。想像するだけで胸が躍った。
ライブが終わって、二人と会ってみたいと思った奏多は、CDの手売りの列に並んでしまった。順番が回ってくると、詩音がいた。
「あ、あ、あの~」
「今日はありがとう。CD?握手だけでもいいですよ」
「あ、千円…」
「ありがとう、はいCD」
詩音はCDを渡しながら微笑んだ。
「どうも…よかったです」
なんとかそう言ったが、緊張してあとは何もしゃべれなかった。もう一人の方は何やらCDを買った他のファンの人に囲まれていた。
人だかりが解けて、落ち着いた時、奏多は二人が見える位置でずっと眺めていた。二人は何やら真剣そうな話をしているような雰囲気で近づけなかった。
時々、前を通ったり、背中のギターケースをアピールしたりしたが、全く気付いてもらえなかった。
「はあ…」
諦めて帰ることにした奏多は、駅の方へと向かって歩いていった。
駅のホームで、この内気な自分の性格を呪った。
「わたしが、あんたらの音楽にリードギターをつけてやる!」
そうやって胸を張って言えたら、今こんな毎日を送ってなどいない。顔を隠してでも動画配信する勇気もないし、自分がどれほどの腕前なのか、他人にどれほどの影響を与えられるのか全く知らない。
少し、電車が来るまで時間がある。好きな音楽でも、いや、さっきの真白詩音さんの動画、どこかにないかなとスマホをいじっていた。
「ねえ!ギターするの?」
ドキッとして、後ろを振り返ると、さっきパフォーマンスをしていた寛奈が立っていた。
「あ、あ、あなたは!?」
「うち、光月寛奈、ポンズって呼んで、今日からそう名乗ってるんやけど」
「え?え?ポンズ?…わたしは神楽坂奏多…」
「カグラちゃん!」
「え?…そっち?」
奏多は名前じゃなく、苗字の方で、いきなりあだ名を付けられ戸惑った。
「何かうちらに話があるんじゃないの?ごめんねえ、ちょっとシーと、さっき歌ってた子ね、ちょっと深刻な話になっちゃってね、気付いてたんよ」
「あ、あ、演奏すごかったから、その、でも、いや、おこがましいから…」
「へっへっへ~、リードギターが入ったらもっといいのにー?って思った?」
「あ、いや、そんな…」
寛奈は今回、詩音とセッションするために自分のアレンジを加えたが、もちろんリードギターが入る余地を残していた。リードギターに自信がある人なら物足りなさを感じるのではないかと。
そして、まさにそんな子が、しかも同年代の子がすぐに現れたのが嬉しくてたまらない。
すると、寛奈は突然、ギターを取り出した。
「カグラちゃんも見せて」
「え?!ここで?」
奏多は周りを気にしつつ、自分のギターを取り出した。Ibanez の AZ2402、美しいメタリックのブルーだった。
「綺麗な色やん!ここの部分カグラちゃんならどうする?」
寛奈は詩音の曲の間奏の部分をコードで鳴らした。さっき想像で自分のリードを当てはめたあの部分だ。奏多はスマホのアプリでチューニングをし、既に頭にあったフレーズを軽く弾いてみた。
「すごい!」
「そうかな…?」
寛奈は普通に褒めた。さっきそこで演奏したばかりの曲なのに、一発で自分の想像のフレーズ、いやそれ以上を弾いてみせた奏多に驚きを隠せない。
「音は?音色はどうする?」
「あ、え、と、あの時の感じだと、クリーン系のエフェクトに軽くリバーブをかけて、それだけでもいいんだけど、オーバードライブかディレイを徐々に追加して…は!いや、その…ごめんなさい」
「すごいすごい!カグラちゃんて天才ギタリスト??」
「え?いやいやいや、わたしが?そんな…」
寛奈はもうこれだと確信した。
「カグラちゃん!うちとバンドやろう!」
奏多は、何度も何度も妄想したバンドへのお誘いが、ついに現実になり、ただただ困惑していた。嬉しいのに全く違う言葉が口から出てしまう。
「い、い、いや、わわ、わたしなんてとても、その、二人にはついていけないと思うし…」
「そんなことない!カグラちゃんは相当うまいよ!」
「そうかな…そうかな…」
真っ赤な奏多の顔は、さっきまでの表情とは違い、完全に弛んでいる。
「わたしで…よければ…」
「ありがとう!」
寛奈は自分にとってのジョージを見つけ出した。
「あのポンズ…ちゃん、じゃあさっきの子と三人…なの?」
寛奈の表情は少し暗くなった。
「ああ、シーはソロでデビューが決まりそうなんやって」
「…え?」
「あの~そこで演奏はやめてください」
ギターを出していたので、駅員さんに注意されてしまった。寛奈と奏多は、駅員さんに謝り、連絡先を交換してその日は別れた。
奏多にとって、この出会いは人生を変える瞬間だった。これまで一人で部屋にこもって練習していた日々が、突然輝いて色を変えた。自分の音楽が誰かに必要とされている。そんな実感が、心の奥底から湧き上がってきた。
電車の中で、奏多は寛奈からもらった連絡先を何度も見返した。本当にバンドができるのだろうか。自分なんかが、あの二人のように演奏できるのだろうか。
でも、寛奈の「すごい!」という言葉が、頭の中で何度もリピートされていた。誰かに認められるって、こんなに嬉しいことなんだ。
家に帰ったら、さっそく真白詩音さんのCDを聞いてみよう。そして、自分なりのリードギターアレンジを考えてみよう。今度は想像じゃない、本当のセッションのために。
「もしかして、わたしにも音楽仲間ができるのかな」
奏多は小さく呟きながら、松山の夕暮れを電車の窓から眺めていた。これまでの孤独な音楽生活から、新しい世界への扉が開かれた瞬間だった。
その夜、奏多は詩音のCDを何度も聞き返し、一人でギターを弾きながら、三人でのセッションを想像していた。しかし、聴いているうちに詩音の歌詞が内気な自分に突き刺さる。気がつくと涙がこぼれ落ちていた。こんな自分でも音楽を通じてなら、今日出会った二人と肩を並べられるかな。そんな今まで感じたことのなかった感情が、奏多の心を揺り動かしていた。
そういえば寛奈の話ではこの詩音とはできないかもしれない。こんなシンガーにはそう簡単に出会えるものではない。バンドができることの嬉しさと緊張感と、詩音とは組めない残念さが奏多の胸の中でぐるぐる渦巻いていた。
登場人物
・光月寛奈15歳(高1) ポンズ
・真白詩音15歳 シー
・神楽坂奏多15歳(高1) カグラ




