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PONZ! ~ポール・マッカートニー大好きっ子が、路上ライブのシンガー、内気な天才ギタリスト、アクセ好きドラマーとバンドを組んだ話~  作者: 文月(あやつき)
第3部

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34/42

EP.31 ポンズの消失(香川編)

 ゴールデンウィーク明けの土曜日、早朝六時。

 五月の朝は、もうすっかり明るい。東の建物の隙間から差し込む朝日が、まだ人気のない商店街のアスファルトを淡い金色に染めている。空気はひんやりとしているが、どこか初夏の気配を含んでいた。

 ROCK STEADYの前には、いつものハイエースが停まっている。いつもはレンタカーだったが、この春、事務所とライブハウス兼用で一台中古で購入した。白いボディ、ROCK STEADYのロゴステッカー。見慣れた車だが、今日はいつもと違う。いよいよ中四国ツアーの初日、香川へ向けての出発だ。

 愛未が運転席に乗り込み、助手席にはシー。後部座席にはカグラとレアが座っている。みんな少し眠そうな顔をしているが、目には期待の光が宿っている。

「あれ?ポンズは?」

 愛未がバックミラー越しに後ろを確認した。

「さっき、後ろで寝るって言って機材のとこ潜り込んで行った」

 レアがあくびを噛み殺しながら答える。

「昨日、興奮して眠れんかったみたいで……」

 カグラが心配そうに付け加えた。

「しょうがないなあ。じゃあ、出発するよ」

 愛未がエンジンをかけた。静かにエンジン音が響き、ハイエースがゆっくりと動き出す。

「ヤマケンさんは?」

 助手席のシーが愛未に尋ねた。窓の外を流れていく見慣れた街並みを眺めながら。

「後からバイクで来るそうよ」

 愛未が答えると、レアが後ろから感心して言った。

「へえ、ヤマケンさん、バイクの免許持っとんや」

 車は、メンバーと愛未が初めて出会ってからすぐに出演した松山インディーズロックフェスが行われたライブハウスの前を通って、国道三十三号線へ進む。朝日を浴びて、街が少しずつ目覚め始めていた。

 しばらく道なりに行くと、松山自動車道の入り口、松山インターチェンジに差し掛かる。料金所を抜けると、視界が一気に開けた。遠くに松山城の城山が見える。五月の新緑が朝日に輝いていた。

 メンバーたちは、しばらくおしゃべりをしていたが、朝が早かったせいもあり、十五分も経てば、シーもカグラもレアも、うとうとと眠り始めた。窓から差し込む朝日が、三人の穏やかな寝顔を柔らかく照らしている。

 そして、後部の機材スペースでは、楽器やアンプ、ドラムケースの間に埋もれるように、ポンズがすやすやと眠っていた。機材に囲まれた狭いスペースが、まるで繭のように彼女を包んでいる。

 昨夜、ラジオの初回放送を聴いて興奮し、ツアーへの期待で寝付けなかった反動だ。揺れる車内が心地よく、ポンズは乗車して、あっという間に深い眠りに落ちていた。時折、寝言のように「ツアー……」と呟いている。


          ◇


 高速道路を九十分ほど走ったところで、愛未は豊浜サービスエリアに入り、車を停めた。瀬戸内海を望む高台に位置するサービスエリアは、五月の陽射しを浴びて明るく輝いていた。駐車場には観光バスや家族連れの車が並び、ゴールデンウィーク明けとはいえ、まだ賑わいが残っている。

「休憩しよう。あと一時間くらいで着くかな。予定より早く着きそうね。さ、トイレ行きたい人は行って、飲み物とかも買ってきてね」

 シー、カグラ、レアはシートベルトを外し、伸びをしながらバッグを身につける。車のドアを開けると朝の空気が肌に心地よい。遠くに瀬戸内海がきらきらと光っているのが見えた。

「ああ、気持ちいい……」

 カグラが降車しながら深呼吸する。

「ポンズ、よう寝てるなあ」

 レアが後方を覗き込んだ。機材の隙間から、ポンズの寝息がかすかに聞こえる。

「寝かせといてあげよ。あ、ポンズちゃんのお茶、わたし買っとく」

 カグラが財布を取り出しながら言った。

「あ、サトちゃんに一応お金もらってるよ」

 シーがそう言うと、三人は売店の方へ歩いていった。愛未も車を降り、スマホをチェックし、今日のスケジュールを確認しつつ、お手洗いに向かった。


 直後、後方で眠っていたポンズは、車の揺れが止まったことでうっすら目を覚ました。

「んん……? 止まった……?」

 寝ぼけ眼で周りを見る。機材の隙間から差し込む光が眩しい。窓の外は明るい。どうやらサービスエリアに停まったようだ。

「トイレ……行きたい……」

 ポンズは機材の間から這い出し、スライドドアを開けて外に出た。五月の朝の空気が頬を撫でる。ポンズは大きく伸びをした。

「ふわあ……よく寝た……」

 遠くに瀬戸内海がきらきらと光っている。いい天気だ。

「……誰もおらん……みんなもトイレかな?」

 ポンズは寝ぼけた足取りで、ふらふらとトイレへ向かった。靴の踵を踏んだまま、ぺたぺたと鳴らしながら。


 売店で飲み物とお菓子を買った三人、途中で合流した愛未も一緒に戻ってきた。手には冷たいお茶のペットボトルと、ご当地のお菓子。

「よし、じゃあ出発しようか。ポンズ、まだ寝てる?」

 運転席に乗り込んだ愛未がシーに尋ねる。シーは後方を覗き込もうとしたが、機材で奥がよく見えない。後部座席にあるポンズのバッグ類はそのままだ。

「起こさんでええよ、着いたら起こそ」

「そうしよっか。ポンズ、起きたらきっとお腹空いたって騒ぐやろうし」

 愛未が笑う。

 ハイエースは再び走り出し、本線へと合流した。エンジン音が遠ざかっていく。


 あくびをしながらトイレから戻ってきたポンズは、自分たちのハイエースがあった場所を見て固まった。

「……え?」

 白いハイエース。ROCK STEADYのステッカー。そこにあったはずの車が、ない。

「……ない……車がない……あっちやったっけ?」

 キョロキョロと辺りを見回したが、間違いなくここだったはずだ。あの自販機の前。あのトラックの隣。

「えええええ!?」

 ポンズは再び周りを見回した。広いサービスエリアに、ハイエースの姿はどこにもない。観光バスが一台、出て行くところだった。

「うそやん……置いてかれた……?」

 ポンズは青ざめた。血の気が引いていくのがわかる。心臓がどくどくと鳴っている。

「スマホ!……あ! 荷物全部クルマや!」

 スマホもない。財布もない。何もない。ポケットの中は空っぽ。

「どないしよ……どないしよ……」

 ポンズはサービスエリアの真ん中で、途方に暮れていた。五月の爽やかな風が、その頬を撫でていく。空は抜けるように青く、瀬戸内海はきらきらと輝いている。皮肉なほど、いい天気だった。

 周りを行き交う人々は、みんな楽しそうに旅行を楽しんでいる。その中で、ポンズだけが取り残されていた。


          ◇


 高松市内のライブハウス「O-LIVE(オリーブ)」に、ハイエースが到着した。

 瓦町の繁華街の一角、雑居ビルの地下にあるライブハウスだ。入口の階段には「O-LIVE」のネオンサインが灯っている。高松の街は、松山とはまた違う空気感がある。都会的で、どこか洗練された雰囲気。

 今日と明日、ここでライブを行う。今日は単独ライブ、明日は地元のガールズバンド「わたしのぜんぶ」との対バンだ。

「着いたー!」

 レアが伸びをしながら車を降りる。高松の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「初めての県外ライブや……緊張するな」

「ポンズちゃん、起きてー! 着いたよー!」

 カグラが後方を覗き込んで呼びかけた。声が弾んでいる。

「ポンズー? ……あれ?」

 返事がない。レアも、リアゲートを開けて、機材の間を覗き込む。ポンズの姿がない。

「え? ポンズ?」

 シーも駆け寄った。顔色が変わっている。

「おらん……」

「もう降りた?」

「いや、うちらより先に降りるんは無理や」

 三人の顔から、さっきまでの笑顔が消えた。

 三人の様子に気づいて、愛未が血相を変えて後方に来た。

「ポンズがいない!?」

「いません……」

 カグラが青ざめている。声が震えていた。

「さっきのサービスエリアで降りてたん!? 気づかんかった!」

 シーが頭を抱えた。額に冷や汗が浮かんでいる。

「どないしよ……スマホは……」

 レアがポンズのバッグを見つけた。スマホも財布も入っている。

「全部置いてある……連絡もできん……」

 全員が青ざめた。言葉が出ない。重い沈黙が落ちた。

「どうしたの?」

 ライブハウス「O-LIVE」のオーナー大西が、階段を上がってきて声をかけた。四十代くらいの、温厚そうな男性だ。

「あ、大西さんおはようございます。実は……」

 愛未が事情を説明していると、一台のバイクがハイエースの後方に停まった。ヤマケンだ。機材車とは別に、自分のバイクでツアーに同行してきた。

「おはようございまーす! あれ、どうしたんですか?」

 ヘルメットを脱いだヤマケンは、全員の青ざめた顔を見て、笑顔が凍りついた。

「山田くん! ポンズがサービスエリアに置き去りになったかもしれないの!」

 愛未が叫んだ。声が裏返っている。

「ええ!?」

「お願い、探しに行って! 豊浜サービスエリアだと思う!」

「わかりました!……でも、見つけてもどうやって連れてきます? ヘルメットは僕の分しか……」

「ああ、ボクの持っていき、大きいかもしれんけど」

 大西が自身のヘルメットを持ってきてくれた。

「ありがとうございます!」

 ヤマケンはヘルメットを被り直し、バイクをUターンさせて走り去った。排気音が、高松の街に消えていく。

「ここからサービスエリアには一時間くらい、順当にいけばお昼までに来られるよ」

 愛未は三人を安心させようと声をかけたが、自分の声が震えているのがわかった。大西にも手伝ってもらいながら、機材を運び始めた。手が震えて、なかなかうまく持てない。


          ◇


 ライブハウスの中に入ると、すでに「わたしのぜんぶ」のメンバーが待っていた。

 地下へ続く階段を降りると、小さいながらも雰囲気のあるライブハウスだ。壁には過去に出演したバンドのポスターやフライヤーが所狭しと貼られていた。

 今日、午前中は翌日の対バンライブの打ち合わせをし、一緒にお昼を食べる約束だった。

 「わたしのぜんぶ」は三人組のガールズバンド。キーボード&ボーカルの琴音(ことね)、ベースの(りん)、ドラムの陽菜(ひな)。琴音と凛が高校二年生、陽菜は高校一年生で琴音の妹だ。

 ギターレスの3ピースで、可愛らしさの中に芯のあるサウンドが持ち味だという。

「初めまして! 『わたしのぜんぶ』です! 略して『わたぜん』です!」

 琴音がおっとりとした笑顔で挨拶した。ふんわりとしたロングヘアに、穏やかな目元。見た目は穏やかだが、歌うと声量がすごいらしい。

「初めまして、フレイミングパイです……」

 シーが挨拶しようとしたが、言葉が続かない。いつもの覇気がない。目が泳いでいる。

「あれ、四人じゃなかったですか?……」

 凛がクールな表情で首を傾げた。長髪をさらりと揺らして、鋭い目でシーたちを見つめる。彼女たちは動画等で、フレイミングパイのことをよく知っている。琴音が続けて尋ねる。

「あ、元気なベースの子は? 一番会いたかったんですよね」

「それが……」

 愛未が事情を説明した。「わたぜん」のメンバーは驚きながらも、心配そうな顔をした。

「大丈夫ですかね……」

 陽菜が心配そうに言う。小柄で元気いっぱいのムードメーカーだが、今は眉を寄せて不安げだ。姉の琴音とは正反対の、ショートカットにくりくりした目。

「今、スタッフが探しに行ってます。とりあえず、先に打ち合わせを始めましょう」

 愛未が気を取り直して言った。

 打ち合わせをするうち、シー、カグラ、レアは、「わたぜん」の三人と打ち解け、話がはずんだ。琴音のおっとりした雰囲気、凛のクールだけど面倒見のいい性格、陽菜の屈託のない明るさ。フレイミングパイとはまた違う空気感を持ったバンドだ。

 そのうち、明日の午前中は一緒に香川の名所を巡って遊ぼうという話になり、あっという間に時間が流れた。

 しかし、お昼ごはんの時間になってもポンズに関しての連絡はないままだった。テーブルに並んだお弁当、三人は食事がのどを通らなかった。箸を持つ手が止まったまま、スマホの画面ばかり見ている。

 昼食後、愛未のスマホが鳴った。ヤマケンからだ。全員の視線が、愛未のスマホに集まる。

「サービスエリア、探し回っていますがどこにもいません!」

 またもや、愛未、シー、カグラ、レアは固まった。愛未の顔から血の気が引いていく。

「ポンズのスマホには着信はないわね。みんなとりあえずリハーサルは進めていて!」

 愛未はそう言うと、自身もライブハウスを出ていった。その背中には、隠しきれない焦りがにじんでいた。

 残った、シー、カグラ、レアは重い腰を何とか上げた。

「三人でできることはちゃんとやろう」

と、レアが声をかけ、楽器の準備を始めた。手が震えているのを、必死に隠している。


 リハーサルが始まった。

 しかし、シーの様子がおかしい。

 歌詞が出てこない。コードを間違える。タイミングがずれる。いつもの堂々としたシーとはまるで別人だった。目の焦点が合っていない。声に力がない。

「シー、大丈夫か?」

 レアが声をかけた。ドラムを叩く手を止めて。

「……大丈夫。問題ない」

 シーは短く答えたが、目が泳いでいる。もう一度曲を始めても、やはり集中できていない。指がフレットを押さえる位置がずれている。

「シーちゃん、少し休憩しよ?」

 カグラが心配そうに言った。ギターを抱えたまま、シーの顔を覗き込む。

「……ごめん」

 シーはギターを抱えたまま、うつむいた。レアもカグラもこんなシーは初めて見る。いつも堂々としていて、どんな時も動じないシーが、こんなにも取り乱している。

「スマホも財布もないのに、サービスエリアにおらんて、どうしてるんやろ……うちがサトちゃんに言われたとき、ちゃんと確認しとったら……」

 シーは唇を噛んだ。泣きそうな顔を必死に隠している。握りしめた拳が、小刻みに震えていた。爪が掌に食い込んでいる。

「シーだけ責任感じたらあかんで、後部座席におったうちらやって、確かめもせんかったし……でも、ポンズのことやからヒッチハイクでもして向かってるんとちゃう?」

 レアがなんとか取り繕おうとする。自分も不安なのを、笑顔で隠して。

「うん、確かにあのポンズちゃんなら、そうしそう」

 カグラもなんとかシーに微笑みかける。目の奥には、隠しきれない心配の色。

 わたぜんのメンバーも、その様子を見て胸が痛んだ。初めて会ったばかりなのに、フレイミングパイの四人の絆の深さが伝わってくる。

「詩音ちゃん、ポンズさんのこと、すごく大切なんですね」

 琴音がそっと言った。

「……いや、その……一応リーダーやけん」

 シーは真っ赤になって、なんとかはにかみながら顔を上げた。でも目は潤んでいた。強がっているのが、痛いほどわかる。

(ポンズは、うちの……うちらの大事なメンバーなんや)

 心ではそう何度も唱えていた。あの笑顔、あの声、あのベースの音。ポンズがいないフレイミングパイなんて、考えられない。


 その時、ライブハウスの扉が開いた。階段を駆け下りてくる足音。軽やかで、でも急いでいる足音。

「みんなーーー! ごめーーーん!」

 ポンズだった。息を切らしているが、満面の笑顔がライブハウスの照明に照らされている。

「ポンズ!」

 メンバー全員が安堵する声を上げた。張り詰めていた空気が、一気に緩んでいく。シーの目から、思わず涙がこぼれそうになった。

 よく見るとその後ろに、見覚えのある顔。

「美咲ちゃん!?」

 シーが声を上げた。シーの路上ライブ時代からずっと応援してくれているファン、美咲だ。

 松山の若者プロジェクト「マツヤン」のメンバーとして、イベントやラジオ放送でも一緒に活動し、フレイミングパイにとっては特別なファンの一人である。高校三年生の彼女は、今日のために家族に連れて来てもらったのだ。

「シーちゃん! 豊浜のサービスエリアでポンズちゃん見つけたよ!」

 美咲が笑顔で手を振った。息を切らしている。ポンズと一緒に走ってきたのだろう。

「フレイミングパイの初めての県外ライブ、絶対見たくて、家族と車で向かってたの。そしたらサービスエリアでポンズちゃんがウロウロしてて」

「最終手段でヒッチハイクしたろ思て、トラックが休憩してるとこ行きよるところで、美咲ちゃんに声かけてもらえて、ほんまに助かったんよ!」

 ポンズがぺこぺこと頭を下げた。何度も何度も。

 シーは、そんなポンズの言葉を聞くと、ポンズの方につかつかと歩み寄ってきた。その表情は読めない。眉間にしわを寄せて、唇を引き結んでいる。ポンズは「怒られる!」と思い、身構えた。目をぎゅっとつぶる。

 シーは頭をポンズの肩に押しつけた。

「……ごめん」

「え!?」

 ポンズは目を丸くした。怒られると思っていたのに。シーの声が、震えている。

「ちゃんと確認せんと置いて行って、ごめん……」

 シーは言葉を詰まらせた。泣きそうな顔を必死に堪えている。肩が小さく震えていた。いつも強気なシーが、こんなにも弱々しい。

「シー……」

「うちもごめん。誰にもなんも言わんと、クルマ降りたんが悪いんよ」

 ポンズはシーの肩を引き寄せた。シーの髪から、いつものシャンプーの香りがする。あの日、大街道で抱きしめた時と同じ香り。

「うちらもごめんやで、ポンズ」

 レアとカグラも歩み寄った。

「な、うちが言うたとおり、ポンズはヒッチハイクしようとしてたやろ」

と、レアが言うと、

「ほんとやね」

と、カグラも笑った。目尻には、うっすらと涙が光っている。

 美咲はそんなフレイミングパイ四人の抱擁を目の当たりにして、もらい泣きしそうになり、ファンとして誇らしかった。この四人を応援してきてよかった、と心から思った。

「ちょっと、背の高い三人でうちを取り囲まんといて」

 シーはいつものシーに戻り、照れくさそうにポンズらを引きはがすと、美咲の方へ歩み寄り、美咲をぎゅっと抱きしめた。

「美咲ちゃん、ほんまにありがとう」

 シーは心からのお礼を美咲に告げた。声がまだ少し震えている。

 その瞬間、美咲は沸騰するように真っ赤になり、完全に固まってしまった。シーの路上ライブを見かけて数年、ずっと追いかけてきた古参中の古参。こんなにも感謝されるなんて思いもしなかった。シーの体温が、腕から伝わってくる。夢じゃないよね、これ。

「あ、完全に気絶しとるな」

 ポンズとレアが笑った。

「よかった……本当美咲さんのおかげです……」

 カグラもほっと安堵している。

「あ、早くサトちゃんとヤマケンさんに連絡せんと!」

 シーが愛未に連絡し、レアがヤマケンへ連絡する。ポンズは「わたぜん」と対面すると、一発で琴音と打ち解けていた。同じ匂いを感じたのか、二人はすぐに意気投合している。

 そして琴音がポンズにシーのことを暴露する。

「詩音ちゃんがすっごく心配して、それはもう……リハーサルも全然集中できてなくて……」

「やめて!」

 シーの一刀両断が初めてポンズ以外の人間に炸裂した瞬間であった。ライブハウスに、久しぶりの笑い声が響いた。重かった空気が、一気に軽くなっていく。


          ◇


 連絡を受けた愛未やヤマケンが戻ってきたのは、本番の直前だった。

「ポンズちゃん、無事でよかった……」

 ヤマケンはヘルメットを脱ぎながら、疲れ果てた顔で笑った。

「ヤマケンさん、ごめんなさい! 探しに行ってもらったのに……」

 ポンズが手を合わせて謝った。

「いや、いいんやけど……サービスエリア、上りと下り三往復したよ……」

「三往復!?」

「見つからなくて焦って……連絡もらった時、また折り返してる途中で……」

 ヤマケンは肩を落とした。

「お疲れ様です……」

 全員が手を合わせた。

「みんな!」

 愛未が声をあげた。

「今回のことはすべて私の責任です。もう二度とこんなことがないように、私が責任を持ってちゃんと確認して出発するようにします。ポンズ、みんな、ほんとうにごめんなさい!」

 愛未は全員に頭を下げた。今回ばかりは大人として全責任を取るつもりでいた。

 ポンズの到着の連絡があとちょっとでも遅かったら、警察への連絡、ポンズの両親への謝罪、自身の進退を決めた後、前に自分がいた会社、ミュージックブリッジに四人を預けることまで考えていた。

「うちもごめんなさい。勝手な行動をしたのが悪いんです。頭を上げて」

 ポンズはそういうと、愛未と抱擁した。


 その夜、フレイミングパイの単独ライブは大成功に終わった。

 ポンズ置き去り事件の緊張感が解けたせいか、四人のパフォーマンスはいつも以上に熱かった。シーは「雨と交叉路」を歌いながら、隣でベースを弾くポンズの姿を何度も確認した。

 ここにいる。ポンズはここにいる。その安心感が、シーの歌声に力を与えた。

 最前で見守った美咲はシーの新曲「雨と交叉路」に涙し、大満足で家族とともに松山へ帰った。


          ◇


 翌日は観光の日だった。

 五月の空は抜けるように青い。雲一つない快晴。絶好の観光日和だ。昨日の緊張がウソのように、みんなの顔には笑顔が戻っていた。

 午前中は「わたぜん」のメンバーも合流し、楽器や機材のないハイエースに全員が乗ることができた。七人でぎゅうぎゅうだが、それがまた楽しい。

 まずは、琴平町の金刀比羅宮を参拝。「こんぴらさん」の愛称で親しまれる由緒ある神社だ。参道の両側には土産物屋や旅館が立ち並び、観光客で賑わっている。長い石段を登りながら、わいわいと賑やかに話す。

「七百八十五段……なかなか大変ですね……」

 カグラが息を切らしている。額にうっすらと汗が浮かんでいた。運動は苦手なのだ。

「カグラちゃん、頑張って!」

 わたぜんの琴音が励ます。自分も息が切れているが、それでも笑顔で。

「シーのペースが早いわ」

 ポンズが上を見上げながら言った。シーの背中は、もうかなり先を歩いている。涼しい顔で、ひょいひょいと石段を登っていく。

「シーさん、体力すごい……」

 陽菜が感心する。目を輝かせて、シーの背中を追いかけている。

「シー、毎朝走ってるらしいから」

「へえ、わたしもやろうかな」

 陽菜はずいぶんとシーに憧れを抱いているようだ。

「レアちゃんと凛ちゃんは……?」

 ポンズが振り返ると、ふたりは話に夢中でペースが遅い。どうやらバンドの話で盛り上がっているらしい。身振り手振りを交えて、楽しそうに話している。

「えらい意気投合してるな。おーい、シーに置いてかれるで」

 ポンズが声をかけると、

「置いてかれるんは、ポンズだけで上等や!」

と、レアが返すと全員が笑った。五月の風が、笑い声を運んでいく。新緑の木々が、風に揺れている。

「あ、お土産も買わんと!」

 ポンズが言うと、琴音も目を輝かせた。

「わたしも! お土産、つい買いすぎちゃうんよね」

「わかる! 琴音ちゃんもそうなん!?」

 ポンズと琴音は意気投合し、土産物屋で大量のお土産を買い込んでいた。金刀比羅宮のお守り、讃岐うどんの乾麺、和三盆のお菓子。両手に袋を抱えて、満足げな顔をしている。

「買いすぎやろ……」

 シーが呆れた顔で言うが、その口元は笑っていた。

 参拝を終え、参道の長い階段を降りた七人は愛未と合流し、うどん打ちが体験できる中野うどん学校へやってきた。

 スタッフに案内され会場に入ると、うどんティーチャーから体験の流れを説明される。お店のエプロンを身につけて、いよいよ体験が始まる。

 予め、熟成されたうどんの生地が一人ひと玉ずつ配られ、麺棒を使って均等の厚さになるよう、生地を伸ばしていく。粉の香りが鼻をくすぐる。もちもちとした生地の感触が、手のひらに心地よい。

 伸ばした生地を屏風だたみで折りたたみ、いよいよ包丁で生地を切っていく。三ミリから四ミリで均等に切っていくが、意外と難しい。

「レアちゃん、それドラムスティックくらいあるやん!」

 ポンズがレアを冷やかすと、レアが言い返す。

「そんなにあるか! ポンズは太さが不揃いやんか!」

「こ、これはいろんな食感を楽しもうとする、うちなりの工夫や」

 ポンズがそう言うと、

「うそつけ」

と、高速でシーが突っ込み、全員で大笑いした。会場に笑い声が響く。うどんティーチャーも、にこにこと笑っている。



 昼食に讃岐うどんを堪能した一行は、午後は四国水族館へ。

 宇多津町にある、瀬戸内海を望む水族館だ。大きなガラス窓から、青い海が見える。館内は涼しく、心地よい。

「イルカ! イルカ見たい!」

 ポンズがはしゃぐ。目を輝かせて、水槽の前を駆け回っている。

「ポンズちゃん、子どもみたいや」

 わたぜんの凛がクールにツッコんだ。でも、その口元は少し笑っている。

「うちらの中で一番子どもやからな、精神年齢」

 レアが追い打ちをかける。

「レアちゃん、ひどい!」

「まちごうてないやろ」

 またもや、シーが高速でつっこむ。

 琴音がそんなやりとりを見て感心したように言い放つ。

「ポンズちゃんいると、詩音ちゃん生き生きしてる……」

「やめて」

 シーが真っ赤になる。ポンズがにやにやと笑っている。

 水族館を回りながら、フレイミングパイとわたぜんの距離はどんどん縮まっていった。同年代のガールズバンド同士、話が合うことも多い。イルカショーでは全員で歓声を上げ、クラゲの水槽では幻想的な光に見入った。

 陽菜はシーにべったりくっついていた。

「シーさん、わたしもランニング始めようかなって思います」

「ドラムも体力いるもんね」

 シーは照れくさそうに頭を掻いた。憧れの眼差しを向けられるのは、まだ慣れない。

「今度、松山にも遊びに来てよ!」

「行きたいです! 道後温泉入りたい!」

「ROCK STEADYでも対バンしような!」

「絶対! 約束!」

 七人は水族館の前で記念写真を愛未に撮ってもらった。五月の陽射しが、七人の笑顔を照らしている。青い空と、青い海と、七人の笑顔。最高の一枚だった。


          ◇


 その夜、わたしのぜんぶとの対バンライブ。

 O-LIVEは満員だった。地下のライブハウスは熱気で溢れている。汗と興奮と期待が混じり合った、独特の空気。地元のわたぜん目当てのお客さんも多いが、フレイミングパイを見に来た人も少なくない。

 先攻はわたしのぜんぶ。

 琴音の伸びやかなボーカルとキーボード、凛のグルーヴィなベース、陽菜のパワフルなドラム。ギターレスの3ピースながら、華やかで芯のあるサウンド。可愛らしいのに、どこか芯が通っている。キーボードの音色が、会場を包み込んでいく。フレイミングパイとはまた違う魅力を持ったバンドだった。

「すごい……」

 袖で見ていたカグラが呟いた。琴音のキーボードソロに、目を奪われている。

「うん、ええバンドやな」

 シーも頷いた。目が真剣だ。プロの目で、わたぜんのパフォーマンスを分析している。

「負けてられんな」

 ポンズが拳を握った。

「当たり前やん」

 レアがスティックを回した。その目には、闘志が燃えている。


 後攻、フレイミングパイ。

 シーがマイクの前に立つ。照明が、シーの顔を照らす。会場が、一瞬静まり返った。

「香川のみなさん、初めまして! 松山から来ました、フレイミングパイです!」

 歓声が上がる。地下のライブハウスが、揺れるような歓声。

「今日は最高のライブにします! いっくでええええ!」

 ポンズが叫び、そのベースが唸る。レアのドラムが炸裂する。カグラのギターが舞う。シーの歌声が会場を包む。四人の音が、一つになっている。

 この日もまた、昨日の不安を吹き飛ばすような、熱いライブだった。一曲目から、会場のボルテージは最高潮。お客さんの手が上がり、声援が飛ぶ。

 「雨と交叉路」では、客席のあちこちで涙を拭う姿が見えた。シーの歌声が、切なく、でも力強く、会場に響いていく。琴音も目を潤ませていた。陽菜は号泣していた。

 アンコールでは、わたぜんのメンバーもステージに上がり、一緒に「フレイミングパイ」を演奏した。七人の音が一つになる。キーボードが加わったサウンドは、いつもとは違う華やかさがあった。会場は最高潮の盛り上がりを見せた。お客さんも一緒に歌っている。


 ライブが終わり、楽屋で七人は向かい合った。汗をかいた顔が、みんな輝いている。興奮がまだ冷めない。

「今日は本当にありがとう!」

 シーが琴音の手を握った。

「こちらこそ! フレイミングパイと対バンできて、夢みたいでした!」

 琴音の目には、涙が光っていた。

「また絶対やろうな」

「はい! 松山にも絶対行きます!」

 ポンズと凛、陽菜も握手を交わす。

「ほんじゃまたね!」

「またね! ツアー、頑張って!」



「みんな乗った~?」

「シーいまーす」

「レアおるで~」

「カグラいます」

「ポンズおるよ~」

 今度はちゃんと点呼してハイエースが走り出す。愛未が一人一人の顔を確認して、満足そうに頷いた。

 夜の高松の街を、ハイエースが走っていく。ネオンの光が、車窓を流れていく。窓からわたぜんのメンバーが手を振っているのが見えた。街灯の光の中で、三人の笑顔が輝いている。

 ポンズは後部座席から、ずっと手を振り返していた。見えなくなるまで、ずっと。

「ええ子らやったな」

「うん、また会いたいな」

 シーが言った。その声には、確かな絆への手応えがあった。

「次は高知ですね」

 カグラが地図を見ながら言う。

「よっしゃ、まだまだこれからや!」

 レアが気合を入れた。


 中四国ツアー、まだ始まったばかり。

 波乱の幕開けだったが、新しい仲間との出会いがあった。

 フレイミングパイの旅は続く。

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