EP.30 五月の助走
五月のゴールデンウィーク明けの金曜日、ラジオの初回放送を聞き、メンバー同士楽しくグループメッセージをした後、中四国ツアー出発に備えて、ベッドにもぐりこんだポンズだが、なかなか寝付けないでいた。
明日からツアーが始まる。わくわくして眠れないのは当然だ。でも、それだけじゃない。ゴールデンウィークの出来事が、頭の中をぐるぐる回っている。
フレイミングパイは五月に入ってすぐラジオ収録に臨み、ゴールデンウィークの間は中四国ツアーに向け、精力的にリハーサルに励んでいた。
今回は時を少しさかのぼり、ゴールデンウィークでのフレイミングパイのエピソードをお届けすることとする。
ゴールデンウィーク初日。五月の風が心地よい、晴れた朝だった。
いつものように、練習スタジオに入る前、ポンズとシーは行きつけのカフェで、曲のアレンジやライブの演出、新曲の構想を練るようにしている。
シーが図書館に通うようになってから、今はポンズもいっしょに図書館へ行き、本を借りてくるようになった。
「ポンズ、最近自転車で来るんやな?たいへんちゃう?」
「シーに負けんように体力つけんとな」
そう言葉を交わし、いつものカフェへ向かうふたり、道中の話題は今日借りてきた本のことだ。
ポンズは「眠れなくなるほど面白い」と謳った宇宙の本を借りてきた。
「それ? 十五周年ライブで言うてた宇宙の本て」
シーが聞くと、自転車を押しながら歩くポンズはニヤリと笑う。
「そうや、そういうシーは、いつものように恋愛小説やろ」
「別に、ええやん…」
「それって、映画化したやつや。めっちゃ泣くで」
「え?映画? 見たん?」
「見た、どうなるか教えたろか?」
「やめて」
ふたりはカフェにつくと、いつもの飲み物を注文し、ツアーに向け、ある程度セットリストの案をまとめていく。窓際の席に向かい合って座り、テーブルにはノートとスマホ、そしてそれぞれのドリンク。
「これ、今日レアとカグちゃんに見せて、意見もらお」
シーがいつものように、話し合いの中でノートに書き綴ったメモをポンズに見せる。
「うん、うちらを初めて見るお客さんも多いやろうけん、つかみ曲って言うんかな?そういうのが多めでええと思う」
「それから、新曲できた」
と、シーは少し照れた様子で、ポンズに歌詞を見せる。いつもは堂々と見せるが、今日は恥ずかしそうにしている。頬がほんのり赤い。
「今、デモ音源も共有したから聴いてみて」
「どれどれ〜楽しみ〜」
と、ポンズはワイヤレスイヤホンを取り出し接続する。ふとシーの顔を見ると、少しうつむき加減で心なしかそわそわしている。
ポンズはしばらく黙って聴いていた。歌詞を目で追いながら、シーの声に耳を傾ける。
ポンズの顔が無表情になっていく。そしてだんだんうつむいていく。
シーはポンズの様子を上目遣いで見ている。ふたりは向かい合いながらうつむいているので、はたから見れば、初々しいカップルのようだった。
シーがポンズのスマホの画面に目をやると、明らかに再生は終わっている。ポンズは黙ったままだった。
「あの……どう?」
「あかん……」
「え?」
「こんなんあかんわ〜!」
なんと、ポンズは号泣しながら顔をあげた。目は真っ赤で、涙がぼろぼろこぼれている。
「どないしたん?何があかんの?」
シーは驚いて、ポンズに意図を確かめる。
「うち、こないだのこと、知っとるから、余計や! 一緒に演奏するたびに泣いてまうで〜! うわ〜ん!」
その曲は、大きな夢を目指す男女の出会いと別れ、そしてお互いの夢を応援する切ない恋物語が、歌詞に込められた曲になっている。
あの時、ギター職人を目指す少年と別れた後のシーの涙を知るポンズにとっては、その思いが痛いほど伝わったのだった。あの日、大街道でシーを抱きしめた時の温もりが、ポンズの胸によみがえる。
「ポンズ……うちは割り切ってるよ。歌詞にすることで昇華したんや」
「うん……そうよな、シーが前向いているのに、ごめんな……仮タイトルの『Xブレーシング』ってなに?」
「アコースティックギターの表板の裏の部分にな、木がこう、バッテンに交差して補強してあるんよ」
シーが手振り身振りで説明する。まるで、あの時彼がやったように…。
「この、交わってた思いが、離れてしまっても、やがて思いがあればもう一度交差するっていうのにつながってるわけか」
「そう、ギターは、このブレーシングで音の広がりも、音質も、変わってくる。うちのギターは、他のと違って、もう一つXブレーシングがあるんよ。二つあるからもう一度交差するって思って……ま、仮やし」
「ふ〜ん、この曲が世に出たとして、この曲はふたりのことを歌ったって、あの人に気づいてほしい?」
「え?」
ポンズにそう問われると、シーは考え込んでしまった。
「いいや……でも、多分、少しはそう思ってたかも……割り切ってなんかないな……やっぱり曲名は変えたいな」
「うん……『雨と交叉路』ってどうやろか?」
ポンズがいつになく、真剣な表情で言った。
「この歌のふたりのお互いの道は、行き先は不透明で、心細い。これが詞にも出てくる雨や。ふたりは出会って雨をしのぐ。交差や。雨がやんで道が鮮明になる。でも、ふたりが選んだ道は別々の道、それでも、最後に信じていればもう一度交差する。そんな歌や。ともに歩こうって歌った『オレンジの坂道』とは対照的やな」
シーは背筋が伸び、口を開けたままポンズを見つめていた。
「すごいなポンズ、えらい文学的やん。普遍的なテーマにもっていけそうや。その名前もらっていいの?」
「シーさえよかったら、さは又に点やで、そうそう、夜叉のしゃや」
「こうしゃろやないんやな…なんかレトロな感じするな」
「もともと人生の分岐って意味合いが大きいんよ、でももう一度交差するって希望に満ちてんのがシーらしいてええよな」
「うん、『オレンジの坂道』に続いて、また大事な曲ができたわ。『雨と交叉路』……うん、ええわ、ありがとう」
シーは歌詞の書いたノートに書き込みながら、素直にお礼を言った。
「ちょっと妬けるな…」
ポンズはボソッと、シーに聞こえないようにつぶやいた。一緒に歩いてできた「オレンジの坂道」を凌ぐほどの曲だったからだ。
カフェを出る前、シーがポンズの袖を引いた。
「ポンズ、このこと……カグちゃんとレアには内緒にしてな」
「え? 曲のこと?」
「曲はええんよ。こないだの路上ライブの後のこと……その……うちが恋してたこと……あの人のこと……」
シーは少し照れくさそうに目を逸らした。
「わかってる。うちとシーだけの秘密や。それに、今度は恋が始まるとき教えて」
「それは……ポンズもやで」
ポンズはにっこり笑って、小指を差し出した。
「指切り」
「子どもやな、ポンズは……指切りなんか小学校低学年以来や」
シーは呆れたように言いながら、でも嬉しそうに小指を絡めた。
◇
午後、いつもの練習スタジオにカグラとレアが合流した。
四人が揃うと、まずはシーがセットリスト案を見せた。
「これ、ツアー用に考えてきたんやけど」
ノートには曲名がずらりと並んでいる。
「つかみ曲多めで、うちらを初めて見るお客さんにも楽しんでもらえるように」
ポンズが補足する。
レアがノートを覗き込んだ。
「なるほどな。『青空ハイウェイ』から入って、『オレンジの坂道』で締めるんか」
「あ、でもわたしたちの『フレイミングパイ』、もうちょっと後ろでもいいかも……」
カグラが控えめに意見を言う。
「お客さんが温まってからの方が、盛り上がる気がする……」
「それぞれのソロがあるからね、カグちゃん、ええやん。その意見採用!」
シーがノートに書き込む。カグラが嬉しそうに微笑んだ。
「あとな、新曲ができたんよ」
シーが言うと、カグラとレアは期待感に満ちた視線をシーに投げかける。
「新曲? 聴きたい!」
カグラが目を輝かせる。
「タイトルは『雨と交叉路』。ポンズがさっきタイトルつけてくれた」
シーはスマホを取り出し、デモ音源を再生した。
スタジオに、シーの弾き語りが流れる。
雨の中を歩く二人、交差点で別れる二人、それぞれの道を歩き出す二人、でも……いつかまた――と希望を抱く二人、そんな二人の切ない思いを綴る曲だった。
曲が終わると、しばらく誰も何も言わなかった。
レアが腕を組んで、じっとシーを見た。
「シー、なんかあった?」
「え?」
「この曲、今までと違う。なんていうか……実感がこもっとる」
シーの顔がわずかに強張った。ポンズがすかさず口を挟む。
「恋愛小説の読み過ぎや! さっきも図書館で借りてきたやつ、映画化されたやつでめっちゃ泣けるらしいで」
「あー、なるほど」
レアはあっさり納得したようだった。
「シーって意外とそういうの好きやもんな」
「意外とって何よ」
シーがむっとした顔をする。ポンズはこっそりシーにウインクした。
「……シーちゃん」
カグラが口を開いた。目が潤んでいる。
「切ない……でも、最後に希望がある。すごくいい曲」
「うん、そこがシーらしいよな」
レアが言った。
「まっすぐで、希望を持って強くあろうとしてる。ギターのアルペジオが映えそうや」
「ありがとう。でもな、まだ完成やない。歌詞ももうちょっと普遍的にしたいし、何よりみんなの音が入って完成やと思う」
シーがそう言うと、ポンズが手を挙げた。
「うち、ちょっと思ったことあるんやけど」
「なに?」
「このままやと、切ないバラードで終わってまう。最後の希望は強がりに聞こえる。シーはそうやないやろ?」
ポンズはシーの目をまっすぐ見た。いつものおどけた表情はどこにもない。真剣な、でも温かい眼差し。
「シーはそれで終わる人やない。例え泣いても、また前向いて歩き出す人や。この曲も、そうあるべきやと思う」
シーは息を呑んだ。
ポンズの言葉が、胸に刺さった。
あの日、泣いている自分を抱きしめてくれたポンズ。何も聞かずに、ただそばにいてくれたポンズ。この子は、本当にうちのことをわかってくれている。
「だからな、最後のサビの後半から、もっと力強くしたい。ベースで支えて、ドラムで背中押して、ギターで希望を描く。切ないだけやない、強いロックバラードにしたいんよ」
ポンズは立ち上がり、ベースを手に取った。
「ここ、聴いて」
ポンズがベースを弾き始めた。
最初は静かに、シーのメロディに寄り添うように。でも、サビが終盤に向かうにつれて、音が力強くなっていく。単なる伴奏ではない。シーの背中を押すような、一緒に歩こうとするような、そんなベースライン。
ポンズの指が弦を弾くたびに、シーの胸に響くものがあった。
「……ポンズ」
シーが呟いた。
「これ、すごい。うちが言いたかったこと、全部入っとる」
「シーのことは、うちが一番わかっとるけんな、なんせポンズ先生やで」
ポンズはニカッと笑った。でもその目は、いつになく真剣だった。
「シーは強い。だから、この曲も強くあってええんよ」
その言葉に、シーは少し目を潤ませた。でも、泣かなかった。前を向いて、頷いた。
レアがスティックを手に取った。
「なるほどな。ほんなら、最後のスネアは重たく入れるわ。最初は静かに刻んで、終盤は一気に太く重たくや」
「うん、お願い」
カグラも立ち上がった。
「わたしは……シーちゃんのアルペジオの後ろで、薄くコードを重ねる。で、サビでシーちゃんと一緒にストロークに変える」
「カグラちゃん、それええ。音の壁ができる」
ポンズは頷いてそう言うと、もう一つ付け加えた。
「その上に、うちとカグラちゃん、レアちゃんでコーラス入れよう」
「え?うちも?」
レアが驚く。
「うん、絶対三声で被せる方がええ!」
四人は楽器を手に取り、「雨と交叉路」のアレンジを始めた。
何度も止まり、話し合い、また弾く。少しずつ、曲が形になっていく。
シーの切ない歌声。
ポンズの力強いベース。
カグラの繊細なギター。
レアの躍動するドラム。
四つの音が重なった時、スタジオの空気が変わった。
切ないだけじゃない。泣いて終わりじゃない。
雨の中を歩いても、いつか晴れる日が来る。
別れた道も、いつかまた交わる。
そう信じて歩き出す、希望の歌になっていた。
そしてその希望の歌を、三声のコーラスが持ち上げていく。
「……やばい、また泣きそう」
ポンズが目を擦りながら言った。
「さっきと違う涙や。なんか、胸が熱くなる」
「うん……わたしも」
カグラも目を潤ませている。
「シー、これやばいな、名曲の予感するで」
レアが言った。
「四人でやると、こうなるんやな」
シーは三人を見渡した。
「みんな、ありがとう。うち一人やったら、切ないだけの曲で終わっとった。ポンズのおかげで、前向ける曲…いや、前に進める曲になった」
「シーの曲やけん、本気出しただけやよ」
ポンズが照れたように笑う。
「この曲、ツアーで絶対やろう。みんなに届けたい」
◇
ゴールデンウィーク最終日。
午後の日差しが差し込むROCK STEADYに、四人は集まっていた。ツアー前の通しリハーサル。本番と同じ流れで、セットリストを頭から最後まで演奏する。
ステージには機材がセッティングされ、照明も本番仕様。客席には愛未とヤマケン、そしてオーナーの岩田が座っていた。いつもの定期ライブとは違う緊張感が、空気を引き締めている。
「ほんじゃ、いこう!」
ポンズの掛け声で、ライブが始まった。
一曲目から、四人は全力だった。
練習スタジオで何度も合わせた曲たち。体に染み込んだリズム。息の合ったコーラス。
曲が進むにつれて、客席の三人も引き込まれていく。
そして、セットリスト終盤。
「次が、新曲です」
シーがマイクに向かって言った。
「『雨と交叉路』」
カグラのアルペジオが静かに始まる。
シーの歌声が重なる。雨の中を歩く、二人の物語。
ポンズのベースが入る。最初は寄り添うように。でも、サビに向かって力強くなっていく。
レアのドラムが空気を作る。しっとりとした静かな雨が、いつしか力強い希望の光に変わっていく。
カグラの間を埋めるギターは、いつしかシーと重なり、音の壁を作る。
切ないだけじゃない。
別れても、また会える。
そう信じて歩き出す、希望の歌。
曲が終わった。
静寂。
そして——
「うっ……うう……」
客席から、嗚咽が聞こえた。
ヤマケンだった。
両手で顔を覆い、肩を震わせている。
「ヤマケンさん!?」
ポンズが驚いて声を上げた。
「ちょ、どしたん!?」
「いや、あの……高校の時のこと、思い出して……」
ヤマケンは涙を拭きながら、照れくさそうに笑った。
「ごめん、なんか、刺さっちゃって……いい曲だね、これ」
「ヤマケンさんにも何かあったんや……」
レアが感心したように言う。
「人は見かけによらんな」
「レアちゃん、それフォローになってないよ……」
カグラが苦笑して、レアを見たが、レアはからかうような表情ではなく、優しい笑顔をしていた。
愛未がステージに近づいてきた。
「いい曲、いやすごい曲! これまでとは違う、完全にシーの曲をみんなの力で押し上げたアレンジになってる…『雨と交叉路』…でも…シー」
愛未の目が、まっすぐシーを見た。
「何かあった?」
シーとポンズは顔を見合わせた。
そして、声を揃えて言った。
「読書効果や!」
二人は顔を見合わせて、笑った。
愛未は一瞬きょとんとして、それから肩をすくめた。
「まあ、いいけど。とにかく、いい曲よ。ツアーで披露するのが楽しみね」
「うん!」
四人の声が重なった。
◇
通しリハーサルが終わり、機材を片付ける。
岩田がコーヒーを淹れてくれて、四人はカウンターで一息ついた。
「いいツアーになりそうやね」
岩田が目を細めて言った。
「新曲も素晴らしいし、バンドがその曲をちゃんと持ち上げている。自信持って大丈夫だよ」
「ありがとうオーナー!」
四人は声を揃えた。
外が暗くなり始めた頃、ようやく四人はROCK STEADYを出た。
「お疲れさま!」
「疲れたけど、楽しかったー」
「金曜日、ラジオ放送やね」
「うん、グループメッセージしながら聴くんやったね」
「そう、ほんじゃまた」
「おやすみ〜」
それぞれの方向へ帰っていく。
ポンズは自転車を押しながら、夕暮れの空を見上げた。オレンジ色の空が、街を優しく包んでいる。
シーの夢、シーの恋、シーの涙、シーは全部歌にした。シーはやっぱりすごい。
その歌は過去を振り返るための歌じゃない。シーが前を向けるように、シーが笑えるように、ポンズはそれを一番近くで支えたかった。
シーが泣いていた時、何もできなかった。ただ抱きしめることしかできなかった。でも今回は違う。音楽でシーの力になれた。
妬けるなんて言ったけど、本当はそんなことより、シーの音楽を持ち上げることができたことが嬉しかった。
これがバンドなんだ、とポンズは思った。
一人じゃ作れない音がある。一人じゃ届かない想いがある。
四人だから、できることがある。
ゴールデンウィークが終われば、ツアーが始まる。
香川、高知、徳島、広島、淡路。
新しい場所で、新しいお客さんの前で、この曲を届けるんだ。
ポケットの中でスマホが震えた。シーからメッセージが届いていた。
『ポンズがいてよかったよ』
ポンズは立ち止まり、その文字をじっと見つめた。
胸の奥が、じんわり温かくなる。
ポンズは、鼻をこすりながらにっこり笑って自転車にまたがり、ペダルを漕ぎ出した。
夕焼け空の向こうに、明日が待っている。
「ツアーが始まんで〜! お~! フレイミングパイいっくで~! お~!」
風を切って走る自転車。ポンズの声が、夕暮れの街に響いた。




