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PONZ! ~ポール・マッカートニー大好きっ子が、路上ライブのシンガー、内気な天才ギタリスト、アクセ好きドラマーとバンドを組んだ話~  作者: 文月(あやつき)
第1部

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EP.2 ポンズ命名

 真白詩音(ましろしおん)は、自分の部屋で弦の張り替えを始めた。

 まず古い弦を一本ずつ丁寧に取り外していく。弦を外し終えると、クロスを手に取り、普段は弦に隠れて拭けないボディの隅々まで磨き上げた。指板の汚れを落とし、レモンオイルを染み込ませた別のクロスで丁寧に塗り込んでいく。

 この時間が、詩音は好きだった。

 ギターと向き合う静かな時間。弦を張り替えるたびに、このギターを弾いていた父のことを思い出す。

 *

 詩音のギターは、ヘッドウェイ HMJ-WXというモデルだった。

 亡くなった父の形見である。

 父は詩音が小学三年生の時に病気で亡くなった。病気がわかってから、父はほとんどギターを弾けなくなっていた。それでも、いつかまたライブをやりたいと言って、このギターにピックアップを取り付けていた。

「いつか絶対、また弾くけんな」

 父はそう言って笑っていた。その約束は、果たされないまま終わった。

 でも、詩音の記憶の中には、元気だった頃の父がいる。

 休日の午後、リビングでギターを弾く父。詩音はそれを聴くのが好きだった。父の歌声は優しくて、ギターの音色は温かかった。詩音が「もう一回」とせがむと、父は嬉しそうに何度でも同じ曲を弾いてくれた。

 父が亡くなった後、詩音は寂しさを紛らわすために、父のギターを手に取った。

 最初はコードもろくに押さえられなかった。でも、父のギターに触れていると、父がそばにいるような気がした。毎日毎日、体に合わない大きなギターを抱えて過ごした。

 そして、小学五年生の時。詩音は初めて自分で曲を作った。

 父のことを思って書いた歌詞。拙いメロディー。それでも、精一杯の想いを込めた。

 それを聴いた母が、涙を流した。

「シー……お父さんも、きっと喜んどるよ」

 その言葉が、詩音の背中を押した。

 もっと曲を作りたい。もっと歌いたい。父のギターで、自分の想いを届けたい。

 それから詩音は、曲作りに励むようになった。中学に入ると、父がつけてくれたピックアップを活かして、路上で歌い始めた。

 *

 母は時々、このギターを見てため息をつく。

「お父さんが詩音のために残してくれたギターやけん、大切にせんといかんよ」

「わかっとる」

 詩音はいつもそう答える。このギターがどれほど高価なものかは知らない。路上ライブで出会ったおじさんたちから「いいギター使ってるね」「渋い選択だ」「WXブレーシングなんだよ」などと言われることがあるが、正直あまりピンときていない。

 詩音にとって大事なのは、値段ではなく、これが父との唯一の繋がりだということだった。

 ヘッドには小さな鳥のマークが刻まれている。それも詩音は気に入っていた。まるで父が見守ってくれているようで。

 *

 新しい弦を張りながら、詩音は先日出会った少女のことを思い出していた。

「おもしろい子やったな……」

 ぽつりとつぶやく。

 あの子は、詩音が最後に歌った曲のコード進行を正確に把握していた。Am-F-C-Gという循環コードを言い当て、それにベースラインをつけたらどうなるか、コーラスを入れたらどうなるか、具体的に語ってくれた。

 正直、嬉しくもあり、悔しくもあった。

 自分の曲の可能性を、他人に言い当てられた気がしたから。

 詩音だって、自分なりにアレンジの工夫はしてきた。ベースラインを意識したコードの押さえ方、コードをハイポジションに変更してテクスチャーを変えたり、カッティングでパーカッシブな要素を加えたり。一人でやれることは全部試してきた。

 でも、それはあくまで「一人でできる範囲」の工夫だった。バンドアレンジを想像しながら、一人で再現できる形に落とし込んでいただけ。

 あの子は、その先を見ていた。

「うちがエレキギター持つなんて、考えられんな」

 詩音は苦笑しながら、弦を張り終えた。エレキギターなんて、バンドの楽器だ。自分には縁のないものだと思っていた。

 でも、あの子の言葉が、頭の片隅に引っかかっている。

「あなたの楽曲にベースが入ると、もっとダイナミックになる」

 その言葉が、なぜか心に残っていた。

 いつかはバックバンドをつけてライブをやってみたい。そんな夢はある。でも、今みたいに一人でやっていて、いつのことになるかはわからない。

 *

 詩音は自分の音楽について、複雑な想いを抱えていた。

 路上ライブを始めてから二年ほど経つ。中学一年の終わり頃、父のギターを持って初めて街に出た日のことを、今でも覚えている。緊張で手が震えて、声も上手く出なかった。でも、一曲歌い終わった時、通りすがりの女性が拍手をしてくれた。それが嬉しくて、続けてきた。

 いつも一人だった。

 一人だからこそ、自分の音楽を純粋に表現できる。誰かに合わせる必要もない。自分の想いを、そのまま歌にできる。

 でも時々、このまま一人で続けていいのかという疑問が、心の奥底に湧いてくることがあった。

 *

「シー、ちょっといい?」

 母が部屋にやってきた。

 何か重要な話がありそうな雰囲気だった。母がこういう表情をする時は、大抵何か大きな知らせがある。

「どうしたん?」

「あのね、この間名刺くれた芸能事務所の人から連絡があったんよ」

 詩音は少し身構えた。先月の路上ライブの後、スーツ姿の男性が名刺を渡してきたことがあった。「興味があったら連絡ください」と言われたが、詩音は特に何もしていなかった。

「レコード会社の人が、詩音の路上ライブの映像を見て、興味を持ってくれたって」

 詩音の手が止まった。

「レコード会社……?」

 まさか、そんな話が来るなんて。

「デモの音源がほしいって言われとるんやけど、どう思う?」

 詩音は複雑な表情を浮かべた。

 これまで夢見てきたチャンスかもしれない。ソロシンガーとしてデビューする。一人で作詞作曲して、一人で歌って、一人でステージに立つ。ずっと憧れてきた道だ。

 でも、レコード会社となると、きっと色々な要求や制約があるだろう。自分の音楽がそのまま受け入れられるとは限らない。売れる曲を書けと言われるかもしれない。自分らしさを失うかもしれない。

「お母さん、少し考えさせて」

「うん、急がんでええけんね。でも、こんなチャンスはそうそうないと思うよ」

 母が部屋を出て行った後、詩音は一人でギターを抱えて考え込んだ。

 プロになりたいという気持ちはある。父のギターで、もっと多くの人に自分の音楽を届けたい。でも、自分が思うような音楽を続けていけるかどうかはわからない。

 そんな時、ふと、あの子のことを思い出した。

 あの子は、詩音の音楽を理解してくれているようだった。コード進行のことも、メロディーのことも、ちゃんとわかった上で話してくれた。もし、バンドを組むなら、ああいう子となら……。

 いや、でも。

 バンドは複雑だ。メンバー間の人間関係、音楽的な方向性の違い、意見の衝突。そういったことを考えると頭が痛くなる。一人なら、すべて自分で決められる。自分の想いをそのまま音楽にできる。

 詩音は首を振った。余計なことを考えるのはやめよう。

 *

 詩音は中学の頃から、アーケード街に関係のある商工会や、ライブハウスの関係者に気に入られていた。

「この子は筋がいい」「将来が楽しみだ」

 そんな風に言ってもらえて、彼ら主催のイベントにも出演させてもらうようになった。おかげで、路上ライブの許可を市から正式に取ってもらえている。普通、中学生や高校生が路上で演奏するのは難しいのに、詩音は堂々とやれている。それは周りの大人たちのおかげだった。

 詩音は主に、金曜の夜や土曜の夜に、ある程度人通りの多い時間帯に父のギターを抱え、街へ出ることにしている。

 でも今日は、平日だった。

 なぜか、無性に歌いたい気分だった。レコード会社の話を聞いて、モヤモヤしているのかもしれない。とにかく、ギターを弾いて歌って、頭の中を整理したかった。

 そして、もう一つ。

 あの子が本当に来るのかどうか、確かめたかった。

「来週また来る」

 あの子はそう言っていた。普段は金曜か土曜にしかやらない。でも、平日にやることをSNSで告知しても来るだろうか。

 詩音はスマートフォンを取り出し、告知を投稿した。

「今日、17:30頃ゲリラライブやります」

 *

 夕方、詩音はアーケード街のシャッターの降りた店の前で、準備を始めた。

 小さなアンプをギターケースから取り出す。マイクスタンドを立て、マイクをセットする。父がギターに取り付けてくれたピックアップにジャックを差し込み、アンプに繋ぐ。マイクもアンプに繋いで、軽く音を出してみる。

 うん、問題ない。

 詩音がセッティングを終えた時だった。

「こんばんは~」

 振り向くと、あの子がギターケースを背負って立っていた。

「ほんとに来たんや」

 詩音は思わず声に出した。正直、半信半疑だったのだ。

「だって、セッションの約束したもん」

 あの子は当然のように言った。

「いや、考えとくって言っただけやし、普段平日はやらんから、毎日この辺で待とうとしたら、一週間待ちぼうけやったんやないん?」

「SNSで告知あったけん、飛んできたんよ。それにちゃんとCD聴き込んできたけん、ええやん?」

「意外と強引やな……」

 詩音は呆れ半分、感心半分だった。この子、本当に諦めが悪い。

「えーと……名前、なんやったっけ」

「え、この間言ったやん! 光月寛奈(みつきかんな)!」

「あー、そうやった、そうやった……」

 詩音は曖昧に頷いた。実は全然覚えていなかった。

「……みつき、かんな」

 詩音は小声で繰り返した。みつき……ミツカン……酢……ぽん酢……。

「ふっ」

 思わず吹き出しそうになった。

「何?」

「いや、なんでも……」

 *

 寛奈はギターケースを下ろし、中からテキサンを取り出した。

 蜂蜜色のアコースティックギター。確かに左利き用に弦が逆に張られている。

 チューニングを始める寛奈を見て、詩音は言った。

「ほんと左利きなんや。逆さにして使うんやね……ってベースやないやん」

「そ。二人なんだし、デュオの方がバランスがいいと思ったんよ」

「ふーん」

 詩音は素っ気なく返したが、内心では期待が湧いてきていた。

 本当に、一人でやってきた自分の音楽が、どう変わるのか。

 あの子の言う「化学反応」とやらが、本当に起きるのか。

 興味があった。

 詩音はポケットから折りたたんだ紙を取り出した。

「これ、今日のセトリ。この新曲以外はCDに入っとったと思うけど」

「うん! ばっちり覚えてきた!」

 寛奈は自信満々に頷いた。

「……まだ数日しか経っとらんのに、ほんまに大丈夫なん?」

 詩音は半信半疑だったが、とりあえず寛奈のギターもアンプに繋いでやることにした。シールドを分岐させて、二本のギターを一つのアンプで鳴らす。音量バランスを調整しながら、軽く音を出してみる。

「……悪くないな」

 詩音のヘッドウェイと、寛奈のテキサン。二本のアコースティックギターの音が、不思議なほど馴染んでいた。

 *

 詩音はマイクテストを兼ねて、道行く人へ語りかけた。

「あー、あー、ワンツーワンツー。真白詩音でーす。今日もライブやりますから、ぜひ聴いていってくださーい」

 SNSの告知を見てすでに集まっていた固定客が、少しざわついた。

「あれ、誰?」

「さあ……」

「シーちゃん、今日は誰か連れてきたん?」

 詩音は観客の声を聞きながら、MCを続けた。

「今日は、ちょっと飛び入りで、ギター持ってるけど、ベーシストの……えーっと」

 名前が出てこない。

 さっき聞いたばかりなのに、すぐに思い出せなかった。みつ、みつ、……ミツカン……ミツカンといえば……

「ポンズ!」

 口から出てしまった。

「はあ?」

 寛奈が目を丸くしている。観客からは笑い声が漏れた。

「まずはこの曲!」

「ちょ! ポンズってな……!」

 詩音は寛奈の反論を無視して、食い気味にイントロのストロークをかき鳴らした。

 *

 詩音のギターが鳴り始めた瞬間、寛奈は切り替えた。

 文句は後だ。今は、音楽に集中する。

 詩音のストロークに、ベースラインとリフを乗せていく。CDで何度も聴いて、家で何度も練習した。詩音のギターの隙間を埋めるように、自分のギターを差し込んでいく。

「おお!」

 観客から声が上がった。

 詩音も驚いていた。寛奈のギターが、想像以上に自分の音楽に馴染んでいる。まるで最初から一緒にやっていたかのように、二本のギターが絡み合っている。

 詩音はいつものように、Aメロを歌い始めた。語りかけるような親密さで、歌詞を紡いでいく。

 Bメロに差しかかった頃、寛奈がじりじりと近づいてきた。

(コーラスに入るつもりか?)

 詩音は察した。マイクは一本しかない。なんとなくそんな気がして、半身、その場を開けた。

 サビに入る。

 二人の声が、重なった。

 詩音のメインボーカルに、寛奈のハーモニーが絡みつく。三度上の、美しい和音。詩音の少しハスキーな声と、寛奈の明るく伸びやかな声が、不思議なほど合っていた。

「かっこいい!」

 観客から歓声が上がった。

 寛奈が左利きということもあって、マイクを中心にして二人はシンメトリーになっていた。詩音が右側でヘッドは左向きにギターを構え、寛奈が左側でヘッドが右向きにギターを構える。まるで鏡に映したような構図だ。

 その絵面が、ビートルズのジョンがボーカルをとっている時のポールとジョージのような構図を思わせて、音楽好きの観客からは特に大きな歓声が起こった。

 これまでの詩音のライブとは、明らかに違っていた。

 音の厚みが増している。コーラスが入ることで、楽曲に立体感が生まれている。そして何より、二人で演奏している姿そのものが、視覚的なパフォーマンスになっている。

 ライブ空間が、一体となっていく。

 その空気感に足を止める人も増え、人の輪が広がっていった。

 *

 二人はそのままの勢いで、準備したセトリを演奏していった。

 一曲、また一曲と進むにつれて、二人の息はどんどん合っていった。アイコンタクトだけで、次の展開がわかるようになっていく。詩音がストロークを強くすれば、寛奈もそれに合わせて音量を上げる。詩音がブレイクを入れれば、寛奈もピタリと音を止める。

 まるで、長年一緒にやってきたかのようだった。

 詩音は驚いていた。

 こんな感覚は初めてだった。一人でやっている時には絶対に味わえない、何かが生まれている。自分の音楽が、自分だけのものではなくなっていく。でも、それは決して悪い感覚ではなかった。むしろ、自分の音楽がより大きく、より豊かになっていくような感覚だった。

 これが、あの子の言っていた「化学反応」なのかもしれない。

 セトリの最後、詩音は新曲をソロで歌った。これはまだ寛奈に聴かせていない曲だったから、一人で歌うしかない。

 でも、不思議なことに、一人で歌っていても寂しくなかった。すぐ隣に、寛奈が立っているから。

 新曲を歌い終えて、ライブは終了した。

 大きな拍手が、二人を包んだ。

 *

 ライブが終わると、詩音のファンたちが近づいてきた。

「シーちゃん、今日すごかった!」

「二人での演奏、めっちゃよかった!」

 そして、寛奈にも声がかかった。

「よかったよポンズちゃん!」

「ポンズちゃん! シーちゃんをよろしくね!」

「ポンズちゃん、また来てね!」

 寛奈は苦笑いしながらも、観客に手を振った。もう「ポンズ」で定着してしまったらしい。

 やがて観客が去り、二人きりになった。

 寛奈は詩音の方を向いて、むくれた顔をした。

「ちょ、ポンズって何よ~!」

「あ、いや……名前、縮めるとミツカンやん。ミツカンといや、酢かぽん酢やから、つい……」

 詩音は少し気まずそうに説明した。

「ミツカン……酢……ぽん酢……!?」

 寛奈は詩音の思考回路をなぞって、ますます不満そうな顔になった。

「いや、意味わからんし! 普通に寛奈でよかったやん!」

「ごめんて……」

 詩音は謝りながらも、何か思いついたように付け加えた。

「でもほら、ポンズ・マッカートニー……なんつって」

 沈黙が二人を包んだ。

(さむ……言わんかったらよかった……)

 詩音は内心で後悔した。完全に滑ったと思った。

 しかし…。

「ポンズ・マッカートニーかあ!」

 なんと寛奈は目を輝かせ始めた。

「うち、今日からポンズ・マッカートニーや!」

「……いいんかよ」

 詩音は呆れた。この子、本当に変わっている。普通なら怒るところだろうに、むしろ喜んでいる。

「いいよいいよ! ポンズ・マッカートニー! 最高やん!」

 寛奈はすっかりご機嫌になっていた。

「じゃあ、うちのことはシーでいいよ」

「シーちゃん?」

「シーでいいって。ちゃんはいらん」

「シー!」

 寛奈は嬉しそうに呼んだ。

「シー、どうやった? うちの言いたいこと、伝わった?」

 *

 詩音は少し考えてから、微笑んで答えた。

「そやな……うちの曲が、全部生まれ変わった感じした」

「ほんと!?」

「それはポンズやったからやと思うよ。アレンジに委ねて、歌詞にも集中できたし……そういうん、今まで味わったことなかった」

 詩音の言葉は本心だった。

 一人でやっている時は、ギターも歌も全部自分でやらなければならない。コードを押さえながら、ストロークしながら、歌詞を歌いながら、次の展開を考えながら……。頭の中が常にフル回転で、余裕がなかった。

 でも今日は、寛奈がいてくれた。

 アレンジの一部を寛奈に任せられた分、詩音は歌に集中できた。歌詞の一つ一つに、いつもより感情を込められた気がする。

「じゃあ!?」

 寛奈は期待に満ちた目で詩音を見た。

「でも……バンドは組めない」

「え? なんで……?」

 寛奈の表情が曇った。あんなに息が合ったのに。あんなに「化学反応」が起きたのに。なぜ?

 詩音は少し俯いた。その表情は、がっかりしているようにも見えた。もう少し早く出会っていれば、という顔だった。

「ソロデビューの話、もらったんよ」

「……!」

 寛奈は息を呑んだ。

「レコード会社から。デモ音源が欲しいって」

 *

 詩音は複雑な想いを抱えていた。

 今日、初めて「一人ではない可能性」を感じた。寛奈との音楽は、自分一人では作れない何か新しい感覚があった。化学反応が起きた。それは間違いない。

 でも、憧れ続けたソロデビューが、今、目の前にある。

 ずっと夢見てきたのだ。一人で作詞作曲して、一人で歌って、一人でステージに立つ。父のギターで、自分の音楽を世界に届ける。その夢が、今、手の届くところにある。

「そう……なんや」

 寛奈は静かに言った。

 その声には、悔しさも、悲しさも、そして何か別の感情も混じっているようだった。

「今日は本当にありがとう。すごい楽しかったで」

 詩音は心からそう言った。

 寛奈は少し寂しそうな表情を見せた。二度目のお断りだ。でも、すぐに笑顔になった。

「うちも楽しかった! シーの音楽、やっぱり素晴らしいけん。どんな道を選んでも、シーなら大丈夫や!」

 その言葉に、詩音は少し救われた気がした。

「……ありがとう」

 *

 機材を片付けながら、詩音は言った。

「連絡先、交換せん?」

「え? いいの?」

「バンドは組めんけど……友達にはなれるやろ」

 詩音はスマートフォンを取り出した。寛奈も慌てて自分のスマートフォンを取り出す。

 二人は連絡先を交換した。

「じゃあ、またね。ポンズ」

「うん! またね、シー!」

 寛奈はギターケースを背負い直した。そして、「またね」という言葉が嬉しかった。そんなことを思いながらふと、アーケードの向こうに目をやった。

「……もしかして」

 何かに気づいたように、寛奈の目が輝いた。

「ごめん、シー! もう行くね!」

「え?」

 詩音が反応する間もなく、寛奈は駅の方へ向かって駆け出していた。

「ちょ、ポンズ!?」

 寛奈の背中が、あっという間に小さくなっていく。

「……何なん、あいつ」

 詩音は呆れたようにつぶやいた。でも、その顔には小さな笑みが浮かんでいた。

 *

 寛奈を見送った後、詩音は一人で機材を片付けた。

 心の中で、何かが静かに葛藤を始めていた。

 一人でやっていくという信念。

 誰かと一緒に音楽を作る可能性。

 その二つが、詩音の心の中でせめぎ合っていた。

 家に帰る道すがら、詩音は考えていた。

 父が残してくれたこのギターで、どんな音楽を作っていきたいのか。

 ソロデビューの話は魅力的だ。ずっと夢見てきた道だ。でも、今日初めて感じた「化学反応」が、脳裏から離れない。

 あの瞬間、確かに何かが生まれていた。一人では絶対に作れない音楽が、二人の間に生まれていた。

 それを、捨てていいのだろうか。

 詩音はアーケード街を出ると、すっかり暗くなった空を見上げた。

 星が、いくつか瞬いきはじめている。

「お父さんなら、どうしろって言うやろうか……」

 詩音は答えの出ない問いを、心の中で繰り返していた。

 父はいつも言っていた。

「音楽は、人と人を繋げるもんや」

 その言葉の意味が、今日、少しだけわかった気がした。

 でも、まだ答えは出ない。

 詩音は父のギターを抱えて、ゆっくりと家路についた。

 スマートフォンが震えた。

 さっき交換したばかりの「ポンズ」のメッセージだった。

「今日はありがとう! 最高に楽しかった! シーの音楽、これからも応援するけん!」

 詩音は画面を見つめて、小さく微笑んだ。

 返信を打つ。

「こちらこそ。また路上ライブ来てね、ポンズ」

 送信。

 ポンズとシー。

 二人の物語は、ここから始まる。

登場人物

光月寛奈みつき かんな15歳(高1) ポンズ

真白詩音ましろ しおん15歳 シー

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