EP.2 ポンズ命名
真白詩音は自分の部屋で、弦の張り替えを始めた。
弦を取り外し、クロスでボディ全体を拭き上げた。オイルを取り出し、指板やブリッジに塗り込む。新しい弦を取り出しながら、先日出会った少女のことを思い出した。
「おもしろい子やったな」
最後に歌った曲のコード進行を正確に把握し、ベースラインやコーラスのことを言ってきた。なんとなく、自分の曲の可能性をある程度言い当てられ、嬉しくもあり悔しくもあった。
自分のできる範囲のベースライン、コードをハイポジションに変更したり、カッティングでパーカッシブにしたり、そういう小手先のテクニックは、自分の曲のアレンジにバンドアレンジを想像してできたものだった。
詩音は自分の音楽について、複雑な想いを抱えていた。路上ライブを始めてから2年ほど経つが、いつも一人だった。一人だからこそ自分の音楽を純粋に表現できるし、誰かに合わせる必要もない。でも時々、このまま一人で続けていいのかという疑問が心の奥底に湧いてくる。
詩音のギターはヘッドウェイ HMJ-WXというモデルで、亡くなった父の形見である。価値はよく知らないが、有名な日本の製作家の一品らしく、母は苦笑いして高かったようなことを言っていた。
「お父さんが詩音のために残してくれたギターやけん、大切にせんといかんよ」
母はいつもそう言っていた。父は詩音が小学生の時に病気で亡くなったが、最期まで音楽を愛していた人だった。このギターは父が詩音の将来を信じて残してくれた、唯一で最高の贈り物だった。
そういえば、何人かのおじさんたちからは、「いいギター使ってるね」とか「渋い選択!」とか「WXブレーシングなんだよ」とか言われていたが、あんまりピンときていない。このギターのフラットで乾いた音には自分の声が乗せやすく、ピッキングでダイレクトに自分の感情を表現できるし、ヘッドの鳥のマークも気に入っていた。
「うちが、エレキギター持つなんて、考えられん」
詩音はそう笑って、新しい弦を張った。エレキギターなんて、バンドの楽器だ。自分には縁のないものだと思っていた。でも、あの子の言ったことが、頭の片隅に引っかかっている。
「あなたの楽曲にベースが入ると、もっとダイナミックになる」
その言葉が、なぜか心に残っていた。そりゃあゆくゆくはバックバンドをつけてライブをやってみたい。今みたいに一人でやっていて、いつのことになるかはわからないが。
「シー、ちょっといい?」
母が部屋にやってきた。何か重要な話がありそうな雰囲気だった。
「どうしたん?」
「あのね、この間名刺くれた芸能事務所の人から連絡があったんよ。レコード会社の人が詩音の路上ライブの映像を見て、興味を持ってくれたって」
詩音の手が止まった。レコード会社?まさか、そんな話が来るなんて。
「デモの音源がほしいって言われてるんやけど、どう思う?」
詩音は複雑な表情を浮かべた。これまで夢見てきたチャンスかもしれない。でも、レコード会社となると、きっと色々な要求や制約があるだろう。自分の音楽がそのまま受け入れられるとは限らない。
「お母さん、少し考えさせて」
「うん、急がんでええけんね。でも、こんなチャンスはそうそうないと思うよ」
母が部屋を出て行った後、詩音は一人でギターを抱えて考え込んだ。プロになりたいという気持ちはある。でも、自分が思うような音楽を続けていけるかどうかはわからない。
そんな時、あの子のことを思い出した。彼女は詩音の音楽を理解してくれているようだった。もし、バンドを組むなら、ああいう子となら…。
でも、バンドは複雑だ。メンバー間の人間関係、音楽的な方向性の違い、そういったことを考えると頭が痛くなる。一人なら、すべて自分で決められる。自分の想いをそのまま音楽にできる。
詩音は中学の頃から、アーケード街に関係のある商工会や、ライブハウスの関係者に気に入られていて、彼ら主催のイベントにも出演していたことから、彼らに路上ライブの許可を市から取ってもらっていた。
詩音は主に、金曜の夜や土曜の夜に、ある程度人通りの多い時間帯に父のギターを抱え、街へ出ることにしているが、平日の今日も行きたい衝動に駆られた。
街に出て、アーケード街のシャッターの降りた店の前で、準備を始めた。小さなアンプと、マイクスタンドをケースから取り出し、父がギターに取り付けたピックアップにジャックを差し込み、マイクと共にアンプで繋いだ。
「こんばんは~」
振り向くと、寛奈がギターケースを下げて立っていた。
「ほんとに来たんや」
「だって、セッションの約束したもん」
「いや、考えとくって言っただけやし、普段平日はやらんから、下手したら1週間待ちぼうけやけん」
「SNSで告知あったけん、飛んできたんよ。それにちゃんとCD聞き込んできたけん、ええやん」
「意外と強引やな…名前は?」
「まだ言ってなかったよね。光月寛奈、よろしく詩音ちゃん」
「みつき かんな…ミツカン…酢…ぽん酢…ふっ」
詩音は小声で呟き、吹き出しそうになった。
「何?」
「いやなんでも…」
寛奈はテキサンを取り出し、チューニングを始めた。詩音はそれを見て言う。
「ほんと左利きなんや、逆さにして使うんやね…ってベースじゃないやん」
「そ、二人なんだし、デュオの方がバランスがいいと思ったんよ」
「ふーん」
と言いながらも、詩音には期待感が徐々に湧いてきていた。本当に、一人でやってきた自分の音楽が、どう変わるのか興味があった。詩音は持ってきていた今日演奏する曲目を書いた紙を寛奈に見せた。
「これ今日のセトリ、この新曲以外はCDに入ってたと思うけど」
「うん!ばっちり」
詩音は、自分のアンプに寛奈のギターも繋げて、マイクテストを兼ねて、道行く人へ語りかける。
「あー、あー、ワンツーワンツー、真白詩音でーす。今日もライブやりますから、ぜひ聞いてってくださーい」
詩音のSNSの告知ですでにいた固定客が少しざわついていた。
「あれ誰?」
「さあ」
詩音はMCを続ける。
「今日は、ちょっと飛び入りで、ベーシストの…えーっと」
すぐに名前が出てこなかった詩音は、思わず口ごもってしまった。
「ポンズ!」
「はあ?」
「まずはこの曲!」
「ちょ!ポンズってな…」
詩音は寛奈の反論を無視し、食い気味に前奏のストロークをかき鳴らした。その音に、ベースラインとリフを乗せて、寛奈が伴奏を彩っていく。
「かっこいい!」
と、歓声が上がるのを感じた。
詩音はいつものように、Aメロを語りかけるような親密さで歌い始める。Bメロ付近になると、寛奈が近づいてきた。
コーラスに入るつもりか?そうかマイクは1本しかない。詩音はなんとなくそんな気がして半身その場を開けると、マイクを中心にして、二人はハモる。
寛奈が左利きということもあって、マイクを中心にシンメトリーになり、まるで、ビートルズのジョンがボーカルをとっている時のポールとジョージのような構図に歓声が起こった。
これまでの詩音の音の厚みが増し、コーラスと、見た目のパフォーマンスも加わり、ライブ空間は一体となった。その空気感に足を止める人も増え、人の輪が広がった。
二人はそのままの勢いで、準備したセトリを終えた。そして最後は詩音が新曲をソロで唄い、締めくくった。
ライブが終わり、詩音のファンたちが、
「よかったよポンズちゃん!」
「ポンズちゃん!シーちゃんをよろしく!」
などと、寛奈にも声をかけてくれた。
客が去り、二人きりになり、寛奈は、
「ちょ、ポンズって何よ~!」
「あ、いや名前、縮めるとミツカンじゃん、ミツカンといや、酢かぽん酢やから、ついね」
むくれる寛奈に、さらに付け加えた。
「ポンズ・マッカートニー…なんつって」
沈黙が二人を包む。さむいこと言ってしまったと詩音は思った。
「ポンズ・マッカートニーかあ!」
なんと寛奈は目を輝かし始めた。
「うち、今日からポンズ・マッカートニーや!」
「いいんかよ」
詩音は少々呆れた。
「うちのことはシーでいいよ」
「シーちゃん?」
「シーでいいって」
「シー!どうだった、うちの言いたいこと伝わった?」
詩音は微笑みながら答えた。
「そやな、うちの曲が全て生まれ変わった感じした。それはポンズだったからだと思うよ。アレンジに委ねて、歌詞にも集中できたし、そういうん今まで味わったことない」
「じゃあ!?」
「でも、バンドは組めない…」
「え?なんで…?」
詩音は、少しがっかりしたようにも見えた。もう少し早く出会っていればという表情だった。
「ソロデビューの話、もらったんよ」
その時、詩音は初めて自分の将来について、一人ではない可能性を感じていたのは確かだし、寛奈との音楽は自分一人では作れない何か新しい感覚があった。でも憧れ続けたソロデビューが今目の前にある。
「今日は本当にありがとう。すごい楽しかったで」
詩音の言葉に寛奈は少し寂しそうな表情を見せたが、すぐに笑顔になった。
「うちも楽しかった!シーの音楽、やっぱり素晴らしいけん。どんな道を選んでも、シーなら大丈夫や!」
二人はその日、連絡先を交換して別れた。詩音は駅の方へかけていく寛奈を見送りながら、心の中で一人でやっていくという信念と、誰かと一緒に音楽を作る可能性とが、静かに葛藤を始めていた。
家に帰る道すがら、詩音は考えていた。父が残してくれたこのギターで、どんな音楽を作っていきたいのか。ソロデビューの話は魅力的だが、今日初めて感じた「化学反応」が脳裏から離れなかった。
「お父さんなら、どうしろって言うやろうか」
詩音は夜空を見上げながら、答えの出ない問いを心の中で繰り返していた。
登場人物
・光月寛奈15歳(高1) ポンズ
・真白詩音15歳 シー




