EP.1 ストリート・ミュージシャン
光月寛奈は祖父にプレゼントしてもらったエピフォン・テキサンとヘフナーのヴァイオリンベースHCT-500を手に、毎日毎日練習に明け暮れた。
ビートルズはもちろん、ポール・マッカートニーのソロアルバムも聞き込み、すっかりポール・マッカートニーを崇拝するようになっていた。
「ポール師匠、行ってきまーす!」
と、学校に行くときは、ポールのポスターに敬礼する始末。
同級生の誰にも話は通じなかったが、祖父の音楽仲間は、ポールやビートルズの熱弁をふるう寛奈をそれはそれは可愛がってくれて、いろんなことを教えてくれた。
一緒に演奏したり、ライブに参加したりして、ギターもベースもかなりの腕前になり、最近じゃボーカルもとるようになった。
中学を卒業する頃には、バンド結成への憧れが強くなっていた。
「おじいちゃん、うちもバンド組めるかなあ?」
「かんちゃんにも、ジョンみたいな相棒やジョージ、リンゴみたいのがおったらええのにな」
「よし、うち、ジョン、ジョージ、リンゴを探すけん!」
「うん、おったらええねえ」
寛奈は祖父の部屋にある、日の丸の下でスタンバイするビートルズのポスターを見て、新たな夢も描いていた。
「そして、目指せ武道館や!」
寛奈の進学した高校は、フレキシブルスクールでいわゆる単位制、学業とアルバイトを両立し、バンド活動もしようということで決めた。当然両親の反対はあったが、祖父が後押しをしてくれた。
学校は、制服はなく私服で通うことができた。授業は10時半ごろから1日4コマ受講し、あとはアルバイトをすることとした。もう2コマ選択して受講もできるが、卒業には4年かけるつもりでいた。
アルバイトは祖父の知り合いからポスティングの仕事にありつけた。ライブハウスでスタッフをしたかったが18歳未満のため、諦めていた。
学校での日々も、ポスティングのバイトにも慣れた頃、寛奈は街を歩いた。松山のアーケード街は歴史があり、古い建物と新しい店が混在している。路面電車がゆっくりと街の中を走り、観光客や地元の人たちが行き交う。道後温泉にもほど近く、この街には独特の温かい雰囲気がある。
アーケード街ではあちこちで、ストリートミュージシャンが出没するし、ライブハウスや楽器店、CDショップでバンドメンバー募集のチラシをチェックできる。
「SNS見てもチラシ見ても、まあベースだけ募集ってのはないな」
トボトボ歩くうち、人だかりを見つけた。ギターをかき鳴らす音、少女の歌声が響いている。寛奈は頭の中で、彼女の音楽にベースラインをつけてみた。
「弾き語り言うても、フォークって感じやないな。これはロックや」
寛奈は人だかりをかき分け、そのストリートミュージシャンの見える位置までやってきた。
少女は、ショートカットでメッシュが入っていて、破れたデニムをはいている。小さな体でブラウンサンバーストの古そうなアコースティックギターを抱え、力強いボーカルだ。足元にはギターケースが開けられており、
「真白詩音 - Shion Mashiro - 15歳 CD1,000円 ライブのあとお声がけください」
と手書きのポップが置かれている。
彼女の楽曲は、シンプルで力強いコード進行だった。Am - F - C - G の循環コードを基調としながら、時折Em やDmを織り交ぜて感情の起伏を作っている。メロディーは覚えやすく、でもどこか切ない響きがある。歌詞は聞き取れる範囲では、日常の中の小さな痛みや希望について歌っているようだ。
「この子の歌、すごくいい!」
寛奈は頭の中で、彼女の楽曲にベースラインを重ねてみた。Amから始まるコード進行なら、ルート音を基調としたシンプルなラインから始めて、サビの部分ではもう少し動きのあるラインを。Fのコードの部分では、ベースが先行してコードチェンジを示唆するような動きを入れれば、楽曲全体にもっとダイナミズムが生まれるはず。
観客たちは彼女の音楽に聞き入っている。通りすがりの人も足を止め、小さなライブ空間が自然に形成されている。中学生くらいの女の子が目を輝かせて歌い、サラリーマン風の男性が仕事帰りに立ち止まって聞いている。松山の人々の温かさが、この小さなライブを支えているようだ。
彼女のライブが佳境に入ると、楽曲はますますヒートアップし、オーディエンスを彼女の世界に引っ張り込もうとしていた。
頭の中でベースラインをつけていた寛奈もまた、引きずり込まれそうになった。
彼女の力強い歌声と、感情のこもったギターストローク。観客たちが彼女の音楽に身を委ねていく中で、寛奈も同じように魅了されそうになる。でも、寛奈はただ受け身で引きずり込まれるわけにはいかない。
自分もそっち側にいたい。自分も自分の音楽で聴く人を魅了したい。ただ聴くだけではなく、自分も彼女と同じステージで音楽に参加したいという強い気持ちが一層強まる。
寛奈はただ引きずり込まれるのではなく、彼女と同じところで踏みとどまってみせる。彼女が観客を自分の世界に引き込もうとするその瞬間に、寛奈は頭の中で自分の音楽を重ね合わせた。
寛奈は頭の中で、自らが彼女の傍でベースを弾き、彼女の歌声に合わせ、コーラスをとり、一緒にオーディエンスを魅了する光景を鮮明にイメージしていく。
想像の中で、寛奈のベースラインが彼女のAmコードに深みを与える。Fコードへの移行では、ベースが先導してコード感を強調し、Cコードでは安定感を、Gコードでは次への期待感を演出していく。寛奈のコーラスが彼女のメインボーカルにハーモニーを添え、楽曲の感情表現を何倍にも広げていく。
そして彼女の楽曲が、寛奈の頭の中で劇的に変化していった。想像上のベースラインが彼女のギターと絡み合い、頭の中で歌うコーラスが彼女のメインボーカルを支えていく。一人では表現しきれない音楽的な厚みが、寛奈の脳内で鮮やかに響いている。
路上では実際には何も変わっていない彼女の音楽は、寛奈にとっては全く違う音楽に聞こえていた。まるで二人で演奏しているような、バンドとしての完成された音楽として響いている。
これこそまさに「化学反応」だった。音楽への愛情と、彼女への憧れが混ざり合って、寛奈の心の中で特別な瞬間を作り出していた。
「見つけた!」
ライブが終わり、客が彼女の手作りCDを購入するために列を作ると、寛奈は一番後ろに並んだ。
寛奈の番が回ってきて、千円を手渡しながら声をかけた。
「かっこよかったです」
「ありがとうございます…はい、CD」
「あの!」
彼女…真白詩音と目が合った、やはり芯の通った真っ直ぐな目をしている。
「わたしとバンドやりませんか?」
「は?」
詩音は怪訝そうな顔をしている。
「わたしが、あなたの音楽を持ち上げてみせます」
「…持ち上げるって、どういう意味?」
詩音の声には警戒心が滲んでいる。これまでも何人かの人から声をかけられたことがあったが、大抵は詩音の音楽性を理解せず、単に「可愛い女の子のシンガー」として見ているだけだった。
「さっき、あなたの楽曲を聞いていて、頭の中でベースラインを付けてたんです。一人でも十分素晴らしいけど、バンドでやったらもっと表現の幅が広がると思って…」
寛奈は真剣な表情で続けた。
「あなたの楽曲のAm-F-C-Gの進行、ありきたりな進行なのに歌の旋律がとても美しいです。それにベースが入ることで、もっとダイナミックになるし、コーラスが入ることで歌詞の世界がより立体的になる。一人だからできることもあるけど、複数だからこそできることもあるんです」
詩音は少し驚いた表情を見せた。音楽的なことを具体的に話してくれる人に出会ったのは久しぶりだった。
「キミ、楽器できるの?」
「ベースとギター、少しボーカルも。うち、ポール・マッカートニー大好きで…」
「ポール・マッカートニー…ビートルズの?」
ポールを知っている同年代がいて、寛奈は嬉しくなった。
「うん!左利きも同じだし、ベースもギターも歌も全部やりたいんです。でも一人じゃできないこともある。だから、あなたみたいに才能のある人と一緒に音楽をやってみたいんです」
詩音は一瞬考え込むような表情を見せたが、やがて首を振った。
「ごめん。うちは一人でやっていきたいの。バンドは…考えてないけん」
「そうですか…」
寛奈は少しがっかりした表情を見せたが、すぐに笑顔になった。
「わかりました。でも、もしよかったら、いつかセッションとかしませんか?あなたの音楽、本当に素晴らしいから」
詩音は寛奈の純粋な音楽愛を感じ取った。悪い人ではなさそうだし、音楽的な理解もあるようだ。でも、今はまだソロでやっていきたい。
「…考えとく」
「ありがとう!また路上ライブ聞きに来るけん!」
寛奈は詩音のCDを大切に抱えて、その場を後にした。家に帰る道すがら、詩音の楽曲が頭の中でリピートされていた。そして、あの「化学反応」の瞬間を思い出しながら、いつか詩音と一緒に音楽ができる日を夢見ていた。
「あの子が、うちのジョンかもしれん」
寛奈は確信に近い予感を抱きながら、陽が沈んだ後の松山の街を歩いていった。
登場人物
・光月寛奈15歳(高1)
・真白詩音15歳




