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PONZ! ~ポール・マッカートニー大好きっ子が、路上ライブのシンガー、内気な天才ギタリスト、アクセ好きドラマーとバンドを組んだ話~  作者: 文月(あやつき)
第1部

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EP.1 ストリート・ミュージシャン

「ポール師匠、行ってきまーす!」

 光月寛奈(みつきかんな)は、部屋のドアを開ける前に、壁に貼られたポール・マッカートニーのポスターに向かってビシッと敬礼した。

 ポスターの中のポールは、ヘフナーのヴァイオリンベースを構えて、いつものように優しく微笑んでいる。

「今日も頑張るけん、見守っとってね!」

 この日課は、小学四年生の時に祖父の家でポールと出会って以来、もう六年も続いている。

 *

 寛奈が祖父からもらったものは、音楽への愛だけではなかった。

 中学一年の誕生日。祖父は寛奈に特別なプレゼントをくれた。

「かんちゃん、誕生日おめでとう」

 祖父が差し出したのは、大きなケース。開けてみると、そこにはヘフナーのヴァイオリンベースHCT-500が入っていた。ポール・マッカートニーと同じようにレフティモデルだ。

 寛奈は涙が出そうになった。

「おじいちゃん……これ、すごい高いやつやん……」

「かんちゃんがポールを超える日のために、じいちゃんの貯金、全部使うたった」

「えっ、全部!? おじいちゃん、お金大丈夫なん!?」

「冗談や。半分くらいや」

「半分でも大変やん!」

 祖父は笑いながら、寛奈の頭をぽんぽんと叩いた。

「かんちゃんがプロになって、武道館でライブする時、じいちゃんを招待してくれたらそれでええ」

「絶対する! 最前列の真ん中、おじいちゃん専用席にするけん!」

「そりゃ楽しみや」

 寛奈は新しいベースを抱きしめながら、心の中で誓った。絶対にこの恩は返す。おじいちゃんを武道館に連れていく。そのためなら、何だってやってやる。

 こうして寛奈は、祖父からもらったエピフォン・テキサンとヘフナーのヴァイオリンベースを手に、毎日毎日、練習に明け暮れた。

 *

 ビートルズの楽曲はもちろん、ポール・マッカートニーのソロアルバムも聴き込んだ。ウイングス時代の曲も、近年のアルバムも、手に入るものは全部聴いた。ポールの弾くベースライン、ギターのフレーズ、作曲のニュアンス。すべてを吸収しようとした。

 すっかりポール・マッカートニーを崇拝するようになった寛奈は、同級生からは「ビートルズオタク」と呼ばれていた。

「ねえ寛奈、今度のカラオケ、何歌うん?」

「もちろんビートルズや! 『Let It Be』か『Hey Jude』か迷うなあ」

「……古い」

「古くない! 名曲は永遠なんや!」

 同級生たちには全く話が通じなかったが、祖父の音楽仲間たちは違った。

 祖父には、若い頃からの音楽仲間が何人かいた。みんな六十代から七十代で、今でも時々集まってはセッションをしている。寛奈がポールやビートルズについて熱弁をふるうと、彼らは目を細めて聞いてくれた。

「邦彦さんの孫、ええ子やなあ」

「うちらが若い頃と同じ熱量や。懐かしいわ」

「かんちゃん、今度一緒に演奏しようや」

 寛奈は彼らと一緒に演奏したり、小さなライブに参加したりするようになった。おじさんたちから、コードの押さえ方、ストロークのコツ、ベースラインの作り方、機材のことやステージでの立ち振る舞い……プロではないけれど、長年の経験から培った様々なことを教わった。

 そうやって実践を積み重ねるうちに、寛奈のギターとベースの腕前はめきめきと上達していった。最近ではボーカルも任されるようになっていた。

 *

 中学三年の冬。進路を決める時期がやってきた。

 寛奈の胸の中には、バンド結成への憧れが日に日に強くなっていた。おじさんたちとの演奏は楽しいけれど、やっぱり同年代の仲間とバンドを組みたい。一緒に夢を追いかけられる仲間が欲しい。

「おじいちゃん、うちもバンド組めるかなあ?」

 ある日、祖父の部屋で、寛奈はそう尋ねた。

「組めるやろ。かんちゃんの腕なら」

「でも、メンバーおらんのよ。学校でバンドやりたい子、全然おらんし」

「そうかあ。かんちゃんにも、ジョンみたいな相棒やジョージ、リンゴみたいのがおったらええのにな」

 祖父は壁に貼られたビートルズのポスターを見上げた。1966年の日本公演の時の写真。日の丸を背景に、四人が並んでスタンバイしている。

「よし!」

 寛奈は急に立ち上がった。

「うち、ジョン、ジョージ、リンゴを探すけん!」

「おお、そうか」

「絶対見つける! そして、目指せ武道館や!」

 祖父は目を細めて微笑んだ。

「うん、おったらええねえ」

「おったらええねえ、やなくて、絶対見つけるんや!」

「はいはい、頑張りや」

 祖父は笑いながら、孫の背中を叩いた。

 *

 寛奈が進学先に選んだのは、フレキシブルスクールと呼ばれる単位制の高校だった。

 学業とアルバイトを両立し、バンド活動もしたい。そのためには、時間に融通のきく学校がいい。寛奈はそう考えて、この学校を選んだ。

 当然、両親は反対した。

「寛奈、普通の高校に行きなさい。大学進学のことも考えて」

「お母さん、うちは音楽やりたいんよ」

「音楽なんて、趣味でやればいいでしょ。仕事にするのは難しいんだから」

「難しいかどうかは、やってみんとわからんやん」

 母との平行線の議論が続く中、祖父が割って入った。

「かんちゃんの好きにさせたってくれんかな」

「お義父さん、でも……」

「親父まで…」

「わしも若い頃、音楽の道に進みたかった。でも諦めたんよ。いや、後悔しとるわけやない。今こうして家族があるんも、そのときの選択のおかげや。でも、現代はいろんな選択肢があるやろ。こうじゃないとあかんとか、この道やないとあかん、なんていうことはないはずやで」

 祖父は静かに、しかし力強く言った。

「かんちゃんには…今の子供たちにはどんな選択肢を与えてやってもええやろ。失敗してもええ、やりたいことに挑戦させてやってくれ」

 両親はそれ以上何も言わなかった。祖父の言葉には、長年の想いや経験の裏付けがあった。

「……わかった。でも、ちゃんと卒業はしなさいよ」

「まあ。父さんもこういうの、憧れだけで終わったしな…」

「うん! ありがとう、お父さん!お母さん! おじいちゃんも!」

 寛奈は三人に抱きついた。

 *

 四月。高校生活が始まった。

 フレキシブルスクールは制服がなく、私服で通学できた。寛奈は毎日、好きなバンドのTシャツを着て学校に行った。

 授業は午前十時半頃から始まり、一日四コマを受講する。もう二コマ選択して受講することもできるが、寛奈は四年かけて卒業するつもりでいた。急ぐ必要はない。その分、音楽に時間を使いたい。

 アルバイトは祖父の知り合いの紹介で、ポスティングの仕事を始めた。本当はライブハウスでスタッフとして働きたかったのだが、十八歳未満では雇ってもらえなかった。

「仕方ないか……あと二年の辛抱や」

 ポスティングは正直、地味な仕事だった。チラシの束を持って、一軒一軒のポストに投函していく。自転車の乗り降りは疲れるし、夏は暑いだろうし、冬は寒いだろう。でも、時間の融通がきくし、道中、頭の中で曲を作ることもできる。

「まあ、これはこれでありやな」

 寛奈は前向きに考えることにした。

 *

 学校とバイトに慣れてきた四月下旬の土曜日。

 寛奈は松山のアーケード街を歩いていた。

 大街道から銀天街へと続くこのアーケードは、松山の中心部を貫く商店街だ。歴史ある古い建物と、新しくできたおしゃれな店が混在している。頭上にはアーケードの屋根が続き、雨の日でも濡れずに歩ける。

 路面電車がのんびりと街の中を走り、観光客や地元の人たちが行き交っている。道後温泉にもほど近いこの街には、どこか独特の温かい雰囲気があった。寛奈はこの街が好きだった。

 アーケード街を歩く目的は一つ。バンドメンバー探しだ。

 このあたりには、ストリートミュージシャンがよく出没する。ライブハウスや楽器店、CDショップには、バンドメンバー募集のチラシが貼られている。SNSでも探しているが、実際に足を運んで、自分の目で見て、耳で聴いて探したかった。

「えーと、今日のチラシは……」

 寛奈はチケット販売も行うCDショップの掲示板をチェックした。

「ギタリスト募集……ドラマー募集……ボーカル募集……」

 一通り見て、寛奈はため息をついた。

「SNS見てもチラシ見ても、まあベースだけ募集ってのはないな」

 ベーシストはギターが弾ければ、ギタリストが転向することができる。そう思えばドラマーを探すよりは容易だ。逆に言えば、ベーシストがバンドメンバーを探そうという発想自体が稀少なのかもしれない。

「うちがバンド組むなら、ボーカルとリードギターと、ドラムやな……」

 トボトボと歩きながら、寛奈は考え込んでいた。

 *

 その時だった。

 少し先に、人だかりができているのが見えた。

 ギターをかき鳴らす音。そして、少女の歌声が響いている。

 寛奈は足を止めた。

(この声……)

 自然と、頭の中でベースラインが動き始めた。彼女のギターに、低音を重ねていく。寛奈の癖だった。街で音楽を聴くと、つい頭の中でベースを弾いてしまう。

(弾き語りやけど……フォークっぽくはないな。これはロックや)

 寛奈は人だかりをかき分けて、そのストリートミュージシャンが見える位置まで進んだ。

 *

 少女は、ショートカットにメッシュの入った髪をしていた。

 年齢は寛奈と同じくらいか、少し下か。破れたデニムのパンツに、シンプルな黒いTシャツ。小柄な体で、ブラウンサンバーストのアコースティックギターを抱えている。

 見た目は小柄で華奢なのに、歌声は力強かった。腹の底から声を出している。ギターのストロークも荒々しく、でも正確だ。

 足元には開けられたギターケース。その横に手書きのポップが置かれている。

「真白詩音 - Shion Mashiro - 15歳 CD 1,000円 ライブのあとお声がけください」

真白詩音(ましろしおん)……十五歳か。うちと同い年やん)

 寛奈は彼女の演奏に聴き入った。

 *

 彼女の楽曲は、シンプルで力強いコード進行だった。

 Am - F - C - G の循環コードを基調としながら、時折EmやDmを織り交ぜて感情の起伏を作っている。ありきたりな進行と言えばそうだが、メロディーラインが秀逸だった。覚えやすいのに、どこか切ない響きがある。

 歌詞は、聞き取れる範囲では、日常の中の小さな痛みや希望について歌っているようだ。大げさな言葉を使わず、等身大の感情を丁寧に紡いでいる。

(この子の歌、すごくいい……!)

 寛奈は思わず息を呑んだ。

 そして、頭の中で、彼女の楽曲にベースラインを重ね始めた。

 Amから始まるイントロ。ルート音を基調としたシンプルなラインから始める。ドーン、ドーン、と低く響く音が、彼女のギターの下を支える。

 Fに移るところで、ベースが先行してコードチェンジを示唆する。ラ、ソ、ファ、と滑らかに下降していく。そうすることで、楽曲全体の流れがより自然になる。

 Cでは安定感を。Gでは次への期待感を。サビに入ったら、もう少し動きのあるラインに切り替える。

 そして、彼女のボーカルにコーラスを重ねる。三度上のハーモニー。彼女の声を邪魔せず、でも確実に厚みを加える。

 頭の中で、彼女の音楽が劇的に変化していった。

 *

 観客たちは彼女の音楽に聞き入っている。

 通りすがりの人も足を止め、小さなライブ空間が自然に形成されていた。中学生くらいの女の子が目を輝かせて聴いている。サラリーマン風の男性が仕事帰りに立ち止まっている。おばあさんが買い物袋を下げたまま、じっと聴き入っている。

 松山の人たちの温かさが、この小さなライブを支えているようだった。

 彼女のライブが佳境に入ると、楽曲はますますヒートアップしていった。声量が上がり、ストロークが激しくなる。オーディエンスを自分の世界に引っ張り込もうとしている。

 寛奈もまた、引きずり込まれそうになった。

 彼女の力強い歌声。感情のこもったギターストローク。観客たちが彼女の音楽に身を委ねていく中で、寛奈も同じように魅了されそうになる。

 でも。

 寛奈はただ受け身で引きずり込まれるわけにはいかなかった。

(うちも、そっち側におりたい)

 自分も自分の音楽で聴く人を魅了したい。ただ聴くだけではなく、彼女と同じステージで音楽に参加したい。その気持ちが、胸の奥から沸き上がってきた。

 寛奈は引きずり込まれるのではなく、彼女と同じところで踏みとどまった。

 彼女が観客を自分の世界に引き込もうとする、その瞬間。寛奈は頭の中で、自分の音楽を重ね合わせた。

 *

 想像の中で、寛奈は彼女の傍に立っていた。

 ヘフナーのベースを構え、彼女のギターに合わせて弾く。彼女の歌声に合わせてコーラスを入れる。二人で、オーディエンスを魅了する。

 その光景が、頭の中で鮮明にイメージされていく。

 寛奈のベースラインが、彼女のAmコードに深みを与える。Fコードへの移行では、ベースが先導してコード感を強調する。Cコードでは安定感を、Gコードでは次への期待感を演出する。

 寛奈のコーラスが、彼女のメインボーカルにハーモニーを添える。楽曲の感情表現が何倍にも広がっていく。

 想像上のベースラインが彼女のギターと絡み合い、頭の中で歌うコーラスが彼女のメインボーカルを支えていく。一人では表現しきれない音楽的な厚みが、寛奈の脳内で鮮やかに響いている。

 路上では、実際には何も変わっていない。彼女は一人でギターを弾き、一人で歌っている。

 でも、寛奈にとっては全く違う音楽に聴こえていた。

 まるで二人で演奏しているような。バンドとしての完成された音楽として響いている。

 これこそまさに「化学反応」だった。

 音楽への愛情と、彼女への憧れが混ざり合って、寛奈の心の中で特別な瞬間を作り出していた。

(見つけた……!)

 寛奈の心が、大きく跳ねた。

 *

 ライブが終わった。

 観客から拍手が起こり、彼女……真白詩音は深くお辞儀をした。そして、手作りのCDを購入するための列ができ始めた。

 寛奈は迷わず、列の一番後ろに並んだ。

 心臓がドキドキしている。さっきまでの興奮がまだ冷めていない。頭の中では、彼女と一緒に演奏するイメージがまだグルグルと回っている。

(落ち着け、落ち着け……。ちゃんと話さんと)

 列はゆっくりと進んでいく。前の人たちが彼女と言葉を交わし、CDを受け取って去っていく。

「ありがとうございます」

「頑張ってね」

「また聴きに来るね」

 詩音は一人一人に丁寧に対応している。表情は真剣で、でもどこか不思議な雰囲気がある。

 そして、寛奈の番が回ってきた。

 *

「あの、CD一枚ください」

 寛奈は千円札を差し出した。

「ありがとうございます」

 詩音がCDを渡そうとした時、寛奈は思い切って口を開いた。

「かっこよかったです」

「……ありがとうございます」

 詩音は少し戸惑ったような表情を見せた。「かっこいい」と言われることには慣れていないのかもしれない。

「はい、CD」

「あの!」

 CDを受け取りながら、寛奈は声を張り上げた。

 詩音と目が合った。真っ直ぐな目だ。芯の通った、強い意志を感じる目。

「わたしと、バンドやりませんか?」

「は?」

 詩音は怪訝そうな顔をした。いきなり何を言い出すんだ、という表情だ。

 *

「わたしが、あなたの音楽を持ち上げてみせます」

 寛奈は真剣な表情で言った。

「……持ち上げるって、どういう意味?」

 詩音の声には警戒心が滲んでいた。

 これまでも何人かの人から声をかけられたことがあった。「バンドやろう」「一緒にやりたい」。でも、大抵は詩音の音楽性を理解せず、単に「可愛い女の子のシンガー」として見ているだけだった。「顔が可愛いからメジャーデビューできるよ」「アイドルみたいにプロデュースしてあげる」そんな薄っぺらい言葉ばかり。

 詩音は、自分の音楽を理解しない人とは組みたくなかった。

「さっき、あなたの楽曲を聴いていて、頭の中でベースラインをつけてたんです」

 寛奈は真剣な表情で続けた。詩音の警戒心に気づいているのかいないのか、言葉が止まらない。

「一人でも十分素晴らしいけど、バンドでやったらもっと表現の幅が広がると思って……」

「…………」

「あなたの楽曲のAm-F-C-Gの進行、ありきたりな進行なのに歌の旋律がとても美しいです」

 詩音の目が、少しだけ変わった。

「それにベースが入ることで、もっとダイナミックになるし、コーラスが入ることで歌詞の世界がより立体的になる。一人だからできることもあるけど、複数だからこそできることもあるんです」

 詩音は少し驚いた表情を見せた。

 音楽的なことを、こんなに具体的に話してくれる人に出会ったのは久しぶりだった。いや、もしかしたら初めてかもしれない。

 *

「キミ、楽器できるの?」

 詩音が聞いた。さっきより、少しだけ声が柔らかくなっている。

「ベースとギター、少しボーカルも。うち、ポール・マッカートニー大好きで……」

「ポール・マッカートニー……ビートルズの?」

 寛奈の目がパッと輝いた。

「知っとる!? ポールのこと知っとるん!?」

「まあ……名前くらいは」

「すごい! うちの周り、誰も知らんのよ! ビートルズ古いって言われるし、ポールって誰って言われるし……」

 寛奈が興奮気味に話し始めると、詩音は少し引いた表情になった。

「あ、ごめん。つい熱くなって……」

「……いや、別に」

 詩音は首を傾げた。変な子だな、と思いながらも、不思議と嫌な感じはしなかった。

「で、そのポール・マッカートニーがどうしたん?」

「うん! うち、ポールと同じ左利きで、ベースもギターも歌もやるんよ。でも一人じゃできんこともあるやん。だから、あなたみたいに才能のある人と一緒に音楽をやってみたいんです」

 寛奈は真っ直ぐに詩音を見つめた。

「一人で届けられる音楽もあるけど、仲間と一緒やからこそ届けられる音楽もあると思うんよ。あなたの歌を聴いとったら、そう思った」

 *

 詩音は黙り込んだ。

 正直、心が少し揺れていた。

 この子は、これまで声をかけてきた人たちとは違う。自分の音楽を、ちゃんと聴いてくれている。コード進行のことも、メロディーのことも理解している。そして何より、目が真剣だ。

 でも。

 詩音には、譲れない夢があった。

「……ごめん」

 詩音は首を振った。

「うちは一人でやっていきたいんよ。バンドは……考えてないけん」

「…………」

 寛奈の表情が曇った。

「どうして? 一人より、複数の方がもっと……」

「うちには、ソロデビューの夢があるけん」

 詩音はきっぱりと言った。

「一人で作詞作曲して、一人で歌って、一人でステージに立つ。それがうちの目標なんよ。バンドを組んだら、その夢から離れてしまう気がするけん」

「そうか……それがあなたの夢なんやね」

 寛奈は静かに頷いた。詩音の夢を否定する気はなかった。夢は人それぞれだ。大切にしているものを踏みにじる権利は誰にもない。

「……ごめんね。せっかく声かけてくれたのに」

 *

 寛奈はがっかりした表情を見せた。

 でも、すぐに顔を上げて、笑顔を作った。

「わかった。今は無理やね」

「……うん」

「でも、もしよかったら、いつかセッションとかせん?」

「セッション?」

「うん。バンドやなくていいけん、一回だけ一緒に音を出してみたいんよ。あなたの音楽、本当に素晴らしいから。うちの音と合わせたら、どんな音になるか聴いてみたい」

 寛奈の目は、さっきと変わらず真剣だった。諦めの悪い子だな、と詩音は思った。でも、不思議と嫌な感じはしない。

「一回だけ?」

「うん。一回だけ。それで合わんかったら、もう諦める。でも、もし化学反応が起きたら……」

「化学反応?」

 詩音は首を傾げた。変な表現を使う子だな。

「音楽やってると、たまにあるんよ。別々の音が合わさった時に、予想もせんかった新しい何かが生まれる瞬間。それが化学反応」

「…………」

「さっき、あなたの歌を聴いとる時、頭の中で楽器鳴らしとったら、それが起きた気がしたんよ。だから、実際に音を出して確かめたい」

 詩音は寛奈の顔をじっと見つめた。

 この子の目は、嘘をついていない。本当に、自分の音楽に何かを感じてくれたんだ。

 *

「……考えとく」

 詩音はそう答えた。

「ほんと!?」

 寛奈の顔がパッと明るくなった。

「考えとくって言うただけやけん。やるとは言うてないよ」

「うん、わかっとる! でも嬉しい!」

「……変な子やね、キミ」

「よく言われる!」

 寛奈は胸を張って答えた。詩音は思わず吹き出しそうになった。

「じゃあ、どうやって連絡するん?」

 詩音が聞くと、寛奈は少し困った顔をした。

「あ……そうか、連絡先」

「一応、毎週金曜か土曜、このへんで路上ライブしとるけん」

 詩音はそう言って、アーケードの一角を指差した。

「来週も?」

「たぶん。天気がよければ」

「じゃあ、来週また来る! 返事、聞かせて!」

「……わかった」

 詩音は少し呆れたような、でもどこか嫌ではない表情で頷いた。

「あ、うち、光月寛奈。みつき、かんな。よろしく!」

「……真白詩音。まあ、ポップに書いとるけど」

「詩音ちゃんって呼んでいい?」

「……好きにしたらええ」

「じゃあ、詩音ちゃん! また来週ね!」

 寛奈は詩音のCDを大切に抱えて、手を振った。

 *

「……うん」

 詩音は小さく手を振り返した。

 寛奈が去っていくのを見送りながら、詩音は不思議な気持ちになっていた。

(変な子やったな……)

 でも、嫌な感じはしなかった。むしろ、久しぶりに音楽の話で盛り上がれて、少し楽しかったかもしれない。

(セッション、か……)

 詩音は空を見上げた。夕焼けがオレンジ色に染まり始めている。

 ソロデビューの夢は、変わらない。一人で歌って、一人でステージに立つ。それが自分の目標だ。

 でも……一回くらい、セッションしてみてもいいかもしれない。

 あの子の言う「化学反応」が、どんなものなのか。

 少しだけ、気になった。

 *

 一方、寛奈は足取り軽く、松山の街を歩いていた。

 頭の中では、詩音の楽曲がリピートされている。そして、さっきの「化学反応」の瞬間を何度も思い出していた。

(断られたけど……でも、セッションは考えてくれるって言うてくれた)

「考えとく」だけだけど、それでもゼロではない。来週、また会える。

(あの子の音楽は、本物や)

 寛奈は確信していた。真白詩音は、特別な才能を持っている。あの歌声、あのメロディーセンス、あの歌詞の世界観。

 そして何より、あの真っ直ぐな目。芯の通った、強い意志。

(あの子が……うちにとっての、ジョンかもしれん)

 寛奈は心の中でそう思った。

 ポール・マッカートニーにとってのジョン・レノン。最高の相棒。一緒に曲を作り、一緒に演奏し、お互いを高め合った存在。

 もちろん、詩音にそんなことを言うつもりはない。詩音は詩音だ。真白詩音という一人のアーティストだ。誰かに当てはめるなんて失礼だし、そんなことをする気もない。

 でも、心の中で、そう思わずにはいられなかった。

 今日、自分は真白詩音と出会った。

 これは、何かの始まりかもしれない。

「よーし、帰ったらCD聴くぞ!」

 寛奈は詩音の手作りCDを胸に抱きしめながら、陽が沈んだ後の松山の街を歩いていった。

 路面電車が、ゆっくりと寛奈の横を通り過ぎていく。

 アーケードの灯りが、一つ一つ点き始めていた。

 *

 その夜、寛奈は部屋で詩音のCDを聴いた。

 路上で聴いた曲以外にも、何曲か収録されていた。どれも、シンプルだけど心に響く楽曲ばかりだった。

 寛奈はヘフナーのベースを手に取り、CDに合わせて弾いてみた。

 頭の中で想像していたベースラインを、実際に音にしてみる。詩音のギターと歌声に、自分のベースが重なっていく。

(うん……合う)

 悪くない。でも、何か違う気もする。

 寛奈はベースを置いて、今度はエピフォン・テキサンを手に取った。祖父から借りっぱなしの、あの蜂蜜色のアコースティックギター。

 CDを最初から流し直して、今度はギターで合わせてみる。

 詩音のストロークに、自分のベースラインやアルペジオを重ねる。詩音のコードの隙間を、自分のギターリフで埋めていく。

(あ、これや……!)

 寛奈は目を見開いた。

 ベースも合うけど、二人だけでやるなら、ギターの方がいい。詩音のギターと自分のギター。二本のアコースティックギターが絡み合う音。その方が、詩音の弾き語りスタイルを活かしながら、音に厚みを加えられる。

(セッション、するならテキサンやな)

 寛奈は結論を出した。

 壁のポスターを見上げる。ポール・マッカートニーが、いつものように微笑んでいる。

「ポール師匠、うち、最高の相棒見つけたかもしれん」

 寛奈はポスターに向かって報告した。

「まだ、うんとは言うてくれてないけど……絶対、一緒にバンドやるけんね」

 ポスターの中のポールは、何も答えない。でも、その微笑みは、どこか応援してくれているように見えた。

「来週、テキサン持って行こう」

 寛奈はギターを抱きしめながら、そうつぶやいた。

 小さな出会いが、大きな夢への第一歩になる。

 それを、寛奈はまだ知らなかった。


登場人物

光月寛奈みつき かんな15歳(高1) 

真白詩音ましろ しおん15歳


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