第一話ーーある雨の日ーー05
「親父がああなるとテコでも動かねぇよ」
そう言いながら裕介が康二と彼女にタオルを手渡した。
「濡れたままだと風邪引くよ?」
裕介は彼女に優しく声をかけた。彼女は、泣いているのを隠す為か、頭からタオルを被った。裕介はそんな彼女を優しく見ていた。
「康二、お前が見てやれよ。出来るだろ?」
「裕介さん見てよ。素人の俺なんかよりずっと良いじゃない」
「ダメだよ。親父に怒られちゃうもん。それにさ、親父はお前がやれって言ったんだよ?工具と場所の事は何にも言ってねぇんだな」
「そうなんだけどさ……」
雄介は、タオルを被った彼女の頭をポンと叩いて、
「て事で、お嬢さん、康二クンが責任を持って見るから安心して良いよ」
と、無責任な事を言って笑っていた。
と、突然、
「ちょっと!あのオヤジ迷惑なんだけどさ!」
隣のカフェ”vent frais”の主人遥子が怒鳴り込んできた。
元々、隣のカフェは”涼風”という名の喫茶店で遥子の母親が営んでいたのだが、代替わりで遥子がおしゃれなカフェに改装したのだった。遥子は裕介の幼なじみであり、この後藤モータースとも深い縁があった。
遥子は、代替わりの際、喫茶店からカフェへと改修する為に、それこそ血の滲むような努力を積み重ねていた。バリスタの資格を取り、パティシエに弟子入りをして、なんとかこのカフェの売りである、チーズケーキとコーヒーを作り上げ、それなりにこの界隈では名前も知れ渡るようになっていた。言ってみれば、この店は遥子の血と汗の結晶だったのだ。
しかし……
後藤のオヤジさん曰く、「カフェだか何だかしらねぇが、結局はコーヒーを飲む所だろ」と元も子もない事を言っては遥子に怒られていた。
「あのオヤジ、持ち込みはすんなっていつも言ってんのにさ。ブツクサ文句言いながら缶コーヒー飲みやがって!客が帰っちまったじゃねぇか……」
おしゃれな店の店主とは言え、根はこんな口の悪いお姉ちゃんなのである。
「まったく、いつもいつも……ん?」
遥子はタオルを頭から被っている女の子を見て、
「なるほどね……分かったわ……しゃあねえな。あのオヤジの愚痴に付き合ってやるか……」
そう言いながら、それ以上何も言わず店から出て行った。こういう事は、雄介も遥子も慣れっこなのである。
女の子は頭から被っていたタオルを取り、頭を下げて言った。
「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。バイクの件はもう良いです。私の方で何とかします」
彼女の目は真っ赤に腫れている。
泣かしちゃったか……
康二は彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。何とかしてあげたいと心からそう思っていた。
「バイクは、明日にでもトラックで取りに来ます。それまで預かっていてもらえませんでしょうか?」
気丈な子だな……あんな目にあったのに……
「裕介さん……」
康二が裕介に何かを言いかける前に裕介が店の外に出た。
「いつまでも雨ざらしじゃ、コイツが可哀想だろ?店ん中に入れるから手伝ってよ」
「は、はい」
呆気に取られた彼女が急いで店の外に出た。裕介が雨に打たれている彼女の愛車の前で言った。
「ヤマハYZF-R25か……良いバイクだよね。人気あるし。早いでしょ?」
「怖くて……そんなにスピードを出したこと無いです……」
彼女は恥ずかしそうに言った。裕介は彼女のそんな姿を見て笑いながら言った。
「そうか。怖いか。はははは、でもさ人それぞれバイクの楽しみ方があるんだから、何も恥ずかしい事じゃないよ」
「はい……でも、仲間からいつも遅いって言われて……」
「そんなの気にしなくて良いさ。さて、店ん中に入れようか」
「はい」
彼女は少し落ち着きを取り戻したようだった。
店の中に裕介と彼女がバイクを押して入って来た。康二は簡単に店内を片付けて、YZFのスペースを作っていた。
裕介がYZFのサイドスタンドを立てると、真面目な顔になって彼女に向かって話し始めた。
「誤解しないでほしんだけどさ……親父、古い気質の人間だからさ。不器用であんな言い方しか出来ないんだ。気分悪くしたらゴメンな」
彼女は、大きく首を振って
「いえ、大丈夫です」
裕介はニコリと笑って、
「俺も、康二も、散々親父には怒鳴られたんだ。だからと言ってお客にあんなこと言って良いって言い訳にもならないけどね……」
「……」
彼女は黙って聞いていた。
「だけどね……」
裕介はYZFをポンと叩いて
「親父じゃなくて俺でも、このバイクは見たくないな」
「ちょちょ、裕介さん……」
康二は慌てて口を挟んだ。しかし、
「なぜですか?何がダメなんですか?」
彼女は裕介に毅然と聞き返した。
意外と強いな……
毅然とした態度の彼女に康二は少し感心をしていた。裕介もまた彼女のその態度に、少しばかり好感が持てた。
「まぁ、まぁ、座って。缶コーヒー飲む?」
彼女に椅子と、康二が持って来た缶コーヒーを勧めた。康二と彼女は椅子に座り、缶コーヒーを開けた。
裕介は缶コーヒーを一口飲むと話し始めた。
「うちはね、あの親父を見て分かったとは思うけど、客を選んじゃうんだよね。今時流行らないんだけどね」
彼女は真面目に裕介の話を聞いている。
「それもね、あの親父のポリシーって言うか、信念みたいなものでね。バイクを雑に扱う奴は見ねぇってね」
「バイクを雑に扱う……」
次回の更新は、29日になります。




