第二話ーー曇りのち晴れーー16
康二と希を乗せたCBは、甲州街道を立川方面に向かって走っていた。休日の夕方ということもあり、少しづつ交通量も増えていた。
中央高速、国立府中I.C方面に左折をし、少し坂道を下ったところで、康二ははたと気がついた。
やばい!インターの周りはラブホだらけだ!誤解されたらどうしよう。
康二は、何も気が付かないフリをしながら走っていたが、見事にラブホ街手前の信号に捕まってしまった。
なんで、こんな時に……タイミング悪い……
「あのぉ」
焦っている康二に希が声を掛けてきた。
「は、はい?」
康二の声が裏返っていた。その声を聞いて、希は笑っていた。
「どうしたんですか?声が裏返ってますよ?」
「えっ?そ、そう?」
康二は、しどろもどろになって答えた。
早く、信号青になれ!
康二は、心の中で祈り続けた。こう言う時の信号は、やたらと長く感じる。
まだか、まだか……
「康二さん?」
希は、康二の気持ちを知ってか知らずか、笑顔で話しかけてくる。
「は、はい?」
また、変な声が出た。希が笑った。
「なんか、変ですよ?」
「そ、そう?」
待ちに待った信号が、青に変わった。康二は、焦りつつも、後ろに希が乗っているので、ゆっくりと優しくアクセルを開けて発進した。
中央高速の国立府中インターを抜けると、もう、ラブホ街は見えなくなり、康二は、心底ほっとしていた。
変に誤解されたらヤバかった……
しばらく走ると、多摩川にかかる橋が見えた。この橋を越えると、日野だ。康二は、橋の側道に向かい、コンビニの交差点を左に曲がった。
少し、走るとまた左に曲がり、細い道を走り続けた。
希は、少し不安に思ってきた。
なんで、こんな細い道を走るの?どこに連れて行かれちゃうの?さっきも様子が変だったし……
希がそう思うのも当然だろう。さっきのラブホ街と良い、こういった細い道と良い、康二には、女性に対する気遣いが決定的に欠けているのである。
道は、ますます細くなり、工場やら運送会社やらの間を縫う様に走っていた。休日という事もあり、人の気配が無い。
やばいかも……
希が本気でそう思い始めると、目の前に土手が現れた。多摩川の土手だ。
康二は、土手の前で、一時停止をして、慎重に左右を確認して、土手沿いの道に出た。
康二が希に話しかけた。
「この土手の向こうが多摩川。土手が高いから、川は見えないけど、風が気持ち良いんだ」
えっ?えっ?
戸惑っている希に、多摩川から吹いてくる風が爽やかな新緑の香りを微かに乗せて、希に降りかかってきた。
気持ち良い……
希は、今までバイクに乗っていて、こんなふうに季節や、自然を感じる事は無かった。いつも仲間達に必死に付いて行くので精一杯だったのだ。
康二も気持ち良く、バイクを走らせていた。裕介のCBの調子が良く、康二の思い通りに気持ち良く回ってくれているというのもあったが、こういった昼下がりに、目的も無く、ただ走るという時間が康二は好きだった。
多摩川の土手をロードスポーツバイクを走らせている人がいる。ジョギングをしている人もいる。犬の散歩をしている人もいる。皆、思い思いに多摩川からの風を楽しんでいるようだった。
川の対岸の奥には、緑の山々が遠く見えた。希の住んでいる所に比べると、何よりも自然な緑が多かった。
ちょっと走っただけで、こんな景色が見られるんだ……
希にとっては、何もかもが新鮮な光景だった。
橋の下をくぐりしばらく走ると、だんだんと住宅が見えてきた。京王線の線路をくぐり、鎌倉街道とぶつかる関戸橋の信号に止まった。
「これ、川を渡ると、聖蹟桜ヶ丘だよ」
康二は、希に話しかけた。
「へぇ、ここら辺、あんまり来た事無いんで、面白いです」
「そか、良かった」
信号が青に変わり、康二はCBをスタートさせた。鎌倉街道を渡り、多摩川沿いを直進し続けると、突然の直角コーナーが見えてきた。康二は、軽く、フロントブレーキを握り、同時に少し、アクセルを煽り、速やかにシフトダウンをして(いわゆるブリッピングである)綺麗にコーナーを抜けていった。そもそもが、こんな狭い道の上、先が見えないブラインドコーナーで何があるかわからないし、ましてや後ろに希を乗せている。いつにも増して安全速度でコーナーを抜けて行った。
本当に康二さんの運転は怖くない……
希は、そう思っていた。今までも、誰かの後ろに乗ったことが無かったわけではない。しかし、正直、その度に怖い思いをしていた。シフトの度に感じるショック、ブレーキの度に感じるショック……まるで康二とは違った。今まで、バイクの後ろに乗って楽しいと感じた事は、あまり無かったのだ。
公園の駐車場脇を通って、すぐに信号を右折した。少し、多摩川から離れるが、またすぐに多摩川に沿って道が続く。すると、貨物列車が走っているのが見えた。
「うわっ!貨物列車!」
希は声を上げた。
「奥がJR南武線、手前が貨物線で多摩川渡った所から地下に潜って川崎まで行くんだ」
「本当ですか!面白い!」
楽しんでるみたいで良かった。
康二は希の楽しそうな声を聞いてそう思った。
線路をくぐると、また大きな通りと交差する。
「これ、左の府中方面に行くと、府中競馬場。ここから見えないけどね。もうちょい行くと競艇場もあるよ」
「へぇ」
そのまま多摩川沿いを直進していくと、また直角コーナーが出てきた。康二は、スムースにクリアすると、住宅街の道を進み、信号で止まった。
「あれ、中央高速。左の方が、山梨方面、右が東京方面」
「中央高速は、車で走った事ありますけど、また景色が違うんですね」
「うん、面白いよね。ユーミンの歌で中央フリーウエイってあるんだけど、ちょっと、ここからは手前の方だけど、ここら辺が歌詞で出てくるよ。知ってる?」
「知らないです。本当ですか!?」
ここら辺は世代の違いかなぁ……
康二はそう思いながら続けた。
「うん。右に見える競馬場、左はビール工場って、歌詞があってね。競馬場は、さっきの府中競馬場、ビール工場は、サントリーの大きい工場があるんだ」
「へえ。今度聞いてみますね」
歌の歌詞と、実際の風景がリンクするって面白い!
希はそう思うとワクワクしていた。
信号が変わり、康二は、交差点を右に曲がると、また信号にぶつかった。
「これ、右に行くと稲城大橋っていうのに繋がるんだけど、稲城って梨の産地なんだよ?知ってる?」
「えっ知らないです。こんな所に梨ですか?」
希は驚いて聞いた。
東京なのに梨?
「東京って言っても多摩地域だからね。都心とは違うよ」
康二はそう言って笑った。
「ここの梨は大きくて美味しいよ。あんまり市場に出回らないみたいだけど、向こうの街道に行けば産直の売店が出てくるから、季節が来たら、食べてみると良いよ。B級品だと安く売ってるし」
「そうします」
希は笑顔で答えた。
信号を超え道沿いに走ると、また多摩川の土手が見えてきた。
そのまま道に沿って走り続けると、遠くの方に観覧車が見える。
「康二さん、あれ、観覧車ですか?」
希は信号で止まった時に康二に聞いた。
「うん?あれ?あれは読売ランドだよ。山の上にあるんだよね。行ったことある?」
「残念ながら無いです」
「そっか、冬はイルミネーションやってるみたい。僕も行った事ないけど」
「そうなんですか?女の子とデートとかは?」
「えっ?」
康二は不意を突かれ、焦りを隠せなかった。
「いや、あの……あ、青になった」
そう言うと、CBをスタートさせた。
心地良い多摩川からの風が二人を包んでいた。柔らかい、優しい時間を、希はバイクに乗って初めて感じていた。
次回の更新は、22日になります。




