第一話ーーある雨の日ーー02
「すみません……」
厳しい口調の康二に女の子は申し訳なさそうに頭を下げた。康二は構わずに続けた。
「僕がざっと見た感じだけど、これ、動かないよ。て言うか、これじゃ、なまじ押しがけでエンジンがかかっても、同じ事が起こるかもしれないし、何よりも、事故を起こす可能性もある」
「事故ですか?」
女の子は驚いて言った。康二は厳しい口調で続けた。
「うん、なんせタイヤの空気圧も足らないしね。雨も降ってるし、滑って危ないよ。それに詳しく見ないとわからないけど、他の所も、結構ガタが来てる……半年放置だと、ガソリンも腐ってるかもしれないし、インジェクションも気になるし……」
「……すみません……」
女の子は小さな声で呟いた。厳しい康二の言い方に今にも泣きそうな顔をしている。
しかし、ただ、康二は、彼女を泣かせようと思っているわけではない。バイクを……自分の愛車をこんな風に扱う事が許せなかったのだ。
康二は少しバイクを見て考えていた。
このまま、ここに放置って訳にもいかないよなぁ……
「時間あるかな?」
突然、康二はさっきまでの口調とは変わり優しく彼女に言った。
「はい!?」
女の子はびっくりして顔を上げた。彼女の驚き様に康二もびっくりした。
ああ、なるほど、ナンパと間違えたな。
いや、彼女は怖い顔をして怒鳴られるかもしれないと思っていたのが、急に優しい声になったので驚いたのだ。康二は、本当にそう言ったところが抜けている。
康二は、慌てて彼女に説明をした。
「いや、この近くに僕の知り合いのバイク屋さんがあるんだよ。ちょうど僕も行くところだったから、ついでに見てもらった方が良いかなと思って……」
女の子は大きく頭を下げた。
「ごめんなさい。私、変な勘違いをしてしまって……」
「いやいやいや、そんな、こちらこそ、そうだよね。警戒するのも当たり前だよね」
確かに、最近、増えて来たとはいえ、絶対的に女性ライダーの数が少ないから、親切心を装ってナンパをする輩がいるのも確かだ。彼女が警戒をするのも無理はないと康二は思っていた。
「いえ、そうじゃなくて、すごく怖い顔をしていらしたので……」
「へ?ナンパを警戒してたんじゃないの?」
「ナンパ?」
「……」
「……」
2人の間に変な間が流れていた。
先に口を開いたのは彼女だった。
「いや、そんな、そんな事ないです。いや、助けてくれる方にそんな事思うわけ……」
彼女の慌てようから察するに、多少はそう思っていたのかもしれない。
それよりも康二が気になっていたのは……
「そんな怖い顔してた?」
こちらの方だった。康二にしてみれば、女の子だし、かなり気を遣って接しているつもりだったのだが……
「はい……すみません」
そうだったのか……
康二はあからさまにショックを受けた。
バイクの事に関しては、普段の康二に比べると、少々頑固なところがある。いい加減にバイクに乗っているライダーが許せないのだ。今回も女の子じゃなかったら、康二はもっと冷たい対応をしていたかもしれない。こればかりは育った環境が環境だから仕方が無いとも言えるが……何にしてもバイクの事になると、人が変る癖があった。
そんな事は康二も自覚していたから、問題は無くは無いが気にしていない。しかし、今まであまり女の子に縁がなかった康二が、女の子に面と向かってそんなことを言われるとダメージは思った以上に大きかったのだ。
「あの……ほんと……すいません……」
彼女はひたすら頭を下げていた。見るからにショックを受けている康二に申し訳なかったのだ。
「いや、いや、そんな、こちらこそ気を使わせてごめんね……そうだ!」
康二は、財布を取り出し、中から免許証を出して、女の子に渡した。
「はい、これ持ってて」
康二の免許証を渡された女の子はキョトンとしている。
「これは?」
「僕の身分証明。一応、自己紹介も兼ねてね」
康二は笑顔で言った。康二は彼女に誤解を解いて貰いたかったのだ。
「何か、ヤバいと思ったら、これ持って警察行ってくれて良いから」
彼女は、免許証をじっと見ると、
「なんか……面白い人ですね」
女の子の緊張が解けて笑みが溢れた。
「自己紹介で、免許証渡す人なんて、初めてですよ」
「そうかな?あんまり女の子と話すの慣れていなくて……」
康二は照れくさそうに言った。実際、会社でも極力女性と話すのを避けている。康二にとっては、女性が苦手というわけではなく、普通の女性とどういう会話をして良いのかわからないだけなのだ。
「大丈夫です。信用します」
彼女は笑顔で言った。康二は彼女の笑顔を見て、ほっとした。
「ありがとう。じゃ、行こうか。はいこれ」
康二は傘を彼女に渡し、バイクを押し始めた。彼女は慌てて康二を止めた。
「そんな。私のバイクだから私が押します」
康二は笑いながら、
「大丈夫だよ。すぐそこだし。それに僕のバイクに比べたら軽いもんだよ」
「そんな悪いです。濡れちゃいますし」
「それなら……」
康二は、缶コーヒーの入ったコンビニ袋を彼女に渡した。
「これ持ってくれる。ちゃんと傘はさしてね。風邪ひいちゃうよ」
彼女は、コンビニ袋を受け取り、頭を下げながら言った。
「本当にすみません」
「大丈夫、大丈夫。よいしょ」
康二は、改めて彼女のバイク、ヤマハYZF-R25を押し始めた。
良いバイクだな。でも乗って貰えなくて可哀想だな……
YAMAHA YZF-R25
水冷4ストロークDOHC2気筒259cc
高回転型エンジンながら、扱いやすく、その気になれば、スポーツ走行も楽しめると言う懐の深さから、初心者をはじめ、幅広い層に愛されている。ちなみに、彼女のバイクカラーは2023年モデルのブルーメタリック
「鈴木康二さん……」
彼女は、免許証を見て呟いた。
「ん?何?」
康二は振り返り返事をした。彼女は顔を真っ赤にして首を振った。
「いえ、何でもないです。」
「そう?」
康二は、YZFを押して歩き始めた。
その後ろを、慌てて傘をさして、彼女が追いかけて行った。
次回の更新は、19日になります。