#60-1 「太古に生まれた巨人たち、はるか昔に私を育ててくれた巨人たちを思い出す。」 —『詩のエッダ』ヴォルスパより
広間へ踏み込んだ瞬間、胸を押し潰すような圧が全身を覆った。
視界の奥で――樹木の幹そのものが歩き出したかのような巨影がうねる。
身の丈六メートルはある巨体。苔むした岩肌、枝のように伸びる腕、闇の奥で燐光を放つ二つの眼。
大地の怒りが形をとったような異形が、地鳴りじみた唸りを上げて暴れていた。
「な、なんだありゃ……!」
カイルが思わず声を荒げる。
眼前では、赤銅の戦輪の四人がその巨人に立ち向かっていた。
「うおぉぉぉっ!」
ガルムが大剣を振りかざし、振り下ろされた巨腕を正面から受け止める。石床が悲鳴を上げて割れ、火花が散った。
ヨナスの雷弾が閃き、巨人の苔むした皮膚に白い稲光が走る。
横合いを駆け抜けるジンは血に濡れた顔で身を低くし、影のように斬りかかった。だが刃は硬い外殻に弾かれ、舌打ちが響く。
その背を支えるように、メーゼの詠唱が広間に流れた。杖の先から伸びた淡い緑光がジンを包み込み、彼の体を後方へ押し戻す。
「ガルムさん!」
カイルの声が広間に響く。
「おお、カイルか! いいところに来やがった!」
血に濡れた顔でガルムが振り返り、必死の笑みを浮かべる。
「少々、まずい状況だ! 手を貸せ!」
その瞬間――俺の目の前でひと塊だった影が、三つに弾けた。
三日月の剣とグラムが右へ飛び出した。
カイルが盾を突き上げ、岩に覆われた太い木の枝のような左腕を正面から受け止める。石と鉄がぶつかり合い、火花が飛んだ。
その影をかすめるように、コールが斧を横に薙ぎ、さらにグラムの大槌が地を割るように脛へ叩き込まれる。
巨体が唸り声を上げる。そのわずかな隙を狙い、エリスが杖を掲げて呪文を紡ぎ出す。閉じた瞳の奥に魔力の光が脈打つのが見えた。
左では、白銀の翼が広がっていた。
ゼストが短く号令を飛ばし、舞うように巨体の側面を剣で斬りつける。岩を裂く鋭音とともに火花が散った。
頭上から光を帯びた矢が次々と突き刺さる。セレネの放つ矢は青い筋となり、苔むした皮膚に深々と突き立った。
メーゼの呪文が光となって降り注ぎ、カイルたちが攻撃を仕掛けた隙に退いたガルムの身体を包んだ。裂けた肩口の傷がみるみる塞がり、ガルムは笑みを浮かべ、再び大剣を構え直した。
シグリットたち騎士団は、俺の眼前に留まったまま構えをとっていた。
前に出たカークとアムスが盾を掲げて守りを固める陰で、シグリットが低く呪文を紡ぎ始めていた。三人は巨人から目を逸らさず、ただその動きを測っていた。
俺は……結局その背後に留まるしかなかった。
冒険者たちのように即座に動けるわけもなく、ただ轟音と衝撃に肩をすくめるだけだ。
石片が弾け、熱気と血の匂いが混じる中、俺は荒れ狂う戦場のただ中に立ち尽くしていた。
怒号、咆哮、火花、閃光。
広間は一瞬ごとに姿を変え、空気すら震えている。
それは、大地をそのまま魔物にしたような異形に、騎士と冒険者が一斉に挑む――そんな光景だった。
巨人が咆哮とともに身をひねった。
その腕が振り抜かれた瞬間、広間に突風のような衝撃が走り、石片が弾丸のように飛び散る。俺は反射的に顔を覆い、頬に砂と血の匂いが焼き付いた。
「くっ……下がれ!」
ゼストの号令が響く。白銀の翼の三人が左右に散り、矢と剣で牽制しながら距離を取った。
だが巨人の振り下ろした腕は止まらず、床石を粉砕して衝撃を撒き散らす。
正面に立っていたカイルが吹き飛ばされそうになる。盾ごと押し込まれ、靴底が石を削りながら後退した。
「まだだ……ッ!」
歯を食いしばるカイルの背を、コールの斧が守った。斜めから走り込み、今まさにカイルを背後から打とうとしていた蔦のような触手を叩き切り、迫る巨腕を逸らした。
しかし巨人は怯まない。裂けた皮膚から再び蔦が迸り、鞭のように三方へ散った。
その一本がセレネの肩を掠め、彼女は短く呻いて膝をついた。
「Heilen Licht!」
即座にメリッサの詠唱が走り、光の帯が彼女を包み込む。次の瞬間には、セレネはまた弓に矢を番えていた。
別の蔦がエレノアに向かった。彼女は深く集中して呪文を紡いでいる最中だ。
蔦が彼女を打とうとした、その刹那、目の前に魔力で造られた壁が立ち上がる。
「Schutzschild!」
シグリットの声とともに力場の障壁が展開され、触手が弾かれた。
ジンが素早く駆け寄り、短剣で蔦の根元を斬り裂いた。
「うぉぉりゃあ!」
ガルムが雄叫びをあげながら、大剣で巨人の胴に切りつけた。
大剣が岩肌を裂く――ギャリッ! 耳を刺す金属音とともに火花が散り、苔むした皮膚が削ぎ落とされる。だが、巨人は止まらない。
ゴルォオオオオオ!
巨人が大きく踏み込み、重い足が床を叩いた。衝撃波が走り、ガルムが体勢を崩す。
頭上に巨腕が迫る――その刹那、後方からヨナスの雷撃が走った。閃光が巨体を包み込み、怯んだ巨人の腕をガルムが切り払う。
「助かったぜ、ヨナス!」
雷光に照らされた顔で、彼は笑った。
カイルたち前衛が攻め、巨人は容赦なく返す。その隙を埋めるように、セレネの矢とヨナスの雷撃、そして場を支える騎士たちの障壁が戦線を繋いでいた。
矢の陰で倒れ込んだ仲間には、すかさず治癒の光が降り注ぐ。メリッサの呪文は暖かな輝きとなって傷口を塞ぎ、再び立ち上がる力を与える。反対側では、メーゼが必死に詠唱を続け、ガルムやジンの裂傷を淡い緑光で癒していた。
攻防の合間、シグリットは低く呪文を紡ぎ、目に見えぬ力の奔流を敵へ叩きつける。巨人の動きが僅かに鈍り、その刹那を冒険者たちが逃さない。
怒号と咆哮、火花と閃光。
広間は一瞬ごとに姿を変え、空気が張り裂けんばかりに震えていた。
俺は……彼らの戦いを見ながら、ただ立ち尽くしていた。
踏み込む力も、刃を振るう腕もない。
ただ、ランド・オラクルを通してこの場を視ていた。
巨人の体を核に、マナの光が渦を巻いている。
その中心で、俺は一瞬――視てしまった。
無数の歯車を嚙み合わせたような球体。
鉄の環が絶えず回転し、噛み合う輪がきしむように脈動する、奇怪な構造物。
(まさか……あれはダンジョンコアなのか?)
頭に浮かんだ言葉に、自分で否定を重ねる。
だが、見間違いだと切り捨てるには、あまりにも鮮烈だった。
その時――
「どいて!」
エレノアの声が鋭く響いた。杖の先に宿る火球が膨れ上がり、赤熱の光が広間を満たす。
「散開!」
ゼストの号令で仲間たちが飛び退いた瞬間、巨人の全身から蔦が放たれた。
何本もの触手が逃げる影を追い、床を叩き割りながら襲いかかる。
そして――
「Flammenstoß! Doppelschicht!《フレイムバースト!二重奏!》」
火球が弾けた。
轟音。爆炎。
焼き払われた蔦が黒煙となり、炎が巨人を飲み込む。
灼熱の中、苔むした皮膚が焼け、岩の表面が裂けて飛び散った。
巨体は大きく仰け反り――やがて、崩れるように片膝をついた。
広間にミシミシという、重苦しい衝撃音が響き渡る。
燃え残る炎の向こうで、巨人は呻き声をあげ、崩れ落ちようとしていた。




