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#59 「地獄を通り抜けているのなら、そのまま進み続けろ。」― ウィンストン・チャーチル

 シグリットの魔法が支える崩落地点を抜け、やがてセレネが指し示した裂け目に辿り着いた。

 坑道の岩壁に穿たれたその穴は、縁には剥き出しの岩肌と湿った土がまだ崩れ落ちていて、山全体の鳴動で抉られたばかりのように見える。


 さっき、この場所を駆け抜けた時は、こんな大きな穴なんかなかった。必死だったとはいえ、これだけの大きな穴だ。見落とすはずがない。

 だとすると、この穴は、先程の揺れで広がったのだろう。


 だが何より、この横穴が異様なのは、奥から吹き出してくる空気だった。

 坑道の湿り気とは違う、冷たく重い風――わずかに血や鉄を思わせる生臭さを含んでいる。それが皮膚の下にまとわりつくようで、誰もが思わず一歩退いた。


「……これはダンジョンの入口だ」

 カイルが剣を握り直し、吐き捨てる。


「同感だ。この圧迫感……空気の淀み。間違いない」

 ゼストが険しい眼差しを送った。


「やはり……赤銅の戦輪はこの中に入った可能性が高いわね」

「でしょうね。あの赤道の戦輪が、新しいダンジョンを見つけて、放っておけるはずがないわ」


 つぶやいたエレノアにメリッサも同意する。

 

「先ほど鳴動は、ダンジョンにも影響があったはずだ。無事ならいいが……」

「ガルムさんたちなら、どんなダンジョンでも、むしろ望むところだ。あの人たちに限って、心配なんか必要ねえよ!」


 ゼストの言葉にカイルが声を荒げた。 その強い調子に、場が一瞬静まる。

 

「そうね。あの人たちなら大丈夫だろうけど、今ここで言い争っても仕方がないわ。いずれにしても、ここがダンジョンで、オークの巣なら調査が必要よ。それに、さっきの地震も、このダンジョンが関係しているのかもしれない」


 エレノアがため息をつき、カイルを諭すように言い返し、 コールも低く頷いた。

 

「ここがダンジョンだろうと、そうじゃなかろうと、オークどもが居るのなら根絶やしにするだけだ」


 そう言うと、グラムは手に持った戦槌を握り直した。



「……いずれにしても、私の障壁魔法も、もうじき効果が切れます。ここは、もう一度坑道の入口まで引き返すか、この中を探索するか、早急に決断せねばなりません」


シグリットの低い声に、皆が無言で頷いた。


 重苦しい声を背に、俺は目を閉じ、ランド・オラクルを呼び起こした。


————

 光の奔流が裂け目の奥へと吸い込まれ、脈動しながら収束していく。

 弱まりかけても、まだ完全には鎮まらない。

 ――まるで新しい器が大地の奥で形を取りつつあるかのように。

————


 その瞬間、あの神と名乗る牛男の声が脳裏をかすめた。

 

『ダンジョンってのは、僕が考えたシステムなんだ』


 ——これも、あの神と名乗る奴が造ったダンジョンだっていうのか?


 背筋に冷たいものが走る。だが迷っている時間はない。


「……結論は一つだろ!」


 カイルが高らかに、声を上げる。


「外で救援を待つより、この奥を確かめる方が早い。それに、俺たちは、オークを討伐するために、この山に入ったんだ。ガルムさん達が中で戦っているのなら……なおさらだろ!」


 ゼストが頷き、シグリットが短く「わかった」と言う。

 

 揺れる灯火が、裂け目を生き物の喉のように照らし出す。


 こうして俺たちは、未知のダンジョンへ足を踏み入れる決断を下した。



     ***



 ダンジョンに足を踏み入れた瞬間、あきらかに空気が変わった。

 冷たい風が吹いたわけでもないのに、背中にぞくりとする感覚が走る。坑道の湿った空気とは違う、どこか澱んだ圧力のようなものが全身を包み込むのだ。


 この感覚は、知っている。


 俺の視界に、壁や床を走る光の筋が浮かび上がった。


 壁、天井、床。すべてに均等の太さの地脈が走り、整然と配置されていた。まるで誰かが設計図を引き、そこに光を流し込んだかのように。


 以前、カイルたちと森のダンジョンに入った時とまったく同じ――機械的な配列。

 自然ではあり得ない、意図的に組まれた仕組み。


「……やはりな」


 ゼストが周囲を睨み、吐き捨てるように言った。

 

「この圧迫感……ダンジョンに間違いない。どうやら、オークどもの巣はここで間違いなかったようだな」


 シグリットが剣の柄を強く握った。

 

「……ここが、オークが湧き出る源だったわけですね」


 その言葉に、グラムが反応した。

 「待っていろ。一匹残らず根絶やしにしてやる!」


 俺は以前、ユージンから伝えられた“噂”を思い出していた。

 

 『あの鉱山の古い坑道――夜な夜な、妙な連中が出入りしてるらしいんや』

 

 あの時は盗掘者か、あるいは鉱夫の怠け癖だろうと軽く聞き流していた。

 だが、もしもあれがオークだったとしたら?

 

 このダンジョンから湧き出たオークが、夜な夜な出入りしていたのか……いや逆か?


「なぁ、ダンジョンの魔物って、何処からか集まってきてるのか?」


「そうね。そこのところは実を言うと、まだ解明されていないの。所説あるんだけど、ダンジョンコアの力でダンジョン内で自然発生するとか、コアがダンジョン周辺の魔物を呼び寄せてるとか言われているわ」


 俺の質問に、隣を歩いていたエレノアが答える。


「でも制御型のダンジョンなんかは、人が管理しているから、魔物も外からダンジョンに入るなんてことはできないはずなのよね。中には街中にあるダンジョンだってあるのよ。だから、ダンジョン内で生まれているっているのが、今は有力な説よ」

「そうなのか? 魔物や魔獣って言っても、生き物だよな。生き物を生み出しているって、ダンジョンコアってのは、そんなにすごい力があるのか?」


 背筋が粟立つ。

 この異常は偶然ではない。鳴動も、オークの異常発生も、すべてダンジョンコアと結びついている。

 脳裏に、歯車の塊をおもちゃのように手にした、子供の姿が浮かんだ。



 魔法の灯りが揺れる暗がりの中で、一行は無言のまま顔を見合わせた。

 逃げ道は塞がれている。外の援助がいつ来るかもわからない。


「結局……進むしかないようだな」


 俺はそう口にし、腰のナイフがそこにあるか今一度確認した。



 ダンジョンの奥へ進むと、死臭が鼻を刺した。

 魔法の光に照らされたそこには、斬り伏せられたオークの死骸が散乱していた。血はまだ乾ききっておらず、戦いはそう時間が経っていないと知れる。


「……ガルムさんたちだな」


 カイルの言葉に誰も異を唱えなかった。

 赤銅の戦輪がこのダンジョンに入ったことは疑いようもない。

 だとすれば、先程の山の鳴動も――彼らの戦いと関係があるのかもしれない。


 オークの死骸は十を超えた。

 グラムが鼻を鳴らし、戦槌を肩に担ぎながら不満げに言う。

 

「ここでじっとしてる暇はない。とっとと追いつくぞ」


「待ってください。グラム殿」


 シグリットが一喝する。

 

「相手はオークだけとは限りません。足並みを乱さず、慎重に進みます」


 一行は再び歩みを進めた。進むにつれ、死骸の数は減っている。

 だが、血の跡が途切れず奥へと続いているのを見て、ゼストが低く唸った。

 

「……まだ戦いは続いているな」


 だが、このダンジョンには一つの違和感があった。

 他のダンジョンのように道が入り組むことも、急に広間が現れることもない。ただひたすらに、一本の道が続いているのだ。まるで、鉱山の坑道がそのまま変質して“ダンジョン”に呑み込まれたかのように。


「……不思議な造りだな」 カイルが首を傾げる。


「普通はもっと迷路みたいに入り組んでるもんだろ?」


「一本道なのは幸いです」


 シグリットは冷静に答えた。

 

「この部隊を分けずに済むし、罠や伏兵の心配も少ない。進む道に迷わぬ分、追いつくのも早いはずです」


 一行の足取りが自然と速くなった。

 

 やがて、前方の闇に淡い光が浮かび上がった。


「……外か?」


 誰かが小さく呟いた。


 希望が胸に灯る。もしかしたら、このダンジョンを抜けられるのかもしれない。

 だが、近づくにつれて、それは違うと思い知らされる。

 

 光とともに――武器がぶつかり合う音、怒号、獣の咆哮が響いてきたのだ。


「戦闘だ……!」


 シグリットが剣を構える。


 全員の表情が引き締まった。

 あの光の先で戦っているのは――赤銅の戦輪に違いない。


 一行は足音を殺しながらも、息を弾ませ、急ぎ足で奥へと向かった。

「地獄を通り抜けているのなら、そのまま進み続けろ。」

ウィンストン・チャーチルのこの言葉は、どんな困難も前進あるのみと説きます。

本話では、一行が退路のないダンジョンへ進む決断を下しました。その先にある「地獄」で彼らを待ち受ける運命とは。次話にご期待ください。

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