#58 「一つのドアが閉まると、別のドアが開く。」 — アレキサンダー・グラハム・ベル
坑道へ足を踏み入れた瞬間、熱気と土煙が顔を打った。
崩落の余波で土埃が渦を巻き、視界は薄茶の靄に霞んでいる。壁はきしみ、天井からは小石が絶え間なく降り落ちていた。
入口で咄嗟に手に取った魔道灯を掲げる。揺れる灯りが壁と天井を照らし出し、影が不気味に踊った。
だが、それ以上に鮮烈なのは――オラクルが“視せる”光だった。坑道そのものを縁取るように地脈の筋が金色に浮かび、一本の光のトンネルを描き出している。
駆け抜けながら、自分が失敗したことに気づいた。
地脈の流れに引き寄せられるように、目の前の坑道にとびこんだが…...ここは、十三番坑道だ。
カイルたちが向かったのは十八番のはず。しまった――!
だが、もはや引き返す猶予などない。崩落の余波は続き、時間を費やせばそれだけで命取りだ。
とにかく奥へ進むしかない……作戦時に見た地図が正しければ、あと百メルで広い採掘場に出る。その先には、十三番と十八番を繋ぐ横道があるはずだ。
(そこまで行けば、きっと合流できる)
オラクルが示す光の線は、迷いなく坑道の奥へと伸びている。
息が続かなくなり、一度立ち止まった。
どのくらい進んだのか――胸の鼓動と肺の焼けつく感覚からして、二百メル(メートル)は駆けたはずだ。
急がなければ! そう自分に言い聞かせた瞬間、パラパラという小石が崩れる音に混じって、坑道の奥からいくつもの足音が響いてきた。
(……カイルたちか!)
俺は再び走り出した。
そこに、暗闇を突き破るように、複数の人影が現れた。
煤と血にまみれた顔――カイル。
その背後にはコール、エレノア、グラム、さらにゼスト率いる白銀の翼の姿もあった。
「カイル!」
「ソーマ!?」
互いに名を呼ぶ。カイルは息を荒げながら、俺に叫んだ。
「奥の採掘場が崩れた! もう持たねえ、逃げるぞ!」
その言葉に背筋が冷える。やはり、あの鳴動は――。
だが安堵する間もなく、合流した直後に坑道全体が大きく軋み、頭上から不吉な音が走った。
――ギシギシと亀裂が広がる音。
「上だ!」
誰かが叫び、見上げた瞬間、天井の岩盤が裂け、岩が崩れ落ちようとしていた。
(やばい!!)
誰もが息を呑み、押し潰される未来しか見えなかった。
「下がれぇッ!」
鋭い声と共に、土煙を切り裂いてシグリットが駆け込む。剣を鞘ごと地に突き立て、詠唱の最後を鋭く吐き出した。
「Kraft, binde dich unerschütterlich!」
足元に鋭い光が奔り、瞬く間に魔法陣が描かれる。
紋様が輝きを増すと同時に、シグリットの全身から魔力の奔流が立ち上がり、頭上へと駆け上がった。
次の瞬間、透明な壁のような力場が天井いっぱいに張り巡らされる。
落下してきた巨岩がその障壁に激突し、轟音と共に押し合う。
重圧で地鳴りが響き、足元まで震動が伝わるが、障壁は砕けずに踏みとどまった。
光に縁取られた力場は、まるで大地そのものが腕を伸ばして俺たちを庇っているかのようだった。
やがて衝撃が収まり、崩れた岩は障壁に支えられたまま安定し、落下は止まった。
「……ふぅ、なんとか間に合った」
シグリットは剣を支えに膝を折りながら息を吐く。額に汗が滲み、その肩はわずかに震えていた。その背後には、彼女の部下、アムスとカークの姿も見えた。。
俺は胸を押さえ、仲間たちを見回した。皆、生きている。間一髪だった。
「……見事です。私たちだけじゃ今ごろ岩の下だった」
ゼストが一歩前に出て、静かな声で言った。メリッサも小さく頷き、シグリットへ深い感謝を示す。
「助かったぜ……」
肩で荒い息を吐いていたカイルは、盾を握り直しながら短く漏らした。
「……ソーマ。どうして、あなたがここに来たの?」
声に振り返ると、エレノアが真っ直ぐこちらを見ていた。
その問いは穏やかでも、その奥に押し殺した感情がにじみ出ていた。
「こんな崩落のさなかに飛び込んで来たら……命がいくつあっても足りないわよ」
返す言葉を探せずにいると、シグリットがさらに鋭い声を浴びせてきた。
「エレノアの言うとおりだ! 無茶をすれば、あなたを守ろうと他の者まで巻き込むのです。指揮を執る私からすれば、これほどの暴挙はありません!」
俺は唇を噛み、ただ一言だけ搾り出した。
「……すまない」
謝りながらも、胸の奥で繰り返していたのは――「カイルたちを失いたくなかった」という思いだけだった。
「とはいえ……彼が飛び込んできたからこそシグリット殿も動き、こうして我々が崩落に巻き込まれるのを免れることができたのも事実です。まぁ結果論ですが、あの魔法の盾がなければ、我々は岩の下だったでしょう」
やり取りを眺めていたゼストが、肩をすくめて口の端をわずかに上げる。
シグリットはなお険しい顔のままだったが、その言葉に反論はせず、鋭い眼差しをこちらに突き刺したまま、声を張り上げた。
「ここは長くはもたない。出口へ急げ!」
俺たちは息を合わせて駆け出した。
だが、その先に待ち受けていたのは――無情な現実だった。
坑道の入口は、厚い土砂と巨岩で完全に塞がれていた。淡い光がわずかに差し込んでいるが、とても人が通れるものではない。
「さっきの揺れでか!?」
「……クソッ、閉じ込められた!」
ゼストが声を上げ、カイルが拳を岩に叩きつけた。
「この量だと、俺たちだけじゃとても取り除けないな」
コールが瓦礫の層を見上げ、冷静に言う。重なり合った岩は、下手に手をつければさらなる崩落を招きかねない。
「無理をすれば、二次崩落で全員が押し潰される……。撤去は外に任せるしかありません」
「外には警備隊や坑夫がいます。私たちが閉じ込められていることはわかっているはずです。時間はかかっても、きっと掘り出してくれます」
シグリットの判断に、アムスとカークも頷いた。
だが、外への出口が閉ざされた現実は、冒険者であるカイルたちの胸にまで焦りを残したよ。坑道を満たす空気が、重く沈む。
「……もう一度採掘場に戻ってみるしかないな。七番や十八番坑道に通じる道が塞がれていなければ、まだ望みはある」
ゼストの提案に対して、「採掘場は、俺たちの目の前で崩れただろ!」とカイルが荒々しく反論した。
「だからと言って、ここで立ち尽くすのは自殺行為だ。この場も次の揺れで崩壊するかもしれん!」
ゼストもカイルに対して声を荒げた。ずっと冷静に見えていた彼にも、この状況は焦りを生み出している。
その張り詰めた空気を破ったのは、弓を抱いたセレネの声だった。
「……一つ、気になることがあるの」
全員の視線が彼女に集まる。セレネは弓弦を軽く弾き、低く続けた。
「ここへ逃げてくる途中で、横穴を見たの。壁の裂け目みたいな……」
「横穴……?」
ゼストが眉をひそめ、シグリットもすぐに口を開いた。
「この十三番坑道は、最奥の採掘場まで一本道のはずです。横穴など、図面にも記録にもありませんでしたよ」
「ええ、だから余計に気になるのよ。私は目だけは自信がある。走っていても、普段と違う様子は見逃さないわ」
セレネの言葉に、場の空気がざわめいた。
俺の視界に映る地脈を透かす光の奔流は、弱まりながらも確かに裂け目の奥へ流れ続けていた。まだ収まってはいない。
シグリットが一同を見渡し、あえて視線をカイルとゼストへ向けた。
「冒険者の目から見て、あなたたちは、その横穴……どう判断しますか?」
カイルは剣を握り直し、短く息を吐く。
「正直に言えば、妙だ。だが、この手の予定にない道は、俺たち冒険者にとって、しばしば生き残る唯一の抜け道になる。放っておくのはあり得ねえぜ」
ゼストも頷き、落ち着いた声を添える。
「カイルに同感だ。崩落で新しく生まれたか、あるいは何者かが隠していたものが現れたか……いずれにせよ確認が必要だな」
「採掘場以降、オーク共を見ていない。そこがやつらの住処なのは、間違いない」
それまで黙っていたグラムが、横からそう言い放った。
「それに……」とエレノアが静かに声を上げた。
「赤道の戦輪がこの十三番坑道の中にいるはずなのに、見当たらないわ。この揺れで出口へ逃げてきたのでもない。彼らもその横穴に入ったのかもしれない」
「だとしたら、その横穴から無事、外に出たのかもしれんな」
ゼストもエレノアの意見に追随したが、「わからないわよ、その中で閉じ込められているのかもしれない」と、メリッサが忠告した。
「ところで、その横穴を調べるのは良いが、シグリットさん、あんたの魔法が支えている天井は、持つのか?」
コールの冷静な問いにシグリットは、「正直、もって一刻というところでしょう。つまり、横穴を見つけたとして、そこを調査している間に、我々はこの坑道内に閉じ込められることになるかもしれないということです」と答える。
「だとしても、ここでこのまま待っているなんて性に合わねぇ!」
「そうだな。ここだって、いつまで保つかわからんし、どうせ閉じ込められている状況は変わらない。謎と希望があるなら、セレネが見つけたその横穴を調べてみるべきだ」
カイルとゼストの言葉に、冒険者である彼らの仲間たちが頷く。
シグリットはしばし目を閉じ、剣の柄に力を込めてから決断した。
「……よし。なら決まりだ。外が閉ざされた以上、その横穴を調べてみる価値はある」
場の空気が固まった。
エレノアの杖の先、そして各自が持つ魔道灯に魔法の明かりが灯される。揺れる光が重苦しい闇を押し分け、一行は立ち上がった。
こうして俺たちは、セレネが見たという横穴へ向かうことになった。
その先にどんな危険が待つのか分からないまま――。
ご覧いただきありがとうございました。
本話のタイトルも56話に引き続きアレキサンダー・グラハム・ベルの言葉です。
「一つのドアが閉まると、別のドアが開く。」は、困難に直面しても新たな道が拓ける希望を示す名言であり、本話では閉ざされた坑道から未知の横穴へ進む決断が、まさにその新たな「ドア」を開く瞬間を描きました。




